屋敷の出来事と巫女の目覚め
夕食時。
大きなテーブルの中央に座らされたルベルトは、料理が運ばれてくるのを今か今かと待っていた。
この日、ルベルトは人生で初めて、神殿を離れて一夜を明かすことになる。常日頃から、騎士たるもの紳士であれと自分に言い聞かせてはいるのだが、今日ばかりはどうしても辺りをキョロキョロと見回してしまう。
以前からもエリーには何度も誘われてはいたのだが、グライスナーの屋敷で夕食を食べたことは今まで一度もなかった。帰るのが遅くなってしまうと、ルベルトの代わりに神殿を見張ってくれている使用人に、申し訳なく思ってしまうからだ。
神殿の守護者たる千年騎士の役目と言えば、周囲の認識としては、紅い竜であるレナーテの襲撃から神殿を守ることにあったが、実際は、レナーテが来るタイミングを事前に察知できるため、神殿近くの小屋に住む理由は、盗賊などに神殿を壊されたり、金品目当てに襲われたりしないように見張るという意味合いが強かった。
それ故、ルベルトはもちろん、千年騎士を鍛えるためにあえて神殿を襲撃していたレナーテも、神殿からは極力離れないようにしてきた。
もっとも、盗賊などにはレナーテが先に気が付くことの方が多く、千年騎士が侵入者を撃退するようなことは、10年に1度程度の頻度でしかなかった。当然、歴代の千年騎士達は、レナーテが盗賊達の抑止力になっていた事実を知らなかったわけだが。
そういった経緯があって、ルベルトにとっては初体験の連続であり、どうにも落ち着かないのである。
それに引き替え、ルベルトの左横に座るエリーは興奮していた。彼女の頭のなかは、夕食後のルベルトとのひとときを、どうやって過ごすかを考えることでいっぱいだ。
彼女はルベルトと相対するときはもちろんのこと、常日頃から給仕服を着てはいるが、神殿近くの小屋では食事を共にすることが多くあった。本来給仕服を着るはずのメイドとは一線を画し、千年従者とは、文字通り千年騎士の従者であり、生涯の伴侶となる存在でもある。
グライスナー家はその役目上、千年以上続く由緒ある名家で、それ故に彼女はこの町で屈指のお嬢様でもある。千年従者は他のメイドと着ている服こそ同じだが、多くの使用人やメイドがいるこの屋敷の中では、家族を除けばエリーの考えに異を唱えられる者はいない。
そして、何を隠そう誰よりも挙動不審なのは、ルベルトの左横、エリーからは食卓を挟んで対面に座るレナーテだ。
極度の緊張から、肩に力が入りすぎて、元々小柄な体がより小さくなり、目は泳ぎっぱなしになっている。
「レナーテさん、いかがなされましたか? 随分と落ち着きがないようですが」
「う、うううるさいわね。あた、あたしはこんな、なナイフとフォークなんて使って、料理をたべっ、食べたことなんかないのよ」
大体、こんなものひひひ必要ないのよ。と、ナイフとフォークを交互に見ていたレナーテが、恨めしそうにエリーを睨む。
レナーテの強い想いを知ったエリーは、その態度を軟化させた。丁寧な言葉使いではあるものの、その表情は友人に対するもののように穏やかで優しい。
レナーテは、泣きじゃくる姿を見られていたことに、恥ずかしさは感じているようだが、エリーの態度が変わったことで、随分と言葉にトゲが無くなった。
「レナーテ、きみは普段どんな食事を?」
余りの噛み噛みぶりに、興味本意でルベルトが問いかけると、驚くほどあっさりと、レナーテはこう言った。
「兎とかを、焼いて、そのまま」
時が、止まったかに思えた。
「うさっ…えっ、まるごと!?」
「そうよ。一瞬竜化して、炎で焼いて、丸ごと食べたらすぐにこの姿に戻るの。お腹はパンパンになるから、3日くらいは何も食べなくても平気になるわ」
事も無げに言うレナーテに、ルベルトとエリーは絶句した。
その食事方法であれば、確かにナイフとフォークは使わないだろう。
「兎を…まるごと…」
ルベルトと違い、竜化したレナーテを見たことがないエリーは、その発言を聞いて、彼女が竜であることを実感したほどの衝撃を受けていた。
「でも、しばらくはルベルトと一緒にいるんだから、こういうことも覚えていかなくちゃね。人間らしく生活することも、ちゃんと勉強しなきゃ」
会話によって、少しは緊張がほぐれたのか、微笑みを見せるレナーテ。しかし、エリーはどうしても気になることがひとつあった。
「あの、レナーテさん。このお屋敷にはベッドしかないのですが、眠っている時、寝ぼけて突然竜に戻ったりしないですよね…?」
「失礼ね、そんなことないわよ。ベッドって何かは知らないけど、急に竜になるなんて不可能よ。疲れをとるために眠るんだもの、マナを集めて疲れるようなことはしないわ。ところで今日の寝場所はどこなの? この建物から近い?」
なぜ、先程まで居たはずの客間で眠るという発想に至らないのか、ルベルトとエリーは首を傾げた。これが、千年もの間、浮き世から離れた人間(竜だが)の姿かと思うと、ルベルトの目頭が熱くなる。
「レナーテ、いつも、寝るときはどうしていたんだい?」
「え? ほら穴で、集めてきた落ち葉の上とか、ちょうど良さそうな草を乾燥させて、それを敷いた上で寝てたわ。最近は、人間の文字がたくさん書いてある紙を拾ったから、それにくるまって寝てた。あれ、暖かいのよね!」
同意を求められましても…と、エリーは苦笑いを浮かべる。ルベルトは、人間の文字がたくさん書いてある紙とは何かを考え、それは新聞である、ということに思い至り、熱くなっていた目頭がついに決壊した。
「ちょっ、ルベルト、どうして泣いてるのよ! あたし、そんなに可哀想なこと言ったの? エリー、あんたもどうして目をそらすのよ!」
実際は竜であるため、人間に比べれば遥かに丈夫な体なのだろうが、その光景を想像してしまうと、どうしても不憫に思ってしまう。
会話をしている内に使用人によって運ばれてきた料理を前に、レナーテの今までの境遇を聞いてしまったふたりは、せめてもの慰めに自分達の夕食を取り分けて、レナーテの皿に載せたのだった。
ちなみに、ナイフとフォークの使い方については、料理を食べる前にエリーがしっかりと教え込み、レナーテはたどたどしくもなんとか料理を食べ終えた。
味については、複雑すぎてよくわからなかったようだが、どれも美味しかったようで、食べ終えた彼女の顔は満足気だった。
………。
夕食後、改めて客間に来た3人は、レナーテにベッドというものがどんなものかを教えていた。
「そ、それじゃあここで寝るわけね…このブランケットって布と、シーツって布の間に、あたしが入れば良いのね?」
「そうだよ。レナーテ、試しに入ってみたら?」
ルベルトの言葉に、ゴクリ、と喉をならし、恐る恐るレナーテは敷かれているブランケットに触れる。
「………っ!?」
途端に、バッ、とブランケットから手を離すと、凄い速さで後退り、ルベルトに顔を向けてレナーテは目を見開いた。
「ルベルト!なんかこの布、ふわっ、ってなった!」
「それはそうだよ。このブランケットは肌触りが良い羊の毛で作られているからね。それにとても暖かいんだ。さっき教えた通りに入ってごらん、気持ちいいよ、きっと」
そう、動物の毛でできているのね、と言いながら、レナーテは再度ベッドに近寄ると、ゆっくりとブランケットを捲り、その下に潜り込んだ。
「あぁ…これは暖かい。それに、なんて良い香りかしら。気持ちいい…」
うっとりとした顔で、レナーテは静かに目を閉じた。
「どうですか、レナーテさん。ゆっくりお休みになれそうですか?」
「ええ、これはステキね。さあルベルト、あなたも入るでしょ?」
レナーテはブランケットを捲り、ルベルトに入ってくるように促した。
「レナーテ、それは、ちょっと…いや、きみと一緒に寝ることが嫌というわけじゃない。ただ、婚約もしていない男女が一緒のベッドで寝るというのは…」
そこまで言って、ルベルトは恐る恐るエリーの方を見た。
そこには、東洋の国の伝承に出てくる、鬼と呼ばれる怪物を彷彿とさせる表情をしたエリーがいた。
「レナーテさぁん…あなたという人は…」
「何よ、なんか文句あるわけ? あたしはルベルトに言ってるの。エリーには関係ないわ」
ゴゴゴゴという音が聞こえそうな剣幕で、エリーはレナーテに詰め寄るが、レナーテは全く気にしない様子でエリーを軽くあしらう。
「関係大有りですっ!ルベルト様はこのあと、わ・た・し・とっ! ゆっくりティータイムの予定があるんですから!」
聞き覚えのない約束に、ルベルトは口を開き、抗議を試みようとした。
「え、そんな予定聞いてな」
「ほら見なさいよ!ルベルトだって困った顔してるじゃないの!」
「そんなことありません!困った顔をしているのは、レナーテさんの発言に対してであって、わたしにではありません!」
しかし、全く取り合ってもらえず、その言葉すら途中で遮られる始末。
「あの、ふたりとも、僕の話を聞い」
「ルベルトはどうなのよ!」「ルベルト様はどうなんですか!?」
「え、えぇー…」
終いにはふたりから言い寄られることになってしまい、ルベルトは額に嫌な汗が滲むのを感じた。
(これは、なんとかしなくては…)
しかし、妙案は思い浮かばない。
なんと言おうか惑っている間にも、ふたりの苛立ちは限界に達しつつあるようだ。
えー、あー、と言葉にならない言葉を発し、苦し紛れにルベルトが時間を稼いでいると、トントン、とドアがノックされる音が聞こえてきた。
これはチャンスとばかりに、僕が出るよ、と言いながら、風のような速さでルベルトはドアへと向かった。声をかけて確認したところ、ドア向こうにいるのは、この屋敷の使用人のようだ。
ぶーぶーとふたりからの不満を背中に浴びながらドアを開けると、使用人が頭を深く下げた状態でルベルトを待ち構えていた。
「夜分お取り込み中のところ失礼致します。ルベルト様、エリー様に早急にお耳に入れた方が良いと思われる事態が発生しまして、こうして伺った次第です」
慌ててルベルトが頭を上げるように言うと、失礼します、と言いながら使用人が顔を見せた。
「それで、話とはどのような?」
ルベルトの言葉に、使用人は無言のまま、奥にいるレナーテに目配せした。どうやら、レナーテがいる状態で話をして良いものなのか、判断が出来ないようだ。
「彼女なら構わないですよ。どんなことを聞かせても大丈夫ですから、安心して話を続けてください」
「ルベルト…」
そんな発言を聞いてしまったレナーテは、ルベルトから寄せられる信頼の大きさを感じ、先程までのやり取りを忘れ、どうしても良い気分になってしまう。
そんななか、使用人が、では、と前置きして語った内容は、今までの、騒がしくも暖かい雰囲気を終わらせるのには充分だった。
「巫女様がお目覚めになられました」
「なんだって!?巫女様が…!?」
慌てて巫女を寝かせた客間に行こうとしたルベルトだったが、使用人はそれを手で制した。
「お待ちください、ルベルト様。一点、付け加えさせていただきたいことがごさいます」
「ああ、すみません。つい、気が急いてしまって」
いいえ、と言いながら、使用人が佇まいを正し、一呼吸置く。
「どうやら、巫女様はご気分が優れないご様子なのです。私達の問いかけに僅かながら反応はして頂けるものの、お顔を見せては下さらず、食事も、水も、一切口にされることはありません」
「わかりました、わざわざご報告いただいてありがとうございます。あとは僕たちに任せてください」
ルベルトが言うと、使用人は再度深々と頭を下げ、よろしくお願い致します、と言い残し去っていった。
「と、いうわけだけど、ふたりとも、どうする?」
「わたしは当然ご一緒します!」
すぐさま答えるエリーとは対照的に、レナーテはブランケットにくるまったまま、浮かない表情だった。
「あたしは、もう少し時間をもらうわ…。ふたりには言えなかったけど、あの子が目覚めたのはなんとなく分かってたの。なんていうか、尋常じゃないくらいのマナを感じるのよ。あたし達竜にとって、見過ごせないくらいの、大きな力よ。あたしが竜だからかも知れないけど、凄く不吉な感じ」
しばらくはルベルトと共にいることを決め、この屋敷に残ったレナーテだったが、一緒にいる為には、竜を滅ぼすために目覚めた千年巫女の存在を無視できない。むしろ、ルベルトと共にいるならば、千年巫女と敵対しないことが最低条件ともいえる。
決意はしたが、巫女が目覚めてすぐに説得できるほど、人と竜の関係は簡単ではない。巫女もまた、家族や友人、もしかすれば恋人との時間を、自分の生まれた時代で過ごすことができなかった。千年という時間を、ただ竜を滅ぼす為に越えてきたのだ。
目覚めたらそこは千年後。どんな風に世界が変わっているのかわからない。自分が知っている人たちは、もう遠いご先祖様になっていて、もしかすると想定外の事態が起こり、目覚めることなく死ぬかもしれない。
そんな、誰しもが想像でき、そして誰しもの想像を絶するであろう、恐怖や孤独と共に、千年巫女は眠りについたのだ。
自分が目覚めてすぐに、この竜は悪い竜ではありません、と言われて、はいそうですか、と簡単に信じてくれるとは到底思えない。
むしろ、自らの人生を犠牲にした分だけ、竜族に恨み骨髄であることの方が、よほど自然に思える。
「わかった。それじゃあレナーテはここで待っていてくれ。僕とエリーで、巫女様にお話しして、きみとの約束は果たしてみせる。何があっても、きみを理不尽に死なせたりはしない」
「…うん、ありがとね、ルベルト」
ブランケットにくるまったまま、何かを思い悩んでいるような表情で、レナーテはふたりを送り出した。
「ヴィリバルト…あたしは、あの子とわかり合えるのかな…」
去っていくふたりを見ながら呟いたその言葉は、誰の耳にも届くことなく消えていった。




