千年巫女と紅い竜
「レナーテ、どうしてここに…?」
突然部屋に入ってきて、両手を腰に置いたポーズのまま悠然と胸を張るレナーテに驚きつつも、ルベルトは、そう問いかけた。
問いかけながらも、レナーテが現れたことでリィナの反応がどうしても気になってしまい、彼女を横目で確認してしまう。
それもそのはず。コハク、というのが仮にレナーテだったとすれば、初代千年騎士であるヴィリバルト=ヴァイゼンボルンの伝言にも触れられていたことから、すぐに戦闘になるようなことはないだろうが、リィナが千年を越えてきた理由が理由なだけに、それが絶対とは言いきれないからだ。
更に気になるのは、伝言の内容に、複雑な思いもあるだろうが、という文言があったこと。少なくとも、ふたりは初対面ではなく、過去に何らかのいざこざがあったことは予想できた。
「色々悩んだけど、考えるのを止めたの。今さらリィナと敵対しても、それは些細な問題だわ。あたしはあたし、あたしが思ったように生きるし、やりたいことをやる。ヴィリバルトとの約束は、もう果たしたからね。それで、あんたはどうすんの?」
吹っ切れたのを通り越して、いきなり挑戦的な態度をとるレナーテを見ても、リィナは眉ひとつ動かさなかった。
「コハク、今、ヴィリバルトと言った。あなたは、彼とどんな約束をしていたの?」
リィナはレナーテの挑発など気にも留めず、ヴィリバルトのことしか気にならないのか、そんなことを質問したのだった。
その質問に溜め息を吐きながら、目を閉じて横に首を振るレナーテは、どうやら質問には答える気はなさそうに見えた。その態度は、あんたはやっぱりヴィリバルトのことしか考えていないのねと、心の声を体言しているかのように見える。
一触即発も考えられた空気の中、短くない時間を沈黙が支配していたが、リィナの質問に思うところのあったルベルトは、言い方を変えて再度レナーテに問いかけることにした。
「レナーテ、リィナが言ったことは、実は僕も前から気になっていたんだ。きみは千年もの長い間、僕ら千年騎士が強くあるために尽くしてくれた。きみほどの力がありながら、なぜそこまでしてくれたのかがどうしてもわからない。もし、ヴィリバルト=ヴァイゼンボルンに関係しているのなら、僕にも是非聞かせて欲しい」
ルベルトにまで聞かれ、レナーテは諦めたようにもう一度溜め息を吐いた。
「それじゃあ話すけど、リィナ、あんたは当然覚えてるわよね、あたしの、両親のこと」
それを聞いた瞬間、無表情を通していたリィナの顔が、少しだけ強張った。
「忘れることなんて、できない。あなたの親は、私の家族や、友達を皆殺しにした。絶対に許さない」
「皆殺し…だって…?」
驚くルベルトとエリーに、悲しそうな顔を見せて、レナーテは続けた。
「リィナの言うことは本当よ。あたしの両親は、人間を襲い、集落の人間のほとんどを殺し尽くした。それまでは、人間も、竜も、仲良くやっていたのに、ある日突然、父さまも母さまも狂ったように変わってしまった」
レナーテの話によれば、今から千年以上昔、人と竜は古い書物に記されたとおり、共存関係にあった。
リィナが住んでいた集落では、二頭の竜が守り神として崇められており、付近の山奥に暮らしていたという。
人々は竜の住まう場所を神の祠と称し、数日に一度は必ず、供えものとして食料を運び、数年に一度は新しい住処を用意し、竜が住み良い環境を提供し続けてきた。
竜はそんな人々に対し、大雨が降りそうな日には、空高く飛び雨雲を吹き飛ばしたり、日照りが強く干ばつで作物が育たない年は、火のマナを多く吸収することで雨を降らせやすくしたり、風が強い日には身を挺して壊れそうな家屋を守ったりしてきた。
そうして、お互いが支えあって時を過ごす内、二頭の間には子供が産まれた。
竜の子が産まれたという話は、集落の人々にも瞬く間に広がり、その晩には宴が催されたほど、喜ばしく、また珍しいことだった。人々の宴は、ある意味では竜族の出生率が極端に低いことの裏付けともいえた。
数年後、赤子の時からは大きくなったものの、まだまだ幼く小さかったその竜は、大変好奇心旺盛な性格に育った。琥珀色の綺麗な竜鱗から、コハク、コハクさま、コハクちゃんなどと呼ばれ、度々親元を離れては単独で集落に降りてきて、皆から可愛がられていた。
それが、レナーテである。
コハクとは、外見的特徴から集落の人々がつけた呼び名であり、正式な名ではない。そもそも、絶対的な種の総数が少ない竜族は、名前というもののあまり必要とせず、見た目で人々が呼び名をつけることが多いのだ。
人と関係の深い竜は、自らの呼称を定めることもあるのだが、当時のレナーテは、例に漏れず名前など必要としてはいなかった。
ともあれ、千年以上前には、そんなことはどの集落や村でも日常的にあった。言葉など交わさなくとも、人は竜に感謝の気持ちを常に持っていたし、竜も人によって多くの食料や住処を用意してもらい、お互いがお互いに感謝し合っていたのだ。
最もそれが顕著に現れていたのが、年に一度、人族が竜に感謝を伝えようとする祭だった。祭は竜と共存する多くの集落や村で同じ日に行われるが、ある年のその日に、事件が起きてしまった。
人の笑い声が絶えず、どんな人でも大いに楽しむその祭の締め括りには、村や集落を代表する若い女性を巫女とし、祝詞と舞を奉納することが常となっている。
巫女舞が始まって少し経った頃、突然山奥から、大地を揺るがすような咆哮が聞こえ、竜が二頭、物凄い速さで人里に飛び降りてきた。
何事かと辺りを見回した人たちが気がついたときには既に、ひとり、ふたりと、集落の人々が襲われていた。
そこからは地獄絵図のような、悲惨な光景が広がった。
竜は逃げ惑う人々を炎で焼きつくし、爪で八つ裂きにし、牙で喰らっていく。
歴史上類を見ない、竜による、人の大量虐殺であった。
二頭の竜の内一頭は、決死の覚悟で挑んだ集落最強の戦士であるヴィリバルト=ヴァイゼンボルンによって討ち取られ、もう一頭の竜は周囲に人がいなくなると忽然と姿を消した。
阿鼻叫喚の最中、悲しむことも許されない程の恐怖を味わった人々は、生き残った数十名全員でその集落を放棄し、違う場所へと移り住んだという。
「これが、私の経験したこと。コハク、あの時、あなたはどうしていたの?」
途中からレナーテに変わって語り部となっていたリィナが一息つくと、その場はまた異様な緊張感で満たされた。
ルベルトとエリーは、その内容を聞いただけでも震えるほど恐ろしく思ったが、淡々と語るリィナの瞳からは、いかなる感情も読み取れない。
ゴクリ、と喉をならせてから、意を決した表情で、レナーテは再度口を開く。
「あたしはあの時、空を飛んで行った父さまと母さまを自分の住処から見てた。何かに急かされるように飛び出していったふたりを追いかけて集落に行ったけど、まだ空を飛べなかったあたしが着いたときには、もう…」
つい先日まで仲良くしていた集落の人々の死体の山を見つめながら、レナーテは母親の亡骸の側で数日間泣き叫んだ。しかし、状況を説明してくれる者も、助けに来てくれる者もいない。
いつしか涙も声も枯れ果て、何かから逃げるように住処に戻り、しばらくは塞ぎ込んでいたのだが、ある日を境に、レナーテは集落の跡地に赴くようになる。
恐怖と孤独に苛まれながらも、その地を守ってきた竜として、何かしなければという使命感から、ひとつずつ死体を運び、埋葬し、墓を作ることにしたのだ。
その過程で、名前を覚えている人には名前を。思い出せない人には冥福の言葉を。それぞれ墓標に刻む為に、焼け落ちることのなかった家屋の中から本を探し、人の言葉を勉強した。そうして過ごすうちに、レナーテは満足に人の言葉を理解できるようにまでなっていた。
集落の人々の全ての墓を作り終え、最後に自分の母である竜の遺体を埋葬し、永遠に思われた数年間を終え、抜け殻のように過ごしていたある日、レナーテの元にひとりの男が訪れた。彼とは過去に集落で度々会っており、レナーテもよく覚えている男だった。
その男こそ、集落を出た後、竜を単騎で倒した実績から王国の騎士として登用され、最後は人類最強とまで謳われることとなる、初代千年騎士、ヴィリバルト=ヴァイゼンボルンだった。
彼は、顔見知り故に、罪の意識から怯えたまま耳を塞ぎ、全く話を聞こうとしないレナーテを説得し、なんとか落ち着かせたあと、レナーテに教えた。彼女の両親が集落を襲ったこと。他の村や集落でも同様の事件が起こったこと。そして、その事件をきっかけに、竜と人の間には深い溝ができ、種として決定的に対立したこと。
「あたしは、その話を聞いて、何かをしなきゃって思った。あたしは集落の人たちが大好きだった。みんな優しくて、温かかった。そんな人たちを、どんな理由があっても、あんな風に殺すことは、絶対に、許されない」
ルベルトには、回想を話すレナーテが苦しんでいるのが、はっきりとわかっていた。
過去を語るレナーテの表情は苦渋に満ちており、体も小刻みに震えていた。それでも彼女は、語りを止めようとはしない。
「ヴィリバルトは言ったわ。近い将来、ひとりの少女を千年の眠りに就かせる計画があるって。千年分のマナを貯めて、竜族を滅ぼすんだって。その少女は、あたしの両親が壊滅させた集落の生き残りだから、もし罪を償いたいのなら、来るべき千年後のために、彼の子孫を鍛え続けることこそが、唯一あたしにできる贖罪だって。それが、ヴィリバルトとの約束」
レナーテの言葉を聞き終えた瞬間、ルベルトの意識の奥底から、抑えることができないほどの激情が沸き上がってきた。
「そんなの…おかしいじゃないか!」
「ル、ルベルト様!? どうされましたか!?」
普段温厚なルベルトが珍しく語気を荒げたことに、レナーテはもちろんのこと、その剣幕にはエリーも驚きを隠せなかった。




