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スパイは誰だ

 源氏物語前半部の山場として、須磨行きは欠かせないですよね。あのきらびやかな光源氏が、当時はものすごい田舎だと都人に思われていた須磨に落ちていかざるを得なかったわけで。

 でも一人じゃない。乳母子(めのとご)惟光(これみつ)をはじめ、良清(よしきよ)右近(うこん)将監(じょう)(近衛少将の次官)など信頼できる仲間がいる。


 以前「源氏夢想譚」という話を書いていた時、『この辺りでそろそろスパイを入れなきゃな』と考えました。スパイがいないと都に情報を伝えられないですからね。

 で、誰がいいか。その視点で源氏の同行キャラを眺めたら、驚くことにすでにスパイはいたんですよ。右近の将監です。


 この人は空蝉(うつせみ)の夫である伊予介のお子さんの一人で、弘徽殿(こきでん)さん(後の大后)の娘が斎院となったイベントの時、特別に源氏の随身(ガード)として加わり、それ以来源氏チームの一員となったらしい。そのせいで職まで失っています。

 なんかイケメンのようです。「葵」で随身(ガード)やった時、まずは間接的に書かれてますね。『この日のために特別に命じられた彼の随身は、空蝉の義理の息子にあたる蔵人(くろうど)将監(じょう)だ。その他の随身も容姿スタイルきらきらしく、源氏自身の供として申し分ない。まさにそこだけ光を集めたかのように初夏の陽光よりなおまぶしい。』(私的超訳)

 他、源氏が墓参りするとき同行した時源氏自身にさえ「人よりけに、はなやかなりしものを」思われている。


 失業しても彼は源氏チームを抜けず、常陸(ひたち)の介の職について現地に行くお父さんにもついていかず(無職はフツーはついて行きパパの手伝いするっぽい)、須磨へ下る源氏といっしょに行く。

 なぜこの人がスパイなのか。感動しやすい若者らしいのに。状況を精査していきましょう。


 まずはお父さんの常陸の介(元伊予介(いよのすけ))について考えてみる。

 パパは空蝉を寝取られてはいるがけして間抜けには描写されてはいない。さらに伊予介から間髪を入れず大国の常陸の介になっているのでものすごく有能な実務キャラである可能性が高い。

 常陸の国の守は親王がつくのがお約束だけど、親王は現地に行かないので実質(すけ)がトップになる。この地位は親王の分も稼ぎながら地元を安定させ、なおかつ自分の利益も確保しなきゃならないので無能には無理ゲーな立場です。

 なおかつ大人だ。帰京した時真っ先に源氏にあいさつに行っているが、ただならぬ風格を示してます。


 真っ先に行ったのはたぶん方違(かたたが)えの時のことを紀伊守(きのかみ)(右近の将監のお兄ちゃん。源氏が空蝉と会った邸の主人)が知らせたんでしょうけど、それからすごい勢いで娘(軒端荻)(のきばのおぎ)を結婚させ、空蝉を連れて任地に戻ったところを見ると、同時に気のきいた女房あたりが文で知らせたんだと思います。バレとるわ。

 ここで将監パパにあった時、珍しく源氏はちょっとだけ反省する。「(空蝉の)冷たい心は憎いけど、夫のこの人のためには感心せざるを得ない」って風に。

 パパも源氏はなにしろ帝の寵児だし、直接確認してこの容姿と雰囲気はうちの賢い嫁でさえ逃げきれんかもしれんと思ったのでしょう。だから距離をとることにしたと。ほんと実務的な人だ。


 まあとにかく、そんなシゴデキだがやっぱ大事な奥さんに手を出された恨みはあると。それで割と間抜けな感じの紀伊守と違って自分の有能な懐刀である将監を使った可能性はありではないか。


 それと同時に将監は朱雀帝の蔵人(スタッフ)です。彼が心の主人と決めているのは朱雀帝ではないのかと。感動しやすい若者だから、源氏にも感動するけど本物の帝が頼ってくれたらもっと感動するのではないか。もちろん一時的に職は解かれるが、帰ってからの見返りも保証されてるのかもしれませんし。


 いくら何でもないわー、と思う方のためにメタ視点から行きますね。

 まず式部先生はメインの読者である一般女房たちを大事にする方であると。同時にマニアックな読みをする人のためにも盛りだくさんに仕込む方でもあります。

 フツーの読み方をする女房たちはたぶんイケメンが大好きだと思います。ただし源氏自身はきらびやかでありすぎる上に、ヒロインめっちゃ多いので自分に似合いの殿方とは想像上でも難しかったのではないでしょうか。

 ではどうするかといえば、もっと気軽なサブキャラに心を向けたのではないかと。これはきっと人によって違って頭中将好きもいれば、後年の更級日記の作者のようにもっとハードな趣味の人もいたでしょう。惟光好きもいたと思います。その中に、本文にイケメンだと思われる描写のある右近の将監が好きって人がけっこう現れたのだと思います。


 式部先生はちょっと頭を抱えた。いやこいつ、誰も気づかんだろうが一応スパイでもあるんだがと思って(私見)。しかし他にスパイとして適切な相手はいない。その声を無視するには先生は思いやりがありすぎる。なにせ動画もアニメもドラマもない時代です。フィクションとしての推しは物語に集中する。なんか熱狂しだした女房たちを止めるのは大変だ。


 で、どうしたのかというと少し水をかけることにした。広まった部分は変えることができないので、その先の部分にビミョーに感じ悪い描写を入れてます。また私的超訳します。松風に登場した時です。


『付き従うのは元右近将監で、現在は蔵人に復帰して冷泉帝の元でも働いている。今の役職は靫負尉(ゆげいのじょう)で今年従五位の下にたどり着いたので、もう立派な殿上人(エリート)である。

 彼は源氏の太刀を取りに傍に来て、須磨で知り合った女房を見つけ気取って声をかける。「忘れちゃいなかったんですがね、恐れ多くて行けませんでした。明石の浦風を思い出すこの大井の暁の寝覚めにも文を差し上げて驚かせたかったのですが伝手もなくて」だが女がその何倍も気取って答えたので、ゲンナリして気が冷めた。「そのうちに」と未練なさげに源氏の方に行ってしまった』


 いや女の方も後年の近江(おうみ)の君を思い出す過剰な引用系和歌出してるのでどうかと思うけれど、それ以前にだいぶ感じ悪い。けれどほかの主要メンバー惟光や良清には知っている限りこのような下げ描写はない。

 それに何の意味が考えると、やはり女房たちの熱狂を冷ますためとしか思えないのです。


 よって右近の将監はスパイ。パパか朱雀帝かはたまたその両方かの依頼を吞み込んでいる。でも源氏を傷つける系ではなく共に暮らして彼らになじみ、それでいて情報をちゃんと都に伝える役割を果たしていたと思います。


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