解放の光と精霊術士
「まぶしい…」
およそ二ヶ月ぶりの外の光は、セリスの瞳の奥に突き刺さるような痛みと共に降り注ぐが、薄暗い地下に幽閉されていた彼女には、それすらも心地良いと感じられた。
ルベルト達が施設から出ると、待ち構えていたのは給仕服を着た少女。
「ルベルト様、それにセリスさんですね。お待ちしておりました。私は、エリー=グライスナーと申します。セリスさん、まずはこちらをおかけになってください」
「あ、はい…その、ありがとうございます」
エリーはにこやかな表情のまま、用意していた外套をセリスに手渡した。身体の一部が竜のようになってしまった彼女が、外を出歩くのに気後れしないよう気遣い、身を隠すためのものだ。
「ルベルト様、そちらの方がハリエットさんですね。ルベルト様はこちらをお使い下さい」
そして外套はもちろん、ハリエットの分まである。
セリスに手渡したものよりも一回り以上大きな外套を見ると、ルベルトがハリエット背負っているこの状況まで予測し、準備していたのだろうか。
相変わらずの抜け目のない気遣いに舌を巻きながらも、ルベルトは「ありがとう、エリー」と言いながら、背中に担いだハリエットを巻き込むようにして外套を羽織った。
突然の出来事に困惑しながらも、セリスはぎこちなく外套を羽織りながら、困惑した表情を浮かべた。
「あの、どうしてエリーさまは、こんなに親切にしていただけるのでしょうか…?」
「決まっています」
エリーの言葉には、絶対の自信と、揺るぎない想いが宿っていた。
「ルベルト様が、あなた達を救いたいと願ったからです」
セリスは絶句した。称えるその微笑みには、同性であっても引き込まれるような慈愛に満ちており、自分とそれほど歳が離れていないはずのエリーが、遥かに大人びて見える。
それほど、ルベルトに全幅の信頼と愛情を捧げるエリーが、眩しく見えた。
(私も、いつかこの人のようになれるかな)
思わず、目の前にいるエリーと自分を置き換えて、ルベルトと自分が隣り合って笑っている姿を想像してしまい、セリスの頬に赤みが指した。
「ふふ…」
セリスの想像に気づいたのかは定かではないが、聖母のように微笑むエリーを見ると、伝わってしまったのだろう。セリスは恥ずかしさを隠すように俯いた。
(いけない、お姉ちゃんが助かるって決まったわけじゃないのに、こんなに浮ついた気持ちでどうするの。気を引き締めないと)
しかし小さく首を数回振り、改めて気持ちを律したセリスは、ルベルトに向き直る。
「ルベルトさま、何もかも委ねてしまうような言い方になってしまうのはとても心苦しいのですが、私とお姉ちゃんは、このあとどこに向かえばいいのですか?」
「そうだね。まずはレナーテ、それにリィナと合流しよう。エリー、二人はどこに?」
「はい。リィナ様はセバスティアン様と共に、先日シルヴィア様とお会いした家に向かわれているはずです。レナーテさんは、予定ではすでにここにいるはずだったのですが、今どこにいるのかわかりません」
雲行きの怪しいエリーの言葉に「レナーテが?」とルベルトが首を傾げる。
「わたし達がシルヴィア様と共に馬車で城下に入ったあと、予想通りドラゴニュートが出てきてリィナ様が殲滅したまでは良かったのですが、実はその後、リガレフが現れ、ほどなくして黒い竜が姿を見せたのです」
「リガレフ、それに黒い竜だって?」
「はい、レナーテさんはその黒い竜を追って竜化し、空へ飛び上がりました。しばらくは黒い竜と対峙していたのですが、突然黒い竜が降下を始めたかと思うと、レナーテさんの姿が消えてしまったんです」
「レナーテが!? すぐに探さないと!」
あの強かったレナーテが、別の竜に負ける姿が想像できないルベルトは、狼狽して駆け出そうとする。
「ルベルト様、お待ちください。今ハリエットさんを背負ったまま動くのは危険です。街の人々は突然現れたドラゴニュートに怯えており、これ以上の混乱は避けるべきです」
エリーの正論に、ルベルトは悔しそうに呻きながらも足を止める。
「それに、リガレフの消息が不明なことも気になります。レナーテさんと対峙していた黒い竜は、城下町に物凄い速度で降下してきて、リガレフを回収しどこかに飛び去って行きました。すぐにまた襲ってこないとも限りません」
「そうか…対策を話し合うにも、まずは合流するのが先というところか。それにしても、レナーテは一体どこに」
ル……ト……ォ…
「今、何か声が…?」
「はい、ルベルトさま、確かに声が聞こえました」
囁くような小さな声ではあったが、自分が呼ばれたような気がして、ルベルト、それに同じく声を聞いたセリスが辺りを見回すが、人影はどこにもない。
「ルベルト様、上です!」
「ルベルトーーーー!」
エリーの声に、はっとしてルベルトが空を見上げると、上空からこちらに向かって落ちてくる人影があった。紅くしなやかな髪をばたつかせながら、満面の笑みで落ちてくるのは。
「レナーテ!」
「レナーテさん!?」
「ええ!?」
三者三様に驚きながらも、ルベルトは体を動かすことができない。
なぜ落ちてきているのか、落ち始めてからどのくらいが経っているのかは定かではないが、凄まじい速度でレナーテの姿が大きくなっていく。ハリエットを背負ってなければ、腕を出すこともできたかもしれないが。
(いや、それは無理だ。仮に腕が出せたとしても、僕の腕がもたない)
レナーテは軽い。しかし、ただの人の腕で受け止めることは不可能だ。
「風の精霊よ、世の理に逆らう風を吹かせたまえ…『浮遊』
不意に聞こえた声にルベルトが後ろを向くと、そこには杖のような法具を片手に持った、赤い導師服を着た少女が立っていた。彼女が詠唱を終えると、杖の先から薄い緑色のマナが放出され、地面が目前に迫っているレナーテの周りを覆う。
「今の法術は…?」
ルベルトが見たこともない法術に目を奪われたが、それも一瞬のこと。すぐにレナーテを見ると、落下の勢いは急激に衰え、降下の速度が緩やかになり、やがて音もなくレナーテが地面に着地した。
「ルベルト!」
…ばふっ!
そんな音と共に、着地するやいなやレナーテがルベルトに勢いよく抱きついた。
「ルベルト! 会いたかったわ! 心配してたのよ、怖くなかった? 痛い思いをしてない? ケガは…っ!?」
レナーテの身長は低い。見えていなかったために直ぐに気がつかなかったが、ルベルトを触っていて、肩から血が流れているのに気がついた。気がついてしまった。
「…あんたなの?」
先程までの、人の少女よりも少女らしい満面の笑みとはうってかわって、レナーテは凍てつくような視線でセリスを睨みつけた。すべてを口にしたわけでもないのに「あたしのルベルトにこんな傷を負わせたのは、あんたなの?」と、初めて会うセリスにもわかるほどの殺気を放っている。
絶対強者。背筋が凍りつくような寒さを覚え、セリスはすぐに否定しようとしたが、思いとどまる。ルベルトの傷は確かにセリスが負わせたものではなかったが、それはハリエットが負わせたもの。自分を助けに来たせいで、ルベルトが負った傷だ。
それは、間接的に自分が負わせた傷と言っていい。
「…はい。私が傷を負わせました」
「セリス、それは違う!」
「いえ、ルベルトさま。間接的かもしれませんが、元より私を助けに来なければこのような傷は負っていません。これは、私があなたに負わせた傷です」
咄嗟に否定するルベルトにも、気丈な態度で告げるセリス。
「レナーテさまですね。私はセレスティア=ローウェンと申します。このような不躾な格好で申し訳ございません。ルベルトさまを傷つけたこと、そしてお命を危険に晒した罪は自覚しています。なんなりと罰を」
「レナーテさん…」
心配そうに見つめるエリーに目をくれることもなく、セリスはレナーテに歩み寄り、両膝をついて頭を垂れ、静かに瞳を閉じる。
「…そこまでにするです。火竜のあなたも、水竜の血をわけたあなたも。今回の悪は別にいたです。いま断罪するべき人は、ここにはもういないのです」
見かねた赤い導師服の少女が仲裁に入るが、セリスは身じろぎ一つせず、レナーテもまた納得していないようだった。
「あんた、さっき変な法術であたしを浮かせた人間ね。あのままでも良かったけど、一応お礼は言っておくわ。このたびは、まことにありがとうございました」
「あ、これはご丁寧に、です」
ルベルトやエリーに教わった、人として正しく生きるための作法『お礼や謝罪はきっちりと丁寧に』が急に発動し、今までの険悪な雰囲気を綺麗さっぱり破壊するほどの完璧な謝罪に、赤い服の少女もつられて素で返答をしてしまう。
「レナーテ、僕は大丈夫だから、セリスを許してあげてくれないだろうか。君が僕のことを想って、それほど怒ってくれるのは素直に嬉しく思うよ。ありがとうレナーテ」
ルベルトがレナーテの頭を撫でると、レナーテは「ふあっ!?」と奇っ怪な声を漏らしたあと、頬をうっすらと紅く染めながら。
「ル、ルルルベルトがそ、そう言うなら、いいわ!ゆるしゅ!」
「噛んだね」
「噛みましたね」
「噛んだのです」
つっこみは順に、ルベルト、エリー、そして赤い導師服の少女。
「う、うるさいわね! ほら、あんた、たしかセリスだったわね! あたしが許したんだから、もうこの話は終わり! さっさと行くわよ!」
ぷんすかと見た目だけは怒って見せながらも、バレバレの照れ隠しをしながらレナーテが足音荒く歩みだす。
「あはは、レナーテは本当に素直だなぁ。セリス、もう気にしなくて大丈夫だよ。幸い僕の傷は水の法術であと数分で完治しそうだし、レナーテもああ言ってることだから」
「はい…いずれ、この件についてはもう一度レナーテさまに折を見て謝罪することにします。ルベルトさま、エリーさま、そしてあなたさまも、ありがとうございました」
まだ釈然としないようではあったが、セリスはひとまず納得することにしたようだ。
「…ところで、城下でも助けていただいておいて今更ではありますが、失礼を承知でお聞きします。あなたは一体どのような方なのでしょうか?」
会話がひと段落し、エリーが改めて赤い服の少女に問いかける。
「僕も是非お聞きしたく思います。あの見たこともない法術といい、あなたは一体…」
「うーん…本当に名乗るほどの者ではないのですが、このままでは、わたしの怪しさが大爆発なのです。こほん。わたしは旅の精霊術師、ヴィオラというです。わけあって、生まれ故郷のこの街に一時戻ってきただけなのです」
「精霊術師? 聞いたことがありません。エリーは?」
ルベルトの問いかけに「わたしも聞いたことがありません」とエリーが首を振る。
「そうですね…簡単に言うと、法術は、自然に存在する小さなマナを集めて体に取り込んで使うもの。精霊術は、マナに宿る意思に同調して、そのまま変換して使うこと、と言ったらいいでしょうか」
「マナに宿る、意思…」
「そうなのです。例えば先ほどの術で言えば、風のマナは、風を吹かせようという意思があって風を吹かせるです。その意思に同調して、吹いている風をいろんな方向から一点に集めるように変化させるです。すると、風は上に向かって吹くですから、結果として物を浮かせることができるですよ」
「つまり、上昇気流を意図的に作り出す、ということですね?」
「そうなのです。あなたは賢いのです、いいこ、いいこ」
明確なエリーの回答に、思わず頭を撫でるヴィオラ。
「ありがとうございます…」
少し照れくさそうに、エリーがはにかむ。
「まあ、精霊術を語る上では、まだ先はたくさんあるですが、いまお話してもきっと理解できないと思うですよ。さて、わたしは仲間を待たせているですから、これで失礼するです」
ヴィオラが城下街の門を見やると、人影が小さくふたつある。ひとつは透き通るような青空よりも更に鮮やかな蒼い長髪の少女。そしてもうひとりは、茶色い短髪の少年だ。
「ヴィオラちゃーん、早く出発するのー」
「ヴィオラ、ぼく、おにくが食べたいな!」
ふたりとも、両手をぶんぶんと振っている。あれが、ヴィオラが言う仲間なのだろう。
ルベルト達には、二人が何を言っているのか聞き取ることはできなかったが、ヴィオラにはしっかりと聞こえていたようで、その顔には笑みを浮かべている。
「それでは皆さん。機会があれば、黄昏のその先で、また会いましょう」
ヴィオラは最後にそう告げると、二人の元へ向かっていった。
「…不思議な人でしたね」
「ああ、法術だけじゃなく、マナの扱いにあんな方法があるなんて考えもしなかった。僕にはまだまだやらなければいけないことがあるのだと、痛感したよ」
まだ話の続きを聞きたいとは思ったが、他人を待たせているのに引き止めるのは気が引けたルベルトは、先の戦いも含めて、自らに課題が山積している現状を思い、気を引き締めた。
「…ところでルベルトさま、わたし達はこのあと、どこへ向かうのでしょうか?」
「そうだった。レナーテのことがあって、すっかり説明があとになってしまった。これから、君のお義父さん、セバスティアンさんとまずは合流するよ。詳しい話はそれからにしよう」
「はい!」
久しぶりの父との再会に、ハリエットのことがありながらも、やはり嬉しさを隠せないセリスは、年相応の少女だ。
(あとはロージーだけだ。もうこの施設にはいなかったみたいだし、無事でいてくれるといいけど)
ハリエットが一緒にいるため、戦闘による危険度はかなり減ったと考え、ルベルトとセリスは脱出する際に施設を探し回ったが、逃げ出そうとする研究員を追っていったロージエは、結局見つけられなかった。
ロージエを心配に思いながらも、もうすっかり見えなくなってしまったレナーテを追いかけ、ルベルトたちは合流場所に向かった。
2018.5.25 脱字修正




