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人竜戦争と千年騎士  作者: むるふ
第2章
33/38

囚われの少女と千年騎士Ⅲ


 ロージエに先導されて駆け下りた階段の先は、ルベルトにも見覚えのある場所だった。蝋燭によって廊下が照らされているものの、辺りは薄暗く、じめじめとしていてカビ臭い。


「セリス!僕だ、ルベルトだ!居たら返事をして欲しい!」


 到着するや否や、先を走っていたロージエを抜き去り、ルベルトは無我夢中で声を張り上げる。


「セリス!どこにいるんだ!セリス!」


 牢のある地下室はそこまでの広さはない。小走りしていたルベルトが、鉄格子が連なる廊下の突き当たりまで辿り着くのにはそうそう時間はかからなかった。


 セリスからの返事がないことに、ルベルトは焦りは募っていく。


(まさか、セリスはもう…)


 ルベルトの脳裏に最悪の可能性が過る。


「ルベルト、あの子はいないのかい?まさか、ドラゴニュートとかいうやつにされちまったんじゃ…」


 ロージエは実際にセリスの姿を見たことがない。セリスが既にドラゴニュートになりかけていることは知らないのだ。


 しかし、その意味はほとんど同じようなもので、()()()ドラゴニュートにされてしまったのではないか。それこそがルベルトの考える最悪の可能性だった。


 幸いにもここに至るまでに会うことはなかったが、施設にまだ研究員が残っていたとすれば、ロージエが脱出した後にセリスが連れ出されたとしてもおかしくはない。


 ルベルト達が寸前で間に合わなかった可能性も否定できなかった。


「だとしても、まだ間に合うはずだ。ロージーがここを出てから、時間はそれほど経っていない。どこかにまだ、セリスはいるはずだ!」


 セリスを探すため、ルベルトは来た道を引き返そうとしたが、ガチャリ、と静謐な地下牢に音が響いたことで、その足を止めた。


「今のは…?」


 二人が音の正体を探すため辺りを観察していると、ある牢の鉄格子の扉がゆっくりと開いたのが見えた。


 ゆっくりと鉄格子にかけられたその手は、人のものではなかった。


「ひっ…!?」


 それを目の当たりにしたロージエの口から、無意識のうちに声が漏れる。


 牢から出てきたのは、人ではない何か。


 完全ではないが、それはロージエにとって、初めて見るドラゴニュートだった。望まぬまま竜の一部を与えられた人間の成れの果て、半人半竜の人ではない何か。


 顔こそ人ではあるものの、顎から首、両腕に青い鱗がところどころ見え、は虫類を思わせるその手は、おおよそ人では有り得ないほど鋭く尖った爪が生えていた。ボロボロの布から垣間見える脚は人のように見えるが、薄っすらと皮膚が青く変色している。


「ルベルト様、どうして、戻ってきてしまったのですか…私は、私は…っ」


 悲しそうなセリスの表情には、どんな想いが隠されているのだろうか。


 そんな少女を安心させるように、ルベルトはその顔に笑みを称えた。


「だって僕らは約束したじゃないか、絶対にまた会おうって。きみもここを出て、幸せになると言ってくれた。だから迎えに来たよ、セリス」


 一人の青年と、人の少女の顔をした得体の知れない何かの会話を、ロージエは呆然と聞いていることしかできなかった。


(そんな…これがドラゴニュート?あたしは、こんなモノにされそうになってたってこと?)


 あり得たかもしれないその可能性を考え、ロージエは震え上がった。


 声は愛らしい少女そのもので、間違いなく数時間前にロージエと語らっていた少女だ。しかし、その異形を見たロージエは痛むほどに心臓を脈動させ、その目を大きく見開いたまま、喋ることはおろか動くことすらできなかった。


 同時にロージエは、ルベルトにも恐ろしいものを感じていた。見る限りルベルトは正気で、何一つ変わっていない。まるで普通の人と話しているかのような自然さが、ロージエの目には逆に異常なものとして写ったのだ。


「ルベルト様、そのお気持ちは本当に、大変嬉しく思います。ですが私は、一緒に行くことはできません」


 ロージエを取り残し、ルベルトとセリスの会話は続く。


「それは、ハリエットさんを置いていくことはできないから?」


「っ!?」


 どうやら、ルベルトの予想は当っていたらしい。


 ルベルトは今のセリスの驚愕ぶりを見て、No.5と呼ばれていたドラゴニュートの少女が、セリスの姉であるハリエットだということを確信した。


「この間ここから逃げ出したとき、最初は三人のドラゴニュートと対峙したんだ。その三人はなんとかなったんだけど、後から来たもう一人がとても強くて、正直僕の力だけではどうしようもなかった。遠目から見て、凄くセリスに似ていたから、僕はきみの名前を呼びかけた。結果的には人違いだったけど、きみの名前を聞いた瞬間、彼女の攻撃はピタリと止んだよ。そして、逃げる僕達の後ろで確かに言ったんだ、セリスを助けてあげて、って」


「そんな、お姉ちゃんが…!」


「その後きみのお義父さん、セバスティアンさんに話を聞いて、僕はここに戻ってきた。きみと、きみのお姉さんを助けるために。もちろん、可能なら他の人も助けたいと思っているよ」


「そう、だったのですか…」


「セリス、きみに聞きたい。きみはまだ、人としての意識を強く保っているけど、きみのお姉さんを含めて僕が見たドラゴニュート達は、到底自分の意思があるようには思えなかった。一度自我をなくしてしまったドラゴニュートが、元に戻ることは可能かい?」


 つまり、ドラゴニュートにされてしまった人は、元の人間に戻れるのかという質問だった。


 セリスは力なく首を横に振る。


「おそらく、無理だと思います…。元よりこの実験は、使い潰す前提の人体兵器を作るものですから」


 覚悟はしていたが、そうか、とルベルトは自らの無力を感じ、打ちひしがれた。


「ルベルト様が会ったというお姉ちゃん意外の人達は、この施設に最初に連れてこられた方々で間違いないと思います。あの方達の実験データを元に、私のお姉ちゃんの実験が進みました。初めの内はまだ意識はありましたが、最後の頃はもう話すことすらままならない状態でした。お姉ちゃんが地下に戻ってこなくなってから、もう一ヶ月ほどが経ったと思います」


 ハリエットの実験が進むにつれて研究員は、真のドラゴニュートが完成したと、上機嫌でセリスに言っていたそうだ。


「私がこのような中途半端な姿で自我を保っていられるのは、きっと、お姉ちゃんのデータを元に実験が進められたからなのでしょう。私にも詳しいことはわかりませんが、近親者であることが、このような結果になったのかもしれません」


 語るセリスは、ただ悲しみに暮れるばかりだった。


 そして、ちらりとロージエの姿を見て、セリスは尚も言葉を紡ぐ。


「私もまた、元の姿に戻れることはないでしょう。このままの姿では、人として暮らすことは到底できません。ルベルト様がこの施設を解放して下さったとしても、私に行くところなどありません。お父様のところへ戻ってもご迷惑をおかけするだけです。救いに来てくださったルベルト様には感謝しています。嬉しい気持ちも本当です。ですが、私はここからは出ることはできません」


 なんという悲痛な表情だろうか。


 ルベルトが話した旅のことを、心の底から羨ましいと言ってくれた少女の面影はどこにもなかった。


「もし、ルベルト様に一つだけお願いできるのなら、二度とこのようなことが起こらないよう、この施設を解放していただいたあとで構いません。どうか私を、殺してください」


 淡々と語られはしたが、その言葉には本気の重さがあった。


 仮にここから出られたとしても、自らに居場所などないことを悟り、少女は絶望し、諦めていた。


「お姉ちゃんが心まで人でなくなったというのなら、私がここにいる理由もありません。それと同時に、生きている意味も無くなったことになります。私達は心のない兵器になることなど望んでいませんでした。難しいことは承知でお願いです。過酷な実験に耐えたお姉ちゃんの命は、きっと長くありません。ほとぼりが冷めたあとにもう一度、ここに来ていただけませんか。そして私を、お姉ちゃんと同じ場所へ送り出して下さい」


 記憶を失くし、王国に仕える男に拾われた姉妹の幸せは短かった。


 少女は自らの最期を、ルベルトに託そうとしていた。物言わぬ兵器となった姉亡き後、人ではなくなってしまった自分を殺して欲しいと願った。


「そんな、バカな話があるか!!」


 しかし、ルベルトは一蹴する。


「僕は認めない。きみも、きみのお姉さんも、幸せに暮らす権利がある。仕える主はいないけれど、僕は騎士だ。人々の暮らしを守る義務があり、それこそが生きる意味。目の前の命を諦めたりなんかしない!」


 それは、傍から聞けば子供じみたわがままのようにしか聞こえなかった。


 諦めないなどと口では言うものの、その実ドラゴニュートになった者が人間に戻れる方法など、元より研究すらされていないのだから。


「ルベルト様、お気持ちは本当に嬉しいです。私は、あなたに綺麗だと言ってもらえて救われたんです。このような姿になってまだ、人のように接してくれるあなたに心の底から感謝しています。だから最後は、あなたの顔を見て終わりたい。この私を見て綺麗だと言ってくれたあなたをこの目に焼き付けながら、笑顔でお別れしたいのです。どうか、お願いします」


 セリスの決意は固かった。


 ルベルトと出会った日から、自らの終わりについてずっと考えて、考えて、考えた末に出た結論が、これだった。


「ルベルト…」


 セリスの独白を聞いている内に正気を取り戻していたロージエは、真剣な眼差しのルベルトの横顔を見ながら、心配そうに見つめていた。


「ルベルト、あたしもあんたの気持ちはわかるつもりさ。でも冷たいこと言うようだけど、戦場で倒れた兵士は、敵に凌辱されるぐらいなら死を選ぶことだってある。あたしが最期を看取ったことだってあるし、中には頼まれて命を終わらせたことだってある。あんたは騎士として、この子の願いを叶える義務もあるんじゃないのかい?」


 ロージエの言葉を聞いたセリスは、ありがとう、と言っているかのように穏やかな表情だった。


「確かに、そうかもしれない」


「ルベルト様、では…」


「でも」


 ロージエに言われてなお、ルベルトは引き下がらない。


「それは、他に選択肢がない場合に選ぶべきことだよ。今回はそれに当てはまらない」


「当てはまらないって、じゃあルベルトは、この子を人の姿に戻す方法を知ってるってのかい?」


「厳密に言えば、元に戻す方法じゃないよ。当然誰もやったことのないことだから、あくまで推測の域はでないけれど、可能性があるんだ」


 ルベルトの言葉に、セリスとロージエは、まさか、という顔をした。


「だからセリス、僕を信じて一緒に来てくれないか。お姉さんは、きみよりもずっと実験が進んでいるから確定的なことは言えないけど、救うための努力は惜しまないと約束する。不安なこともたくさんあるのは重々承知しているけど、それでも僕を信じて欲しい」


「ルベルト様、どうしてそこまで…」


「セリス、僕は言ったよね。僕らの旅の話をした時に、きみも一緒に来ればいいって。その時、きみはなんて言っていた?一緒に行こう。僕は、きみの本当の願いを叶えるためにここにいるんだから」


「私は…」


「ルベルト、他人の決意にそこまで言ったからには責任はとれるんだろうね。そうでないなら早めに撤回しな。生半可な希望なんて、叶えられなかった時の絶望が増すだけだ」


 ロージエの厳しい言葉には説得力があった。本物の戦場を経験してきた彼女は、現実の厳しさが嫌になるほど身に染みているからだ。


 彼女の人生観で言えば、貧しいときに与えられたパンの味は格別だが、ただ無条件に与えられる施しなど有りはしない。どこかで必ず、そのツケを払わなければいけない時がやってくる。


「ロージー、僕は決して軽い気持ちで言っているわけじゃないよ。僕をここに送り出すために、城下では僕の仲間達とシルヴィア姫が戦ってくれている。だから今は説明している時間がないけど、成功させる自信はあるんだ」


 数秒、場を沈黙が支配する。


 ロージエは値踏みするように、ルベルトの目を見たまま動かない。ルベルトもまた、ロージエの瞳から目を逸らすことはなかった。


「わかった。そこまで言うなら止めやしないさ」


 ルベルトの覚悟は、その瞳を見ればわかる。


「ありがとうロージー。きみの気持ちは確かに受け取った。その心配を必ず跳ね返して見せる」


 あえてロージエが厳しい言葉をぶつけたことも、ルベルトにはしっかりと伝わっている。最早言葉は不要と、ロージエは力強く頷いた。


「さあ、セリス。共に行こう」


 改めてセリスに向き直り、ルベルトはその手をセリスに伸ばした。


 それは、ルベルトと心を通わせたあの時、取りたくても取れなかった手。もう二度とこないと思っていた救いの手が、再度セリスに伸ばされたのだ。


 セバスティアンと、姉と、自分。三人で暮らした幸せな日々が突然崩壊した時から、身がすくむような恐怖の毎日だった。


 妹を実験に参加させまいと、進んで犠牲になり続けた姉の背中を、セリスはただ見ていることしかできなかった。


 日に日に口数が減り、表情も失っていく姉を見て、大丈夫ではないことを知っていながら、大丈夫、としか声をかけれなかった。


 姉がこの地下牢に帰ってこなくなってから、姉が本当の意味で帰ってくることはもうないのだと、薄々気がついていた。故にセリスは、姉を一人にはしない、自分はここから逃げ出さないと、心に決めていた。


(私だけが助かる可能性があるだなんて、そんなの、やっぱりだめだよね…お姉ちゃん)


 もしかすれば、セリスは助かるのかもしれない。元通りとは行かずとも、普通の日常が戻ってくることもあるのかもしれない。


 しかし、ハリエットはもう手遅れだろう。ルベルトが如何なる手を尽くしたとしても、セリスには姉が助かるとは思えなかった。


 姉を見捨てて、一人で孤独に生きるくらいなら、いっそ。


(ルベルト様。二度も伸ばしていただいたその手を拒むことを、どうか、お許し下さい…)


 セリスは、ルベルトの差し伸べた手を取ることを選ばない。ハリエットが戻らなくなったその時から、救いの手を求めることを止めたのだ。


 最後まで、自分の心は姉と共にあると、そう決めていた。


 ルベルトがなんと言おうと、心優しいセリスには姉を裏切るようなことはできなかった。


 だからセリスは、首を横に振ろうとした。


 袋小路となった狭い廊下の出口から、男の怒号と共に、青いドラゴニュートがルベルト達に向かって駆け出してきたのは、そんな時だった。

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