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苦手な方はご注意ください。

萌えっ子騎士ヤマサキ~登場、搭乗、初登場。奴の名はヤマサキ~

作者: 樹遠零

 ふふふ。


 おはようございます、皆さん。

 私、人類に萌えと希望を与える萌姫堂の店主、萌木辰巳と申します。


 本日は、とある高校に通う一人の男子高校生がお客様となります。

 日頃から萌えを信条として生きるその少年。

 今回のお話は彼を中心として展開していきます。


 さまざまな騒動が彼を取り巻きますが、それも彼の歩んだ道。

 最後まで、責任を持って歩いていただこうではないでしょうか。


 それでは、ごゆるりと鑑賞のほどを。



 □■□



 雨。

 梅雨時の、憂鬱になる雨。


「みゃ~、みゃ~」


 その中に、ぽつんと置かれたダンボール。

 その、今にも水没しそうなその中に、ただ一心に鳴き続ける一匹の仔猫。仔猫は自分自身の置かれた状況もわからぬのか、ただただ空へ向かって鳴き続けている。


「……」


 そんなダンボールの前に、学生服を着た青年が一人。

 彼は仔猫の前で足を止め、手に持った傘を、子猫が雨で濡れぬように地面へと置く。もちろん、その傘は青年が今の今まで使っていた傘である。そうなれば当然のように、青年は降りしきる雨に濡れてしまう。


「……ヤマサキ君。傘は良いの?」


 そのまま子猫の前を離れようとする青年に、少し離れた処に立っていた少年が心配そうに声をかける。いや、その少年も、青年と同じ学生服を着ているため、少年ではなく青年と表現すべきであろうが、その華奢な外見から、青年ではなく、少年……下手をすれば少女とでも表現できそうな雰囲気がある。


「……」

「ヤマサキ君。君って、けっこう良いところがあるんだね」


 無言の青年に向かって、少年は言い、青年を自らが持つ傘の中に入れる。長身の青年と小柄な少年、その二人が同じ傘の中に入れば、傘を手に持つ少年は精一杯背を伸ばさなければならないが、それでも、少年は嬉しそうに青年へと話し掛ける。


「……バカ。

 あの仔猫を助けておけば……」


 そして、それを受けた青年も、背後の猫へと視線を送ることなく、小さく口を開き、そして……


「人間になって『恩返し』に来るかもしれないだろ!」


 妄想を炸裂させたのである。



 □■□



「えっ、えっ、え!?ほ、本気で言ってるの、ヤマサキ君?」

「大マヂに決まってんだろ!!」


 そう……この物語は。


「古来より、助けられた動物が人の姿になって恩返しをする話は沢山ある!!まさかシンヤ、名作、鶴の恩返しを知らんとはいわせんぞ!!」

「そ、それはボクも知ってるよ、でも」


 ヤマサキと呼ばれた一人の青年の。


「でももデモンズもなぁい!!!!人間、夢を忘れたらおしまいだぞ!!!!悲しい、悲しいぞ、シンヤぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

「あの、えっと……そのぉ……」


 フェチと、妄想と、萌えの物語である。


「ほ、本気なんだ……ヤマサキ君」



 □■□



 翌日。


「それで……もしかして寝てないの?」


 朝のHR前のざわめきの中、一人の少女……気の強く、活発そうな女性徒が、心底呆れたような声でもって、口を開く。彼女の視線の先には、一睡もしていないのか、目に巨大なクマを作り、『燃え尽きちまったぜ、おやっさん』な、状態のヤマサキが、自分の席で真っ白になっている。


「そう……みたい」


 そして、反応の無いヤマサキの代わりに、シンヤが答えを返す。後頭部に巨大な汗を流し、おろおろと、両の握り拳を口の前に添えながらという、男がやるには少々問題のある仕草で……だが。


「馬っ鹿ねぇ~、猫の恩返しなんてあるわけ無いでしょぉ?シンヤ君もシンヤ君よ、友達なんだからヤマサキを止めてあげないと」

「う……ん、僕も分かってるんだけど。そのぉ」


 少女は手をパタパタと振りながら漏らすが、対するシンヤは、視線をあっちこっちに泳がせながら、かろうじて言葉を繋ぐ。


「くっ、くくくくくくくくくくくくくく」

「およ?更に壊れたか?」

「あ、あのミカさん……『更に』ってのは酷いよ」


 と、突然、真っ白になっていたヤマサキが地の底から響くような、無気味な笑い声を上げ始める。


「そうかっ、そう言うことかリリンっ!!あの猫ちゃんは、迷子になって途方にくれているに違いなぁいっ!!」

「…………馬鹿?」

「い、いや、それ以前に、リリンって何?」


 いきなり立ちあがり、薄汚れた天井に向かって絶叫するヤマサキに、ミカにシンヤ、そして残るクラスメート達が、一様に目を点にする。


「と、なれば対処法は、ひとぉっつ!!さぁ、我が同志、ミカにシンヤよ、まずはこれだぁぁぁぁぁぁ!!」

「「……っ!?」」


 言うなり、ヤマサキは傍らの鞄から二着の衣服を取り出す。と、次の瞬間、何故か強烈な光が教室を包み込み、光が収まった後には、先までとは違った格好のミカとシンヤが、その場に立っていた。


「ちょ、ちょっとヤマサキ!!何のつもりよ、これは?」

「……何、これぇ?」

「うむっ!!よくぞ聞いてくれた。古来より、迷える猫ちゃんを案内するのは犬のお巡りさんと決まっている!!そのために、お前達は犬のお巡りさんとなって猫ちゃんを連れてくるのだ」


 見れば、二人格好は、婦警の制服(旧型らしい)に犬ちっくな耳、そしてお尻には尻尾と、ちょっち理解に苦しむ格好に変えられている。なお、ミカもシンヤも、それはそれはその格好が似合っており、周りに居るクラスメイト達の視線が熱く萌えあがっていたりする。


「アンタの妄想はともかくっ、これの何処が犬のお巡りさんよ!!」

「こ、これじゃ犬の婦警さんだよ」

「委細問題無ぁし!!!!これが現代風味にアレンジした、犬のお巡りさんだ!!」


 そんな突然の事態に、二人は顔色を赤と青に変えて声を上げるが、対するヤマサキは、そんな二人の抗議を何もないかのように、軽く受け流す。


「だから何でアタシが猫なんかを探す必要があるのよ!!アンタがやれば良いでしょ、犬耳つけてさ!!!」

「馬鹿だな、ミカ。俺が女装しても、全然萌えないじゃないか」


 そして当然、更にヒートアップしたミカが声を上げるが、対するヤマサキは、『何言ってるんだ、お前?』な表情で、ミカの指摘を切り捨てる。


「くきぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!もう我慢ならないわ、この変態!!この警棒の錆にしてくれるっ、そこ動くなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

「よかろうっ!!!!流派後方不敗の名にかけて、その挑戦、受けたぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 と、まぁ、そこまで言われれば、あっさりとミカの堪忍袋の緒は切れ、そしてそれをヤマサキが嬉しそうに受け止めると、教室は一転して死合会場へと変貌した。


 そんな、これまで幾度となく繰り返された『毎日の日課』を前に、残る生徒は教室の隅で雑談に興じ、HRに来た教師は、ため息一つと共に『自習』と言い残して教室を去っていく。そして最後に一人、騒動から取り残されたシンヤが、自らのアイデンティティをかけた疑問を、誰に投げるともなく呟いていた。


「……ボクは萌えなの?」


 そう、誰も否定してくれない悲しい問いを。



 □■□



 -帰路-


 昨日の雨を引きずっているのか、どんよりと曇った空の下を、二人の男子高校生……ヤマサキとシンヤが歩いていた。


「くぅぅぅぅぅぅぅぅぅ、ミカの奴め。萌えの素晴らしさが分からぬとは、萌えの尖兵たる女子の風上にもおけん!!」

「ボクはミカさんと互角に渡り合えるヤマサキ君が凄いと思ったよ」


 シンジの脳裏には、ほんの少し前の騒動の光景。腕力に物を言わせたミカの攻撃を、ひらりひらりと避けつつ繰り出されるヤマサキのコスプレ攻撃(強制生着替えとも言う)。そして、それに逆上し、破壊活動をどんどんと拡大していくミカ。そんな、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図とも言える光景を思いだし、シンヤは今日幾度目かになるか分からない、ため息を繰り返す。


「しかも迷子の仔猫ちゃんは見つからずじまい。こぼれた萌えはもう戻らない……ふっ、悲しい名言だな」

「それ……微妙に間違ってるんだけど」


 破壊し尽くされた教室に、避難という名のエスケープをした生徒たち。その群れに便乗した二人は、そのまま迷子の仔猫ちゃん探しへと突入し、そして、当然のごとく全てが徒労に終わっていた。


「いやっ、かのコーチもこぼれた萌えは再び手に入れれば良いと断言した!!」

「……やな予感」


 と、それまでとぼとぼと歩いていたヤマサキだったが、ふと、何か記憶の扉が開いたのか、ヤマサキは大きく叫び声を上げ、それを受けたシンヤは背筋を駆け上る猛烈な悪寒に小さな身体を震わせる。


「よってシンヤよ、取りあえず女装しろ!!」

「……やっぱり。でも、何で女装なのさ」


 そして(ヤマサキにとっては)当然のように、彼の最も身近な『萌えオブジェクト』へと萌え萌え指令を出し、手元の鞄から着替え用の衣装を取り出し示す。


「古来より、女顔の男は女装するものと腐女子達も語っている!!さぁ、我が萌えのために、脱げっ!!!!!」

「って、それってなにぃ?いいいい、嫌だよ、そんなのっ!!」


 ヤマサキの妄想癖に、ため息をつきながらも受け入れようとしたシンヤだったが、ヤマサキの手にある衣装に気付くや否や、血の気の抜けた顔を一瞬で真っ赤に燃え上がらせ、声を張り上げる。そう……ヤマサキの持つ『女子用すくぅるみじゅぎ』を前に。


「問答無用っ!!!!!!!」

「あ、ああああああああ、あれっ!!あんな所に新しい店があるよ、なな、何だろうね?」


 そして当然のごとく『おいおい、それは萌えなのか?』と突っ込んでくれる善良な一般市民も居ないまま、追い詰められるシンヤだったが、ふと視界に入った変わった店の看板に、自分の最後の貞操(?)を託し声を大にする。


「ん、萌姫堂だと?ほほぅ、面白そうな店じゃないか、では行くぞ、同志シンヤよ!!」

「ふぅ、助かったぁ~」


 と、そんなシンヤの魂の叫びが届いたのか、ヤマサキの興味はすぐにその店へと向き、ヤマサキは嬉々として店の方へと歩いていく。


「どうした~、女装は後で良いから、とりあえず入るぞ?」


 『萌姫堂/貴方に萌えと感動をお与えします』その看板に吸い込まれるように引き寄せられるヤマサキを見つめながら、シンヤは安堵と絶望のため息でヤマサキの後を追った。そう、結局は誰も助けてくれないんだという悲しい現実を、今までの体験でしっかりと認識してしまっているが故に。


「誰か……助けてよ」



 □■□



 -萌姫堂-

 店の中は、店名の怪しげな雰囲気に反し、非常に明るく作られていた。


 言ってみれば、男性よりも女性向けとも言えるそのデザイン。花、小物、人形……それらが整然と陳列された店内は、ともすれば男性では居心地が悪くなるほどに、完成され、辺りに優しさを振りまいていた。


「いらっしゃい」


 そして、奥から出てくる店長もしかり。少女漫画に出て来る喫茶店のマスターとも言える風貌のその男性は、店内に迷い込んだ二人に、やわらかな笑みを向けて迎え入れた。


「うむっ、店長、萌えを一つだ!!」


 優しそうな口髭、すらりと延びた手足、好きなく着こなしている服に、渋めの声と、その手の趣味の無いシンヤですら魅了されている隣で、そんな雰囲気などいかするものぞと、ヤマサキがぶっきらぼうに注文を投げる。


「ほぅ、お客さん……萌えを求めておられるのですか」


 しかし、そんなヤマサキの態度に眉をしかめることも無く、その店主はヤマサキに優しく笑みを向ける。


「その通り!!この店で最高の萌えを出してもらおうか、ん?」

「なら、これがよろしいですね。萌姫印のドリンク……新たな萌えの世界が見えるようになる一品です」


 そして、ヤマサキの要求に、男性は戸棚から一本のドリンク瓶を取りだし、ついっと映画にでも出てきそうな優雅な手際で、ヤマサキの目の前へと瓶を差し出す。


「ふむ、しかしこれ、試供版と書かれてるぞ。製品版はどうした?」

「何分強力な薬ですからね、まずは試供版でお試しされるのがよろしいかと。効果は一日……試供品故に、もちろんお代は頂きません」


 『試供品』の文字に反応し、怪訝そうに問い掛けるヤマサキに、男性は片手に『製品版』と書かれた瓶を見せつつ、丁寧に説明する。


「よしっ、分かった!!」


 と、そんな男性の説明が終わると同時に、ヤマサキは一声上げると、普通の飲み物では考えられない鮮やかなピンク色の液体……それを、ヤマサキは躊躇もせずに飲み干し、そして満足そうに口元を拭う。


「結構美味かったぞ、店長。これで新たな萌えとやらが拝めるんだな?」

「いきなり飲み干しますか。良いでしょう……明日の朝、その時には新たな萌えの世界が貴方に訪れることを保証いたします」


 そんなヤマサキの行動を少しばかり驚いたような表情で見つめていた男性は、ヤマサキの問いに表情を引き締めると、またやわらかな物腰で、丁寧に説明を繋いでいく。


「気に入ったら、また明日のこの時間、この店まで来てください。製品版をご用意いたします」

「そうか、じゃあまた明日来ることにしよう」


 説明が一段落したところで、ヤマサキは意気揚揚と店を後にする。


「お友達は出て行かれましたよ・・・追いかけなくてよろしいのですか?」

「はっ!?あやや……す、すいませぇ~ん」


 最後に、呆然と男性を見つめ続けていたシンヤが我に帰って店を退出し、店内は静寂に包まれた。


「先に、説明をすべきだったかも知れませんね」


 最後に一つ、謎めいた店主の一言を残したままに。



 □■□



 ぴぃんぽぉぉぉぉぉん……


「はぁい、今開けるわよ~」


 朝。

 軽やかな電子音と共に『ヤマサキ』と書かれた門柱の向こうから声が響く。閑静な住宅街の片隅、ごくごく平凡なその家の前に立ち、シンヤはまた今日一日起こるであろう騒動にため息をつく。


「ごめんねぇ、シンちゃん。あいつ、まだ起きてこないからさ、起こしてあげてくれるかな?」

「あ、はい……分かりました」


 ドアが開き、その向こうから出てくる女性。

 ヤマサキの姉にして、知る人ぞ知る売れっ子801作家のその女性、ヤマサキ=ミズホは、門の前で『ちょこんっ』と立っているシンヤに微笑を投げると、中へ入るようにと促しつつ、少し後ろに下がる。


「……所でシンちゃん?時間あるよね?朝ご飯食べたいなぁ、私ぃ~」

「良いですよ。ヤマサキ君のもつくらなきゃ駄目なんだし」


 と、家に上がりこむシンヤに、ミズホが物欲しそうな顔で上目遣いにと呟き、シンヤは少しばかり苦笑しながらも、快く承諾する。


「良いの?やったぁ!!」

「それじゃ、ボクはヤマサキ君を起こしに行ってきますね」


 嬉しそうに飛び跳ねるそのミズホをそのままに、シンヤはヤマサキの眠っている二階の部屋へと向かって歩き始める。今から作る朝食のメニュー、そして、寝起きの悪いヤマサキを、どうやって起こすかを、頭の中で思い浮かべながら。


「いやぁ……嬉しいわね、シンちゃんの裸エプロンなんて~あぁっ!!デジカメ用意しないと、何っ処だったかな~」


 残されたミズホの、不穏な発言を聞くことも無しに



 □■□



「ヤマサキ君、入るよ?」


 扉の向こうから声をかけ、ヤマサキの部屋のドアを開く。そして、ゆっくりと部屋の中へ足を踏み入れながら、シンヤは大きくため息を吐く。


「相変わらず……凄い部屋だよね」


 呟くシンヤの視線の先には、無数のアイテムたち。

 片方の壁一面には無数の衣装たち(女性用限定)が並べられ。

 棚があると思えば、その中には大量の漫画本とフィギュアが並ぶ。

 部屋の隅には、UFOキャッチャーで取ったのであろう人形たちが、サイズの合わされた椅子やベンチに、ゆったりと腰掛けている。

 そして部屋の中でもっとも大きな物である二段ベッドの下には、等身大フィギュアニ体が布団をかけられて眠っており、そしてその上に、部屋の主たるヤマサキが眠っている。


「朝だよ、ヤマサキ君起き……って、えぇぇ~!?」


 そんな部屋の中を渡りながら、シンヤは二段ベッドのハシゴを半分ほど登ってヤマサキに声をかけるが、それを最後まで言い終わるその前に、目の前の光景に驚き、思わず大声を出してしまう。


「ん……あぁ、シンヤか」


 声を上げたまま固まってしまったシンヤの目の前で、今までベッドの中で眠っていた部屋の主が目を覚ます。眠たそうに目をこすりながら身体を起こすその人物は、シンヤの予想していた人物とは違いすぎた。


 見たところ、年の数5か6の幼女。

 そのやわらかな黒髪は、彼女のお尻ほどまで伸び。

 穢れの無い、丸く大きな瞳は、固まったままのシンヤを映し出している。

 ペド趣味のある……いや、そんな趣味の無いものでも惹きつけてしまうであろうその存在が、男物のパジャマの上半身をまとったままの姿で、まっすぐにシンヤを見つめていた。


「どうした、シンヤ?」

「や、ヤマサキ君なの?」


 固まったままのシンヤに、訝しげにその幼女が問い掛けると、その口調から何か思うことがあったのか、シンヤが恐る恐る口を開く。


「そうだが?どうかしたのか、お前?」

「じ、自分の身体……見てみると分かると思うよ、多分」


 そして、疑問に疑問で返されたヤマサキが律儀に質問に答えると、シンヤは大きくため息をつきながらヤマサキの身体に視線を落とし、そしてヤマサキの視線が、それを追いかける。


「……」


 そして無言のまま動かされる小さな手。

 まずは顔を、そして胸を、髪を、股間をと、順番になでまわし、そして最後に明らかにサイズ違いのパジャマの中身を覗き込んだ後、ヤマサキは絶叫した。


 鈴の鳴るような……そう表現して遜色無い、綺麗な声で。


「なんじゃ、こりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」



 □■□



「んで、どうしてこんな事になったのよ?」


 ヤマサキが叫んでからきっちり10分。

 声と同時に、「こぉらっ、私のシンちゃんに手ぇ出したわね」と叫びながら飛びこんできたミズホは、固まったままのシンヤとヤマサキを見つけ、同じく硬直するが、すぐさま自己解凍を果たすと、事態の認識をと、一つ一つの疑問を解決していった。


 まずはシンヤが無事であること、そして、その目の前に居るヤマサキが、確かに当人であることを。

 最初は「ヤマサキのさらって来た娘」だといぶかしんでいたミズホも、対象がシンヤに固定された萌え談義に突入したところで、その懸念も氷解した。



「……何か答えなさいよ」


 暫しの後、呟くミズホの視線の先には、しくしくとすすり泣くヤマサキと、鼻血を出して呆けているシンヤの姿。二人がそうなっている理由と言えば、目の前の幼女=ヤマサキの方程式が確認できた直後、ちょっとした探求心を発揮したミズホが、ヤマサキの身体検査に踏みきったため。

 その内容といえば、撫で回し、覗きこむ位は当然として、ヤマサキの身体が軽いのを良いことに、持ち上げ逆さまにして『おいおいっ、教育委員会が怖くはないのかい?』な部分までしっかりと確認してしまった為である。


「ふぅ……ん、答える気が無いんだ?

 それじゃ、今度は何しちゃおうかな~」

「「っ!!!!」」

「た、多分、昨日飲んだドリンクのせいだ!!」

「萌姫堂って店で貰ったドリンクの事です。実は……」


 そして、それでも返事の無い二人に、ミズホが「ぺろりっ」と舌なめずりをして呟くと、あからさまにビビリながら、二人が慌てて説明を開始する。


「ふぅん、新たな萌えの世界ね。ま、確かにそうでしょうけど……自分で飲んだのが運の尽き、か」

「人に飲ませるものだとは気付かなかっただけだ」


 二人の説明を聞き終えた所で、ミズホは呆れたように呟くと、くるりとシンヤへ視線を送り、そして意地悪な笑みで言葉を繋ぐ。


「でも良かったわね、シンちゃん。こいつが正確に効果を知ってたら、多分、君が飲まされてたわよ」

「……ぇ?」

「っ!!」


 ミズホのその言葉の意味と、目を見開いて「そうだったぁ!!」な表情をしているヤマサキを見つめ、シンヤは自分の悪運の強さに安堵する。


「ま、そうなったら私も困るしね、シンちゃんは男の子じゃないと。やっぱ萌えはショタよね、うん!!」

「ででで、でもヤマサキ君、何が不満なの?その身体も、十分に萌えだと思うよ、ボクは」


 しかし、その安堵の直後に投げられた不穏な視線に、シンヤはヤマサキの方へと視線を送って話題をすり替えようとする。


「……こんなの萌えじゃない。自分自身が萌えになっても、全然楽しくないわ!!」

「それは同意ね、私も、自分自身が少年になっても嬉しくないもの。少年同志の絡みは、横で見ててちょっかい出すのが面白いのよね~」


 その場に立ちあがりながら言いきる二人にむかって、思わず『ボクと誰をかけ合わせるつもりだったんですか!?』と叫びたい衝動をシンヤは必死で堪える。そして、ふと泳がせた視線が壁時計に止まり、一つの疑問が浮かび上がる。


「と、所でヤマサキ君、今日は学校どうするの?薬の効果は一日って事だし、あの……」

「そ、そうかっ!?今日一日だったな。それじゃ、今日は休……」

「駄目よ」


 シンヤの提案に、一縷の望みをとヤマサキが飛びつこうとしたその瞬間、隣からミズホが問答無用で却下する。


「ズル休みは姉として容認できないわよ。黙って学校に行きなさい、学校には電話で説明しとくから」

「く、くぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……」


 そのまま、有無を言わさずに学校に電話をかけ始めるミズホに、ヤマサキは心底辛そうに悔し涙を流す。そんなミズホに向かって、ある程度冷静なシンヤが、顔がゆるみまくっているミズホに突っ込んだ。


「楽しそうですね、ミズホさん」

「あ、やっぱわかるぅ~」



 □■□



「いってらっしゃぁ~い!!」


 心底嬉しそうなミズホの声をバックに、ヤマサキとシンヤが家を出る。ミズホが趣味で選んだピンクハウスな服のヤマサキ……自分自身が用意していたその服を着せられ、ヤマサキは顔を真っ赤にして、とぼとぼと歩いていく。



「で、本当に今日はどうするの、ヤマサキ君?」

「ふっふふふふふふふふふふふふふふふふ」


 暫く歩き続けたところで、シンヤが心底心配そうに問い掛けるが、それに対して返ってきたのは、いつもの含み笑い。……とはいえ、幼女となってしまったヤマサキの含み笑いなぞ、不気味でもなんでもなかったりするのが、彼にとってはある意味不憫である。


「そうだっ!! この程度の苦境で、俺が萌えを手放すことは無い!!自分自身が萌えになったとて、萌えを求める心は死ぬことはないぃ!!」

「……いつもどおりって事?」


 ヤマサキはそのまま普段どおりの言葉遣いに戻り、天に向かって絶叫する。そして、それを受けたシンヤも、いつもの事だからと、ため息をついて聞き返すが、それに返ってきたのは全力疾走を始めたヤマサキの後ろ姿。


「今日こそは、ミカに萌えの素晴らしさを認識させるのだ!!ナース服に巫女服は準備万端!!行くぞ、シンヤぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 叫びつつ、『とことこ』と靴音をならしながら危なげに走るヤマサキに、シンヤは落ち着いてヤマサキの後を追う。コンパスの差、身体の慣れの差と、あっさりとヤマサキに追いついたシンヤは、直後にバランスを崩して転びかけた、ヤマサキの肩に手を延ばしながら、心配そうに呟いた。


「……転ぶよ、ヤマサキ君」



 □■□



 -教室-


「さぁて、我がライバル、ミカよ!!!!今日こそは貴様に真の萌えを分からせてやるっ!!!!」


 静寂に包まれた教室。今まさに教室に入ってきたミカに向かって、ヤマサキが教壇の上に立ち、吼える。


「昨日とは違い、今日は撮影設備も完備にて隙はなぁし!!シンヤっ、準備は良いな?」

「準備は出来てるけど・・・大丈夫?」


 教壇の上の幼女。

 フリル一杯のピンク色のドレスを着たその幼女が、このクラスで最も有名な人物そっくりの口調で、シンヤと共に居る。その現実に、クラス中の皆がヤマサキ=目の前の幼女の方程式を完成させ、そして次の瞬間には、必死でその可能性を脳裏から消去する。


「心配するな、このような身体でも、俺はミカに負けはせんっ!!!流派後方不敗は力で振るうにあらずっ!!魂で振るうのだ!!!!!」

「ちょっと意味が違うんだけど。まあ、頑張ってね、ヤマサキ君」


 そして、次なる二人の会話で否定したかった方程式が証明され、そこで最初に解凍を果たしたミカが、まさにクラス代表という形で、ヤマサキに問いを投げようと口を開く。


「アンタ……本当にヤマサキ?」

「ふっ、不思議だろうが俺がヤマサキ当人だ。しかしこの程度はハンデでも何でも無いっ、今日こそは戦いの決着をっ」


 ミカの擦れるような声の問いかけに、ヤマサキは完全肯定と共に「ビシィ!!」とミカに指をつきつけるが、そんなヤマサキを前に、ミカは戦闘態勢に入る事も無く、ふらふらとヤマサキの立つ教壇へと近づいていく。


「へぇ……ヤマサキなんだ……そぅ」

「?」


 訝しむヤマサキを無視し、ミカは教壇までたどり着くと、ゆっくりとヤマサキを持ち上げ、至近距離でその顔を覗きこむ。そして、いきなり「ぎゅっ」とヤマサキをその胸に抱きかかえると、沈黙した教室中を響かせる大声で持って、己が感情を爆発させた。


「かっわいぃ~!!!!」


 途端、どっと女子を中心に湧き上がる教室の中、ヤマサキは問答無用でもみくちゃにされていく。撫でられ、抱きしめられ、突つかれる……そんなヤマサキの受難を見つめながら、シンヤは一人、しみじみと呟いた。


「やっぱそうなるよねぇ」



 □■□



 -HR-


「大丈夫?」


 ヤマサキを中心とした嵐のような騒動。

 それが、教師の到着と同時に終わり、ヤマサキは自分の机に崩れ落ちる。サイズが合っていないため、椅子に座れば首から上しか机の上に出ない状況で、ヤマサキは机にあごを乗せ、心底疲れた表情でシンヤの言葉を受ける。


「疲れた……」

「まぁ、流石にアレじゃあね」


 女子の群れの中でクルクルと、誇張で無しに振り回されていたヤマサキの受難を思い出し、そして今でもヤマサキの身体へと注がれ続けられている視線を見ながら、シンヤは大きくため息をつく。


「まあでも、みんなが萌えを分かってくれたって事じゃないの?ミカさんも嬉しそうだったよ」

「違う……これは根本的に何か違う。こんなの萌えじゃない」


 シンヤの問いに、ヤマサキは心底嫌そうに首を振る。傍観者と当事者……その立場の違いのギャップに苦しむヤマサキの姿に、シンヤは苦笑する以外にない。


「だが、すぐに萌えの時間がやってくる!!今日の一時限目……体育だったな?」

「ええと、男子がサッカーで、女子がプールだったね」


 しかし、そんな状態もなんのそのと、すぐにヤマサキは復活すると、今日の授業日程を思いだし、それをシンヤに確認する。


「そうっ、そしてサッカーグラウンドとプールは隣り合わせ。そしてこの手にはデジカメがある……全てシナリオ通りだ」

「盗撮するつもりなの?」


 そして、ヤマサキは、先の騒動でも無事だったデジカメを取りだし、そのファインダーを覗きこみながら、嬉しそうに呟く。


「盗撮とは失礼な。限りある萌えの瞬間を、デジタルの世界に保存するだけだ」

「それを盗撮って言うんだけど……まあ、問題ないか。どうせ、ね」


 会話を締め、嬉しそうにデジカメを弄り始めたヤマサキを横目に、シンヤは先から妙に静かなクラスメイト達に視線を送る。40人ばかりのクラスメイト……その全ての生徒が、ただ一人、ヤマサキの挙動へと全ての神経を集中させている。


 それを確認し、シンヤは盛大なため息と共に、自らの友の運命を思案した。


「上手くは行かないと思うから」



 □■□



 -1時限目、体育-


「さぁ、ポジション取りだ!!急ぐぞ、シンヤ!!!!!!」

「いや、もう手遅れだよ」


 HR終了後、机の上に飛び乗り、すぐさま突撃命令を発動しようとしたヤマサキに、シンヤが悲しそうな表情で返事を返す。


「……へっ?」

「そ、行くわよ、ヤ・マ・サ・キ・ちゃん」


 そのシンヤの言葉をヤマサキが認識するよりも早く、ヤマサキの身体は軽々と持ち上げられ、そして心底嬉しそうなミカの言葉が、その後に続く。見れば、そのミカの周り……いや、ヤマサキの机の周りには、無数の女子生徒たちがバリゲードを作っており、ねずみ一匹逃さぬとばかりに、鉄壁の防御網を作り上げている。


「い、行くって……何処に?」

「多分、更衣室だと思うよ。今のヤマサキ君、一応女の子だから」


 抱かれた状態で、恐る恐るミカへと問い返すヤマサキに、ニコニコしたままミカ返事を返そうとしない。

 そんなミカを見かねたのか、シンヤが冷静に口を挟む。


「へ…………更衣室って水着?」

「そう、着ることになるだろうね、このままだと」


 それは男なら涙を流して喜ぶ女子更衣室へのご招待。しかしそれも、すぐさま提出される方程式の解によって、絶望へと変化する。


 つまり、更衣室=すくぅる水着=女子のお・も・ちゃ。


 ほんの少し前の体験、そして今までの自分の行いから、それがどう言った結論を導き出すかを瞬時に理解し、ヤマサキは顔色を蒼白に変える。


「いっ、いや……俺は男ゆえにサッカーを!!」

「だぁ~め、アンタは私達と一緒にプールなの」


 まあ、そうなれば当然、ヤマサキは逃げ出そうと必死で暴れるが、そんなヤマサキの行動なぞ意に関することも無く、ミカは何故か用意されている『ヤマサキ』と大きく名前の書かれたスクール水着を指し示す。


「た、助けてくれっ、シンヤっ!!!!!」

「ふっ、手ぇ出したらシンヤ君もスクール水着着てもらうからね」


 となれば最後の希望をと、シンヤへと助けを求めるヤマサキだったが、それを受けたシンヤがどんな行動を起こすよりも早く、その目の前にスクール水着が提示され、シンヤはあっさりと沈黙する。

 そして、ドナドナの歌が聞えてきそうな雰囲気で連行されていくヤマサキの背中を見つめ、シンヤは一人呟いた。


「……ごめん、ヤマサキ君」



 □■□



「うっわ~綺麗な肌~」

「凄く軽いわね、この娘」

「手触りも良いわよ、さすがねえ」

「あら、やっぱ生えてないんだ」

「サイズもぴったりね、さすが私」

「足の裏もぷにぷにだぁ」

「抱き枕にして寝たら気持ちよさそう」

「ねぇねぇ、こっちのセパレートの水着も着せてみようよ」

「うっわ~髪もサラサラ~」


「こ、こんなの萌えじゃないぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」



 □■□



「シンヤぁぁぁぁぁ……たぁすけてぇ~!!!」


 体育の授業も始まり、試合形式となったサッカーの授業を、見学していたシンヤへとヤマサキの声が届く。視線を巡らせれば、プールの周りに張られた金網に「ぴとんっ」としがみついて泣いているヤマサキの姿。しかしそれも、すぐさま女子の群れに飲み込まれ、また悲痛な悲鳴が届く。

 それを耳にしたシンヤは、しかし助けに行くことも返事を返すことも出来ず、その場に小さく座り込んでいた。


「だからな、シンヤ。ちょっとこのデジカメで、撮影してくれるだけで良いって」

「このスクール水着着て、忍び込めば女子たちも気付かないって」

「取りあえずヤマサキちゃんだけでい~ぞ。他の女子のは要らないからさ」

「お礼なら幾らでもするからさ、頼むわ!!」

「つ、ついでに、その下着とか持ってこれたら頼むわ」

「みんなで共同使用だな……うむっ」


 理由はと言えば、至極簡単なもの。

 先からシンヤを取り囲んで投げられる無数の要求。簡単に説明すれば、『女装して更衣室に忍び込み、ヤマサキの写真を撮って来い』と、それだけの事。それを延々とクラスメイト全員から『お願い』され続け、シンヤは何をどう返したら良いか分からずに、乾いた笑いをあげ続けていた。


「「「だから頼むっ!!シンヤぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」」」

「あはっ、あはは~」



 □■□



 -2~4時限目、ある意味平穏な授業-


「取りあえず教科書呼んでくれ、ヤマサキ」

「63ページを……ヤマサキくん、読んでくれるかしら?」

「前にきてこの問題を解いてくれ……ええと、ヤマサキ」


「……何で俺ばっか指名されるんだ?」

「多分……珍しいからだと思うよ」



 □■□



 -昼休み-


「やぁっと解放された~」

「……本当に、そう思う?」


 午前中の授業が終わり、心底疲れた表情で、ヤマサキがひとりごちる。その身長からか、机に座っていると言うより、机に収まっているといった風情のヤマサキの格好に、シンヤは少しばかり頬を緩めながらも、厳しい現実を口に出す。


「もしかして弁当忘れたのか?」

「いや……そうじゃなくてね」


「「「「やっまさきちゃぁ~ん」」」」


 シンヤの言葉に、ヤマサキはシンヤが弁当の準備を忘れたのかと顔色を変えるが、そんなヤマサキの言葉に答えるように、何時の間にか二人を取り囲んでいた女子たちが、不気味な猫なで声を上げる。ちなみに、今までもヤマサキの弁当はシンヤが作っていたのだが、その理由は、シンヤの用意する弁当が美味しいからと、ただそれだけであり、別段薔薇色の世界が広がっていたわけではないので、心配はいらない。


「な、何だ?」

「な、何?みんな」

「もちろんお昼ご飯よ、一緒に食べましょう」


 そんな状況に、恐る恐る問い掛ける二人だが、ミカが簡単に説明しているその間には、周りの女子たちは黙々と机を移動させ、二人の返事を待つこと無しに、問答無用で準備を終えてしまう。


「あ、ヤマサキはシンヤ君のひざの上ね。その方が絵になるから」

「絵になるって……」

「言うことは聞いておこうよ、ヤマサキ君」


 皆の視線が集中する中、シンヤのひざの上にヤマサキは乗り、シンヤの箸から食事を食べる……俗に言う『あ~ん』『はいどうぞ』をさせられつつ、女子たちの歓声やらため息やらが教室に響き渡って、昼休みは過ぎていった。

 輪の中に入れず号泣する、男子生徒たちの屍を踏みつけながら


「美味しい、ヤマサキ君?」

「……何より、視線が痛い」



 □■□



-5・6時限目、美術-


「……さて、同志シンヤよ」


 美術室への移動の時間。

 さも当然の様にヤマサキを抱きかかえて教室移動を敢行しようとしたミカの魔手から必死の思いで逃げ出し、ヤマサキとシンヤは、男子トイレの個室の一つで、顔を見合わせて話し込んでいる。


「今度の美術は、人物デッサン。しかも女性モデルを起用した素晴らしいカリキュラムだ」

「まだ懲りてないんだ」


 その狭い個室の中、ヤマサキは瞳をキラキラと輝かせながら、これからの作戦立案を始め、それを受けたシンヤは、この先に考えられる受難の未来を予想しながら、大きくため息をつく。


「しかしながら、その人物デッサンも、ミカの魔の手によって妨害される可能性が非常に高い。そこでだ……シンヤ」

「これが要るんでしょ?」


 続くヤマサキの提案の内容から、大体の会話の流れを読みきり、シンヤが懐から一つの鍵をヤマサキに差し出す。


「おぉ、さすが美術部部長にして我が同志。俺の作戦を正確に認識してるとは、心強い事よ」

「まあ、誰よりも先に美術室に入りたいなら、それしかないけどね」


 美術教師が来るまでの僅かな時差、それを埋めるための美術準備室の鍵。それを手に入れるということは、すなわち、絶好の写生ポイントを手に入れるということ。


 それを思い、ヤマサキは嬉しそうに笑みを浮かべ、その場に立ちあがる。

 心配そうにため息をつく、シンヤを共にして。


「それでは行くぞっ!!栄光のエルドラドへ!!!!」

「はいはい」



 □■□



「……何故だ?」

「何故って言われてもね」


 美術準備室内。

 意気揚々と忍び込んだは良いが、彼らよりも先に準備室内で待っていたミカを前に、ヤマサキは呆然と立ちすくむ。


「シンヤ君が部長で、私が副部長。美術部部員のトップ二人、知らないとは言わせないわよ」

「やっぱり忘れてたんだ、ヤマサキ君」

「しぃまったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・!!!!!」


 そんなヤマサキに、シンヤとミカの痛烈な突っ込みが入り、そしてそれを受けたヤマサキが、その場に崩れ落ち慟哭する。


「それでミカさん……ボクらに用があるんじゃないんですか?」

「あぁ、そうだったわ。実はと言うと、今日になって突然、モデルさんが風邪ひいちゃってね。その代役として、アンタたち二人を、モデルとして推薦しといたから」

「「っ!?」」


 崩れ落ちるヤマサキの姿に苦笑を投げ、話題を変えるシンヤの問いに、ミカは思い出したように言葉を紡ぐ。最高の場所でモデルを鑑賞しようとしたら、逆にモデルとして指名される。そんな、まさにミイラ取りがミイラなその状況に、そんな騒動に慣れているシンヤはともかく、ヤマサキは思わず逃げ腰になる。


「逃がさないわよ、ヤマサキちゃん。アンタの趣味を反映して、メイド服準備しといたから、きりきりと着てね?」


 逃げようとするヤマサキを摘み上げ、有無を言わせぬ調子で繋ぐミカに、オオカミの前の羊さんな二人は、諦めの言葉と共に、大きくため息をついた。そう……もはや慣れっこになりつつある、自分の不運を呪いながら。


「何でこんな事に」

「と、言うか、ボクのも女性用なんだ?」



 □■□



「さぁって、クラスメイツの皆さん。とうとう本日最後の授業、美術の時間がやってきました~」

「「「おぉ~」」」


 授業も開始された美術室。その中心にしつらえたお立ち台の上で、ミカがクラス全体に向けて、高らかに声を上げている。


「授業内容は人物デッサン、しかも予定していたモデルは、病欠だっ!!しかししかぁし、そのトラブルを前に、二人の戦士が名をあげた~」

「「「おぉ~」」」


 妙にノリの良いクラスメイトを従え、ミカは更にヒートアップしていく。


「それが誰か、知りたいか~?」

「「「知りたいぞ~」」」

「今、この場に居ない、クラスメイトは誰だ~?」

「「「シンヤとヤマサキちゃんだ~」」」

「となれば結論は出てるな~?」

「「「おぉ~」」」


 と、そんな限界まで室内が萌えあがったその瞬間に、美術準備室への扉が、大きく開け放たれる。


「さぁっ、モデルさんの登場だ~」

「「「おおおおおぉぉぉぉぉぉ~!!」」」


 歓声を前に、その場に出てくるモデル達。

 一人はシンヤ。その少女と見紛う容姿に、メイド服と言う組み合わせが、色々な意味で危険な雰囲気を発散させている。

 もう一人はヤマサキ。シンヤと同じ格好ながら、その幼女な姿は、ぶっちぎりで危険な雰囲気を発散させまくっている。


 さらには、二人の身体は、二人の首につけられた大型犬用の首輪、そしてその二つは太目の鎖で繋がれており、その淫靡で危険で倒錯的な雰囲気が、色々な意味でぶっちぎりのレッドゾーンに突入しまくっている。


「さて、分かっているとは思うけど、これは美術の授業。モデルさんへの写真撮影は、全面禁止だ~」

「「「ぶ~、ぶ~」」」

「しかし、白のキャンバスへ模写するのは授業的に全て合法っ!!!第七感、セブンセンシズを全開にして、魂をキャンバスへ刻め!!出来るね、みんな!!!!!!」

「「「おぉ~!!!!!!」」」


 そんな熱狂の渦の中、その渦中にある二人のメイドは、ミカの立つお立ち台の上で、二時間と言う羞恥地獄の中、お互いを抱きしめ合いながら、悪夢の時が過ぎ去るのを必死に耐えていた。


 そんな仕草こそが、みなの嗜虐心を加速させると気付くことも無く。


「み、みんなの目が怖すぎるぞ」

「壊れちゃったみたいだね、ミカさんも」



 □■□



-放課後-


「「「やっまさっきちゃぁ~ん」」」

「逃げられないわよ、ヤマサキぃ~」


 美術の授業からそのまま繋がる大騒動。

 その最中から、メイド服のままで逃げだしたヤマサキとシンヤの二人を、クラスメイト達……いや、全校の生徒たちが、声を高らかに上げながら、探し続けている。


「なあ、シンヤ……」

「何、ヤマサキ君?」


 そしてその対象である二人は、屋上の給水塔の上で、真っ赤に燃える夕焼けを前に、息を殺して隠れていた。


「いつもの俺って、あんな感じなのか?」

「…………まぁ、大体は」


 シンヤに抱かれ、今日の騒動を心底嫌そうに思い出しながら言うヤマサキに、シンヤは暫しの沈黙の後、ぽつりと肯定した。


「ごめんな……シンヤ」

「ううん、気にしなくて良いよ。女装させられるのはアレだけど、ボクも結構楽しかったから」


 悲しそうに言うヤマサキに、シンヤは軽く笑みで返す。

 ヤマサキの頭を優しく撫で、夕焼けを眺めながら。


「俺さ……もし元に戻れたら、ミカ達に謝るよ。今までごめんってね」

「そうだね、それが良いかもね」


 そして、そのまま長く沈黙の時がすぎ、校内に響き渡っていた声達が、校外……街中に向かって展開を始めた頃、ヤマサキが小さく決意を漏らし、それをシンヤが優しく受け止めた。

 まるで、二人を繋ぐ鎖が、心までも繋ぎとめているかのように


「戻れると……良いよね」

「あぁ」



 □■□



 ぴぃんぽぉぉぉぉぉん


「はぁい、今開けるわよ~」


 翌朝。

 メイド服も学生服へと戻り、心新たにシンヤは、ヤマサキ家の門柱の前でベルを鳴らす。これから変わるかも知れない一日……それを確認するかのように、明るく笑顔を見せ、ドアの向こうのミズホの姿を待つ。


「あぁ、シンちゃん。あいつね、残念なんだけど」

「おぅっシンヤ、出迎えご苦労!!!!!」


 そんなシンヤに、ドアの向こうから、沈痛そうな表情でミズホが顔を見せたかと思うと、そのすぐ背後から、男の……そう、元に戻ったヤマサキが、尊大な態度でシンヤに声をかけて来る。


「……戻っちゃったのよ」

「そ、そうですか。おはよう、ヤマサキ君」

「おぅ、おはよう、シンヤ!!」


 悲しそうに言うミズホとは対照的に、シンヤは少しばかりの安堵を、ヤマサキは晴れ晴れとした笑顔を見せ、そして時間がもったい無いとばかりに、二人はヤマサキ家を飛び出して行く。


「さて、同志シンヤよ。今日こそはミカにナース服を着用させようじゃないか」

「き、昨日の決意はどうしたの?」


 そして、走り始めてすぐ、ヤマサキはまた恒例の作戦会議を開始し、それを受けたシンヤは、まぁ当然とばかりに昨日のヤマサキの決意を確認する。


「ふっ、過去の事は忘れるべきだぞ、シンヤ。人は未来の萌えに向かって直進すべきと神も言っている!!」

「あはは……そうなんだ」


 シンヤの問いに、ヤマサキは大きく吼え、走るスピードを一段と上げる。始業までの時間は十分にあるのだが、それでも何故かヤマサキは全力疾走を敢行する。


「さぁ、行くぞ……シンヤあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 朝日に向かって走るヤマサキ。その未来は決して明るくは無く、そして自分もそれに引きずられて行くことを十分に認識しながらも、シンヤの顔には笑みが浮かんでいた。


 そう……何故ならば、それこそが彼の当たり前の『日常』なのだから……


「あ、待ってよ、ヤマサキ君!!」



~Fin~



 □■□



 な~んて、ここで終わるわけないよねえ~




「と、言うわけで勝負だ、ミカぁ!!!」


 HR前の教室。教室に飛びこむなり、ヤマサキはクラスメイトと楽しそうに談笑していたミカへと、声を高らかに吼える。


「何が『と、言うわけで』よ。期待してきてみれば、結局、元に戻ってるし」

「あれ、珍しいね。こんな時間にみんな来てるんだ」


 そんなヤマサキの行動に、ミカが呆れたように呟く隣で、少し遅れて教室に入ったシンヤが、驚いたように一人声を漏らす。


「もはや昨日のような悪夢はないっ!!!!全てを観念し、このナース服とともに電子の海へと旅立つが良い!!!」

「……デジカメ撮影してホームページに掲載するって意味だね」


 続いてヤマサキは叫び、その内容をシンヤが要約する。そして、今すぐにでも戦闘態勢へと突入しようとするヤマサキを前に、ミカは大きなため息と共に、ゆっくりと口を開いた。


「……ま、昨日は楽しませてもらったからナース服くらい良いわよ」

「本当か!?」

「ほ、本気なの、ミカさん?」


 ほんの二日前ならば想像だに出来ないミカの答え。それを受け、シンヤは言うに及ばず、ヤマサキまでもが自分の耳を疑い、聞き返してしまう。


「ん、女に二言は無いわ。ヤマサキの言ってる事も少しは分かるようになったしね」

「……うそ」

「くっ、くぅぅぅぅぅ……昨日の悪夢の時間は無駄ではなかったのだな!?あのミカが、本当の意味で同志になってくれようとは。このヤマサキっ、人生に一点の悔い無しぃ!!!!!」


 しかし、そんな二人の問いかけに、ミカから快い肯定の言葉が返ってくる。それを受け、シンヤは呆然と、ヤマサキは涙と共に拳で天の暗雲を吹き飛ばしながら、魂の叫び声をあげる。


「ん~じゃ、同盟の杯代わりに、このドリンクをあげるわ。はい、二人とも私のおごりよ」

「おぅっ!!!!!」

「あ、ありが……って、これってまさかっ!?」


 そんな二人に笑顔を向けると、ミカは手元の鞄から二本のドリンク瓶を取りだし、二人に渡す。その瓶を、ヤマサキもシンヤも喜んで受け取るが、シンヤだけは渡された瓶へとちらりと視線を送り、あからさまに顔色を変える。


「ん?……どうした、シンヤ?結構美味いぞ、これ」

「い、いや……ラベル見てみてよ、これ」


 一気にドリンクを飲み干したヤマサキに、シンヤは手に持つドリンクのラベルを指し示す。

 そのドリンクには、二人にとってはとても馴染みのある名前と、そして『製品版!!』と大きく書かれたラベルが張ってある。


「っ!?」

「あら、やっぱシンヤ君は気付いちゃったか。ま、ヤマサキだけでも当初の目的は果たせるから、問題無いけどね」


 シンヤに次いで顔色を変えるヤマサキ。その隣で、ミカは嬉しそうに小躍りしながら、「てへっ」と舌を出して微笑んでいたりする。


「ま、まままままままままま、まさかミカ?」

「もしかしてもしかしてなのぉ?」

「Yes,Yes,Yes。もっちろん萌姫堂印のドリンクよ」


 萌姫堂、ドリンク、製品版。その三つのワードが結びつき、ヤマサキとシンヤの脳裏に、昨日の散々な一日がリフレインする。


「しかも今回は製品版故に効果は永続!!ふっ、素晴らしいわね」

「み、ミカさん……やっぱり壊れちゃったんだ」


 製品版。それはつまり永遠に続く悪夢の時間。それを思い、ミカは心底壊れた笑顔で、シンヤは多分に憂いを含んだ悲しみの顔で、それぞれ崩れ落ちたヤマサキへと視線を送っていった。


「な、なぁんてこったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・っ!!!」


 後には、絶望に打ちひしがれるヤマサキの叫びが響くのみ。

 そしてそれは次第次第に鈴の鳴るような音色へと変わってゆき、教室は萌えの炎に包まれた。


 そう、今や、萌えそのものとなってしまった、一人の少女を中心として



 今、世界は……補完されたのである。



~Fin~



 □■□



「取りあえず、おめでとうと言っておくわ」

「ボクは何もいえないけど、おめでとうって言っておくよ。言わないと、ボクも無理やり飲まされるから」

「ま、むさい弟より、可愛い妹のほうが良いしね。おめでとう!!」

「説明を聞かずに飲むからいけないんですよ、お客さん。でも……おめでとうございます」

「「「俺たちからも言わせてもらおう!!おめでとうっ!!そしてかもぉ~ん、薔薇色の世界へ!!」」」

「「「私たちからも言わせてもらうわ!!おめでとう~、百合の幸せを私達が教えてあげるわ!!!」」」



「あ、ありがとうなんて言えるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」



 □■□



 さてさて、如何でしたか?


 彼は萌えを求める余り、自分自身が萌え萌えになってしまいました。

 自分自身がそうなって始めて分かるその真実。

 しかし、後悔しても誰も助けてはくれません。

 既に、周りの人々も、同様に萌えに染まっているのですからね。


 この先、彼……いえ、彼女の未来は萌えに包まれていることでしょう。

 それは彼自身の望む未来ではないのでしょうが、もはや逃れられない運命です。

 因果応報とは良く言ったものですね。


 ……さて、今回の話は以上です。


 また、萌えを求めるお客さんが現れるまで、しばしのお別れです。

 はい?……あぁ、何時会えるのかですと?

 いえいえ、心配なさらずとも、すぐにお会いできます。

 何故ならば、世界の皆の心の中に、萌えは存在するのですからね。


 その時は、また私、人類に萌えと希望を与える萌姫堂店主、萌木辰巳がご案内させていただきます。

 それでは、またの機会に。

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