春の嘘
初投稿です。
子供じみた八つ当たりだと、酷く滑稽で惨めだと、自分でも分かってる。私はまだ、大人になりきれていない。
田舎から連絡があった。幼馴染みの祥が亡くなったと。今年の盆は墓参りついでに里帰りしなさいと。
里帰りだなんて、自分には縁のない言葉だと思っていた。仕事仕事で忙しく、就職してからは一度も帰れていない。気づけば二十六の誕生日は過ぎていた。
桜が舞う中、二時間に一本のバスに揺られる。結局盆はまとまった休みが取れず、その後も何かと忙しかったために年をまたいで春になってしまった。
久しぶりに見る地はすっかり様変わりしている。何もなかった土地に新しい家が増え、寂れたスーパーは紫の看板の大手チェーンに変わっていた。それでもバスが進むにつれ記憶と大して変わらぬ、みすぼらしい景色に変わっていく。
あの村で育った子はみんな幼馴染みだ。それでも祥とは特別仲が良かった。墓参りをしない訳にはいかなかった。
親に聞いた祥の墓には里帰り初日に向かった。先に用事を済ませておけばいつでも東京に帰れる。案の定、予定より早く帰ることにしたがバスが来るまでの間、もう一度祥の墓に寄った。
真新しい墓石に手を合わせていると誰かが来た気配がした。
「紗枝ちゃん」
小鳥の様な声。私はこの人を知っている。
「えっと」
「やっぱり。紗枝ちゃんだ。私の事忘れちゃった?」
「っ、明日香」
「よかったあ、覚えてた」
忘れるわけ、ない。
「――祥はね、最後の方は紗枝ちゃんと遊んだ時のことばかり話してたよ」
明日香は幼い頃体が弱く、療養の為にこの村に引っ越してきた。その時から祥は明日香の虜だった。明日香は長くは生きられないと言われていたから二人は高校卒業と同時に結婚した。祥が大切にしていたからか結局まだ生きているけれども。まさか祥の方が先に亡くなるなんて思ってもなかった。
私はこの閉鎖的な村が嫌いだった。息苦しかった。離れたくて仕方なかった。だから無理して東京の大学に進学したし、そのままバイト先に就職した。成人式の時しか帰郷しなかった。――二人がいるこの村に帰りたくなかった。
私が東京にいる間の、私が知らない祥の話をしている内に明日香は泣きだした。昔は祥がよく泣いていたな、なんて思う。明日香が入院する度に祥は泣いて、私は慰め、時には一緒に泣いた。泣いた理由は祥と違ったけれど。当時は明日香が羨ましく妬ましかった。両親に、祥に、愛される明日香を憎みつつ罪悪感を抱いていた。
かつて私の家は荒れており、それは年々激しさを増していた。それは近所の人も知っていた。
私はいつも、ただ襖の隙間から眺めていた。荒れ狂う弟、泣き叫ぶ母、激昂する父。飛び交う本、舞う羽毛、蹴倒される椅子。割れる窓。そこは地獄だった。
そっと扉を閉じると冷たい廊下を5歩進み、自分の部屋に入るとヘッドホンをして、好きなバンドの曲を再生するのが常だった。
それでも聞こえる怒鳴り声。音量を上げていき、耳の調子が心配になるくらいまで上げてもあいつらの声が聞こえ、諦め、また、音量を下げる。
筋が全く通っていない屁理屈、無茶苦茶な主張、馬鹿みたいな脅し。音楽と共にそれらが流れ込んできて曲まで汚されるような気さえして無償に苛立って。
それでも堪えて、机に英語の長文問題集を開く。英単語が上滑りするだけで内容なんて頭に入ってこない。三度ほど読み直して、パタリと閉じ諦めて。もう寝ようとベッドに潜ってみても眠れない。
力のない高校生は行く宛などない。
受験を控え、当時の私は将来をてまで家を出る勇気はなかった。
「いつまでいれるの」
やっと泣き止んだ明日香が問いかける。
「今日中に帰る」
「そんなすぐに?」
「この村嫌いだから。多分もう帰らないと思う」
「紗枝ちゃん、」
純粋そうなこの目が嫌いだった。
「私さ、この春小学生になる子供がいるんだ。不倫で出来た子だしパパは死んだみたいだけど」
「え、」
桜が風に靡く。
「祥の事好きだった。ずっと祥に頼りたいって思ってた。――あんたの事はずっと嫌いだったよ」
笑みが零れる。
「祥はね、本当は私の事好きだったんだよ」
ついた嘘。明日香にはもう確かめる術はない。
ぽかぽかとした日差しの中、立ち竦む明日香に背を向け歩き出す。もうすぐバスが来る。そしたらこの村ともさよならだ。
感傷的な気分を春風はさらって行った。