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いきなり構造!

 突然ですが、源氏物語から女性関係をすべて取っ払うと何があると思いますか?

 身近な人に聞いてみたところ「源氏と頭中将のライバル関係」と言われましたがそれは違うんじゃないでしょうか。


 人がそう思ってしまう理由の一つに、創作ではない現実の平安時代の皇族の立場があります。摂関家の人間にとって春宮(とうぐう)(皇太子)以外の皇子や皇女は全然重要じゃないですからね。


 それが格下の家の更衣(こうい)の子ならなおのこと。もしも源氏物語が現実だったら更衣腹の源氏は、左大臣嫡男(ちゃくなん)で帝の姉妹の内親王(ないしんのう)を母に持つ頭中将の足元にも寄れません。

 たとえ摂関家出の親王(しんのう)であっても、不要な人は寝殿(しんでん)(邸のメイン)どころか対の屋(別棟の建物。寝殿と渡殿(わたどの)などの廊でつながる)にも住めず廊に暮らしてる人もいるぐらいです。


 しかし源氏物語は現実と見まごうばかりに作られた虚構の世界なので、父帝にひどく愛された源氏は実際にはないほどの特別扱いです。なので頭中将は立場が上というわけでもなく、ちょっとした女関係は別としてライバル扱いもされていません。それは作者によってはっきりと書かれています。


紅葉賀(もみじのが)』で朱雀院でするイベントの試楽(しがく)(予行練習)で源氏と頭中将は青海波(せいがいは)というダンスを踊ります。


 源氏夢想譚から麗景殿(れいけいでん)女御(にょうご)視点で大ざっぱ訳。


「左大臣のご子息の頭中将は、見た目も心ざまも際立った方だ。若手の中でも特に優れている。だけどそれでも、光君の足下にも寄れない。桜の傍らの深山木でしかなかった」


 この試楽を含め「紅葉賀」の青海波は後に何度も回想される象徴的なシーンです。だかこそ作者は誰の視点にも頼らぬ地の文で断定しています。いや語り全体が女房視点だと解説されていることが多いですが、ここはよく言われる紫の上側の女房視点でもなく、桐壺帝の心理も書かれているのでまったくの地の文、作者視点と言ってもいい箇所でしょう。


 それなのにどうしてこの二人はライバルだといろんな書で断定されているのか。前述のリアル状況も含めて式部先生がフェイクかましているからです。


 同じ『紅葉賀』に頭中将について大きく触れた箇所があります。


 ざっぱに訳すと「高貴な生まれの皇子たちさえ桐壺帝が源氏をすげーひいきするので面倒がって敬遠してるのに、この中将だけは『負けるもんかい』とつまらんことにも張り合ってる。この人だけが源氏正妻(あおい)の上の同腹の兄弟だった。『帝の子がなんぼのもんじゃい。俺だって大臣の中でも抜きん出た寵愛を誇る左大臣の息子でママンも皇女ですんげえ大事にされてるんだぜ。変わんねえよ』と思ってるらしかった。人柄も十二分で理想的で足りない部分はないのだった。この二人の競争はおかしなものだった。」


 競ってることがあるのは認めてはいますが、世間でよく書かれているライバル描写は頭中将の心理面から来ているのがほとんどですね。彼はそう思っている。だが源氏は競うことはあってもライバルだとは思っていない。前回『花宴』で右大臣の娘六の君に手を出した時、『美人で名高い頭中将嫁の四の君か、帥の宮の奥さんだったら面白いのに』ととんでもないこと思ったことを書きましたが、このように格下目線で彼を見ている。


 しかし式部先生は『紅葉賀』冒頭できっぱりとライバルではない宣言をしながら、その後そう思い込むように誘い込んでいる。それはなぜかと考える前にまず、『紅葉賀』について考えようじゃありませんか。


 この帖で大きく書かれているのは先ほど述べたように「試楽」の方です。では本番は何かといいますと『朱雀院』の「賀」の祝いです。

 このときの朱雀院は桐壺帝の父とされていますがその描写はありません。しかし彼はこの祝いの主役で確かにそこにいるはずです。その上彼は大きな力を持っている。


 その証明としてまずはこのイベントの描写です。本人については書かれていなくても状況については書かれています。


行幸(みゆき)には皇子たちなど世に残る人なく、(つか)うまつり給へり。春宮(とうぐう)もおはします」


 この後も凄い人たちが集められ、演奏するさまなどが細かく書かれています。何でこんなどうでもよさそうなことを書いているのかといいますと、どうでもよくないからです。


 王道読みをしない人間はイベントがあったらどんな豪奢で趣味のいい品があっても物につられちゃだめです。見るべきモノは物ではなく人です。それによってイベントの比較ができるんです。


 この『紅葉賀』の行幸は源氏物語中ほぼ最大の行幸です。源氏が準太政(だじょう)天皇になった後、冷泉(れいぜい)帝と朱雀院が二人そろって六条院に行く時の方がゴージャスですが、冷泉帝の和歌により「この行幸は桐壺帝の紅葉賀のをなぞらえているんです」ってことになったので。それに冷泉帝は本当はその資格のない人だからなあ。そのせいか太政大臣が来ていることは書かれていますが、他の人についてはあまり細かく書かれていません。


行幸(みゆき)』に出てくる冷泉帝の大原野の行幸は、人は細かく書かれていているのですが春宮が来ていないのでこれより下。

 つまりその盛大なイベントを贈られたこの時代の朱雀院は大きな力を持っていたと考えられます。


 そのことは他の部分からも読み取れます。藤壷の宮のお兄さんで紫の上のお父さんである前帝の嫡男(お母さんが后で他に男兄弟の描写がない)は春宮になれていません。政権は桐壺帝から桐壺帝弟に行くはずだったが死んだので桐壺帝一の宮(後の朱雀帝)にいっていて考慮さえされてません。

 つまり、直系に継いだこの朱雀院はかなりの力を持っている。なのに描かれていない。


 なぜか。描いてしまうとばれてしまうからです。『紅葉賀』の主役が誰に視線を向けていたのかが。

 それは光り輝く主人公源氏ではありません。おっとりと優美な春宮その人です。その証拠にこの場所としての朱雀院は桐壺帝ではなくこの時の春宮に引き継がれます。式部先生は裏設定として源氏のライバルに(後の)朱雀帝を立てているんです。


 このことは二重の意味で表ざたにできません。一つは不敬ですので。いやまあお父ちゃんの女寝取ってる時点で不敬もへったくれもあるかって気分になりますが、お父ちゃんは許してる可能性もあるのでぎりいけるってことにしとけます。

 しかしそんなひどいことをして皇統を乱した男が正当な帝(になる男)のライバルってのもまずいですよね。


 もう一つは、人様の日記はともかく物語では主人公は完全勝利、それ以外ありえないと思っている層に向けての配慮です。先生読者をなるべく傷つけたくない人だし。


 では証明に入りますね。


 話は戻って『若紫』。わらわ病み治療に北山に行った源氏が仲間と雑談しているうちに播磨(はりま)(かみ)の息子の良清(よしきよ)が、明石(あかし)の入道の娘のことを言い出します。


 入道は大臣の息子で近衛(このえ)の中将だったのにその地位を捨てて播磨の国司として下り、都には戻らず出家した変な男だが、娘の母は家柄のよい人だし、女房や女童(めのわらわ)などを都のいいとこから集めて自分の娘をむっちゃ大事にしているってことが語られます。


 もちろん後の明石の君のことですね。入道は娘に、自分の死後志を遂げることができないのなら海に入って死ぬようにとまで言っています。それを聞いた源氏は「海竜王の后になりそうなお嬢さんだ」とコメントします。


 さて件の娘さんはその後源氏と明石で結ばれることになります。が、源氏は公的な許しを得て都に帰ります。で、明石の君は源氏の娘を明石で出産しますが『松風』で三歳になった明石の姫君を連れて上京することになります。

 この際彼女は源氏の用意した邸には住まず、母である尼君のうけついだ祖父である宮さまの遺産である大堰川(おおいがわ)の地の邸を入道の手配によって整えて住みます。


 謹慎中源氏が住んだ場所も須磨、明石と海の傍でしたがこの時女が移るのは川の傍。なんにしろ水がありますね。明石に育った女なので本当に竜神に愛されているのかと……あれ?


 竜神に嫁ぐべき女が嫁いだ。


 さてここで『紅葉賀』を思い返しましょう。あの賀で源氏が踊ったのは? もちろん青海波ですね。

 青海波……青い海……海竜王…青竜。もちろん頭中将も踊りましたが、彼はモブだったと作者が明言している。


 もしかして源氏自身が竜じゃないのか。明石の君は嫁ぐべき竜王に嫁いだのでは?


 すると『松風』には重要な情報が載っている。源氏はこの時、まだこの人を大々的に迎え入れたわけじゃないんですよ。末摘花(すえつむはな)とか空蝉(うつせみ)の住む二条院の東の院に入れようかと考えていたんです。

 それを女は拒否してとりあえず身内の用意した邸に向かった。だから源氏が本当に迎え入れてくれるか心もとなかった。なのでどうどうと旅立ったわけじゃないんです。「舟にて忍びやかに」旅立ったんです。


 平安時代目立たぬように旅立つ人はみな、夜が明ける前に旅立ちます。源氏もわらわ病みの時も須磨出発の時も暗いうちに出ています。


 なのに明石の女はすっかり明るくなった午前八時に出発している。それはなぜか……(たつ)の時だからです。この女が愛しい竜の元へ旅立つことを時間で表しているんです。


 そう考えて都の地図を見ると、源氏の住む二条って大内裏を中心にしたら思いっきり東南東から南東、(たつみ)っつーか時計で言えば辰の位置になるじゃないですか。


 源氏は竜である。青海波を踊ったわけだから青竜である。そう仮定できます。とすると『紅葉賀』の見方も変わってきますね。


 青竜は四神(しじん)の一つで、この帖にはやはり四神の一つの朱雀(すざく)がいる。それは存在をあらわにしないこの時の朱雀院その人ではなく、後に朱雀院となる春宮のことである。

 朱雀も竜もどちらも帝を現すモチーフである。よって『紅葉賀』は表の帝(になる男)と裏の帝(になる男)の存在を示す非常に重要な帖である。そのため後々まで何度も回想される。

 女関係を取っ払って見えてくるのは源氏物語の根幹をなす構造ですね。


 こう考えると『花宴』冒頭で「探韻(たんいん)」という漢字ゲームで源氏の引き当てた「春」という文字ももしかして「春宮」を意味して式部先生が与えたヒントじゃないかと思えてきますね。ここ、春宮が頭飾り(かざし)を源氏にプレゼントしてちょっと踊らせるってシーンあるし。


 いやいやそんな発想信じられないって? では私の手元にある「平安大事典」の青竜の項目を前部を省略して書き抜いてみますね。


「青竜は玄武と同じく四神の一つで、東方の守護神。古代中国では瑞兆(ずいちょう)(よいことがおこる前兆(ぜんちょう))とされる。日本では朝廷の儀式に際し、青竜、白虎、朱雀、玄武を描いた四神旗(しじんき)を用いたが、青竜旗(せいりゅうき)日像幢(にちぞうとう)(即位式のときの威儀(いぎ)の具の一つ)、朱雀旗(すざくき)とともに大極殿(だいごくでん)前庭の東に立てられた」


 よってQED(証明終わり)。


「源氏中将は青海波をぞ舞ひたまひける。片手には(片一方には)大殿の頭中将、かたち・用意、人には異なるを、立ち並びては、花のかたはらの深山木(みやまぎ)なり」


「やんごとなき御腹々の皇子(みこ)達だに、うへの御もてなしのこよなきに、わづらはしがりて、いとことにさり(きこ)(たま)へるを、この中将は『更に、おし()たれ聞えじ』と、はかなきことにつけても思ひ挑み聞え給ふ。この君一人ぞ姫君の御一つ腹なりける。『帝の御子と言ふばかりにこそあれ。我も大臣(おとど)と聞こゆれど、御おぼえ(こと)なるが、御子腹にてまたなくかしづかれたるは、なにばかり劣るべき(きは)』とおぼえ給はぬなるべし。人がらもあるべき限り整ひて何ごともあらまほしく、たらひてものし給ひける。この御中どものいどみこそあやしかりしか」

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[一言] 前回の感想を書いてから気付いたのですが皇室ファンの式部は当時全盛だった藤原道長という大スターの恋人と噂されながらも道長に結構反発していたかもしれませんね。 巨人ファンが阪神等巨人以外のスタ…
[一言] 今回のを読んで改めて源氏が帝になり損ねた男なんだなと実感すると共に式部となろう作家さんとの共通点を見出してしまいました。 式部は桐壷帝にせよ朱雀帝、冷泉帝はおろか各中宮も絶賛し悪口らしきも…
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