勝者の色は何ですか?
漢詩の基盤は対句かなあと思いますが、源氏物語の根本はそれより複雑ですね。まるで二羽の鳥が左右から飛んできて、交差する瞬間に相手の色に変わるような。クロスオーバーとしか言葉が思いつきません。
さて今回は色についてなんですが、いろんな要素が加わっています。大変とっ散らかったので普通の衣装はほぼ省略。膨大すぎるので大変なのと、山吹色とかどう解釈すればいいのかよくわかりませんので。この色は源氏養女格の玉鬘が印象的ですが、元頭中将長男の柏木の嫁の女二の宮も『夕霧』で山吹襲を着用してますからね。もしかして下克上キャラの色?
それはおいといて、素直に考えると勝者の色は赤です。これはなんとなくそう思っていましたが根拠はあって、「青色」(と言ってもグリーン系。延喜式では青白橡のこと。手持ちの本で見ると少し緑の濃いカーキ色っつーか、金色の刺繍のある上等なカーテンの地色がこんなんだわって感じのと、金色と茶色を足して二で割って薄めたようなのと二つのってます)が帝の日常色ですがイベントの折は臣下もこの色を着ることが許されます。
そのとき帝は「赤色」(延喜式では赤白橡でベージュっぽい色合いですが、有職の色見本ではフツーに赤)を着ます。ただし天皇上皇の他、摂関なども許されたそうです。
そのため赤のほうが格上とされたようです。
ただし例外もあって、夏の直衣は若い人は二藍(現代の紫と違うとあるけれど、色見本では赤紫~紫としか見えない)で紅が濃いものを使い、年齢と身分が上がるほど縹(薄い藍色)→薄縹→白と赤みが薄くなっていきます。
『藤裏葉』で、元頭中将に許されて結婚できる夕霧の衣装でこのことが語られています。しかし臣下<帝なせいか、青が上な場合はめったにないと思ってよさそうです。
たとえば衣配り一つとっても、勝者とはいえない花散里や末摘花は青系です。
でも今回は舞楽について書きますね。これは三つに分けられるそうです。
一つ目は左方舞。大陸から伝わった「唐楽」。原則として赤系の衣装をつける。日輪を象徴する大太鼓のある左から登場。
二つ目は右方舞。朝鮮半島伝来の「高麗楽」。原則として青系(緑系)の衣装を着ける。月輪象徴の大太鼓のある右から登場。
三つ目は国風歌舞ですが、今回は関係ありません。
前回やたらに出てきた『紅葉賀』、ここではあの有名な「青海波」が舞われます。これは左方唐楽の舞ですが特別衣装です。青波模様の下襲に千鳥模様の袍を着ます。名前のせいか唐楽なのに青系です。
源氏の美しさが強調されてはいるが、当時の朱雀院に住む上皇視点だと源氏は実は負けているのではないかと私が主張した箇所ですね。
はい次。「花宴」で南殿の桜の宴。ここで源氏は東宮にねだられて装束はつけずに春鶯囀をほんの一節舞ってみせます。これは左方唐楽ですが「舞楽図説」の絵だと赤より青系の布部分が多いですね。
この時頭中将も「柳花苑」という唐楽を舞っています。これは「年中行事絵巻」に女舞が載っていますが赤系の衣装を着ていますね。ただし「柳」という言葉が青を思わせます。
でここから飛ぶんですけど参考として「須磨」。
この帖では源氏は絶不調状態です。彼の装束の色は「白い綾のしなやかな単衣に”紫苑色”(少し青みのある薄い紫)に濃い紫の直衣」の時と、頭中将が尋ねてきた時の「黄色みを帯びた薄めの紅色に青鈍の狩衣、指貫」の二つが大きく書かれています。後者は赤がないわけじゃないけれど普段の彼よりずっと少なく、青面積の多い服装です。
『澪標』では住吉神社へのお礼参りが派手に書かれていますがなぜか舞楽の固有名詞は書かれていず、がんがん飛ばして『絵合』。ここでは冷泉帝の二人の妃の争いがイラスト勝負の形で書かれていますが舞楽はありません。しかし式部先生が何を勝ち組と負け組みのシンボルにしたかがわかりやすいのでまた参考としてみましょう。
この戦いの妃は、源氏方が六条さんの娘の梅壷女御。最初に言っておきますがこっちが勝ちます。勝利のモチーフは別箇所には例外はあれど左、赤、唐、紫檀。
対するは元頭中将の娘の弘徽殿の女御。敗者のモチーフは右、青、高麗、沈香。
ただし木であるところの紫檀と沈香は参考程度かな。沈香といっしょに浅香も弘徽殿方にあがってますが、これは出家した人のお膳のイメージが強い。
ここでは弘徽殿方の|女童が青色に柳の汗衫、山吹襲の袙を着てますね。とすると下克上説は成り立たないや。でも山吹=負けと言い切れないので保留します。
『絵合』で興味深いのはやはり朱雀院。この方の母親の大后(元弘徽殿の女御)の妹が現弘徽殿の女御のお母さんなのですが、彼は梅壷の女御のことが好きでした。だから彼は梅壷に絵を贈るのですが、まあ元帝が一方だけの肩を持つわけにもいかないでしょうし親戚ですので、弘徽殿の方にも大后を通して贈ってあります。
そのような微妙な立場の彼に、この時の梅壷女御は返しの和歌の時”縹”色の”唐”の紙を使ってます。もちろん源氏世界の住人は勝ち負けのモチーフなど知らないわけですが、式部先生がそう設定しているのが面白いですね。梅壷側の勝利イメージと朱雀院側の敗者イメージを表しているのか、もっと深い意味があるのかわかりませんが。
先に進んで『胡蝶』。タイトルのこれは高麗楽で右方の舞です。
三月二十日過ぎに紫の上の住む春の御殿の庭の池で音楽会がありました。ここで龍頭鷁首の船を唐風に派手に飾り付けている描写があります。
本来は龍頭の船では唐楽、鷁首の船では高麗楽を演奏するので飾りつけもそれにあわせるんじゃないかと思いますが、式部先生は高麗風の飾り付けについては(たぶん意識的に)書いてないですね。
この船に乗って秋好中宮(女御→中宮)の女房たちがやってきて紫の上側と交流します。とても華やかに書かれています。
この時流れる舞楽が夕方に「皇麞」。夜になってから「喜春楽」。どちらも唐楽ですので赤。後者は曲だけのようです。催馬楽はずっと省略してますが、蛍兵部卿が源氏物語では負け色の「青柳」を歌うのはちょっと印象的。
翌日秋好中宮の御読経(仏教系イベント)があります。そこで紫の上が中宮の方に派遣したのが鳥と蝶の装束の可愛い子どもたち。舞楽の「迦陵頻」(左、唐楽、赤)の子が鳥で銀のビンに桜、「胡蝶」(右、高麗楽、青)の子が金のビンに山吹を入れて持っています。
タイトルのほうが負けシンボルですね。ただし時期的には一連の玉鬘の騒ぎの最中なので、山吹を持っているということは彼女を指していると言えないこともないです。しかし『幻』の帖に、明らかに紫の上と山吹をイメージを重ねている箇所があるし(例の谷には春もの所ですよ。うちの「女三の宮の野望」の35にここの説明があります)、この箇所は玉鬘は何の関係もないので玉鬘をフェイクとした紫の上に対する作者のロックオン宣言かもしれません。
どちらにしても何の不安もない極楽のような六条院に、少しずつ不穏な影が差していることを表しているような気がします。
次の「蛍」の帖では「打球楽」(左、唐楽、赤)「落蹲」(右、高麗楽、青)。これは花散里の夏の御殿で行われた競射の際の音楽。
『行幸』など派手な音楽がありそうなのに特に書かれず『藤裏葉』。全てが頂点を極め裏返っていくとも言われる大事な帖です。
ここでは先に述べた夕霧の青の方が上の装束の話があります。後半に冷泉帝と朱雀院が六条院に行く行幸があって、そこで「賀皇恩」(唐楽、赤)。
この帖では葵祭の見物があって、そこで源氏はかつての六条さんと葵の上の車争いを思い出します。
「時に乗ってるからと心おごってあんなことになったのは思いやりなさすぎ。いい気になってマウントした方も、相手の嘆きを背負ったような形で亡くなった」とか、「その子(源氏と葵の上の息子の夕霧)は一般人でちょろちょろ出世してる状態だけど、六条さんの娘は中宮で並ぶ者さえない地位なのが感無量だわ」(超訳)とか言った後に自分自身も紫の上にマウンティングします。反省しろよ。
いやいい、源氏はほっといて次。『若菜上』。女三の宮の裳着(女性の成人式)が極めて盛大に行われます。ここで式部先生”唐”を微妙なアレンジで”もろこし”として出してくる。それも女三の宮自身の衣装に使います。先生仕掛けてきてますね。
女三の宮が源氏の元に嫁いで来た後、紫の上によって源氏四十の賀が行われます。この時唐楽(赤)の「万歳楽」と「皇麞」は名前があがるだけですが、高麗楽(青)の「落蹲」はとてもていねいに描写されています。
この後中宮の行った賀では舞楽は書かれていません。けれどその後の、帝の代行で夕霧が行う四十の賀では唐楽(赤)の「万歳楽」「賀皇恩」のみが書かれています。それでも高麗楽(青)が全然なかったわけではなく、帝からもらった馬四十頭を引き入れる時に右馬寮の公務員が高麗楽をやかましく演奏しています。
続く『若菜下』では住吉詣でがありますが、「仰々しい高麗や唐土の音楽よりも耳慣れた東遊は親しみがあって面白く」と、どちらもパスな感じ。
そして同じ『若菜下』の女楽。舞楽はかかれていず曲のみで進みます。色としては他の人が装束か女童かどちらかか両方で赤を使ってますが、女三の宮は桜の細長を除いて思いっきり青ですね。たとえられるものも他の女君は花なのに「青柳」にたとえられている。典型的な源氏物語の負けモチーフです。
ですが式部先生の凄さが際立つのがこの女楽の後半。女三の宮の女房は当番だったらしく、夕霧に杯とほうびの衣装を渡します。ここで源氏が「先生である私にまずいただきたいですな」と軽口を叩きます。
すると女房は女三の宮のいる几帳の横から素晴らしい高麗笛を取り出して源氏に渡します。
ここ、現代人の方がわかりやすいんじゃないでしょうか。細長い棒状のものを渡す。バトンタッチです。しかも負けモチーフの。次はおまえだロベスピエール!
さて『若菜下』後半、朱雀院の五十の賀の祝いの試楽(予行練習)では大量の舞楽が出てきます。子どもの踊る童舞です。本番では赤白橡に葡萄染めの下襲を着る予定ですが、この日はわざわざ色を変えて青色に蘇芳襲。
なので本来の()内の色ではなく青でダンスしたはずです。
仙遊霞(唐楽、赤)~楽人
万歳楽(唐楽、赤)~髭黒の四男、夕霧の三男、蛍兵部卿の息子二人
皇麞(唐楽、赤)~夕霧の次男(藤典侍腹)と紫パパの孫
陵王(唐楽、赤)~髭黒三男
落蹲(高麗楽、青)~夕霧長男
太平楽(唐楽、赤)、喜春楽(唐楽、赤)~同じ一族の者や大人たち
この辺りは故橋本治氏や大塚ひかり氏が詳しく書いてらっしゃいますが、闘いの曲だと。両氏解釈は違い、橋本氏は源氏→朱雀院、大塚氏は源氏⇔柏木の闘いとみてらっしゃるようです。私は先に読んだのが橋本氏の著作だったのでモロに影響受けたのと、自分の解釈のせいで対朱雀院派。
色はこの時ほぼ青色なんでしょうが、本番は逆なのでもともとの色とあわせて解釈してみます。
まず髭黒息子、これを一時的に朱雀院側と解釈します。理由は髭黒の姉妹が朱雀院息子である帝の母だからです。それとこの解釈シリーズの1、源氏のラッキー&アンラッキーナンバーを合わせます。蛍兵部卿は朱雀院の弟でもあるので、その息子はカウントしません。
仙遊霞は省いて赤の万歳楽。これは朱雀側&源氏ラッキー№4、夕霧は当然源氏側&アンラッキー№3で引き分け。
赤の皇麞は源氏&ラッキー№2(ただし本妻腹ではないのでマイナス1)+紫パパは一応源氏側とみなして源氏側の勝ち。
赤の陵王は朱雀側&源氏アンラッキー№3で朱雀の勝ち。
青の落蹲はよりにもよって夕霧の息子の中でも本妻腹長男という最上位、ところがこれは高麗楽なので源氏側の負け。
なんと源氏側一勝二敗一引き分けで負けてるやん。バトンタッチ効果でしょうか。しかも万歳楽は「六人または四人舞。伝則天武后作。鳳凰または鸚鵡の鳴き声をかたどって作った曲と伝えられ、鳥声万歳楽とも言う」で、朱雀を鳥とみなしたらこれさえ負けになる(則天武后を大后とみなすとなおさらですな)。
ここをクライマックスとして後は本帖では舞楽は目につきませんでした(疲れたので見落とした可能性あり)。『横笛』でやたらに「想夫恋」(唐楽)をやってますがこれは舞楽ではないのでカウントしないでいいでしょう。
ということで私は朱雀院=右、高麗楽、青という印象があったのですが、そもそも朱雀という言葉自体”赤”をはらんでいますので、この人=負けとは言いがたい気がします。このことは最初にちゃんとネタを提示しておく本格ミステリに似ていますね。
主人公側がずっと勝ちとも、最終的に負けとも言えない複雑な構図が源氏物語の面白さの一つだと思います。