千年騎士と紅い竜Ⅱ
レナーテに見送られ、生涯で初めて神殿内に足を踏み入れたルベルトは、その幻想的な雰囲気に息を呑んだ。
建造後、千年は経過しているはずなのだが、外壁もそうだったように、神殿内も、全くと言っていいほど古さを感じない。
(静かだな…)
神殿といっても、建物自体はそれほど大きくなく、白を基調とした天井や壁に、豪奢な飾り模様が彫り込んであるだけで、四方の隅は簡単に見渡せる広さだ。
入り口から真っ直ぐに少し歩くと、最奥に数段の階段があり、ルベルトが立っているよりも高い位置に、なにかを守るように4本の石柱が立っている。
ルベルトは歩みを進め、階段を登っていく内に、石柱の中心には棺が見えた。
この棺の中に、自分や、自分の先祖達が、千年もの長い間守り続けてきた少女がいるのだろうか。
棺を目の前にして、感慨深い思いと同時に、ルベルトの頭の中には数多の疑問が湧き上がってきていた。
千年巫女は不老であると伝えられているが、本当にそんな法術があり、そんなことができるのだろうか。
千年分のマナは、無事に蓄えられているのだろうか。起きた瞬間から竜族を滅ぼそうと行動するのだろうか。
巫女が目覚めたその瞬間、千年騎士たる自分は、どうすればいいのだろうか。
(…いや、これは今更考えても仕方のないことだ。今はただ、巫女様を目覚めさせることのみを考えなければ)
小刻みに数回首を横に振り、よし、と小さな声で己に言い聞かせると、ルベルトは先代からの口伝に従い、左手に持っていた千年盾を、その棺の上にゆっくりと置いた。
すると、どこからともなく青白い光が現れ、ふわふわと不規則な軌跡を描いて、ゆっくりと棺に吸い込まれていく。
今の光は一体何だったのだろう。想像もつかないルベルトが、そう思いながら呆然と立ち尽くしていると、棺の蓋が、ゆっくりと千年盾と一緒に消えて無くなっていく。
蓋が完全に消え失せた棺の中には、自分とそう変わらない歳の女性が、穏やかな表情で、眠るように横たわっていた。
美しい女性だった。
よもや千年も前からこんなところにいたとは、ルベルトには到底思えなかった。
棺の中で千年過ごすというのは、どのようなものなのだろうか。見たところ体に異常はないようで、服も朽ちることなくしっかり着ている。不老というよりは、神殿自体が劣化していないことからも、時間が止まっていたような感覚なのかもしれない。
(さて、これからどうしよう)
代々千年騎士に受け継がれてきた口伝は、巫女が眠っているその場所に千年盾を奉じれば、永き眠りから覚めるであろう、という文言で終わっている。
厳密に言えば、あともうひとつ口伝はあるのだが、それは巫女が目覚めた後のことで、目覚めるまでの過程は、もう何も伝えられていない。
ルベルトの認識では、その口伝にもあるとおり、盾を棺に置き、蓋がなくなった時点で、すぐに巫女が目覚めると思っていたのだが、いくら待っても目覚める気配がない。
こうしてる間にも時は刻々と過ぎており、神殿の外ではレナーテが、町のグライスナー家の屋敷ではエリーが待っていることも考えると、いつまでもこのままではいられない。
ルベルトは困り果て、悩んだ末に、巫女を両腕で抱え、神殿を出ていくことにした。
…神殿を出ると、レナーテがこちらに向かって手を振っているのが見えた。
「おーいっ!無事に終わったー?」
無事というか、なんというか。ルベルトは曖昧な笑いを浮かべながら、レナーテの近くまで歩み寄る。
(こうして見ると、本当に普通の女の子みたいだな)
笑顔で手を振るレナーテを見ながら、そんなことを思っていると、不意に、レナーテの怪我が心配になり、こっそりとレナーテの腹部を見る。どうやら、ルベルトが負わせた傷はもう残っていないようだ。人間とは、自然治癒能力も段違いらしい。
「どうしてか、巫女様が目覚めてくれないんだ」
気を取り直し、ルベルトが言うと、ふぅん、と言いながら、レナーテは腕を組んでしばらく考え込み、ルベルトが抱えている巫女をまじまじと見回す。
「もしかして、精神体と肉体が、まだ完全にリンクしてないのかも。だとしたら、ほっとけばその内、目が覚めるわよ」
レナーテは、その少女のような外見に反して、千年以上も生きてきた竜である。今のルベルトには、その言葉以上の考えも、信じるべきものもないため、レナーテの言葉を信じて、とりあえずはこのまま、町まで行くことにした。
………。
「レナーテ、きみは僕と戦う時以外は、どこで暮らしていたんだい?」
町までの短くはない道中、ルベルトは巫女を抱えて歩きながら、レナーテと言葉を交わしていた。
「どこって、それは森の中に決まってるでしょ。あたしには帰る家もないし、神殿から離れるわけにもいかないしね」
「でも、そんなに人間とそっくりに変身できるなら、町の中でも違和感なく暮らせたんじゃないか?」
「…変身?ぷぷっ…ルベルト、あなたもしかして、何も知らないの?あたしのこの姿、法術かなにかだと思ってる?」
ルベルトの素朴な疑問を聞いたレナーテは、楽しそうに笑いながら言った。
「あたしは、基本的に人間と変わらない見た目が通常の姿なのよ。昔は、自然界にあるマナもたくさんあったから、四六時中竜の姿を維持できてたけど、今は無理。マナを短い時間にたくさん取り込むと、竜の姿に戻れるけど、昔と違って今は自然界のマナも少ないから、取り込み続けるとすぐに疲れちゃうわ」
要するに、短いストローでジュースを飲むのはさほど疲れないけど、ながーいストローで飲むのは、なんか疲れそうでしょ、とレナーテは続けた。
どうやら、竜化するには大量のマナが短時間に必要で、マナが近くに密集していればさほどでもないが、遠くからかき集めなければならないと、その分だけ体力を消耗する、ということの例えだったようだ。
そんな例えでいいのかとも思いながら、ルベルトにとっては分かりやすく、抵抗なく受け入れることができたため、馬鹿にしたものではない。
「それじゃあ、他の竜族もみんなレナーテのように人間の姿をしているのか?」
「うーん…どうなんだろ。あたしはこの千年、他の竜を見てないから。自然界にあるマナが減ってるのは間違いないから、案外みんな人間と上手くやってたりしてね」
そんなことはあり得ない、とはルベルトには言うことができなかった。
竜族を滅ぼすため、千年の眠りについた巫女。その巫女を護るため、ルベルト達千年騎士は戦い、その血を後世に残してきた。
立場的に言えば、人間と竜の共存など到底看過できる話ではない。
しかし、こうして竜であるレナーテと心を通わせた今、竜は悪であり、人間こそが正しいと主張することは憚られた。
「そうだったのか…」
とはいえ、レナーテの姿が日頃から人間と変わらないのであれば、尚更先ほどの疑問が頭を過る。
ルベルトの表情を見て、レナーテは察したように、ルベルトの聞きたかった答えを口にした。
「ルベルト、あたしは竜よ。ぱっと見た感じは人間にしか見えないかもしれないけど、それでも竜なの。あなたはあたしの姿をよーく見て、何も思わない?」
言われて、ルベルトは改めてレナーテの姿を見てみる。
「…腰まであるさらさらとした紅い髪、ルビーのような深紅の瞳。人間でもそうそういない、とても綺麗な女性だと思う」
「あ、ありがと…」
外見を褒められることに対しての免疫が全くないのか、レナーテは頬を染め、だんだんと視線を足元に下げていく。
もじもじと両手の指先を擦り合わせる仕草は、どこからどう見ても、人間の少女にしか見えない。
「って、そうじゃなくてっ!」
ルベルトが穏やかな表情で見守るなか、ガバッ、と顔をあげながら、今だ頬を染めながらも膨れっ面のレナーテが、ギンッ、と音が聞こえそうなほど、力強い目付きでルベルトを捉えた。
ルベルトは、正直な感想を口にしただけなので、レナーテのころころ変わる表情の意味がよくわからない。レナーテは、ポカンとした顔をしているルベルトを気にも留めず、ずいっと顔を近づけた。
「あたし、こう見えても千年以上も生きてるのよ?ずっとこの姿なんだから、町の人が何も思わないわけないじゃない」
それを言われてようやく、ルベルトは納得したように頷いた。
「そうか、人間と同じように歳をとらないから、何十年かすれば町の人が不審に思う。神殿から離れられない以上、違う町に住むこともできないから、ずっと神殿近くの森で暮らすしかなかったのか…」
「そゆこと。あと、細かいことを言うなら、瞳もそうよ。よく見るとわかると思うけど、まあ、今はいいわ」
ルベルトの答えに満足し、平然と答えるレナーテ。その表情は、寂しさや苦労を全く感じさせないが、ルベルトにとっては衝撃の事実だった。
「ひとりの女性に、そんなにも辛いことを強いてきた千年騎士の業を、どうか許してほしい。そして、今日までの長い間ありがとう。これからは、レナーテの自由に生きてほしい。僕にできることがあるなら、協力は惜しまない、何でも言ってくれ」
今日、何回目のことだろう。レナーテは、その瞳を大きく開いて、驚いた表情を浮かべる。あまりの驚愕に、その歩みすら止めてしまう。
「ルベルト、あなた、本気で言っているの?」
ルベルトは、レナーテが何にそんなにも驚いているのか、検討がつかない。
「本気って…まさか僕が言葉だけの人間だとでも?いくら言葉を交わしてまだ間もないからといって、レナーテ、それは僕に対する侮辱だ。まあ、君が受けてきた仕打ちに比べれば、甘んじて受けるより他ないけれど」
ルベルトは、協力を惜しまないという言葉に対して、本気かどうか聞かれたと思っていたのだが、レナーテが聞いたことはそうではなかった。
「ううん、そういう意味じゃないの、ちょっと、ね」
曖昧に答えるレナーテに、首をかしげたものの、ルベルトはそれ以上、何も言わなかった。
(そっか…ルベルトは本気で思ってるんだ。こんなあたしを、女の子扱いしてくれてるんだ…)
レナーテは、足のつま先から、ぞわぞわと何かが込み上げてくるのを感じた。人間ではないから、鳥肌が立つという表現は適切ではないが、とにかく、レナーテには味わったことのない感覚だった。
長い間忘れていた感覚。
心がわくわくする。自然と口角が上がり、気を緩めると笑顔になってしまいそうな気持ち。
(…あたし、嬉しいんだ。ルベルトに女の子扱いされて、凄く嬉しいと思ってるんだ)
そんな風に、生きていることが楽しいと思えるような感情が、まだ自分の中に残っていたことも、その驚きに、より一層拍車をかけた。
気の遠くなるような永い時を、ただ千年騎士のために費やしてきた。最初の百年程は、大変な苦痛だったのを覚えている。皆、自分を一族の敵として睨み付けてくる。脆弱な力しか持たないはずの人間のその瞳が、レナーテには恐ろしかった。
それがいつの頃からか、何も感じなくなっていた。
思い返せば、一言に千年騎士と言っても、色々な人間がいたものだ。
剣の扱いに長けた者。法術の才に優れた者。なかには戦うことに向いていない者もいたし、自分を心底憎んでいた者もいる。
そんな中でも、今目の前にいるルベルトは特別だった、とレナーテは思う。
最後の千年騎士であることもそうだが、ルベルトは自分のことを、敵とは見ていなかったように感じた。それどころか、師を見るようなものであった気さえする。
歴代の中ではルベルトも強い方であろうが、それでもルベルトより強かった千年騎士は存在した。
しかしその強さとは、戦闘に関するもののことであって、レナーテがルベルトを特別に感じたのは、そういった強さを持っているからではない。
ルベルトは根っからの騎士だ。その存在そのものが強く正しい。
ただ強者であるだけなら、何も感じなかっただろう。しかしレナーテは、ルベルトと合間見える日を楽しみにしていた。前日になると、寝付きが悪くなったほどだ。
ルベルトが十歳の少年だった頃から、自分の成すべきことを真っ直ぐに見つめ、努力してきたことを知っている。どんな逆境にも諦めず、力尽きるまで自分と戦ったルベルトを、神殿近くの小屋まで運んだことも数えきれない。
ルベルトも言っていたが、永い時を誰とも関わらずに過ごしてきたレナーテの方こそ、本当はルベルトと話がしたかったのだ。
そう思い至ったとき、レナーテは初めての感覚に襲われていることを自覚した。見聞きしていた恋とは違うような気がする。ルベルトのことをどう思っているのかと問われれば、とても好ましく思っていると答えるだろう。
(ひょっとして、家族愛みたいなものかしら。まあ、血の繋がった一族を千年も見ていたら、そう思ってしまうのかも)
初めての感情に戸惑いながらも、レナーテはそう結論付けて、また歩み始めた。
「レナーテ、町が見えてきたよ。もう少しだ。疲れてない?」
「誰に言ってんのよ。本気になれば竜化して飛んでいけば一瞬で着くのを、わざわざルベルトに合わせて歩いてあげてるんじゃない」
「あはは、それもそうか」
ふたり並んで歩く後ろ姿は、ルベルトが巫女を抱えていなければ、仲睦まじい姉弟のように見えただろうか。
ルベルトとの会話が楽しくて、終始笑顔を絶やさないレナーテは、ひとつだけ気がついていないことがある。
先ほどまで強く感じていた気持ちは、ルベルト以外の歴代千年騎士には、誰一人として感じたことのないもので、その事実が、ただの家族愛を超えていることの証明になることに。
そしてルベルトは、かつてないほどの修羅場を、グライスナーの屋敷で経験することとなる。
2017.11.01 誤字修正




