旅の料理と千年従者の呪い
「あ…」
ぱたん。
「どうやら、今日はここまでのようだね。エリー、レナーテ。野営の準備に取り掛かろうか」
王都ベルセラントを出立してから二日。日も暮れかかったところで、歩みが遅くなっていたリィナがとうとう膝をついてしまった。
ルベルト達が生まれ育った町からベルセラントに向かう道中も含めて、決まってリィナが限界を迎えることで一日が終わる。他の面々は既に慣れたものだ。
「ったく、あんたは体力なさすぎなのよ」
「む…」
笑いながら言うレナーテに、相変わらず表情の変化には乏しかったが、リィナは大人気なく不満を露わにする。
「まあまあレナーテさん。もうそろそろ野営の準備に取り掛かるにはいい頃合でしたから」
「そうだね。最初に比べたら、リィナも大分長い時間歩けるようになってきたことだし、無理するのは良くないことだから」
「まあ、それもそうね」
リィナとは対照的に、さして気にもしていないレナーテは、ルベルトの発言に対して素直な返事をする。
定常化したレナーテとリィナのやり取りを微笑ましく思いながら、ルベルトが道端に落ちていた大きめの石を拾い始める。
「ルベルト、あたしも手伝うわ」
そして、レナーテもそれに続いた。
リィナもただ黙って見ているわけではない。体力は尽きかけているが、這うように馬車の中に移動し、荷物の中から焚き火に使えそうな木の枝や木材を手に取り、外にぽいぽいと放り始める。
それをエリーが拾い集め、ルベルトとレナーテが石を積み上げて作っている、即席のかまどの中心に置いていく。
(こう考えると、旅を始めた最初の頃とは大違いですね)
旅を始めた頃、野営の準備といえばルベルトとエリーの仕事だった。レナーテは初めての体験に興奮するばかりで、好奇心から手伝いを申し出てくれるものの失敗ばかり。リィナは疲れも相まって、動くことすらしなかった。
それが今や、レナーテは持ち前の体力と腕力を如何なく発揮し、ルベルトよりも多くの石を集め、リィナは僅かでも自分の出来ることを探して、エリーのフォローをするようになった。
そのまま数十分が経過し、ルベルトとレナーテが即席のかまどを完成させた頃には、既にエリーが食材の調理に取り掛かっていた。
「法術…『火弾』」
ルベルトが弱い火をかまどに放つと、かまどの中心に用意されていた木の枝が燃え始め、暗くなってきた辺りに優しげな明かりが灯る。
ちなみに、火に限っては火竜であるレナーテの得意分野であり、過去彼女が試したように人の姿であっても法術を使うことができる。かまどへの火入れを「はいはーい、あたしがやる!」と意気揚々に手を挙げたレナーテに、その役目を任せたのは、つい昨日のことだった。
しかし、案の定と言うべきか、レナーテは火力の調節を盛大に誤っり、かまどごと消し飛ばすという事件が起きた。
文字通り、大きな石もろとも空中で燃やし尽くした桁違いの威力に、再度石を集めなければならない苦労も忘れ、ルベルトとエリーは唖然とするしかなかった。
そんなことがあったが、レナーテは既に忘れているのか、何事もなかったかのように振舞っており「次は失敗しないから、もう一回やらせて、お願い!」と言い出す前に、ルベルトはあくまで自然に火入れを行っていた。
「ねえねえエリー、今日のごはんはなぁに!?」
そんな思いから火入れされた焚き火に負けないくらいに、きらきらと子供のような目でレナーテが問いかけると、よくぞ聞いてくれました、とエリーも満面の笑みで答える。
「今日は、わたし達の故郷の伝統料理、ジャガイモのスープです!」
「…じゃがいも? なにそれ…おいしいの?」
「ええ、とっても美味しいですよ。グライスナー家秘伝のスパイスをふんだんに使ったスープは、わたしの得意料理で、ルベルト様も大好物なんです!」
ね、ルベルト様。と目線で問いかけてくるエリーに、ルベルトも思わず笑みを浮かべて太鼓判を押す。
「うん。エリーの作るジャガイモのスープは絶品だよ。僕は普段、長期保存の効く質素な食事しか取れていなかったけど、エリーが食材を持ってきてくれて、一緒に食べるスープは格別の美味しさだった」
「ホント!? 今からすっごい楽しみだわ!」
「…それは楽しみ」
馬車から降りてきたリィナも加え、全員で他愛ない会話をしながらも、エリーは絶えず食材を刻み続け、鍋の火加減を見ることも怠らない。その卓越した料理スキルは、見慣れているはずのルベルトでさえ感動を覚えるほどの達人技だ。
「…まるで法術ね、エリー」
言葉は少ないが、エリーの料理を法術と称したリィナの賛辞は、彼女の生い立ちを考えれば最大級の褒め言葉である。
「わたしは、まともな法術が使えませんし、武芸には疎く戦闘ではお役に立つこともできません。このようなところでしかお役に立てませんから」
「そんなことないわよ。エリーはあたし達にとって必要な仲間だわ。料理だけじゃなく、馬を操るのだってそうだし、色んな知識であたし達を助けてくれる。エリーがいなければ困るもの」
「そう。自信を持っていい。それは、あなたが研鑽し、育んできた、あなただけの立派な力」
「レナーテさん…リィナ様…ありがとうございます」
「エリー、僕はきみを誇らしく思うよ。ありがとう、傍にいてくれて」
「…ルベルト様がお望みになる限り、幾久しく」
三者からの賛美に、エリーは少しだけ照れくさそうにそう答えた。
………。
「このスープ、すっごくおいしい!」
「…美味」
「ああ、やっぱりこれだ。この味が、僕は大好きだよ」
またも起こる賛辞の嵐に、エリーもまた、嬉しい気持ちになりながらスープを食べ始めた。
ジャガイモのスープとはいえ、スープの具材はそれだけではない。煮込むことによって甘さが際立った玉ねぎや、香ばしいベーコンなどが、家庭的で素朴な見た目のスープを彩り、より深みのある味を生み出している。
「できればパンも焼きたいところですが、生憎と火力が足りませんからね」
エリーは少し残念そうに言い、堅パンをちぎってスープに浸し口に運ぶ。
堅パンとは、極力水分を飛ばし、長期保存に適したパンのことで、旅には欠かすことのできない食料である。主食となり得る他の食材としては乾燥させたパスタが挙げられるが、パスタ用の小麦は値段が高く、貴族でない限りは旅に持ち歩かれることはほとんどない。
「火が強ければ、焼きたての美味しいパンを食べられるの…?」
「そうですね。ただ、パンを焼くには長時間安定した火が必要ですし、焼く前の材料は長持ちしませんから…現実的ではないかもしれませんね」
「残念だわ」
最も、かまどを消し飛ばした前科でわかるとおり、レナーテは細かなマナの制御が得意な方ではない。その時点で、仮にパンを焼こうとしてみたところで、焼きあがるパンの美味しさは期待できないのではあるが。
「…そういえば、次の目的地…メル、なんとかって町には、あとどれくらいで到着するの?」
しばらくは料理に舌鼓を打っていたのだが、ほどなく時間が経った頃、レナーテがそんなことを聞いてきた。
「このペースで行けば、あと四日くらいでしょうか。ただ、明日の夕方くらいには、王都とメルヴィルの中間にある村に到着すると思いますので、明日は宿で寝られると思いますよ」
「村かあ…テントで野宿も嫌いじゃないけど、やっぱりふかふかのベッドで寝るのはいいわよね。…そういえばさ、あたしは家族のことを話したけど、みんなはどうなの?」
「「…!?」」
村、という単語を聞いて思い立ったのだろう。レナーテは軽い口調でそう口にしたが、その内容に、ルベルトとエリーは驚きを隠せなかった。
レナーテの家族といえば、ある日突然、リィナが住んでいた集落を焼き払い、大量の人々を殺した竜。父親こそ行方はしれないが、母親はその蛮行の果てに、ルベルトの祖先であるヴィリバルト=ヴァイゼンボルンによって討ち取られた。
そして、リィナの両親は、その際に命を落としている。
その話題は、今の今まで誰もが決して口に出すことはなかった禁忌であり、レナーテにとって苦しい過去でもある。そして更に悪いことに、リィナの逆鱗にも触れかねない。
和やかな晩餐から一転、不意に漂う緊張感に、ルベルトとエリーはニの句を告げることができなかった。
「コハク。あなたにそれを聞く資格はない」
余りにも不敬なその話題と口調の軽さに、案の定リィナが憤怒する。
「…わかってるわよ。でもあたしは、ちゃんと親の罪を受け止めてるつもり。だから最後に行き着くのは、ロクな未来じゃないことも覚悟してる。元々最後はひとりで静かに死ぬつもりだったし、今となっては、あんたに殺されても良いと思ってる」
「…レナーテ」
「だけど、もう少し待って。今死んだら、あたしはきっと後悔するし、ただでは死なない。あんたが詠唱を終える間のほんの少しの時間で、最大限の悪あがきをするわ」
そう言って、レナーテはルベルトを見る。
「コハク、まさか」
「さて、ね」
その視線の意味を悟ったリィナは、珍しく驚きを露わにする。そしてエリー、視線を向けられたルベルトもまた、その意図を察した。
「レナーテ、僕は君に恩返しをするため、できることはなんでもすると誓った。だからその時は、遠慮しなくていい。僕を…「そんなの、ダメです!」」
最後まで言わせまいと、エリーはルベルトの言葉を強引に遮った。
「ルベルト様が、その身を顧みずに命を捧げるとしたら、わたしは…わたしは…!」
「…エリー、安心して。その心配は杞憂。確かに私は千年巫女、竜を滅ぼす者。確かにコハクの発言は許せないけど、今はまだその時ではない」
「ま、そういうことよ。それにあんたも気にならない? ルベルトの両親のこと」
リィナはレナーテに言葉を返すことはしなかったが、顔をルベルトの方に向け、話を聞く姿勢をとっている。
レナーテだけではなく、リィナもまた、ヴィリバルト=ヴァイゼンボルンの血を引くルベルトの家族については、興味があるようだった。
「そうだな…父さんについては、当然レナーテは知っているだろうし、一度リィナにも話したことがあるよね」
「ゲルトラウトのことね。あの子もなかなか強かったわよ。歴代の千年騎士の中では珍しく、剣術、盾術、法術、全部使いこなしていたわね」
自らの父を『あの子』呼ばわりするレナーテに、改めて竜が長命な種族であることを認識させられ、ルベルトは乾いた笑いを漏らす。
「父さんのことは尊敬しているよ。その立ち振る舞いも、立派な騎士だった」
「うーん…そういえばあたし、千年騎士のお嫁さんって見たことがないんだけど、どこにいたのかしら? あの小屋に住んでいる気配はなかったけど、町にいたの?」
「…そうか、レナーテは知らないんだね」
「…え?」
一瞬だけ瞳を伏せて寂しそうな表情をしたルベルトに、エリーがそっと寄り添った。
「ルベルト様。無理はなさらないで下さい」
「なに、どういうことなの?」
「僕の母は、僕が生まれてすぐに亡くなっているんだよ。歴代、千年騎士の妻となった人は、皆そうなんだ」
「…そう、だったの。ごめんなさい。悲しいことを思い出させちゃったみたいね」
「子供を産めば、確実に死ぬ…? そんなこと、ありえない」
レナーテの謝罪に「いいんだ」とルベルトが返している間に、意外なことにリィナが、あり得ないと呟いた。
「リィナ様、それがグライスナー家にかけられた呪いです。グライスナー家に産まれた長女は、心を強引に捻じ曲げられ、望まぬ婚姻を強いられ、千年騎士との間に子を授かった後、我が子の姿を見ることもなく息絶えるのです」
「…ルベルト、ごめんね」
「レナーテ、気にしなくてもいいよ。確かに僕は母の記憶がないけれど、それでも母と呼ぶことのできる存在はいた。父さんも、僕がまだ幼い頃に病で死んでしまったけど、エリーのお母さんやお父さんは、本当の両親のように僕を可愛がってくれたし、年下で妹みたいなエリー、そして姉のように優しい紅い竜もいてくれた。僕はちゃんと、家族の愛を知っているから」
「ルベっ…「いいこ、いいこ」……あ、ん、た、ねぇ! いま、めちゃくちゃイイところだったのに!!」
ルベルトに優しい姉のよう、と言われたレナーテが感極まり抱きつこうとしたのだが、いつの間にかリィナがルベルトの頭を撫でていたことで、それは叶わなかった。
「リィナ…その、顔は…」
しかし、ルベルトの言葉につられ、リィナの顔を見て、レナーテもの勢いも急激に終息していった。
頭を撫でるリィナを見たルベルト達が驚くのも無理はない。信じられないことに、ルベルトの頭を撫でるリィナが、優しく微笑んでいたのだ。
想い人に『妹』扱いされていたことは気づいていたものの、それを紛糾しようとレナーテと同じく飛び出していたエリーもまた、ルベルトに微笑みかけるリィナの姿を見て、動くのを止めていた。
厳然たる淑女であるエリーは、このような場面での雰囲気を察し、自制することができる。
(今日のところは、リィナ様に免じて自粛するとしましょう)
それは、いかなる場においてもルベルトの重荷にはなりたくないという、エリーの千年従者としての矜持でもあった。




