焦燥の王の間と姫君の帰国
ベルセラント城、王の間。
玉座に座るリガレフは、落ち着きなく貧乏揺すりしながら、その顔を苛立ちに染めていた。
「どういうことなんだ!シルヴィアが急に戻ってくるなんて、ぼくは聞いてないぞ!」
兵士から、留学していたシルヴィアが、近日中に帰ってくるという報告を受けたリガレフは、跪く兵士に掴みかかろうかという勢いで怒鳴り声を上げる。
つい先日も、この王の間で癇癪を起こしたリガレフに、兵士が一人斬り殺されたばかりだ。跪く姿勢を維持しながらも、命を奪われる恐怖に、兵士の額には大量の冷や汗が浮かんでいる。
「おい、ジェラール!お前は何か知らないのか!?」
「…え?」
ジェラールという名前に、兵士は思わず顔を上げ、リガレフをまじまじと見つめる。
兵士が驚くのは当然だ。王の間にはリガレフと自分しかいないはずなのに、自分の名前ではない第三者の名前が出てきたのだから。
「聞こえているんだろう、ジェラール!」
「……!?」
二度目の怒鳴り声に、突如として玉座の後ろから姿を現した黒マントの男を見て、兵士は声が出ないほど驚愕した。
「やれやれ。他の人間が見ているというのにオレを呼ぶなど、相当焦っていると見えるな」
男はリガレフを見ながら嘲笑うが、狼狽するリガレフは男の表情を見る余裕はないようだった。リガレフは少しのことでも癇癪を起こすため、見ている兵士は生きた心地がしない。
「そのシルヴィアという人間が戻ってくると、貴殿にどのような不都合があるんだ?たかが一人、なんの問題がある?」
「そんなの決まっている!シルヴィアは僕達兄弟の中では一番民に慕われていたし、父上も兄上も、シルヴィアを可愛がっていた。ドラゴニュートはまだ完成していない、この国をぼくのものにするには、時間が足りないじゃないか!」
どうやらリガレフは、自分が民から慕われていない自覚はあったらしい。普段は大物ぶって喋っているが、たかがこれしきのことで化けの皮が剥がれたリガレフを見て、ジェラールと呼ばれた男は憐れみすら感じていた。
大方、現在王都にいる王族で、王位継承権を持っているのは自分だけだが、シルヴィアが帰ってくれば勢力が二分してしまうことを危惧しているのだろう。
(人間の言葉では確か、茶番、と言うのだったか。この程度の人間、使い潰すのは惜しくはないが…)
男は一瞬の間考えると、リガレフに告げた。
「つまり、そのシルヴィアという人間が戻れば、貴殿に反感を持った民が、その人間を担ぎ上げて反旗を翻す可能性があるということだな?」
「そうだ。今はまだ準備段階で、ほとんどのドラゴニュートが戦力にならないから、力で民に恐怖を植え付けることができない。これは由々しい事態だ!」
「貴様の父親はどうした?あの人間を殺せば、自ずとこの国は貴様のものになるのではないか?」
男は、リガレフを試していた。
ここで、安易にその様な行動に走るのならば、この男は早々に切るべきだろう。
「そうしたいのは山々だが、それはできない。父上に何かあれば、人質をとって恭順させている有力な騎士や貴族が黙ってはいないだろう」
(ほう…)
どうやら、少しは考える頭が残っているようだ。
独裁とは、力や権力がある者にはある程度の利益を与えなければならない。
武力を持った義に厚い騎士や兵士達は、今は人質を取ることで恭順させているものの、主君が殺されたとあっては黙ってはいられないだろう。それを抑えつける為に、わざわざ毒を盛って衰弱という形でアントニオを死に追いやっているのだ。
そして、金を持っている貴族達には、税金の引上げを免除し、潤沢な資金を手にさせることで、反感を抑えている。そんな貴族達に属している兵士達は、リガレフに従うしかない。
「では、あのセバスティアンという人間はどうだ?奴は貴様の父親と繋がっている。野放しにしておけば、いずれ障害になるだろう」
「わかってる。でも、セバスティアンを直ぐに殺すのも、父上と同じ理由で不可能だ。先に追放した父上に近しい騎士や貴族はともかく、セバスティアンは顔が広く、能力も高い。何れは始末するつもりだけど、今はまだその時じゃない」
(いいだろう…貴様の研究にはまだ利用価値がある。まだ切りどころではなかったようだな)
「確かに少々準備不足感は否めないが、補う手段はある。ここは計画を前倒しにしても良いだろう」
「しかし、ドラゴニュートはどうする。あれはまだ戦力としては不十分だぞ」
「あれらには人間に恐怖を与える役割だけ担ってもらえばいい。時を見て、オレが直々に出る」
「そ、そうか!お前が出るのなら、研究所が潰されることもないだろう!その手があった!」
見えてきた光明に、リガレフは途端に上機嫌になった。
「して、そこの雑兵をどうするつもりだ?ここまで聞かれたからには、生かしてはおけまい」
言いしれぬ重圧に、今まで口を噤んでじっとしていた兵士は、びくっ、と体を震えさせる。
「そうだなぁ。そこの兵士、兜を外して顔を上げてよ」
恐る恐る、兵士はリガレフの言われたとおりに兜を外して、リガレフを見上げた。
「ふふん。声が高いと思ったら、女か。なかなか整った顔じゃないか」
女性兵は、リガレフ声色や表情を見て、今までとは全く方向性の違う恐怖に怯えた。
「ここで殺すのはちょっと惜しいね。よし、僕のお気に入りに追加することにしよう」
この瞬間、女性兵は絶望した。リガレフの言う『お気に入り』が何をされるものかはわからないが、ろくな事ではないのは想像できた。
「…そのシルヴィアという人間は、殺しても構わないのだろう?」
リガレフの趣向などどうでも良いと言わんばかりに、呆れている事を隠そうとしないフードの男が話題を逸した。
「もちろんだ。あの集落を焼き払った時のように、鮮烈に、痛快に、事を運ぶんだ!」
「命令される筋合いなどないが、物語の始まりにはインパクトが必要だ。言われなくてもそうするさ」
物語の始まり、という言葉に、実の妹を殺すことに欠片ほどの躊躇もなく頷いたリガレフは、自らがこの国の、果ては世界の王として君臨する物語を夢想し、高笑いした。
(無論、貴様の物語などではない。我らが女王による、人間を破滅へと誘う物語だ)
フードの奥から、赤い瞳がギラギラと光っていた。
…………………。
「シルヴィア様、おかえりなさい!」
「お姫様ー!」
「ご無事で何よりです!」
「姫様、お綺麗です!」
南門から王城へ続くメインストリートには、大勢の人々が詰めかけてきていた。
馬車に乗るシルヴィアは、民の歓迎に笑顔で手を振り答えている。
(皆さん、ごめんなさい。わたくしは、ずっとこの街に居たというのに…心が痛いです)
浮かべる笑顔とは裏腹に、シルヴィアの心は民を欺いているという罪悪感でいっぱいになっていた。
「姫様、お顔が陰っていらっしゃいます。笑って、笑って」
王国に仕える給仕服に身を包んでいたのはエリー。彼女は生まれてこの方、殆どをこの様な姿で過ごしていたため、往年の臣下のように堂に入っている。
「レナーテさんも、笑って、とまではいかなくても、もう少し緊張を解いて下さいね」
「わ、わわわわかってるわよ。あたっ、あたしだって、立派なしょくじょなんだから」
エリーの隣でかみかみのレナーテの表情は、大変強張っていた。
生まれて初めて給仕服を着た瞬間から、ずっとこんな調子である。
馬車の中を民が見れるわけではないにしろ、シルヴィアが馬車を降り立つ時には、不審に思われないように悠然としてもらわなくてはならない。
(ルベルト様、リィナ様、セバスティアン様の方は、上手く行くでしょうか…)
今この場にルベルトとリィナ、そしてセバスティアンはいない。
一同は今日、三手に別れて行動している。
その中でもシルヴィアとエリー、レナーテの三名は、留学からの帰国を大々的に誇示し、民を集める役割を担っている。
エリーはセバスティアンに代わりシルヴィアの補佐として残り、レナーテはリィナが失敗した時や、不測の事態に備える保険として帯同している。
協力することを決めた会談から数日間の間に、レナーテが竜化できることは確認した。万が一の場合はレナーテが竜となって事態を収めることになっている。
「…そういえばレナーテさん、本当に竜だったんですね」
そのときの光景を思い出してか、はたまたレナーテの緊張をほぐすためか、エリーは今でも疑っています、というようなニヤついた笑みを浮かべた。
「あんたねぇ、実際に見ておいて、まだそんなこと言うわけ?ルベルトもリィナも、最初から認めてたじゃないの」
「それはそれですよ。わたしは、今まで竜が人のような姿になれるなんて知らなかったですから。実際に見ても、なんだか信じられないです」
(ああ、わたくしもお話に入りたい…!)
笑顔で手を振りながら、シルヴィアは背後から聞こえる話を聞いてそんなことを思っていた。
実を言えばベルセラント、更には王家において、ルベルト達を取り巻く関係は有名だった。
ヴィリバルト=ヴァイゼンボルンを騎士として認め、数多くの竜と死闘を繰り広げたベルセラントでは、伝説の騎士ヴィリバルトの名は、おとぎ話や絵本にも出てくるほど世間に認知されている。
余りにも騎士時代の栄光が強すぎて、その後の千年騎士になったことなどは一般的には広まっていないものの、王城に保管されている古い書物には、ありありとその顛末が記されている。昔から本を読むことが好きだったシルヴィアは、俗物的な言い方をすれば、その物語のファンなのだ。
竜を単騎で退ける伝説の騎士、ヴィリバルト。
その騎士を愛した悲恋の巫女、リィナ。
呪いを受け、望まぬ婚姻を強いられた少女、ヒルデ。
盟約により千年を人のために縛られた竜。
これだけでも、十分な物語性があるのにも関わらず、数日という短い間ではあるが、千年を経て脈々と受け継がれてきた面々と話し、シルヴィアは更に惹かれていた。
「でも、それだけ普段が人と何ら変わらない証拠です。実際に見たわたしでも信じられないくらい、レナーテさんは人族らしいということですね」
「………ありがと」
(ああ、ああ!レナーテ様、可愛いです!)
背後で頬を赤く染めているであろうレナーテの表情を想像して、振り返るのを懸命に我慢するシルヴィア。
ヴィリバルトの血を受け継ぐ、最後の千年騎士ルベルトの実直で優しい人柄。
千年従者エリーの献身的な姿。
今を必死に生きようとする千年巫女リィナ。
まるで本当の人間と見紛うような千年竜レナーテ。
この話を、いずれは本にして、後世に語り継がせたいと本気でシルヴィアは思っている。
「そういえば気になっていたのですが、レナーテさんが竜になる時、着ている服はどうなっているんでしょうか?この間見せていただいたときは、服は普通に着ていたような気がしますが」
「うぅん…あたしにも詳しくはわからないんだけど、別に服が弾け飛んだりはしないわね。竜になる時の感覚を伝えれば良いのかしら?」
そう言って、ゆっくりと進む馬車の中で、ああでもないこうでもないと、エリーに一生懸命に説明するレナーテ。
「なるほど…つまり、竜になるというよりは、竜の姿を纏う、という方が近いのでしょうか。マナを集めて、そのマナを実体化させるような、そのような感覚なのですね」
「うん、それに近いかもしれないわ!」
(ああ、ますます会話に入りたい…!)
そんな会話をしている内に、エリーの目論見通りか、レナーテの緊張は大分とほぐれたようだ。
エリーは、震えていたレナーテの手が治まっているのを確認し、微笑んだ。
「…?なに笑ってんのよ。あたしの顔に何かついてるの?」
「いいえ、何でもありません」
エリーの態度に釈然としないながらも、レナーテがそれ以上何かを口にすることはなかった。
背後の会話から、エリーがレナーテの緊張を察して、上手くほぐしたことを感じたシルヴィアは、暖かい気持ちになった。
(本当に素敵な関係です。わたくしも、いつかは皆さんと…)
シルヴィアが夢のような光景に想いを馳せた瞬間。
遠くから、ドン!という音が聞こえたかと思うと、シルヴィアを歓迎していた民達が、ざわざわと騒ぎ始めた。
「なんだ、何か起きた?」
「遠くの石壁が、急に壊れたみたいだ」
「何か見えるぞ?人か?」
「きゃあ!何あれ!」
「人…違う、何なんだあれ!?」
民たちが、何かを確認し、それは徐々にパニックになりつつあった。
「来ました、ドラゴニュートです!」
馬車の扉を開け、身を乗り出して遠くを確認したエリーが、シルヴィアとレナーテに向けてそう報告した。
数体のドラゴニュートが、こちらに向けてゆっくりと歩んできている。
「いよいよね…」
「ええ、シルヴィア、行って参ります」
シルヴィアは、穏やかな雰囲気が消えたことを名残惜しく感じながら、今までのにこやかな表情を引き締めて、馬車から降りていく。
「皆様!落ち着いてください!!」
精一杯声を張り上げるシルヴィア。
「姫様、どうしたんだ?」
「どうしたの、早く逃げなくちゃ!」
「待て、姫様が何かおっしゃられようとしているぞ」
「皆様、あれはリガレフが秘密裏に研究を進めていた兵器です!人と竜を交わらせ、命令のままに蹂躙し、この国を支配たらしめんとする、非人道的なものです!」
シルヴィアがそう言ったことによって、人々の混乱は多少ましにはなったが、収まったとは言えない状態だ。
「わたくしは、リガレフの野望を事前に察知し、とある大法術師の方にご協力いただけるようお願いして参りました!皆様、王城の頂をご覧になって下さい!」
シルヴィアの言葉に釣られ、人々が王城の頂、時を知らせる役割や、有事の際には打ち鳴らされる大きな鐘を見上げると、そこには人影があった。
ここからは遠く、逆光を浴びるその人影は、いつからそこにいたのか。シルヴィアの凱旋に夢中になっていた人々は、言われて初めて気がついたのだ。
「さあ、出番よリィナ。しくじらないでよ」
レナーテは、祈るように呟いた。
2017.11.20 誤字修正




