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4、海の都ヴェネツィア②

 ヴェネツィアは五世紀に蛮族から逃れた本土の民が干潟につくりだした街であるとされる。

 港町として繁栄し十三世紀には東地中海で強大な力を持つようになる。ルネサンスの花開いたのは別の都市フィレンツェだが、ヴェネツィアでも少し遅れて絵画など芸術や文芸の発達がはじまった。

 私はヴェネツィアの画家を研究していた。そのためヴェネツィアに半日滞在では足りなかった。

 研究対象の画家以外にも好きなヴェネツィア派の画家はいる。ヴェネツィアには絵画がを見に来たつもりだった。

 しかし、ヴェネツィアの都市こそがひとつの芸術であった。


 あいにくの曇天、と思った自分を恥じた。ヴェネツィアはどんな空の下にあってもうつくしい。

 曇りと海上のためもあってか、その日のヴェネツィアは霧にけむっていた。それはあまりにも幻想的な光景だった。

 ヴェネツィアの街自体海の上に浮かんでいるような場所なのに、あたりが霧に包まれたため、街が本当に浮かんでいるようだった。自分が雲の中にでもいるのかと錯覚するような。

 霧のヴェネツィアもいいではないか。サンタルチア駅から出た私はすぐに思った。

 ヴェネツィアは干潟の上につくられた街であるために、だだっ広い敷地はそう多くない。建物も比較的小さなものばかり、どこの道も広くはない。狭い路地裏の先にある小道には、不思議な魔女のお店でもあるのではないかと想像をかきたてられるような魅力がたっぷりだった。

 このヴェネツィアという都市が迷宮のように入り組んだ街並みを持つ事も、幻想的に見える事に関係しているのだろう。その都市景観だけでファンタジーな世界にやってきた気分になった。


 ヴェネツィアの話はそこそこ聞いていた。とにかく、迷いやすい。だが私は地図も見ずに先に進む事にした。何故ならこの海上の迷宮都市には角を曲がるたびに矢印があって、街の入口である駅の方角と、街の中心地サンマルコ広場の方角を示しているからだ。

 サンマルコ広場方面を目指すのであれば辺りを見回して建物の壁の標識を探せばいい。私も実際にこの方法で広場に辿り着いた。とはいえ、どこの都市でも迷子になったものだが。


 初めてのイタリアだ。目に映るものすべてが新鮮で、なにもかもが美しく、あらゆるものが興味深かった。私はサンマルコ広場を目指しながらも興味を惹かれるものがあればそれが壁のらくがきのようなものであっても、飛びついては写真を撮った。

 何回か広場への矢印すら見失い、自分が目指す場所すら忘れかけた。だがこのヴェネツィアの街ではそれでいいのかもしれない。そう大きな街ではない、ゆっくり歩いてもいつかはサンマルコ広場にたどり着ける。

 ヴェネツィアは大小様々の多くの運河が街を縦横に走っている。当然橋も大きなものから小さなものまでたくさんかかっている。階段で少しのぼる橋もある。橋また橋の道もある。時々、橋の下をゴンドラが通る。


 地元民向けの生鮮食品を売る小さな青空市場に出会った事もある。野菜や魚などが売っていて、楽しそうだった。だが私はその時既に矢印を見失い迷子になっていたので、あまり寄り道してはいけないと思い、市場を見て回る事はなかった。冷やかしなら帰りな、みたいな視線を貰うのもこわかったし(いつものヘタレポイント)。

 そしてついにリアルト橋だ。ヴェネツィアの大運河(カナル・グランデ)にかかる世にも有名な橋で、橋の上にお店がたっている。観光客に受けそうなヴェネツィアングラスやカーニヴァルに使うような豪奢な仮面など、たくさん売っていた。

 私はここで見かけた、文字盤の周りをぐるりとヴェネツィアングラスが囲む素敵な腕時計を買おうか迷った。金太郎飴式で作られる断面が花やなんかの模様ができてる、小さいガラス細工だった。

 迷った時点でみなさまお察し、買えなかったヘタレ展開である。勉強のために必要なもの以外、私はほとんど何も買えなかったのである。お店の中が狭くて入りづらかったし、店員の顔が怖かった。なんて弱い精神なのか……。


 ともかく、お土産にはよさそうなものがたくさん売っていた。ヴェネツィアングラスのアクセサリーや、ヴェネツィアやゴンドラの小さな模型などもあった。

 また、リアルト橋からの大運河の眺めも素晴らしい。たいていのヴェネツィアの建物がそうであるように、運河に面した家は船着場を備えていたり、実際に舟がつないであったりする。ヴェネツィアンレースのようにどこか繊細で瀟洒な建築物も見ものだ。

 しばらく歩き続けていたので休憩も兼ねて、私はこのリアルト橋から大運河(カナル・グランデ)とそこを通る舟や建築物を堪能した。


 そのあとも何度も道を行っては引き返し矢印を探して、私はサンマルコ広場にやってきた。

 サンマルコ広場は、私が時計塔の文字盤がファンタジックできれいだなと思って眺めていたら、突然視界が開けてあらわれた。

 向かって左手側にはサンマルコ寺院が、少し右手側に鐘楼、そして正面にはアドリア海が広がる。

 右側には長方形の広場があり、人々が行き交い、ハトがうろついていた。ちなみにこのハト、けっこうたくさんいた。


 ヴェネツィアの守護聖人は聖マルコだ。

 守護聖人とはキリスト教の、特定の職業や地域などを特定の聖人が守っているという考え方である。ヴェネツィアの都市を守ってくれるのは聖マルコなので、広場の名前にも聖堂の名前にもなっている。

 ヨーロッパの街並みは広場とそれに面した教会が街の中心地となる事が多く、ヴェネツィアもサンマルコ広場とそれに面したサンマルコ寺院が中心だ。日本でいう門前町みたいなものだ。

 ちなみにサンマルコ「寺院」と日本ではよく表記されているが、要は「教会」であり細かい事を言えば「聖堂」である。

 サンマルコ広場がひとつの目的地ではあったが、やはり注目すべきはサンマルコ寺院だ。

 サンマルコ寺院、その一部は工事中だったものの、円蓋(クーポラ)やモザイク画が素晴らしかった。

 寺院の内部は中世に建てられた建築物であるために薄暗く、昔の人もこのような暗がりの中で神に祈りを捧げたのだろうかと、物思いにふけった。


 たぶん、はじめてイタリアの博物館に入ったのはドゥカーレ宮殿だと思う。ドゥカーレ宮殿は今では博物館のようになっていて、もちろん観光客でごったがえしていた。

 ヴェネツィアには二日間いたので一日目の記憶か二日目の記憶か定かではないが、ほとんどの間絵画など芸術作品を見て過ごした。

 というか美術館博物館が目的なので、そうしないといけなかった。

 ドゥカーレ宮殿には地下牢があって、かなり強い印象として残り、とてもテンションが上がった。地下牢に一人にやにやする東洋人の女、とても怪しい。

 アカデミア美術館ではまさしくヴェネツィア派の絵画がたくさんあり、私が特に好きなティントレットという画家にウハウハした。他にもティントレットの絵画が見られる場があって、私はもう自分の専攻する画家よりもティントレット最高というテンションでヴェネツィアの滞在を終えた。ひどい話である。

 とはいえきちんと自分の研究対象である画家の、今回の旅の一番の目的である絵画も見る事が出来た。たぶん二回は三回は見に行った。そちらもよかったけど、やっぱティントレットかな……。

 他にも寄った、コッレール博物館では館内で迷子になった。ミュージアムカフェがあったが、語学力のないヘタレにはあまりにも敷居が高過ぎたため行きたさを振り払い、素通りした。


 カフェといえば、ヴェネツィアでは高名な「カフェ・フローリアン」に行ってみたかった。どこかで聞いたおぼろげな記憶ではヨーロッパで最初にカフェ文化が入ってきたのはヴェネツィアで、カフェ・フローリアンがそれだというような由緒あるお店だったと思う。これはうろ覚えなので違ったかもしれないが、そうでなくとも一七二〇年創業の、当時の姿をそのままに残す歴史あるカフェだ。

 もう、店の外観からしてそんじょそこらの最近出来たカフェとは違う。窓ガラスから見える内装も格調高くエレガントだ。なんかもうちょっと貴族のための空間みたいな感じである。外観なら以前から写真で知っていたが、やはり中に入らない事には始まらない。

 そう、始まらない。ヘタレの一人旅は――飲食店に入れない! グルメリポートが、始まらない!

 一人でご飯て、日本でもしない人いるじゃないですか……。私は、店にもよるけど、日本でなら出来ます……よ……。ファミレスとか牛丼屋とかルミネのレストランとか、超余裕で入れる。

 でもすみません初海外で一人ぼっちでカフェに入る勇気も語学力もありませんでした。スルーしました。

 とても残念なヘタレ。しかも、カフェのみならずありとあらゆる飲食店には一人では入れなかった。こわくて。いろいろ。


 そんなわけでヴェネツィアの都市を駆け足ながら堪能したものの、ヴェネツィアの食べ物はホテル朝飯しか満喫出来なかった。アドリア海の新鮮な魚介料理とかワインとかパスタとかピッツァとかそんなものは知りません。ああもったいない。もったいないお化けがたくさん出るレベル。

 かわいそうにヘタレなコミュニケーション能力のない者とは、飲食店にも入れない。

 しかしそのままだと飢えて苦しむはめになる。だから私はスーパーマーケットに行く事にした。

 初日からこうなので、あとの日々も毎晩スーパーマーケット通いであった。朝は出来るだけホテルの朝食を食べて。残念過ぎるヘタレ旅。

 まあ女一人だったから、変にからまれても困るしね……。という言い訳。


 そんなスーパーマーケット。

 仕方なしに行ってたみたいに思えるけど、やっぱり他所の国のお店はスーパーマーケットであっても楽しいもの。見ているだけでも楽しい。

 野菜やお肉やお魚などの生鮮食品は、量り売りだったりするので、担当の者にこれくらいの量くださいと言って値段シールを貼ってもらう、というのがイタリアのスーパーマーケットらしい。たしかテレビのイタリア語講座で聞いた。だがホテルで調理なんか出来ないのだから私には生鮮食品は関係ない。というか店員に声をかける勇気もない。語学力もない。

 加工食品は見た事のないお菓子や飲み物、怪しげなSUSHIまで売っていた。ちょっと気になったが買わなかったのを後悔している。ネタになっただろうに。

 そんな私が買ったのは……サンドイッチとお菓子。栄養とはなんだろうか。みたいなものばかり。というか、イタリアのスーパーには日本みたいな惣菜らしい惣菜は売ってなかったと思う。

 その頃ポテチ狂だった私はイタリア来てまでポテチを買った。ふつうのポテチだった。おいしかったけど。

 あと、時々駅のホームなんかでお菓子自動販売機でお菓子を買っていた。飢えて……いた……! 常に!

 ドバイのデーツも大事な栄養源だったというのは、こういう事だ。イタリアに来てからしばらくしてなくなってしまったが。

 だがしかし、そんな欠食児童を救う者があらわれる日は、意外にも遠くなかった。

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