渦巻く陰謀と不審な手紙
「ん?ぼくの聞き間違いかな?よく聞こえなかったから、もう一度言ってよ」
「は、はい!昨日捕らえたルベルト=ヴァイゼンボルンが、研究所の牢より脱走した、とのことです!」
ベルセラント城、王の間。
王座にどっかりと腰掛けているリガレフの前には、片膝をついて頭を垂れる兵士が、怯えるように二度目の報告をしていた。
報告の内容が聞き間違いでないことを確認した(というより、あえてもう一度言わせた)リガレフは、無表情を装ったまま重い腰を上げ、ゆっくりと兵士に詰め寄る。
その手には、ベルセラント王家に代々伝わる宝剣。
「そ、れ、は、逃げられた、ってことかな?」
「も、申し訳ございません、リガレフ様!」
リガレフは、全く笑っていない瞳を見開き、口角を上げて口元だけの笑みを浮かべた。
「そうかそうか、キミたちは本当に、無能だね!」
途端に、リガレフは宝剣を鞘から抜き、首を切り落とさんばかりの勢いで兵士の首元に向かって剣を振り下ろした。
「ひいっ」
寸前で止められた剣に声にならない声を上げた兵士は、リガレフが剣の名手でもなんでもないことを知っている。王族である故に少しばかりの訓練は受けているが、彼には剣の才能などなく、寸止めとなったのは奇跡的なことだ。ほんの少しでも力加減が変わっていたなら、兵士の首は飛んでいただろう。
恐怖に震える兵士の首に、リガレフは少しだけ剣を押し込む。兵士は硬直して体を動かすことができず、その首元からはうっすらと血が滴り落ちた。
「セバスティアンを呼んできてよ、大至急ね」
凍りつく兵士の表情に満足したのか、リガレフがそう告げて剣を鞘に収めると「直ぐにお連れして参ります!」と慌てて立ち上がり、兵士は全速力で王の間から走り去った。
「やっぱり兵士と言えど、所詮ただの人か。ああすれば少しくらい面白いかと思ったけど、つまらなかったなあ」
そう呟いて剣を鞘に戻したリガレフは、あろうことか由緒正しいその宝剣を無造作に放り投げた。
ドスンと王座に座り直したリガレフは、眼前に広がる赤い絨毯を眺め、ふふん、とほくそ笑む。
「ああ、やっぱりこの玉座は最高だ」
しばらくはそうして悦に浸っていたリガレフだったが、先程の兵士の報告を思い返し、徐々にその顔を不機嫌そうにしかめていく。
「そうだ、あいつに逃げられたって話だったな。ぼくにとっては別に使い道がなかったからどうでもいいけど、逃げられたのは面白くない」
しばらく考え込んだリガレフが「お前はどう思う?」と虚空に問いかけると、玉座の後ろから、黒いマントに身を包んだ男が音もなく現れた。
「些細な問題だ。元よりあの男は本来の目的ではない。いずれ機会も訪れよう、貴殿の好きにするが良い」
低い声色でそう言った男の顔はフードで隠されており、その表情を見ることはできない。
「ふん、聞いてみただけだ、言われなくてもそうするよ。それと忘れるな、ぼくはこの国の王だ。その気になればお前のような輩なんて、一瞬で消し去ることもできるんだぞ」
「やれるものならやってみるがいい、と言いたいところだが、今は我らが女王の安全が最優先。その言葉、肝に銘じておくことにしようか」
黒マントの男が不敵に笑ったのを見て、リガレフはまた面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「なんであの火竜に執着するのかさっぱりわからないね、別にお前でもいいだろうに」
「我らには我らの矜持がある。人間の考えなどオレにも理解できんし、しようとも思わん。今はこうしているが、敵の敵は味方というだけ、やはり我らとは相容れぬ存在だな」
その言葉を聞いたリガレフは、くっくっと笑い声を上げた。
そこへ、先程の兵士に呼ばれたであろうセバスティアンが到着する。
「セバスティアン=ローウェン、御身の前に参上仕りました」
「やあ、よく来たねセバスティアン。実は折り入って、きみにお願いしたいことがあるんだ」
玉座の前でうやうやしくセバスティアンが片膝をつき頭を垂れると、リガレフは相変わらずの下卑た笑みを浮かべた。
つい先程までリガレフの横に侍っていた黒いマントの男は、いつの間にか姿を消している。
「はっ、どのようなご要件でしょう」
「ぼくの大切な研究所から逃げ出した悪い虫がいるみたいでね、このままじゃぼくの気が収まりそうにないんだ。虫を探して、駆除してくれないかな?」
「悪い虫、でございますか」
「そうだよ、逃げ出した虫も含めて、同じような虫が三匹いる。ああ、竜は生かしたまま捕らえるんだよ、ぼくは研究対象としての興味しかないんだけど、残念ながらあれは予約済みでね」
リガレフの言葉に、セバスティアンは苦渋の表情で頷くより他なかった。
「ドラゴニュートはもう完成が近づいている。きみもよくやってくれたよ、本当にご苦労さま。あはっ、あはははは!」
使用人も、近衛兵すらもいない王の間に、リガレフの無邪気な笑い声だけが響いた。
…………………
「ねえ、ルベルト、起きて。ルベルト、起きてってば」
「ん、んん…レナーテ…?」
優しい刺激にゆっくりと目を開けたルベルトは、ルビーのような綺麗な紅い瞳を見て、寝惚けながらも目の前にいるのがレナーテだと知覚する。この光景をもしリィナが見ていれば「私の時と起こし方が違う」と文句を言うに違いないが、ルベルトが見回したところ、今はリィナ、そしてエリーは部屋にはいないようだ。
「おはよう、レナーテ。エリーとリィナは、どうしたんだい?」
目をこすりながら尋ねてくるルベルトを見てレナーテは、おはよう、と優しげな微笑みを返す。
「ふたりとも、朝早くから城下町に行ったわ。リィナは眠そうだったけどね」
ということは、明け方近くまで夜更かししたのにも関わらず、レナーテは相変わらず早起きし、出て行く二人を見ていたのだろう。自分だけが寝こけていた事実に、自らの不甲斐なさを嘆くルベルトだったが、レナーテは「気にしないでいいのよ」と優しく諭した。
「ルベルトは相当な量のマナを使っていたもの、あたし達よりも疲れていて当然だわ。エリーもリィナも、そのことはわかってた」
釈然としない心持ちだが、そう言われてこれ以上とやかく言うのは野暮というもの。ルベルトは起き上がって顔を洗うと、改めてベッドに腰掛けていたレナーテに向き合った。
「それでレナーテ、何かあったのかい?」
「そうだった、ねえルベルト、これ見てよ!」
レナーテが見せてきたのは、一通の手紙だった。
エリーとリィナが部屋を出てからしばらくしてのこと、眠っているルベルトを起こさぬよう、ルベルトの寝顔を眺めつつ、たまに頬をつついてみたり、時折頭を撫でたりしてニヤニヤしていたレナーテは、扉越しに気配を感じて、その手を止めた。
そのまましばらくは扉を睨んでいたレナーテだったが、扉下の隙間から手紙が差し込まれると、やがて扉越しの気配は遠ざかっていった。
その手紙こそ、今レナーテがルベルトに手渡したものだ。
「なるほど、中は見てみたかい?」
ぼうっと外を眺めていたら、扉の下からこんな手紙が、とそれだけの説明を受けたルベルトの問いかけに、あらましの大部分を秘匿したレナーテは、目を泳がせながらふるふると横に首を振った。
「どうかしたのかい?」
不審な様子のレナーテを気づかい問いかけるルベルトに「なんでもないわ、ほ、本当よ?」とレナーテはぶんぶんと激しく手を振る。
「何もないならいいんだけど…じゃあ、開けてみようか」
部屋に置いてあったペーパーナイフを手に取って便箋を開けると、手紙の差出人は、セバスティアン=ローウェンだった。
「セバスティアンさんからの手紙だ」
「なんて書いてあるの?」
手紙には、昨日の対応についての謝罪と、どこから情報を得たのか、ルベルトが閉じ込められていた施設から自力で脱出したのを耳にしたこと。そして、今日の十九時に城下町のある酒場で待っている、ということが書かれていた。
手紙を読み終えたルベルトは、レナーテにその事を伝えるが、これから起こすべき行動について判断が出来ずにいた。
セバスティアンが敵、あるいは味方なのかは未だに不明であり、そもそもこの手紙をセバスティアン本人が書いたという確証もない。しかし、合流場所として指定してきたのは、人目につく時間帯の、それも大衆が割拠する酒場であり、こちらへ危害を加えるつもりはない配慮とも受け取れる。
ただ、セバスティアンから語られるであろう内容は、無論大衆酒場で話すようなことではないだろう。合流の後にはおそらく場所を移すことになり、そこに何らかの罠が仕掛けられている可能性は考えて然るべきだ。
「ルベルト、どうするの?」
「うーん、僕だけではなんとも判断が難しいかな。ただ、これといった手がかりがない以上、誘いに乗ることも考慮しなくてはいけないと思う」
「そうね。まあ、あの二人もお昼頃には一旦帰って来るって言っていたから、まずは相談してみましょう」
時刻はもう昼にさしかかろうというところ。レナーテの言葉に異論はなかったルベルトが紅茶を淹れた数十分後、二人はほどなくして帰ってきた。
挨拶もそこそこに、城下町の屋台で買ってきたというホットサンドを食べながら、ルベルトは二人に手紙のことを話す。
「セバスティアン様からの手紙ですか。確かに、信じて鵜呑みにするのは危険かと思います。ですが、半日城下を散策したわたし達も収穫はありませんでしたので、このままやり過ごすというわけにもいきませんね」
手紙がここに届けられたということは、つまりは宿泊している場所を相手に知られているということ。危険と考え、保身を第一に行動するのであれば、ここを出るのが理想的だろう。
しかしルベルトは、捕らえられていたセリスを置いたままこの街を出て行く気は毛頭ない。よって、街を出るという選択肢を採らない以上、セバスティアンの誘いに乗る乗らないは別に、宿泊先を変えるなどの対策も必要だ。
「泊まっていた場所を知られたルートが分かれば、それなりに対策の立てようもあるんだけど」
「少なくとも、この部屋の安全性が疑われる以上、ルベルトとコハクをここに置いて行くのは危険。気がついたら囲まれている、という事態は避けるべき」
「そうですね、木を隠すなら森の中、とも言いますから、いっそのこと全員で城下を歩いていた方が安全なのかもしれません。衆人監視の目があれば、リガレフも自国民を巻き込んで騒動を起こすとは思えませんから、まだ日がある内は大丈夫かと思います」
「それじゃあ、また街にいけるのね?あたし、まだまだ見たいところがあるから、賛成!」
ルベルト、リィナ、エリーと続き、最後に発せられたレナーテの声に危機意識を感じなかったエリーは、当然口を挟もうとした。が、その後に続けられた言葉と、何よりもぞっとするほどの雰囲気に息を飲み、エリーは口を噤む。
「ただ、もしルベルトが襲われるようなことになったら、あたし、遠慮なんてしないから」
それは暗に、ルベルトに危害が及ぶならば、街の人々を巻き込むことも辞さないと、レナーテは言っている。
レナーテの固い決意に、リィナは思う。
(この場合コハクは悪?滅ぼすべき存在なの?だめ、わからない…)
人知れず、リィナの葛藤は続いていた。




