囲炉裏を囲み
コーン、と竹垣の向こうで鹿威しが甲高く鳴った。プティーとメリアは一足先に上がり、アヅマだけが残っている。この機会に色々と確認しておきたい事柄もあったのだが、酒が回りすぎるからと言われたら引き止められない。目的はあくまでメリアと彼女の持つサンプルの護衛だ。酔って動けませんでしたじゃ通らない。
アヅマは両目を閉じ、プティーが諳んじた歌を思い出す。
天の原、富士の柴山、木の暮の、時移りなば、逢はずかもあらむ。
夕闇、木陰に隠れて時が過ぎれば二度と逢えなくなるだろう。そうアヅマは読む。プティーがどう読んだのかは知らない。知る由もない。
縁あって共に暮らしてきたが、長く共に居すぎたかとも思う。
先代から継いだ捨念の教えを全うすべく、ひとつところに逗まらず全国各地を渡り歩いてきた。相棒は刀一振りのみ。そう思ってきたつもりだった――が。
執着がある。
いまや相棒と呼ぶのは刀ではない。プティーだ。竹林で会ってすぐ、メシを奢ってやると言われたあのときに、断っておくべきだったのかもしれない。あまりに良くしてくれすぎた。あまりに居心地が良すぎた。ひとつところに根張、居付く。動けなくなる。
「……そして、切れなくなる」
自らに言い聞かせるように呟き、アヅマは湯船に姿勢を正し、瞑目する。
またひとつ、鹿威しが鳴った。
先代は、父は、妻を取り子を持ったから死んだのでは。
念を捨てきれなかったがゆえに、念の源泉たる母とともに死んだのでは。
愛別離苦。怨憎会苦。求不得苦。五蘊盛苦。捨念の源流、始祖は一念を通したのち禅門に入ったという。
活人これ即ち護身に非ず。
刀もち敵を斬る。いなくなるまで斬り進む。それもまた無敵といえよう。
なぜ父は己を切った。
なぜ自死を選んで俺を活かした。
捨てるべき念とはなんなのだ。
目を瞑ったまま立ち、刀を取った。竹切り庖丁と呼ばれた古い相棒。鞘を払った。足を八の字に開き、一際長く反り浅い刃を舎念流の上段に構える。
迷いは刀を振って断ち切ると習った。そうしてきた。
手の内を柔らかく、瞼の裏に揺れる迷いを間合いに投射し、隙を探す。心で観る。
そして、
「ェイヤットゥ!」
唸りをあげる刃筋がひとまず迷いを断ち切る。と、同時。
「どぅぉぉわぁッ!?」
野太い悲鳴があった。瞼をあげ、振り向くと、ビスキーが尻もちをついていた。湯浴み着ではなく普段どおりの服装だ。
「……そこで何をしているんだ?」
平静を装って問う。気配どころか足音にも気づかないほど集中していたとは。
ビスキーが牙を剥き出すように片頬を引きつらせる。
「それはなぁ……こっちの台詞なんだよ!」
当然の怒号。
「風呂場で刀ぁ振り回すとか何考えてやがんだ!」
「何も考えないようにするために振っていた」
「…………あぁ!? だからてめぇ、そういう小難しい――ああ、クソッ! もういい! いつまで風呂入ってねえで、さっさと上がれ! 飯の時間だとよ!」
「……飯? 誰が支度をしたんだ?」
「プティーと、あの名無しとかって奴じゃねえのか? 知らねえよ」
「知らない?」
「俺の役目はメリアさんのお付きだよ。誰がメシの支度をしてんのかとかいちいち見張ってられっか」
「なるほど」
さもありなん――だが。
アヅマは刀をパチンと鞘に納めた。
「お前は入らなくていいのか? いい湯だぞ、ここは」
「……いくら湯治場だって言ってもな、旅行で来てんじゃねえんだぞ?」
ビスキーのこめかみに青筋が浮き立った。口元には攻撃的な笑み。
平然と受け止めて、アヅマは右拳を握り固めつつ前腕の様子を見た。連戦につぐ連戦で感じていた筋の張りが幾分かマシになっていた。ただ寝起きしていただけではここまで早く治らない。
「分かっている。だが、まだ強行軍は続くぞ。名無しの言っていた通り、この湯はたしかに筋の痛みに効くようだし、足腰に疲れがあるなら入っておくといい」
「敵の本陣ど真ん中で素っ裸ンなってのんびり湯に浸かれって?」
言われて、はたと気づいた。
「やはり、バンブーズは信用できないか」
「ああン?」
眉間に厳しい皺をつくったかと思うと、すぐに、ビスキーは片手を左右に振った。
「よせよ。場所が変わりゃ、みかたも変わるってだけだ。もしここがバンブーヒルなら、俺の目にゃ、お前らはバンブーズだと映る。ここはなんだ、竹之光教の土地だろ。だったら俺の味方はお前と、とっぽい嬢ちゃんだけになる」
とっぽい嬢ちゃんというのはメリアだろう。となると、
「プティーは味方の勘定にいれないのか」
「根っこンとこにオークス嫌いがある。まあバンブーズなら大抵の奴がそうだ。あいつも破綻しねえ程度に隠しちゃいるが、女だしな。いざってときにゃ、道理を無視して身内の側につくだろうよ。――けど、お前は違う」
青い瞳を値踏みするかのように細めた。
「捨念だかなんだか知らねえが、道理が通れば駒になる」
駒とは。いささか承服しかねるが、捨念の理に照らせば、まさに一理あるという他ない。
黒瞳を鋭くし、視線を交える。
もうもうと立ち込める湯気の紗幕を鹿威しの音が切り裂いた。
両者は、どちらともなく視線を切る。
「飯だったか。行こう。あまり待たせるとプティーが怒る」
「とっくの昔にキレてたよ。ふやけっちまうぞってな」
「……だろうな」
片眉をあげ楽しげに悪態をつく姿が簡単に目に浮かぶ。アヅマは刀を手に湯から上がり、手早くを着替えを済ますと、発光する竹に導かれて浴場から少し離れた平屋に入った。土間の竈か粘り気を帯びた湯気が伸びていた。醤油の焦げる香ばしい匂いに鼻が動く。炙られた魚の脂がチリチリと細かく爆ぜる音がしていた。
見れば一段高い板張りの床に四角く切った囲炉裏を囲み、プティーとメリアが串打ちした岩魚や山女魚を焼いている。天井から吊るした鍋は汁物だろうか。
「おっそいんだよ、アヅマ!」
ダン! とプティーが大胆にも片膝を立てて半身を乗り出す。斜向かいのメリアが浮かべる苦笑は、その声に対するものか、はたまた引き気味に見つめるこんがり焼けた山女魚に対するものか。
「すまん。瞑想に集中しすぎたらしい」
言いつつアヅマは囲炉裏ににじり寄り、用意されていた膳を見、
「――む。これは――」
と、思わず生唾を飲み込んだ。慣れ親しんだ筍ご飯に、身をほぐした鮎と刻んだ茗荷、生姜、大葉が混ぜ込んであった。主菜は姿形も立派な岩魚と山女魚の塩焼きで、竹に負けじと隠れ育った蕨や屈みのお浸し、姫竹と春舞茸の味噌汁もある。もちろん、数種のメンマつき。
――申し分なし。
パン! と顎の前で両手を打ったアヅマは続けていただきますと言おうとし、ふと我に返った。見回す。いない。
「……名無しはどこに行った?」
「ああ良かった。そのまんま食い始めたら怒鳴らなきゃいけないとこだった」
ニッと片笑みを浮かべてプティーは立てた片膝を胡座に組み直す。
「一緒にどうだと誘っちゃみたんだけどね。遠慮するとさ。割れちまった奥歯がまだ生えてきてないから見苦しくなるとかなんとか――」
生えてこないとはどういうことだ。と、アヅマとビスキーは訝しげに眉を寄せ、殆ど同時に顔を見合った。
「生えてくるみたいですよ?」
メリアの声に、ふたりの目が向く。
「躰にデビルバンブーを植えてますからね……それもこの隠れ里で独自に発展してきたであろう品種です。何が起きても驚きませんよ。まあ、きっと、異常な生命力を利用して歯に似た何かを――例えば顎の骨を歯っぽく隆起させたりするのかもしれません」
「……あるいは残った顎の肉から硬い竹の節を生やして歯とするか」
最初に躰から引き抜いたデビルバンブーは血管を伝い筋の隙間に茎を伸ばしていた。割れた歯が抜けていれば、その穴から竹稈を生やすくらい簡単にやりそうな気さえする。
アヅマの想像に、プティーが嫌そうに舌を突き出した。
「ちょいと。やめておくれよ。せっかくのメシと酒がまずくなっちまう」
「……美味い不味い以前に、毒やら竹の種やら入ってねえだろうな?」
ビスキーは乗っ取られるのはごめんだとばかりに竹の匙で炊き込みご飯をつついた。
メリアが真面目な顔をして言う。
「だとしたら大変です。もう花が咲き、枯れたことになります」
「……いや、そういう意味ではないんですが……」
助けを求める眼差しを向けられ、アヅマはあらためて膳に両手を合わせる。
「毒を喰らわば皿までという。湯をもらい、飯を頂き、寝床も借りる。常在竹林の心持ちを忘れなければ、恐るることなし」
「……そういう意味でもねえんだが」
「だったらこうだ。『腹が減ってちゃ戦はできねえ』」
プティーは竹の盃を呷り、同じく両手を合わせた。
「頂きます」
唱和するアヅマとプティー。メリアは苦笑いと小さなため息ののち見様見真似で手を合わせ、ためらいがちに山女魚の塩焼きにかぶりついた。パッと眉があがり、目も大きく開く。
「美味しい!?」
舌が慣れたか。作り手が名無しだからか。珍しくも少女らしい感嘆の声が出た。




