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人竜戦争と千年騎士  作者: むるふ
第2章
30/38

千年巫女の法術と紅い竜の少女


「始まった」


「そのようでございますね」


 王城の頂。王都ベルセラントの象徴とも呼べる大きな鐘の前には、リィナが悠然と立っていた。


 その後ろには、片膝をついたセバスティアンが侍っている。


「ドラゴニュートは、来る?」


「おそらくは。シルヴィア様が帰国したとなれば、リガレフ様も黙ってはおりますまい。十中八九、間違いないかと」


「人々は、大丈夫…?」


「はい。今日に備えて、陛下と私の方で一部の騎士や貴族達には話を通してございます。万が一ドラゴニュートが人々を襲うようなことがあれば、民の避難を行う手はずになっております。抜かりはございません」


 一部の貴族は、リガレフに絆されてアントニオを見限ってしまったものの、まだ半数以上はリガレフの統治を静観している。賢王と呼ばれるだけあって、アントニオのカリスマ性は健在と言っていいだろう。


 人の心の機敏に疎いリィナは、民意をシルヴィアに向ける今回の作戦に関して、詳しいことはわかっていなかった。


 リィナはなぜか漠然とした不安を感じていたが、セバスティアンの強い断言に、それは気のせいだったと胸を撫で下ろした。目覚めてから初めて力を使おうとしているため、自身が不安を感じるのも無理はないのかもしれない、とも思う。


「セバスティアン、あなたの尽力もまた、今日まで民や貴族の目を晦ませなかった要因と言っていい。それは誇るべき事」


「はっ、有り難きお言葉でございます」


 二人はそんな会話をしながら、遠い眼下に見える馬車の姿と、シルヴィアの帰国に歓喜する人々を順に眺めていた。


「人の営み、暖かな笑い声、繁栄する街。どれもが皆、リガレフによる支配を求めてはいない」


 リィナは相変わらずの無表情で、そう呟いてから数分間動かなかったが、やがてゆっくりとセバスティアンに目配せした。


「こちらをお使い下さい」


 彼女の意図を察知したセバスティアンが手渡したのは、リィナの身の丈ほどもある長杖。その先端には透き通った紫色の宝石が埋め込まれていた。


 杖の先端からその柄に至るまで、リィナはじっくりと眺める。


「いい子ね」


 半生近く王国に仕えてきたセバスティアンも知り得ぬほど昔から、ベルセラント王国の国宝として奉られていたその杖は、リィナの手の中で、その力を必要とされることを喜んでいるようにも見えた。


 目を閉じ、リィナは意識を自らの奥底に集中させる。


 マナの流れを、体の内側から徐々にその長杖に移すようなイメージを思い浮かべる。


 聞こえるのは風と、自らの鼓動だけ。


「リィナ様、来たようです」


 セバスティアンの声に、リィナは目を開ける。


 眼下には七体のドラゴニュート。自我はなく、まるで徘徊する死人のように、その歩みは遅い。


 しかし、その歩みの遅さ故に底知れぬ恐怖がある。人々は叫び、逃げ惑い、その混乱の声がリィナの耳にも届いた。


 やがて、人々の視線が自分に集まってくる。その中には自らを激励するような一際強い視線もあった。


「火竜の顎門(あぎと)、水竜の爪甲(そうこう)、風竜の主翼(しゅよく)、土竜の要脚(ようきゃく)。全ては(わざわい)の祖にして破滅へと(いざな)う元凶。我ら人類の叡智たる御霊の業を以って、此等全てを塵芥(ちりあくた)と為す」


 長杖に埋め込まれている宝石が、淡く輝き出す。


「天嬢の怒りよ、彼の者等に裁きを。『重力圧縮(グラヴィティプレス)』」


 リィナが詠唱を終えると、淡い光を放っていた長杖が眩いほどの輝きを放った。


 その場所からは遠く離れた全てのドラゴニュートが、敷き詰められた石畳が割れる音と共に、見えない何かに押し潰されたように一瞬にして、半身が地面にめり込んだ。


 慌てふためいていた人々も、余りにも早い事態の沈静化に戸惑い、それまでが嘘のように静まっている。


「これが…千年巫女様の力、なのですか」


 その法術の圧倒的な威力に、セバスティアンが絶句する。その間にもリィナの法術は収まることはなく、見えない力にもがくドラゴニュート達は、次第にその四肢の動きを緩めていく。


 セバスティアンや街の人々が驚くのも当然のことだ。この時代、世間一般に使われる法術とは、それ単体で戦況を一変させるような大規模なものではなかった。


 竜に対抗するために人族が生み出した法術は、その昔は自然に存在するマナが豊富だったこともあり、今よりは格段にその威力は高かったと言われているが、それでもこれほどではなかっただろう。


 いかに法術師といえど、広範囲に分散させて尚、これほどの威力を見せつけたリィナの真の力は、誰にも推し量ることなどできない。


「リィナ様、大丈夫ですか!?」


 唐突にふらっ、とよろめいたリィナに気づき、セバスティアンは慌てて立ち上がり肩を貸した。


「…目覚めてから初めて力を使ったから、少し目眩がしただけ。溜め込んでいたマナの量が膨大すぎて、必要な分だけに抑え込むのが難しい。使うマナの量を少なく絞り過ぎた」


 これほどの法術でも、溜め込んでいるマナの量には一切の影響がないほど、微々たる量であるらしい。


 少しでも加減を誤れば、この城下町など一瞬で壊滅させられるのではないかと、その力の片鱗を見たセバスティアンは慄いた。


「私は元より体力がない。膨大なマナを制御するのは、思ったよりも疲れる。これからの課題。あとは、任せる…」


 そう言って、リィナの身体からふっと力が抜けた。


 セバスティアンは心配になり、リィナの口元に耳を近づけるが、どうやら、眠りについてしまっただけのようだ。


 幸いにも『重力圧縮』で潰されたドラゴニュートは、全てが既に息絶えているようで、現状でリィナの出番が再度来ることはなさそうだった。


 リィナに肩を貸したまま、無事に役目を終えたことに安心してひと息吐いたセバスティアンは、その場から離れようとした。


 しかし。


 風を切るゴオッ、という音と共に、自分の足元…城の中から強大な何かが、物凄い勢いで飛び出して行ったのである。


「あれは、竜!?」


 ドラゴニュートによる人的な被害はゼロと言って良かったが、禍々しいその竜の姿に、セバスティアンは王都の危機がまだ去っていなかったことを知った。


 …………………。


 リィナが放った法術が、歩み寄ってきていた全てのドラゴニュートを無力化したことで、民衆は「おおおおお!」と雄叫びにも似た歓声を上げていた。


「凄い、何だ今のは!?」

「あれって法術なのか!?」

「まさか、でも、助かったぞ!」


 歓喜に沸く民衆を見て、シルヴィアは人知れずほっとしていた。


(良かった…これで、この国にも平和が訪れる…)


 問題は残ったリガレフだが、彼が研究施設を主導していたのはこの国では周知の事実。研究施設を隅々まで開示し、彼のやってきたことを公にすれば、民も完全にシルヴィアを信用するだろう。


「あれが、リィナ様のお力…」


「やっぱり、敵に回したくないわね。エリーは驚いてるようだけど、あれでも、リィナの力のほんの一部に過ぎないのよ。やろうと思えば、この町…いえ、大陸だって、一瞬にして消し飛ばすこともできるはずだわ」


「大陸を一瞬で、ですか…」


 エリーはそれを聞いて、不思議と怖いとは感じなかった。


 それどころか、自分がこんな気持ちを抱くのは失礼とわかっていながらも、その境遇を不憫だとすら考えてしまう。


(リィナ様のお力は、望んで手に入れたものではなくて、ただ竜を滅ぼすためだけに与えられたもの。一人の人が抱えるには、これほど途轍もなく、大きすぎる力だったのですね…)


 目を伏せるエリーだったが、それとは対称的にレナーテは明るい声色だった。


「ま、失敗しなかったようで何よりだわ。あたしの出番なさそうだし、早くルベルトと合流しましょ!」


 パチ、パチ、パチ。


 研究施設へと足を向けようとしたレナーテを遮るかのように、不意に、誰かの手を叩く音が不気味に木霊した。


「素晴らしい法術だったね、さすがは千年巫女だ」


「リガレフお兄様!?」


 シルヴィアの驚きの声に、エリーとレナーテはその男を睨み付けた。


「リガレフ、皇太子殿下…」

「あんたが…!」


 いつの間に近くに来ていたのか。もしかすると、民衆に紛れて最初からそこにいたのかもしれない。


「やあシルヴィア、久しぶりだねぇ」


「は、はい…」


 久しぶりと言うリガレフは、その言葉ほど歓待していたようには思えない。口元には笑みを浮かべているが、その目は笑っておらず、明らかにシルヴィアを威圧している。


「リガレフ様!先程の得体の知れないやつらは、本当にリガレフ様がお作りになった兵器なのですか!?」

「あれは何なのです!?我々をどうする気だったのですか!」

「もうたくさんです!私達の生活を元に戻してください!」


 アントニオが病床に伏してから、リガレフはこれまで一度も民の前に顔を出さなかった。中にはドラゴニュートに関係のないことも含まれているその糾弾は、リガレフに対しての不満が色濃く感じられる。


「生活を元に…?うんうん、いいよぉ、ぼくは優しい王さまだから、ねぇ!!」


 その中の一人の言葉を面白くないと感じたのだろうリガレフは、あろうことか、詰め寄った民の腕を、腰に差していた剣を抜き切り飛ばした。


「ぎゃあああぁぁ!!」


 血飛沫が、辺りを真っ赤に染めていく。


「何ということを!お兄様、貴方という人は!!」


 尻餅をついて悶え苦しむ男性に近寄り、両腕を広げて庇うシルヴィアを見て、リガレフは面白そうにニタァ、と笑った。


「それで、どうするんだい?シルヴィア、お前に何ができる?」


「わたくしは…わたくしはっ…!」


「避けるです!」


 リガレフに睨まれて、身をすくませているシルヴィアの横を、民衆をかき分けて飛び出したのは一人の少女だった。


「ああ、こんなにも血が出てるです。待っていて下さい、斬られた腕は…!」


 赤い服を着たその少女は、切り飛ばされた腕をなんの躊躇もなく持ち上げると「少し痛むですが、我慢するのですよ」と切断された箇所にその腕を優しく押し付けた。


「ひいぃぃ、痛い!痛いぃぃ!!」


「男子たるもの、これしきのことで弱音など見窄らしいのですよ!我慢するです!」


 少女の一喝に、涙を浮かべながらも口を引き締める男性。


 少女は持っていた杖のような法具に、意識を集中する。


「光の精霊よ、人を癒やす奇跡の祝福を与えたまえ…『治療(キュアー)』!」


 切断された腕と、少女が持っていた腕の先の継ぎ目が、薄っすらと白く輝いた。


 みるみると、男性の腕が繋がっていく。


「な、なんだ、これ…痛みが消えていく…腕が、手が動く!?」


 どうやら、少女が法術のような力で、男性の腕を治したようだ。


「腕が治っただって?」

「奇跡だ、奇跡が起きた!」


 少女の成した所業に、人々は歓喜する。


「油断は禁物なのです。腕は繋がったですが、失った血は戻ってないのです。もう少し遅ければ、どうなっていたかはわからないのですよ。安静にしておくです」


 少女は優しげな笑みを男性に向けたが、それも数瞬のこと。腕を切られた男性が、別の男性達によって運ばれていくのを最後まで見届けることなく、少女は城の方を見上げた。


「安心してはいられないですよ、皆さん。これからが、本番なのです!」


 少女が見上げた先には、薄っすらと赤みを帯びた黒い竜。


 竜はその大きな翼を広げ、猛スピードでこちらに向かってきている。


 少女は、失われるかに思えた人の命を救って見せた。シルヴィアも、震えながらも気丈にリガレフに立ち向かった。エリーも、今日に至るまでの準備を相当量手伝っていたし、リィナだって、自分の役目を果たした。


 ルベルトも、今は頑張っているはずだ。


「あは、あははは!いいぞ、いいぞ!これから始まるんだ、ぼくによる、ぼくのための物語が!」


 竜を見上げ、その顔を狂気に染めるリガレフを見て、レナーテはその拳を強く握りしめた。


 …これで、自分だけ何もしないわけにはいかない。


 それでなくとも、リガレフという目の前の人間に、尋常ではない怒りを感じているというのに。


「あんたは王の器じゃない。何が面白いのよ、自分の物語ってなによ。そんなものの為に剣を振るって、守るべき民を傷つけたのだとしたら、あんたに生きる価値なんて、ない!」


 レナーテが激しく息を吸い込み、その怒りと共にマナを急激に集め始めた。


「レナーテさん!まずはあの竜をなんとかしなければいけません!街の人々の安全が最優先です!」


 憤怒しているレナーテに、エリーの言葉は届いただろうか。


『グオオオォォォォ!!』


 レナーテが、ついにその姿を竜に変えた。


「竜が2頭も!?」

「きゃあああ!!」

「逃げろ!」

「あの子はどこに行ったんだ!?」

「もうダメだ、殺される!」


 地面が揺れるほどの咆哮。近くにいるだけで焼け焦げてしまいそうなほどの熱波。神々しいまでに紅く、きらびやかな竜鱗。


 人々は、そこに立っていたはずの少女がいなくなり、突如として強大な竜が現れたことで、大混乱に陥った。


「皆様、落ち着いて下さい!紅い竜は味方です!」


 シルヴィアが、竜化したレナーテを味方だと説得するが、圧倒的な力を目の当たりにしたこの状況では、誰も冷静でいられるはずもない。


「闇の精霊よ、人の心を侵す霧を晴らしたまえ…『精神鎮静化(メンタルカーム)』」


 見兼ねた赤い服の少女がまたも術を使うと、人々の混乱は徐々に収まっていく。


「こんなことまで…あなたは、一体…?」


「…そんなことは些細なことなのですよ。まずはこの現状を打破するのが先決なのです」


 切られた腕を治すような治療や、人の精神を安定させる法術など聞いたこともないエリーの呟きに、上を見たまま険しい表情を崩さない少女はそう答えた。


 竜となったレナーテは、辺りに熱風を巻き起こしながら翼をはためかせ、黒い竜に向かって一直線に天空へと飛び出した。



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