王国執事と竜の恋
約束の十九時。ルベルト達は考えた末、最低限の対策として宿を引き払い、馬を別の厩に預け、馬車の荷物を積み替えた上で、手紙で指定された酒場に足を運んでいた。
あの後城下町を散策したのだが、手がかりを掴むことはできなかった。結局のところ、状況を打破するには、罠だとしても誘いに乗るしかなかったのだ。
「さあ、どう来るかはわからないけど、行ってみようか」
先頭のルベルトが酒場の入り口に手をかけた瞬間。
「誰!?」
最後尾にいたレナーテが、背後に気配を感じて振り返ると、そこには人差し指を口元に当てた初老の男が立っていた。
「しっ、お静かにお願いします。セバスティアンでございます。皆様をお迎えに上がりました、どうぞこちらへ」
全員が閉口したのを確認すると、両手を上げ、敵対する意思はないことを示しながら近づいてきたのは、セバスティアン=ローウェンその人である。
突然の登場に、リィナを覗いた一同、特にレナーテの表情が訝しげに歪んだ。
「あんた、なんでお店の中じゃなくて外にいるのよ」
「あなた方に危害など加えるつもりはございません。昨日の件も含めてお伝えしたいことがあるのですが、まずは場所を変えさせていただきたい。何でしたら私を縛り付けてもらっても結構ですが、時間が惜しまれますので、その際はなるべく早めにお願いします」
セバスティアンから敵意やマナの気配は感じられなかったが、昨日のこともある。一行は悩んだが、セバスティアンには腰の辺りで手を組んで歩くようにさせ、尚且つレナーテが直ぐにでも竜化できる体勢をとりながら歩くことで、ひとまずは良しとした。
それは、下手な動きをすればレナーテが竜化して暴れまわり、城下町の人々や建物をただでは済まさないという意思表示だ。セバスティアンが国に仕える使用人であるからこそ効果が見込める、言わば脅迫である。
レナーテが竜化できるかは試してはいなかったのだが、レナーテを竜と認めているセバスティアンにとっては相当な脅威のはずだ。
「なるほど」
ちらりとレナーテの首元を確認したセバスティアンの呟きは、誰の耳にも届かないほど小さかった。
物々しい雰囲気にも全く動じないセバスティアンに着いて歩くこと数分。到着したのは、住民達の家などが点在する王都の西ブロックの中でも、外周壁に近い古びた家だった。
「こちらになります」
…もし罠があるとすればこの先だ。
ルベルトは身構え、エリーは緊張にコクリと喉を鳴らし、レナーテは今にも竜になろうかというほどのマナを取り込んでいる。警戒するルベルト達をよそに、リィナだけは相変わらず平常運転だった。
セバスティアンは慣れた手つきで家屋に入ると、棚に置いてあった蝋燭を手に取り、火を灯した。
暗がりがオレンジ色に照らされ、部屋の輪郭がぼうっと見えてくる。日は完全に落ちていたため、外観では古いことしかわからなかったが、建物は相当年期が入っているらしい。
「皆様、足元にお気をつけください」
上品な物腰に加えて、まるで客人を扱うような態度に毒気を抜かれつつあったが、油断は禁物とルベルトは気を引き締め直した。
ある部屋の扉の前で立ち止まったセバスティアンは、扉を数回ノックして「セバスティアンでございます」と告げた。どうやら、中には人が居るらしい。
一体、この先に誰が待ち受けているというのか。
先に部屋に入ったセバスティアンが、どうぞ、と開けた扉を押さえながら、ルベルト達に部屋へ入るよう促す。
何が待っているのかわからないルベルトは、このまま部屋に踏み込んでいいのか惑った。
(この人の狙いはなんだ。昨日は陛下に引き合わせようとしていたようだけど、まだ僕達に会わせたい人がいるというのか?)
昨日ルベルトが連れ去られたのは不測の事態という可能性もあるが、断定はできない。手紙という手段を用いている点では違うが、パターンが似ていることもあって、ルベルトには懐疑的な考えしか思い浮かばない。
「セバスティアン、どなたをお連れしたの?」
そんなルベルトの耳に聞こえてきたのは、小鳥がさえずるような愛らしい少女の声。
「千年巫女であるリィナ=クリングベイル様を始め、我が国の人と竜における言い伝えに纏わる方々をお連れ致しました」
無垢な声を聞いて意を決したルベルトが部屋の中に入ると、そこには豪華とは言えないが清潔感のあるドレスを召した、幼いながらも凛とした表情の少女がいた。
「そうでしたか、皆様、お初にお目にかかります。わたくしはシルヴィア=マリーナ=ド=ベルセラント。王位継承権は第四位、ベルセラント王アントニオの娘でございます」
「王様の娘、ということは、お姫様ですか!?」
エリーの声にルベルトは慌てて片膝をついた。当然ながらエリーも同じように片膝をついている。
レナーテは二人を不思議そうに見るだけで、リィナもまた、その場に立ったまま動こうとしなかった。慌てふためくルベルトとエリーを見たシルヴィアは申し訳なさそうに眉を寄せる。
「お二人とも、そのような扱いはよしてください。わたくしは確かに姫ではありますが、それは肩書だけのようなもの。むしろあなた様方のような偉大な方たちを、このような瑣末な部屋に招き入れることこそが失礼かと案じております。どうか顔を上げて、そちらにお座りください」
あまりにも姫に似つかわしくない恐縮した態度に、呆気にとられるルベルトとエリーを尻目に、リィナは言われたとおり早速椅子に腰掛ける。レナーテはその場から動かず、腕を組んで品定めをするかのようにシルヴィアを見つめていた。
「皆様、姫もこう言っておられますので、是非お休みになって下さい。まずは一息つきましょう、私が紅茶をご用意して参ります」
セバスティアンに勧められるまま、意外な人物との邂逅に混乱しているルベルトとエリーは、考えることを放棄して立ち上がると、椅子に腰掛けた。
なんと言っていいのかわからず、しばらく無言の時が流れたが、こんな時に空気を変えるのは、やはりレナーテの一言だった。
「気に入らないわ」
レナーテの発言によって、ただでさえ明かりが頼りなく暗い部屋に、重苦しい雰囲気が追加されることとなり、王族に対して庶民的な考えしか持ち合わせていないルベルトとエリーは、青息吐息。
「私もコハクの意見に同意する。部屋に入る前に聞いたあなたの言葉から、この一連の騒動はセバスティアンが主導していることは確実。セバスティアンは家臣。主筋であるあなたに無断で私達を引き合わせる道理がない」
更には、リィナまでもがレナーテに同意してしまい、責められるような格好になってしまったシルヴィアは困り果てた。
「そう、ですよね」
彼女にとってもルベルト達の来訪は思わぬ事態であり、その質問に答えたくとも、明確な答えなど持ち合わせていなかった。
「リィナ様の言い分はごもっともですな。では、その辺りについては昨日の件も含め、私からお伝えしましょう」
トレイに五人分のティーカップを乗せて現れたセバスティアンは、重苦しい空気をものともせずに紅茶を淹れ、自分以外の分をテーブルに置くと、立っているレナーテに座るよう促した。
レナーテはどうやら、ルベルトが昨日受けた仕打ちに苛立つあまり、リガレフの関係者には打ち解けた態度をとることはできないようだった。ふん、と悪態こそついたものの、自分が座らなければ話が進まないことを察してセバスティアンに従ったのは、まだこの二人を完全に敵とは思っていないからだろう。
「それでは改めまして、千年巫女であるリィナ様。我が国における伝説の騎士、ヴィリバルト=ヴァイゼンボルンの血を引くルベルト様。その従者として選ばれた由緒あるグライスナー家のエリー様。そして千年竜様、ようこそベルセラントへおいでくださいました」
なんであたしだけ名前を呼ばないのよ、とレナーテは思ったが、呼ばれ方にある程度の敬意は感じたため、寸前まで出かかった言葉は呑み込んだ。
「セバスティアンさん、レナーテは千年竜などという名前ではありません。どうかレナーテとお呼び下さい」
しかし意外なことに、セバスティアンの何気ない言葉に大きな憤りを表したのは、当のレナーテではなくルベルトの方だった。
ルベルトの静かな怒りを受けて、セバスティアンは直ぐさま自らの発言を謝罪する。
「大変失礼致しました。それでは以後、レナーテ様と呼ばせていただきます」
レナーテは、頭を下げるセバスティアンの姿など目に入らないくらい、ルベルトの心遣いに感激していた。
千年間を過ごした町を出てから、自らを竜と知っている人間と、ただの人だと思っている人間の違いを目の当たりにしてきた。数はまだ少ないが、これまでの経験と、今のルベルトの言葉で確信したことがある。
それは、ルベルトの考えや対応が特別であること。
実は、人化した竜を見分けることはそれほど難しくはない。ルベルトと出会った時に少しだけ話したのだが、人と人化した竜では姿形は似ていても、その瞳には明確な違いがある。
レナーテの瞳はルベルトが形容してきたように、まるで宝石のように透き通っており、尚且つ深い紅である。瞳の色自体は、得意とするマナによって人族でも紅く染まっていることもあるのだが、純度の高い火属性のマナだけを取り込むレナーテの瞳の色は、濁りを知らない。
人の大多数が竜という存在を見たことがない今の世の中では、それを判別しようとも思わないだけで、れっきとした違いがそこにはあった。だからこそ、それを知っているセバスティアンのような人間は、自分を人の言葉が話せる竜として扱うのだが、過去に戦争という種の存亡をかけた戦いがあった以上、そうなることが自然なのだ。
しかしルベルトは、自分を竜と認識した上で、あくまで人と平等に接する。更に言えば、それは人間の女性と何ら変わりない扱いであり、それがレナーテにはたまらなく嬉しかったのだ。
もう、誤魔化すことなどできない。
レナーテはこの瞬間、完全に自覚した。
(ああ、あたし、ルベルトが好きなんだ)
エリーとルベルトが仲睦まじく話しているのを見ていると、なぜかもやもやするのも。
リィナがルベルトと二人で旅立つと宣言した時に、絶対に譲ろうとしなかったのも。
ルベルトが拐われたと知った時の激情も。
ルベルトに守られた時の、あの胸の高鳴りも。
全ては、この思いに繋がっていた。
あまりの嬉しさに涙を浮かべていた自分に気が付き、千年もの間緩むことのなかった涙腺が、ルベルトのせいで最近では緩みっぱなしだなと、レナーテは思う。
そして、なぜ自分は人間ではなく竜なのだろうと、その運命に気付き、ただ落胆した。




