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源氏のラッキーナンバーは?

 源氏物語を読もうとして、主人公源氏にうんざりして読み進めない方はかなりいると思います。私も気力のある中学生時分に読んでいなかったらたぶん挫折してますね。たまたま家にあったのと、その頃は読みかけたものを途中でやめるという発想がなかったのでどうにか読了しましたが、高校生だったら途中で手を引いた気がします。


 そして物語の中に隠されている部分については、そもそも知識がなくてまったくわかりませんでした。


 なのでこの文章は源氏物語へのつっこみと、隠されたいろいろ(ごく一部)の探し方を含めた考察です。読んではみたがなんかもやもやする方も、よろしかったらごいっしょにいかがですか。


 ただし、ちゃんと主人公やヒロインたちに感情移入する王道たる読み方が好きな方は、避けておいたほうが無難かもしれません。


 それと初心者向けのていねいな説明はほとんどないと思うので、必要な方はネットでも商業本でもお好みのものをみつけてください。


 途中自作の「源氏物語:零」「源氏夢想譚」「女三の宮の野望」を使うことがあります。特に後者二作はある程度ネタバレもするんじゃないかと思います。申し訳ありませんがご了承ください。


 ついでに言っておきますとうちの「源氏物語:零」は源氏のお母さんの桐壺(きりつぼ)更衣(こうい)に対するいじめの始まりの時期が原典と違いますので気をつけてください。



 さて源氏物語の大まかなあらすじですが、(みかど)の身分下の妃である桐壺の更衣にうまれた光源氏が数えで三歳のときお母さんを亡くし、お兄ちゃんのお母さんの弘徽殿(こきでん)女御(にょうご)(身分上の妃)ににらまれつつ超絶美形&なにかと才能あり特待生へ成長して女性を食いまくるが、因果応報なのか他人の子を抱く羽目に陥る話です。



 今回は源氏のラッキーナンバーとアンラッキーナンバーについて書いてみますね。


 現実ではどの程度使われているのか知りませんが、物語では帝の子供は非常に合理的に把握されます。男の子で一番目に生まれた子は一の宮(もしくは一の御子(みこ)or皇子(みこ))、二番目に生まれた子は二の宮、あと順次三の宮、四の宮……。”の”は省いて一宮と書くのが一般的なようですが、ここでは読みやすいように入れます。


 女の子も同じで一番目が女一の宮、女二の宮…。ジェームズチャールズチャールズジェームズとかメアリージェーンエリザベスとかよりよほどわかりやすいですね。


 で、源氏は二の宮。次男なんです。そのせいか彼のラッキーナンバーは二です。彼の私邸も二条にありますね。二の倍、四もこれに該当します。


 ではアンラッキーナンバーは何かと言いますと三です。こちらも倍の数六も含みます。


 これについて私の家族が「でも六は二と三の最小公倍数じゃね?」と意見を述べましたが、いかに天才紫式部といえども平安人なので最小公倍数については考えてないと思います。九九でさえまだ陰陽師(おんみょうじ)の秘術扱いの頃ですし。


 証明としては、アンラッキーナンバーのほうがわかりやすいかな。


 はい、ではまず生霊として源氏の正妻を取り殺してしまった六条の御息所(みやすどころ)。まんま六が入ってますね。


 でも源氏正妻で左大臣の娘の(あおい)の上、この人にも三があります。左大臣は正妻である大宮(桐壺帝姉妹)と三条に住んでいるので彼女もここにいます。そして彼女の母大宮は、桐壺帝の父の女三の宮。これについては後でもう少し触れます。


 源氏が須磨(すま)隠遁(いんとん)する原因となった右大臣の娘は六の君。六番目に生まれた姫君です。


 アンラッキーとラッキーの両方を持つ人もいます。三条宮に住み、桐壺帝の前の帝の女四の宮である藤壷中宮。彼女は源氏の父桐壺帝の妃なのに彼に執着され手を出され子どもまで生んでしまいます(後の冷泉(れいぜい)帝)。源氏に喜びと悲しみを同時に与えたからでしょうか。


 でもそれたまたまじゃね? と思うかもしれませんが、ここに考察するべき人物がいる。蛍の宮です。源氏の特に親しい弟で頭中将とも仲のいい趣味人。源氏の養女格の玉鬘(たまかずら)の婿候補にもなった人ですね。


 この人の最初の北の方(奥さん)は右大臣の娘です。だとすると『花の宴』で出てくる右大臣の娘の一人を妻にしていた(そち)の宮(帝の息子の地位の一つ)はこの人だとしか思えない。


 源氏は花の宴で右大臣の娘六の君に手を出した時、『美人で名高い頭中将嫁の四の君か、帥の宮の奥さんだったら面白いのに』ととんでもないこと思うんですが、該当するのが彼しかいなくないですか。


 そしてそれがあてはまるのなら彼は桐壺帝三の宮であるはずです。なぜならその下の四男である四の宮はその二年前、紅葉賀(もみじのが)でまだ子ども姿でダンスしているからです。


 しかもこのダンス話は史実の元ネタがあます。宇多(うだ)上皇の息子で醍醐(だいご)天皇の養子となった雅明(まさあきら)親王(しんのう)が七歳の折り、行幸(みゆき)(天皇外出)でダンスしたところあまりに美しかったので山の神に愛でられてその後死んだ、という話が元になっています。(本当に数え十歳で亡くなってます)


 これに準じているとすると花の宴の時四の宮はまだ九歳(実年齢では八歳)、美人妻もらうには早すぎるからまず別人でしょう。もう少し上の設定だとしても、二年前子ども姿でダンスでしょ、蛍の宮は後に真木柱(まきばしら)ってお嬢さんと再婚したとき、「すぐに嫁にくれてつまんなかった。前の正妻の時はもっと手間かかった」って言ってますからけっこう時間がかかったことを考えると、やっぱりありえませんよ。


 とすると蛍の宮は三の宮であるはずなのに物語内では一言もそのことについて言及がない。それはなぜかと考えると、式部先生は最初からこの人を源氏の味方と設定していたので、源氏に縁起の悪い三を書きたくなかったんじゃないかと。


 その他の三が特徴的な人物としては三人の女三の宮。一人目はさっき出てきた源氏の正妻葵の上のお母さん。二人目は弘徽殿の女御の娘の女三の宮。三人目は源氏のお兄ちゃん朱雀(すざく)帝の娘の女三の宮。


 二人目の女三の宮は斎院(さいいん)賀茂(かも)神社に仕える未婚の皇女or王女)になるんですが、その時の大きなイベント斎院御禊(さいいんごけい)の際に起こったのが有名な車争いです。葵の上と六条の御息所のバトルですね。大変な禍根を残すことなり源氏にとって非常に困った闘いです。


 三人目の女三の宮は三が重なるせいか更に倍プッシュ。源氏に初めて土をつける……いや、中川辺りの女が「誰だよおまえ」的対応してましたが、なんせ二代目正妻をNTRされるというその時とは比べ物にならないダメージを源氏に与えます。


 ただし以前は私も疑問を持ちました。他はともかく葵のお母さんは女三の宮と言っても、源氏に都合のいいキャラじゃね? と。


 しかし読み込んでみると少なくとも源氏の心のうちではそうでもない。源氏の息子の夕霧を可愛がって育ててくれるありがたい方なんですが、源氏は内心うっとおしがっている。そして葵上との仲がよくないのはお母さんが葵をかまいすぎるからだと失礼な事を思っている。


 『葵』から、最後に生きている葵にあった源氏の言葉を抜き出してみます。いや原文は面倒か。それでは「源氏夢想譚」から超訳せりふで。完訳とは少し違いますが雰囲気はこんな感じ。


「院の御所などにも行って、できるだけ早く帰るからね。こんな風にあなたに会えたら嬉しいのに今まで大宮がぴったりだったから遠慮したけど、いつもこうしていたいよ。病室を離れたら私が彼女の代わりをするよ。親に世話を任せるなんて子どもっぽいよ」


 病室をのくだりは拡大解釈ですが、まあだいたいあってる。この他、状況でこの大宮さまが源氏に皮肉っぽい和歌を詠んだり、年取った彼女の字を見て源氏が内心でディスったり、彼にとってラッキーな仲ではありません。



 人ではなく場所でも、源氏の建てた六条院は表面の繁栄とはうらはらに源氏自身にとってはゆっくりと不吉な場所になっていきます。

 先ほどの六条の御息所、面倒なので略して六条さんのおうちとそこに隣接した箇所に立てたのでそもそも縁起が悪い。源氏最愛の紫の上はここにいるときに病みつき、二条院に行ってから回復。

 女三の宮がらみのごたごたも六条院で起こっています。大宮さまの時と同じように、傍観者が見ていると幸せそうなのに源氏の内面からすると最悪なことの起こる場所です。



 次は時節について。季節としてはっきりと三月と書かれるのは源氏が十八歳の春からです。三月わらわ病みにかかって、そのつごもりの夜明け前に北山に療養に行っている。で、この日の夕暮れ彼の最愛となる紫の上に出会っている。


 え、さっそく矛盾してね? と疑問に思われたでしょうがこの場では「山桜の中を駆けてくる少女」を優先したかったのかとも思えるし、この時点では藤壷とは逆に将来(たぶん息子に)寝取られる設定があったかもしれないので保留。


花宴(はなのえん)』三月二十日過ぎ、右大臣家の藤の花の宴で右大臣の六の君に再会。後の大スキャンダル。


だいぶ飛んで『須磨(すま)』 源氏自主謹慎として三月二十余日須磨へ出発。

『同上』一年後の三月一日、お(はら)いを行ったがすげーずうずうしいことを言ったせいか大暴風雨。数日続く。邸に落雷、他。


 三月十四日、明石入道が来て源氏一行を明石に連れて行く。


澪標(みおつくし)』三月十六日、明石の君、後に明石中宮となる娘を産む。


絵合(えあわせ)』源氏養女格の梅壷女御と元頭中将娘の弘徽殿(こきでん)女御の絵画バトル。


薄雲(うすぐも)』藤壷の宮崩御(ほうぎょ)。一年後一周忌。


 長いな。後省略。明石女御(後の明石中宮)が春宮(とうぐう)(皇太子)となる子を産んだのも三月です。


 基本的に悪いことが多いがけれど繁栄の元となる子や孫は三月生まれですね。

 これは矛盾しているようだけれど、なんか仏教的に繁栄がその人を満たすとは限らない的な考えもあるのでしょうか。そちらについて知りませんが。


 それと源氏はこの子とこの孫についてはなんかちょっと情が薄いですね。春宮になる孫は祝っただけで、後の匂宮(におうみや)になる孫ほど可愛がったシーンはないし、娘は幼少時はちょっと可愛がった描写がありますが、わずか十三歳(実年齢十二歳!)で子を産んだ彼女に「やつれた様子が男心をそそるからさっさと内裏(だいり)に帰れ」という場面があります。


 ちなみに二月は『紅葉賀(もみじのが)』で藤壷の宮に源氏の不倫の子(後の冷泉帝)誕生の他『花宴』二月二十日すぎ、桜の宴。源氏二十歳、超モテ期。『澪標』で春宮元服、朱雀院譲位で冷泉帝爆誕もともに二月。


少女(おとめ)』で冷泉帝とともに朱雀院(すざくいん)に行ってアピルのも二月。そこから飛ばして紫の上死後の二月、紫の上が以前住んでいた場所に紫の上名残りの紅梅が花開きます。


 他あてはまらないのも多少ありますが、大まかに見ると三がアンラッキー、二がラッキーとみなしてもいいのではないでしょうか。


 ただし初期の紫の上との出会いの時期、これは式部先生も当初の予定を変えたことによって矛盾が出たと思って、大胆な手を使ってつじつまを合わせたんじゃないかと想像します。

 それが大掛かりなクロスオーバー。実は女三の宮が六条院に輿入(こしい)れするのは二月の十余日です。私はこれを運命のすり替えだと考えます。


 当初紫の上の予定だったNTRを、途中で予定外の人物に変更した。そのことを示したんじゃないかと思うんですよ。そう考える理由は、式部先生が王道たる読み方をする読者に配慮してる箇所を他に見つけていたせいです。


 その箇所についてはまた別の機会にお話しますね。次回ではありませんが必ず。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 着眼点がユニークで面白いです。 [気になる点] 夕顔を表す五 [一言] 橋本治氏が[式部は源氏を『恋心が消えても女を捨てずに守ってくれる男』として(平安時代としては)理想的な男を描いていた…
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