01.渇く喉
目が覚めると、まず激しい渇きと刺さるような寒さを感じた。次いで背を圧迫する寝台の硬さ。体に被さる麻布の埃臭さ。
俺が今ここにいる理由を考える。床に就く前のことを思い出す。思い出せない。なにも。
自分のおかれた状況を確かめるべく尖る五感とは裏腹に、頭の内側にはひどく暗い霧がかかったような重さを覚える。
とにかく喉が渇く。
仰向けのまま右に首を傾けると、石暖炉の中で僅かばかりの薪が燃えていた。その頼りない光がぼんやりと部屋の有様を浮かび上がらせている。
ただ丸太を積み上げただけのような木組みの建屋。置かれているのは木造りの卓といくつかの椅子。飾り気の無さからは、あまり誰も使わない部屋であることが伺える。時折、軋む音とともに建物が揺れる。外は強い風が吹いているらしい。左手すぐに壁があり、高いところに小さな横長の窓が付いているようだ。申し訳程度の光が差し込んでいる。部屋の中を光で満たすには、明らかに小さすぎる窓。目を凝らすと木枠の隙間から細かな光の粒が吹き込んでいる。すこし考えて、それが雪であることに気付く。どうりで寒いはずだ。
そうやって、目の前にあるものが何であるかは理解できる。寝ぼけているわけでもない。そのくせここに至るまでの道程については、相も変わらずさっぱりと思い出せない。
とにかくなにか飲むものはないだろうか。上体を起こし、改めて周りを見渡す。寝台の枕元に備え付けられた小さな卓の上に、銅の水差しが置いてあったが、持ってみると存外に軽く、中身は空であった。触れた取手もうっすらと埃で覆われていて、これもまた誰にも使われていないものであった。
足を向けていた方の壁には、扉があった。その先になにかあるだろうかと考えていたところ、ちょうどその扉がギィと音を立てて開いた。
「あっ、起きてる」
少女と思わしき体格の人物が、扉の奥から半身を傾けながらこちらを覗いた。俺が目覚めていることに驚いたのか、独り言とも問いかけともとれるような声を発した。
「……おかげんはいかがですか?」
少女は体勢をそのままに、少し間をおいてから今度は明らかに俺に向けて問いかけた。
「……よくわからん」
本当に何も分からない。頭ではなく心から声が出た。そもそも、俺が誰でどんな口調で離す人間なのかすらも分からない。少なくとも、思考を介さず発したその言葉は、本来の俺の話し方なのだろうと思った。
「わからないのはこっちですよ。こんな国境の山で、しかも真冬に、さらに裸で倒れている人なんて初めて見ました。……あれで良く生きてましたね」
会話が成り立ったことでひとつ心を許したのか、少女は部屋に入り、扉を閉めながら話を続ける。片手には薪の入った鉄籠を提げていた。
俺は冬の山に全裸で倒れていて、それをこの少女が見つけた。その光景を思い描くと、なんだか胸元が苦しくなる。
「俺はそんなことをしていたのか?」
「そうですよ」
「……素っ裸で?」
「はい」
少女は俺に背を向け、手にした鉄籠から石暖炉に薪をくべながら話を続けた。暖炉の火が少しだけ明るさを増し、彼女の小さな体の輪郭をかたどった。革と麻布を組みあげたその服は、この部屋と同じようにほとんど飾り気を帯びていない。そこまで考えたところではっとして自分の体に目をやると、彼女の着るものと同じ意匠の麻服を身に着けていることに気づいて、少し安堵した。
「それで、えー……あんたが俺を助けてくれたのか」
「あ、アモです。私の名前」
俺が言い淀んだことを察してか、彼女はこちらを振り向いて名乗り、話を進める。
「……助けたかどうかというのは言い方に悩むのですが、ここまであなたを運んだのは確かに私たちですよ」
床に置かれた鉄籠の中身は空になっているが、暖炉に目をやると、それほど多くの薪をつぎ足したわけではないようだ。そこから、彼女が節制を求められている境遇にあることに考えが及ぶと、罪悪感が込み上げてきた。
「その……アモさん、すまない。いろいろと迷惑をかけた。あまり長居するのも悪いだろうから、落ち着いたらすぐ出ていくよ。ただその前に何か礼をしなければいけないな。何か俺にできることはあるか?」
彼女の話が真実であれば、経緯はどうあれ俺は命の危機に瀕していたのだ。それをこうして屋根のある寝床に運び入れ、俺のために薪を費やしてくれたのであれば、何らかの形で礼をしなくてはならない。
「あ、出ていかなくてもいいんです。というか、出ていくことはできないです」
彼女の言葉の真意が良く分からず、俺はさらに問いかけた。
「天候が悪いのか?体に問題は無さそうだから、多少なら無理は利く。それにあまり世話になるわけにもいかないだろう」
「いえ、そうではなくてですね……」
彼女は考え込むようにして顎に手をやり、斜め上の宙に視線を泳がせた。しばらくして閃いたように、彼女の顔がパッと明るくなった。
「あなたには、私の所有物になっていただきます!」
意味が飲み込めない言葉に、渇いた喉がさらに締め付けられた。