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青い巨星は寄り添わない

作者: 犬吠埼 狼太




 シリウスは輝いていた。

 きっと、何かを待つんじゃなくて。

 きっと、何かを呼んでるんじゃなくて。

 きっと、誰かの側で、静かに寄り添うためでもなく。


 誰かの心を焼き焦がし、誰かを導き――

光り輝いていたことを、示すように。






「天体観測……しない?」


 学校に来るなり、天文部の部長――鶴田に手渡されたリーフレット。

 鶴田の手作りなのだろう。上に天文部部長、との記名があった。

 僕はリーフレットを差し出してくる鶴田へと視線を向けつつ、話しかける。


「天体観測……って言ってもね」

「もちろん、天田くんに'部活動に積極的に参加しなくてもいいから在籍していてくれ'ってお願いして、天文部へ参加するように言ったのは僕だ。でも、どうしてもこの日に外すことができない用事ができて――」

「つまり、僕に何をしてほしいの?」


 鶴田のイマイチ要領を得ない説明を要約すると、どうも「部員一人と君とで天体観測イベントに参加してほしい」ということらしい。

 ついでに言うならば、これに参加しないと、天文部としての予算が降りないかもしれない、と悲しみに満ちた顔を浮かべられたが、それは置いといて。


「それで、その部員って誰?」

「行ってからのお楽しみ――って痛い、視線が痛いよ天田くん!」

「いや、頼む側としてそんな言い方はどうかなぁ、って思っただけ」


 鶴田は申し訳ない、と頭をかく。そして、少しだけ言いづらそうにして、僕に耳打ちする。


「長谷川さんだよ、一年の」

「……なんだ、どんな名前が出てくるかと思えば楓か。何でそんな言いづらそうなんだ?」

「だって、天田くんって長谷川さんのこと嫌いなんだろう?」

「……へ?」


 寝耳に水だった。

 楓のことは、仲のいい妹分くらいに思っていた。

 勿論家が近い上に、楓の犬のような性格と雰囲気は僕としても好ましいので、好意的に接しているつもりだったが……。


「ほら、なんか学校で長谷川さんと会うこと、露骨に避けてたから……」

「ああ……」


 あれは、ただ単に学校で抱き着かれることを防ぐためだ。

 変な噂が立ってしまうと、楓もあまりいい気持ちにはならないだろう。

 楓は可愛いと思うし、そういう噂は立ちやすい方でもあるし。

 だからこそ避けてたんだけれども。


「そっか、そう言う風に思われてるんだ」

「ここだけの話、長谷川さんもそう思ってるらしいよ」

「………なんで知ってるんだよ」

「ボク、天文部の部長。長谷川さん、部員。ソウダン、ウケル」

「なんでカタコト?」


 楓が僕に嫌われていると勘違いしている。明らかな誤解だけれど、解くのにはこのような機会が必要だ。

 行ってもいいかもしれない。僕はそんなことを思いつつ文書へと目を落として――一つの疑問へ至る。


「……鶴田、このイベントっていつなんだ?」


 すると、鶴田は先ほどよりも言いずらそうな表情で、口ごもった。

 と思えば、突然鶴田が頭を下げた。直角に、芸術的なまでの速度で。

 同時に、嫌な予感がひしひしとした。


「――だ」

「……もう一度、大きな声で」

「今日、だ」

「……………」


 嫌な予感が的中した。

 いろんな質問や疑問が浮かんでくるけれど、最終的に僕が聞きたいのは一つの言葉だった。


「……で、困ってるの?」

「うん、困ってる」

「――わかった。何か注意事項とかはある?」

「行って、くれるのか……?」

「困ってるなら。一応は部員だし」


 鶴田には、天文部の幽霊部員として置いてもらっている恩がある。

 だからこそ、その恩返しとして鶴田のお願いを遂行することもやぶさかではない。

 

「ありがとう、天田くん……!」

「いいよ。……で、何か気を付けるべきものはある?」

「あー……。夜だから、事故や事件に気を付けて。あと寒いから厚着してくるといいと思うよ」

「なるほどなぁ。わかった。じゃあこの書類に書かれてる通りの場所、時間にここに行くよ」


 ……そうと決まれば、持ち物を今のうちにリストアップしておかなければ。

 そんなことを思いながら、午後からの授業をおとなしく受けるのだった。



 放課後。家に帰って準備をしていたら、あっという間に夜になった。

 長いマフラーで寒さを堪えながら、自転車を漕ぐこと十数分。にわかに人集りが出来ている、小高い丘にたどり着いた。

 それぞれが天体望遠鏡を抱えていて、まるでその場所だけが、怪しげな異空間に見えた。


「……さて、楓はどこだ?」


 自転車から降りて、あたりを見渡す。

 そして、一人だけ、天体望遠鏡を持たないまま、ずっと空を見上げている楓の姿が写った。

 肩甲骨くらいまである黒い髪が夜風になびく姿が、やけに印象深かった。


「おーい、楓」

「……あ、お兄ちゃん!」

 

 僕の声に反応し、弾けるような笑顔で手を振り始める楓。

 レジャーシートへと近づき、自転車を横倒しにして止めてから、改めて楓の格好を見た。


「……なんでそんな薄着なの?」

「学校が終わって、ご飯食べて……そのまま来ちゃいましたから」

「着替える時間もあったよね……。寒くないの?」

「寒くな――くちゅん!」


 自信満々な表情が、くしゃみによって、無様とも言える表情になる。その様子がとても面白くて、僕はついつい吹き出してしまった。


「……お兄ちゃん」

「悪かったって……。にしても、風邪なんか引いたら大変じゃない? ほら、これ」


 そう言いながら、僕はかなりの長さが余っていたマフラーを楓へと手渡す。

 受け取った楓は、きょとんとした顔でマフラーを持っていた。十数秒待ってもそれなので、流石にキリがない。

 僕は楓が持っているマフラーを手に取って、それを楓の首へと巻いていく。途中で楓と目が合ったが、楓は垂れ気味の目をただ瞬かせるだけだった。


「どうだ、ちょっとは寒くなくなったんじゃない?」

「……お、お兄ちゃん……?」

「どうしたの? もしかして、気に障った?」


 だとしたら大変だ。

 心配した僕だったが、楓はふるふると首を左右へ振った。そして、俯いたまま、小さく呟く。


「お兄ちゃんは、私が嫌いじゃなかったの……?」

「そんなわけない。……ただ、学校でいきなり抱きつくのが恥ずかしかっただけ」

「……そっか。そうですよね。恥ずかしいですよね。お兄ちゃんが嫌がってるとわかった以上、これからは抱きついたりしません」


 約束します、と小指を出してくる楓。

 何故だか残念に感じて――。


――ふと、思った。


 僕は、誰かの前で抱きつかれることを恥ずかしく思ったのだろうか。

 もしくは、楓に抱きつかれることを、恥ずかしく思ったのだろうか……?


「あ、お兄ちゃん! 星が見えましたよ……!」


 泥沼の思考を断ち切るように、楓から声が上がった。

 釣られるように空を見ると、そこには、太陽のような光を放つ、とても綺麗な星があった。

 とても綺麗で……。僕の心に焼き付くように、青白い光を星は放っている。


「……綺麗ですね」

「……うん、本当に綺麗だと思う」

「お兄ちゃん、知ってますか? あれはシリウスっていう、一等星なんですよ」


 説明する楓の声は、嬉しそうに弾んでいた。よっぽどこの星を見ることが出来て嬉しいのだろう。

 ……わかる気がする。一度見てしまったら、もう一度見てみたくなる。そんな光を、シリウスという一等星は放っていた。


「シリウス……」

「……シリウスはですね、太陽を除くと一番明るい星で――」


 楓があまりにも楽しそうな声を出すから、僕はついつい楓の表情を覗き込んでしまった。

 ……そして、ドキリとした。

 黒の髪は、シリウスの輝きで、まるで宝石のように輝いていた。瞳なんか、星が輝く空を、そのまま閉じ込めたようだった。

 その時、多分初めて、僕は楓を強く意識した。

 ずっと子犬のようだと思っていた、幼馴染。……今の今まで、楓が女性であったことなんて、僕はスッキリ忘れていた。

 

「お兄ちゃん?」


 突如としてかけられた声に、僕の意識は元に戻る。


「……聞いてるんですか?」

「えっと、シリウスは太陽の次に強い光を放つ星で――その、えっと……」

「やっぱり聞いてませんでしたね。……もういいです。知りません」


 そう言いながら、そっぽを向くように、シリウスの方へと視線を向ける楓。

 ツンとしていたけれど、どこか柔らかい雰囲気だ。……きっと本心では怒っていない。


「……ねぇ、楓」

「…………なんですか、お兄ちゃん」

「楓の説明、聞きたいな」


 許してくれるとは思っていない。でも、少しは機嫌を直してくれるだろう。

 すると、楓は視線をこちらへ戻して……。


 僕を突然押し倒した。


 混乱する思考。赤くなる頬。いやにでも加速する鼓動。全部がごちゃごちゃになって、もうわけがわからない。


「――力を抜いて、お兄ちゃん。そんなんだと、綺麗な星は輝いてくれませんよ」

「何を言って――」


 目の前の楓が、さっと僕の上からどく。夜の闇でよくわからなかったけれど、頬が赤い気がした。

 ……いきなりなんだったのだろうか、と息を吐いて、目を見開いた。

 その瞬間だった。


「――――――」


 空には、宝箱が広がっていた。

 まるで、自分以外の星に負けてたまるか、とばかりに輝いている星々。それは、すべてがそれぞれ違う価値を持って、違ういいところを持った宝石箱のようで……。

 いっきに、僕の心には、輝く星が住み着いた。

 目を閉じても、何をしても。まぶたの裏には、星が浮かんでいた。

 その中でも、一等いっとう強く心に残ったのは、あの巨星――シリウスだった。

 満天の星空の中、まるでこぼれ落ちてきそうな星の中にあって、その存在感は圧倒的、の一言だった。


「改めて説明しますね」


 耳心地のいい、鈴の鳴るような声を聞きながら、天を見上げる。

 ごろんと転がっているおかげか、やたらと空と星が広く見えた。

 この先に宇宙が広がっていて、そこには、数えることが出来ないほどの星が輝いている。

 そう思うと、空に心が吸われていきそうになった。

 そんな僕の心を、楓は言葉で地球に縫い付けた。


「シリウスっていうのは、光り輝くもの、といった意味や、焼き焦がすものっていう意味が名前に込められているんですよ」

「光り……輝くもの……」

「エジプトでは、導くもの、としても扱われていたみたいです」


 そう笑うと、楓は、空にかざした手で三角を形作った。

 望遠鏡を覗き込むように、三角でできたレンズ越しに見ているのは、きっとシリウスなのだろう。


「――なんだか、私たちってシリウスみたいですよね」


 唐突に呟かれた言葉に、僕はとっさに反応することが出来なかった。

 そんな僕を、優しく諭すように。

 楓は、指を一本立てた。


「一つ、導くもの。これって、鶴田部長ですよね」

「……いや、ちょっと意味がわかんないな」

「だって、私のために、お兄ちゃんをここまで呼び出してくれたのは鶴田部長ですよ?」

「……えー」


 驚愕の真実だった。

 でも、考えてみれば、鶴田は他の用事を放ってでも夜空を眺めたいタイプの人間だ。そう簡単に、ほかの用事を優先させるわけがない。

 ……まぁ、話を聞いている限りだと、鶴田は導くもののように見えてくる――気がしないでもない。

 じゃあ、他の二つはどうなるのだろう。


「じゃあ、光り輝くものが楓か?」

「消去法で、そうなりますね」


 私が光り輝くものとか、恐れ多いんですけどね、と笑う楓。その笑顔は、確かに光り輝くものだろうと、僕は思う。

 それに、僕にとって、楓こそが「光り輝くもの」であると断言出来る理由が、もうひとつあった。――今は、自分でさえ理解していないけれども。

 きっとそれは、誰かが「導いてくれる」ものなんだろうと、なんとなく思った。

 ……じゃあ、最後の焼き焦がすものは、消去法で僕となるわけだけど。


「……なんで僕が、焼き焦がすものなんだ?」

「……」


 こういう時、やたら饒舌にモノを語る楓の口が、閉じた。雰囲気がなんだか変で、星の輝きが、サッと引いていくようだった。

 そして星の輝きは、あたかもシリウスのように楓の身を照らし――。


「だって」


 隣で寝転ぶ楓の姿が、とても。


「お兄ちゃんは」


 楓だとは思えないほどに、煌めいて。


「私の心を、いつも焼き焦がしてるから」


 首に巻かれたマフラーをぎゅっと握って。

 柔らかく微笑む楓の姿は、僕にとっての輝くもの。


――正しく、一等星そのものだった。







 きみは輝いている。

 きっと、何かを待つんじゃなくて。

 きっと、何かを呼んでるんじゃなくて。

 きっと、誰かの側で、静かに寄り添うためでもなく。


 誰かに心を焼き焦がされて、誰かに導かれて――ただ、側で輝くことを示すように。












―――――――――

シリウス(Sirius――seiorios)

「焼き焦がすもの」「光り輝くもの」というギリシャ語が由来。

 また、シリウスは道しるべとして、多種族間で重宝されていた。

 エジプトでは洪水を知らせる兆候としても重宝される。このような文化的経緯から、導くもの、とも。

 また、シリウスは太陽を除くと、最も明るい星である。

―――――――――

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