待望の帰還と夜の会談
ルベルトは駆けた。
夜の帳が下りた街を、全力で走った。
賑わいを尽くした、石畳の道。
笑顔に溢れていた街並。
つい数時間前までの眩い世界が、まるで夢だったように。
あたりは暗く、静寂な闇に満ちていた。
荒く吐き出される息を感じながら、レナーテはしがみついていた。
いつの間に、こんなにも大きくなっていたのだろう。
少年だったルベルトが、体を盾に、その背中で自分を守ろうとするなんて。
あの時出会った少年に抱えられて、まるで人間の少女のように、心をときめかせる日が来るだなんて。
この時間が、もっと長く続けばいいのに。
そんなことを思いながら。
ドアを開く音に、最初に反応したのは、エリーだった。
「ルベルト様!レナーテさん! よくぞ、ご無事で…!!」
宿屋の部屋にたどり着いたルベルト達に駆け寄り、エリーは涙を流して喜んだ。
「おかえりなさい、ふたりとも」
心なしか、リィナの口元にも、僅かな笑みが浮かんでいるように見える。
レナーテを抱きかかえて、かなりの距離を全力で走ってきたルベルトは、返事をする余裕もなく、よろよろとベッドまで歩を進める。
「ありがとう、ルベル…」
レナーテをベッドに降ろした瞬間、ルベルトは、ドタッ、と音を立ててその場に崩れ落ちた。
「ルベルト様!?」「ルベルト!?」「ルベルト?」
繰り手から突然放された操り人形のように、全身の力が抜けて、床に倒れ込んだルベルト。エリーはすぐに手招きしてリィナを呼ぶと、二人でルベルトを抱え、ベッドに運んだ。
「ふたりとも、ありがとう。格好悪いところを…見せてしまったね」
ルベルトはベッドに寝そべったまま、目を開けることなく、力ない笑みを浮かべた。
「そんなことない!ルベルトは、さいっっっっこうに!カッコよかった!!」
ルベルトに抱えられなければ、動くこともままならなかったであろうレナーテの熱弁に、これはなにかあったな、とエリーは目を細める。
「こほん…とりあえず今は、ルベルト様もレナーテさんも、相当疲れているとお察しします。そちらの話は少し落ち着いてから、ということで、先だってわたしがお話をさせていただきたいと思うのですが、皆さま、よろしいですか?」
夜はもう、かなり深くなっている。
それまでの不安感に引きずられ、眠気はまだ来そうにないエリー。そして、激しい戦いの後、休む間もなく逃げ出してきたルベルトとレナーテは、興奮状態から脱していないため、寝付くのには時間がかかりそうだ。
「それがいいと思う。私も、がんばる」
無事に帰ってきた安堵からか、リィナだけは、既に船を漕ぎそうではあったが、異論を唱えることはなかった。
お互いの経験した出来事を共有しておくことは、何が起こるかわからない今、状況を整理するためには必要不可欠だ。そして、対策を考える為に、早いに越したことはない。
全員の了承の元、まだ息の荒いルベルトを気遣ったエリーが、アントニオ王に聞いた話を整理しながら、城でのことを語った。
三年前の大地震から、各地で魔獣が増殖しており、翼竜ケツァルコアトルスの目覚めが懸念されること。
人の負の感情から発生する、マナがあること。
地震が起きた日と、リィナの目覚めた日、千年前の事件の日が一致していること。
そして、アントニオ王とセバスティアンの、不可解な態度のこと。
全てを聞いたルベルトは、神妙な面持ちで頷いていた。エリーが話している最中に、辛そうではあるものの息は整っており、今はベッドに座っている。
「やはり、陛下は賢王と呼ばれるだけのことはある。その聡明さといい、品格といい、リガレフとは比べ物にならないな」
しばらくは聞き役に徹していたルベルトだったが、聞いた話を頭の中で整理する上で、リガレフの顔や身なりを思い出し、毒づいた。
「リガレフ…?」
「皇太子様のことですよ、リィナ様。ルベルト様はもしかすると、皇太子様にお会いになったのですか?」
「ああ、会ったよ…。とても、不愉快な男だった」
そして、今度はルベルトが語る番となった。
リガレフとの邂逅。
地下牢で出会った少女。
レナーテを襲った研究員風の男と、ドラゴニュートと呼ばれたモノとの戦闘。
「…そういえば、レナーテは竜になっていなかったけど、やっぱり建物や周りのことを気にしていたのかい?」
「ううん、そうじゃないのよ。まあ、今考えると、あんなところで竜化していたら、大変だったとは思うけどね。あの時のあたしは、完全に頭に血が上っていて、そんなこと考えてなかった。実はあたし、竜に戻れなくなっちゃったみたいなのよ。それどころか、少しもマナを取り込むことができなくて…」
「マナを取り込むことができない…?」
あの時、レナーテは確かに、集めていたマナが霧散したのを感じた。
「でも、マナが取り込めないってことは、竜にとっては致命的な問題ではないのですか? わたし達、人とは違って、生きるためにはマナを取り込まないといけないのでは?」
「うーん…どうなんだろ? 体の疲れは、なんだか回復しにくい気がするけど、今のところ、特に問題はなさそうなのよね」
「僕が法術を使えたし、最後に戦ったあの子も、マナを使っていたから、あの建物にはそんな仕掛けはなかったと思う」
ルベルトの言葉に、思い出したようにレナーテが目を輝かせた。
「そうだ、それ、聞きたかったのよ!」
「レナーテさん、急にどうしました…?」
こちらも体力が回復してきたのか、ベッドがら跳び起きたレナーテの顔は、今にも踊りだしそうなほど、嬉しそうだった。
「ルベルト、いつの間にあんな法術を練習してたの!? あの盾は、どうやって作ってるの!?」
「盾…?コハク、何を言っているのか、全然わからない」
レナーテが話しているのは、三体のドラゴニュートを薙ぎ払った『炎竜の盾』のことだった。
身振り手振りで、レナーテが当時の状況を説明する。
「火のマナを盾に?」
「そうなのよ、それでね、詠唱っていうの?法術の前に言う言葉も、なんかカッコいいの!たしか……『マナよ、紅蓮の竜よ、降り注ぐ全ての刃より、我らを守る盾を授けたまえ』…だったかな?」
一度だけ、それもかなり遠くから聞いたはずなのに、よくもまあ覚えてるものだと、ルベルトは感嘆した。そして、自分が考えた詠唱を第三者に独白されるのは、少し気恥ずかしいことを、初めて知った。
「マナを具現化して、ある一定の形を保ち続けるのは、難しいこと。よほどイメージが固まっていないと、すぐに形が保てなくなる」
「そうだったんですかぁ…ルベルト様の格好良い姿、わたしも見たかったです!」
エリーの言葉に「そんなに良いものではないよ」と、ルベルトは苦笑いを浮かべる。
「エリーはいなかったけど、旅に出る前、神殿に向かう道で、僕たちはダイアウルフの群れと遭遇したんだ。あの時僕は、武器も盾も持っていなかったせいで、何もできなかった。だから、有事に備えて、マナで武器や防具を作れないかと考えて、練習していたんだよ」
最も、武器はまだ作れないし、盾も火属性のものしか作れないんだけどね、とルベルトは続けた。
謙遜するルベルトに、それでも凄いですよ、なかなか優秀、と賛辞が送られる。
しかし、レナーテが『炎竜の盾』のことで一番聞きたかったのは、盾の具現化の方法ではなかった。
術名に冠した炎竜という単語や、詠唱中の紅蓮の竜という部分。幾重にも重なったマナが、竜鱗を彷彿とさせる見た目であり、火属性のマナを使うこと。そのどれもが、レナーテの考えを、ある結論にたどり着かせるのだ。
「ねえ、ルベルト。あの盾って、やっぱり…?」
レナーテは珍しく言葉を濁し、上目遣いでおそるおそる聞く。
「そうだよ、レナーテ。僕がイメージしたのは、レナーテが竜になった時の姿。強くて、雄々しくて、優しかった、きみの姿だ」
「ルベルト…」
望み、焦がれてきた、ルベルトとの初めての対話から、もう何度衝撃を受けただろう。
期待通りの言葉と、期待以上の言葉に、様々な感情がせめぎ合って、二の句を告げることができないレナーテ。
そんな中、エリーは真剣な表情で、レナーテに向き直る。
「レナーテさん…今のルベルト様の言葉で、確信しました。今日ルベルト様が無事に帰ってこられたのは、あなたが長い間、千年騎士を見守ってくれたおかげなのだと。あの時、わたしが言った言葉を謹んで撤回します。本当に、申し訳ありませんでした」
エリーが撤回した言葉は、リィナが目覚めた時、売り言葉に買い言葉の、些末な言い争いの中で言ったものだ。
「…なんの話かわからないけど、別にいいわよ。ルベルトが、あたしの千年は無駄じゃなかったことを教えてくれた。あたしは、それだけで十分だもの」
エリーは既に仲間だ。例え過去にどんなことを言われていたとしても、レナーテには些細なことだ。
「ありがとうございます、レナーテさん」
エリーは深々と頭を下げた。
「…さて、と」
そう前置きして、聞きたかったことを聞いたレナーテは、自ら脱線させてしまった話を戻すため、努めてはっきりと喋った。
「三人ともごめんなさい。すっかり話がそれちゃったわね」
「…そうでしたね。レナーテさんがマナを取り込めない、というお話でした。ルベルト様や、NO.5と呼ばれていた少女がマナを扱えた、ということでしたので、マナを取り込めないのは、レナーテさんの問題、ということになるのでしょうか?」
「どうなんだろう。ここに来るまで、レナーテは一度も竜になっていない。いつからそうなってしまったのか、それがわかれば原因を辿ることもできるだろうけど」
首を捻る一同だったが、答えは簡単に語られることとなった。
「コハクが竜に戻れないのは当たり前。あなたは、マナの収束を強力に妨害する類の魔石を身につけている」
「魔石?」
「アクセサリー」
リィナの指摘に、レナーテは心当たりがあった。
「もしかして、これのこと…?」
レナーテは、首にかけていたアクセサリーを手にとり、リィナに見せる。
「そう」
「それって…パウロさんが、レナーテに渡したものじゃないか…!」
それは、ルベルト達が暮らしていた町を出るときに、パウロがレナーテに渡した、ところどころに宝石が散りばめられたアクセサリー。
「どうして…? あのおっちゃん、凄く良い人間だと思っていたのに…」
裏切られたと、レナーテの顔は、悲しみに満ちた。
「いいえ、レナーテさん。パウロおじさまは、ルベルト様が幼い頃から、武器や防具を修理したり、高価なマナ結晶を惜しみなく使ってくれるような、とても優しいお方でした。そんな方が、レナーテさんを陥れるために、それを渡したとは到底思えません」
「それは、あたしだって信じたいわよ。でも…」
「僕も、パウロさんがそんな人ではないとは思う。でも、僕たちがいくら考えても、きっと真相はわからないよ。いつか、わかる時が来るかもしれない。その時まで、そのアクセサリーは大切にしよう」
レナーテは「そうね…そうするわ」と言って、渡されてからずっと肌身離さずに首からかけていたアクセサリーを、そっと外した。
「明日にでも、機会があったら竜化できるか、試してみることにするわ。もちろん、人間がいない場所を探してから、だけど」
こういう、切り替えの早さはレナーテの美点の一つだろう。ルベルトは安心したように、一息ついた。
竜化できなかったことについて、いとも簡単に答えを出したリィナではあったが、どうやら彼女が最も気にしているのは、別にあるようだった。
「私が気になっているのは、そのドラゴニュートと呼ばれていたモノ達。ルベルトの話によると、その研究員の男の口ぶりは、人工的に作られたことを示唆している。だとすれば、世の理に反した、危険な存在」
「ルベルト様、そのセリスという少女や、最後に現れたNO.5と呼ばれていた少女、それにドラゴニュートとは、一体なんなのですか?」
その質問と、実際に見た感覚、そしてセリスから聞いた話を整理するルベルト。
「あそこは、リガレフが裏で動かしている、実験施設じゃないかと、僕は思う。これは本当に推測だけれど、陛下の話も考慮すると、竜と人との戦いが、現実味を帯びてきてるのかもしれない。竜に対抗するために、法術を超えて、人が竜に対抗するための新たな兵器として、半人半竜であるドラゴニュートを作り出している、とは考えられないかな?」
ルベルトの推論に、小さく首を横に振るリィナ。
「ルベルト、それでは、私が千年を越えてきた意味が無くなってしまう。可能性としては、もちろんゼロではない。ただ、状況からいっても、納得はできない」
「なによ、自分の存在意義がなくなるからって、ルベルトの考えに、いちゃもんをつけようっていうの?」
「多分、リィナ様は、皇太子様…いえ、リガレフの言動などを考慮して、そう考えたのではないかと思います。リガレフは、狡猾で、下品で、知性の欠片もなく、太っていて、性根が腐っていて、野心家で、おまけに下衆です。そんな男が、人族のために竜と戦おうとしているだなんて、とても思えません」
「「そのとおり(よ!)」」
リガレフがルベルトにした仕打ちを聞いて、相当根に持っていたのか、女性陣は見事に意見を一致させた。
ルベルトも、リガレフに関して言えば、フォローする気も起きない。多少、罵りすぎじゃないか、とは思ったが。
「人を半分竜にする正確な方法は分からない。でも、やり方が非人道的。例え竜を倒すことが正義であったとしても、その方法は倫理的に許されない」
「まあ、そうね。少なくとも、人間にとっても、竜にとっても、それ自体が争いの火種になる可能性だって、十分に考えられるもの」
「そう、かもしれないね。それに、あの男たちは、最後の少女以外のことを、失敗作、と言っていた。決して、望んでドラゴニュートになろうとしたわけではないだろう。自らの意思さえ、彼らは持つことを許されなかった」
あの施設や、研究員達、そしてリガレフ。
「リガレフは言った。リィナの千年の孤独を、無駄な時間だと。レナーテを、汚らわしい竜だと。あまつさえ、逆らえばエリーを…。僕は、許せない…!」
リィナも、レナーテも、エリーでさえも。これほどまでに憤怒しているルベルトを見たことはなかった。
「まずは、地下牢で出会った、セリスを助けたい。最後に戦った少女は、確かに言ったんだ。セリスを助けてあげて、と。きっと、彼女たちは苦しんでいる。僕は、僕にできることをしたい」
エリーは、呆れたような、それでいて嬉しそうな微笑みを浮かべた。
「ルベルト様は、きっとそう言うと思っていました。わたしとしては、危険なことをして欲しくはないのですが、それほどの思いを見せられては、止めることなどできません。ですが、正面からの突破は危険です、なにか作戦が必要ですね。ひとまずは、夜が明けたら、城下に出向いてみようと思います。突破口が見つかればいいのですが」
「客観的に考えて、ルベルトとコハクが外に出るのは危険。あなた達は、研究員や、自我の残っていそうなNO.5に顔を見られている。ここは、私とエリーが中心に動くべき」
今までにないやる気を見せるリィナに、違和感を感じていたのは、どうやらルベルトだけではなかったようだった。
「ところであんた、いつからエリーのことを、グライスナーの子孫、って長ったらしい呼び方で呼ばなくなったわけ?」
「そうか、そうだよ。あまりにも自然で気がつかなかったけど、そうだ。リィナ、エリーのことを、認めてくれたんだね。一体何があったんだい?」
訝しげなレナーテと、嬉しそうなルベルトの言葉に、照れているエリー。そして、リィナはというと。
「…ひみつ」
そう言って、お茶を濁したのだった。
翌日、突破口は、思わぬ形で訪れることとなった。




