再会の姉妹と差し伸べられた手
「行け、No.5!その侵入者と脱走者を殺せ!」
薄暗い地下室に響き渡る男の罵声が石造りの壁に反響した。
「ぐうっ…!」
その声と共に一直線にルベルトに向かってきたドラゴニュートの鋭利な爪が、咄嗟に躱したはずのルベルトの肩を切り裂く。
盾を使えることができれば防げていたかもしれない、しかし、相手の動きが速すぎて盾を構えることすらできなかった。
「ルベルト!」
ルベルトの後ろにいたロージエは、一瞬何が起こったのかわからなかった。
攻撃を避けようとして体勢を崩したものの、惰性を利用して床を転がったルベルトは、その間に背中に担いでいた盾を左手に装備。
追撃を警戒し、盾を構えながら相手の一挙一動を見逃さないように睨みつける。
一瞬の油断も許されない張り詰めた空気の中、隙を見せることをためらって、今だに剣も抜けていないルベルトの額に汗がにじむ。
「お姉、ちゃん」
そんな時だった。背後から、今にも消えそうなほどにか細い少女の声がしたのは。
その声に、一瞬だけドラゴニュートの腕が、ピクリ、と動いたように見えた。
「お姉ちゃん!私だよ、セリスだよ!お姉ちゃん!」
急に動かなくなったドラゴニュートを見て、後ろにいた男が焦っているのが見えた。当然、男は知っている。No.5と自分たちが呼称するドラゴニュートと、対峙する未完成のドラゴニュートが、かつて人間の姉妹だったことを。
「No.5、その出来損ないを先に始末しろ!」
無粋極まりない男の命令など聞こえない。涙を浮かべるセリスは、これまでの、そしてこれからのどうしようもない現状など忘れ、ただ姉との再会を喜んでいた。
「………」
No.5、ハリエットは、動かない。
「今だ…!」
ハリエットの動きを警戒して動くことができないルベルトの脇を、そしてその先のハリエットの横を、ロージエはあっという間に駆け抜けた。
「お前は、昨日連れてきた女兵士!」
「そうさ、覚悟しな!」
ロージエは拳を固く握り締め、闘牛のごとく猛然と男に向かっていく。
「くっ、まだ終わらんぞ、No.5、こちらに来い!」
しかし、ハリエットはついに、男の声に反応することはなかった。
「どうした、No.5! …ちっ!」
「こら、待て!」
不利を悟った男は口を開くのを止め、背中を向けて逃げ出す。
「ルベルト、あたしはあいつを追うよ。残念だが、あたしの実力じゃその子を助けることはできなさそうだ。それに増援を呼ばれちゃマズイからね。ルベルト、頑張るんだよ!」
早口でそう言い残し、ロージエも男の後を追って階段を駆け上がっていった。
(ありがとう、ロージエ。君がいてくれて助かった)
ルベルトは今もなお極限の集中状態を保ちながら、見えなくなっていくロージエの背中に、心の中で礼を言った。
現状、ルベルトにセリスとロージエの二人を守る余力など無い。自分だけを守ることすら怪しいと思っている。どう転ぶかわからない状況の中、ルベルトは一心にハリエットを見続ける。
「お姉ちゃん、私のことを忘れちゃったの…?」
意志のないハリエットの瞳からは、セリスの問いかけに対する動揺も、疑問も、まして愛情など感じられない。感情も何もない、どこか虚空を見ているような、そんな瞳だ。
ただそれでも、セリスがお姉ちゃん、と呼ぶたびに、彼女の腕や顔の筋肉が僅かに動く。
「ハリエットさん…あなたのお義父さん、セバスティアンさんからのお願いを聞き、僕はここにやってきました。あなたと、セリスと、セバスティアンさん。三人で暮らしたいという、その願いを叶えるために」
「…う…」
ハリエットが苦悶の表情を浮かべた。
「お姉ちゃ…」
「うわああああああああああああああ!!!!」
「っ!?」
突然、ハリエットが暴れだし、その両腕を無造作に振り回し始める。
明確な殺意のないその攻撃は、時にルベルトに向かってくることはあれど、地下牢や壁に当たるばかりで、子供が駄々をこねているような、そんな動きだった。
時折「ああああ!」と苦しそうなうめき声を上げながらも、ハリエットは暴れ続ける。
「ハリエットさん、やめるんだ!自分の意思を強く持つんだ!あなたは、こんなところで死んではいけない。あなたが死ねば、セリスも死ぬ。自分の幸せよりも、大切なあなたとの思い出を選んで、死んでしまう!」
「う…うう…」
その言葉に反応し、ハリエットの動きが止まった。
「せ、り、す」
「お姉ちゃん!」
「セリ、ス…」
セリスでさえ諦めていた希望が。戻ることのないと思っていた輝きが、その瞳に宿った。
「それは、ほんとう?わたしがしねば、セリスも、しぬ?」
「はい、本当です」
絞り出すように語ったハリエットは、傍目にはわからないほど僅かに表情を変えた。悲しそうでいて、怒っているような。しかしそれは正しく、姉の顔だった。
「セリス、そんなこと、いったの?」
「だって…だってそうでしょう!?私を守るために、お姉ちゃんはこんなにボロボロになるまで実験に出て、もう人じゃなくなった!もし私がここから逃げたとしても、こんな体じゃどこにも行けない!それに、大好きなお姉ちゃんをこんなところで一人ぼっちにさせて、私だけ逃げるだなんてできないよ!」
「だから、しぬの?」
「そうだよ!死ぬんだよ!全て捨てて、お姉ちゃんと二人で死ぬの!」
「そう」
セリスはゆっくりと腕を振り上げ、その爪をルベルトに振り下ろした。
ガギィン、と固いもの同士がぶつかり合う音が鳴り響く。
「お姉ちゃん!?」
「ハリエットさん、何を!」
その瞳には、今だ輝きが残っている。
「それじゃあ、わたしは、いきる。あなたが、わたしがしねば、しぬのなら、いきる」
ハリエットは尚も爪を振り下ろす。決して早くはないが、盾で防がなければ致命傷を負うほどの力強さで、何度も、何度も。
「やめてお姉ちゃん!ルベルト様は何も悪くない!」
「だって、あなたは、いった。わたしは、いきる。ひとをころす、どうぐとして、へいきとして」
「そんなこと、言ってない!」
「いった」
振り下ろす。
「言ってない!」
「いった」
振り下ろす。
ルベルトはその衝撃に、歯を食いしばってただ耐え続ける。
「言ってない…!」
「いった」
振り下ろす。
「もうやめてよ!!」
セリスの悲痛な叫びに、ハリエットの腕は止まった。
「わかった、わかったからぁ、お姉ちゃん、もうやめて…」
泣きじゃくるセリスを、優しげな瞳で見つめるハリエット。
「ハリエットさん」
「…セリスを、どうか、よろし、く、おねがいしま…」
どさり。
ハリエットは最後に、少しばかりの笑顔を見せてそう告げると、その場に崩れ落ちた。
残った最後の力と、理性を振り絞って、妹のためだけを思い、笑顔を作ろうとしたのだ。
「お姉ちゃん!」「ハリエットさん!」
慌ててルベルトがハリエットを抱きかかえる。
「ルベルト様!お姉ちゃんは!?」
横たわるハリエットの息はなく、脈もない。
しかしルベルトには、それがドラゴニュートにとっての死の判断材料になるかわからなかった。それと同時に、ただなんとなく、ハリエットが死んでしまったとは思えなかったのだ。
「わからない。人間的に言えば、死んでいると言っていいと思う…けど、僕にはそう思えない」
根拠なんてない。ただ、直感的にそう感じた。
「そんな…」
(この違和感はなんだろう。息もしていないのに、僕は何故、ハリエットさんが死んだと思えない?ただの現実逃避なのだろうか? セリスを悲しませたくないだけなのか…いや違う。何かそう感じる根拠があるはずだ、探せ、探すんだ。セリスを絶望させないために、この違和感を、説得力のある理由で言葉にするんだ)
腕の中で安らかに眠るハリエットを見ながら、ルベルトはセリスと初めて会った時のことを思い返していた。
ドラゴニュート。
サファイヤのような蒼色の瞳。
祝福された血。
傷を回復させる、自然治癒力を高める法術。
水のマナ。
(…水のマナ!)
レナーテは言っていた。その瞳の色や、髪の色が、取り込むマナの属性によって変化すると。
セリスやハリエットの髪の毛の色は青く、瞳もまた蒼い。つまり、セリスやハリエットをドラゴニュートにするために混ぜられたのは、水のマナを存在の糧とする竜の血。
(…試してみる価値はあるか)
ルベルトは目を閉じ、周囲のマナを感じた。
「大気に舞う水よ、かの者の内なる力となって、癒しを与えたまえ」
「その法術は…ルベルト様が初めてここに来た時に使っていた…?」
ルベルトが法術を使うと、今まで息もしていなかったハリエットが「うう…」とうめき声を上げた。
「お姉ちゃん!」
「やっぱりそうだ。ハリエットさんはきっと、体内にある水のマナを使い切ってしまったんだ」
「体内のマナを、使い切る…?」
「そう。竜は存在するために、あるひとつの属性のマナを必要とする。元々僕たち人は、竜と違って体内に多くのマナを溜め込むことはできない。だから周りにあるマナを一時的に体内に取り込んで、溢れた分を法術として使う。セリス、きみもきっと、体内にマナを取り込むことなんて意識的にはできないんじゃないか?」
「確かに、私にはそんなことはできません。なにしろ、ここに来るまでは法術なんて使おうと考えたこともありませんから。お姉ちゃんもきっと、そうだと思います。私は、この姿になってから水のマナがなんとなく感じられるようになりました、でも、それと何の関係が…」
「セリスは言っていたよね。人は生まれた時にマナを取り込んでいるんだって。そして、リガレフの言っていたことや、ここに来るまでに聞いた話を整理すると、ドラゴニュートの元となる人たちは意識的に選ばれていることがわかる。さっきまでここにいたロージエや、僕の血にリガレフは興味があると言っていたしね。それはつまり…」
「生まれた時に取り込んだ水のマナの量が、ドラゴニュートとしての力や、自我を保っていられることに関係するってことですか?」
「きっとそうだと思う。もちろんセリスの場合は、ハリエットさんが実験に協力したから、自我を失うのを抑えられていたのはあるだろうけど、ハリエットさんも、水のマナを人よりもずっと多くもって生まれてきていたんだよ。それがここ数日で、水のマナを大量に消費する竜の力を使ったことで急激に失くなって、倒れてしまったんじゃないだろうか」
ドラゴニュートの生命活動にマナが必要不可欠なものだとしたら、マナの枯渇とは死に直結するのだろうが、そこはわずかに残っていた人としての部分が一命を取り留める要因になった可能性がある。
「でもルベルト様、竜の力はマナを使用するだなんて、そんな確証はありません。ルベルト様の法術によって、お姉ちゃんは息を吹き返したことはわかりますが、それが証明されないことには、お姉ちゃんが死なない理由にもなりません」
そうだ。セリスは知らないのだ。
「セリス、僕らの仲間にはね、本物の竜がいるんだよ」
人と共に千年を生きた竜。レナーテのことを。
「ルベルト様と一緒に、本物の竜が…?」
「そう。僕はルベルト=ヴァイゼンボルン。千年前にこのベルセラントに騎士として仕えた、ヴィリバルト=ヴァイゼンボルンの子孫、末裔だよ」
「ヴィリバルト=ヴァイゼンボルン…あの、伝説の騎士の!?」
ベルセラントに産まれたものや住んでいるものなら誰でも知っている。その伝説の騎士の名前や、竜にまつわる話の一部は、絵本やおとぎ話で何百、何千と目にする機会があるのだから。
ルベルトの故郷よりも、少し離れた王都の方がその存在を有難がるなど、予想だにしていないことではあったが、それも今回ばかりは良い方向に働いてくれそうだ。
信じられないといった表情で、セリスは唖然とする。
「実はね、君を救い出す可能性も、その竜の子と考えたんだ。まだ誰も試したことのない方法だけど、リィナのお墨付きも出ているし、自信はある」
「リィナ、さんですか?」
「うん。分かるように言うなら、千年巫女、と言ったらいいのかな」
「千年巫女様!?」
立て続けにセリスが驚くのを見て、ルベルトは少しだけ笑みを浮かべた。
「そうだよ。あともうひとり、エリーという女の子を入れた四人で旅をしているんだ。さっき言った竜の名前はレナーテ。彼女はとても元気で素直ないい子だよ。セリスも絶対に仲良くなれるから」
そう言い切るルベルトの顔は、自信と誇りに満ちていた。
(ルベルト様。あなたは本当に心が広く、大きなお方です。本物の竜や、私のことでさえ、あなたにとっては一人の人間なのですね。私は…)
何かに思いを馳せ、セリスはその竜のような両手を握り締め、神に祈るかのように天を仰いだ。
「詳しい話は、ここを出てからにしよう。結構時間が経ってしまったから、外はもう終わっているだろうからね」
ルベルトは、地面に倒れているハリエットを背中に乗せると、セリスに手を差し伸べた。
「きっとハリエットさんも救ってみせる。さあ行こうセリス。僕と一緒に」
「…はいっ!」
三度目の、その伸ばされた手を、セリスは笑いながらも、しっかりと繋いだ。




