竜と竜人(ドラゴニュート)
王城を飛び出したレナーテは、微かに感じるルベルトのマナを追って、王都の東ブロックにある施設に辿り着いていた。
いくらマナを視認できる竜とはいえ、ひとりの人間の、それも極僅かなマナの残滓を辿るなど、やすやすとできることでは無い。
しかし、レナーテにとってのルベルトだけは違う。
レナーテは千年も、一族と戦ってきたのだ。その感覚を元に、必死でマナの痕跡を探し、無我夢中でここまでやってきた。
王城を飛び出してから、かなりの時間が経っている。一刻も早く、ルベルトを探し出さなくては。
「ああもう!なんなのよこの扉は…!」
建物の扉を揺すりながら、レナーテは地団駄を踏んだ。
日は完全に落ちている。入り口の扉は閉ざされており、押しても引いてもびくともしない。
(もういっそ…こんな扉、壊してしまえ…!!)
ルベルトが心配で堪らないレナーテは、この時ばかりは人間らしく振る舞うことも忘れていた。
「……ふんっ!!」
入り口の扉を思い切り蹴飛ばすと、扉を内側から固定していたと思われる、鎹の折れる音と共に、扉が開いた。
(ルベルト…どこにいるの…!?)
元より微かだったマナの残滓は、時間の経過とともに更に薄くなっている。来た道を戻って探し直すのは、不可能と考えた方が良さそうだ。
祈るような気持ちで、建物内に入ったレナーテは、蝋燭に灯された廊下をキョロキョロと見回しながら、違和感を覚えた。
(ここはなんなの? 人間の気配だけじゃない…これは、竜…?)
魔獣に近いマナだが、それよりは澄んだマナの気配が混じっている。人間は普段、レナーテが澄んでいると感じる四大属性のマナを纏っていないため、この感覚は人間以外の何かだ。
…と、レナーテが階段の前を通り過ぎようとした時。床に、何かがあることに気がついた。
暗がりの中、普段であれば絶対に気がつかなかっただろう。しかし、ルベルトのマナを、全身全力で辿っていたレナーテは、気がついた。
それがなんなのかを知覚した瞬間、一瞬で、全身が燃え盛るような衝撃が走り抜けた。
血だ。
その血から感じるマナは、紛れもなく、ルベルトのものだ…!!
「ルベルトぉぉぉぉっ!!!」
ルベルトが、血を流している…!!
瞳の奥が、チリチリと焼けるように熱く、紅くなっていく。
ルベルトが…。
あたし以外に。
人間に!
痛めつけられて!!
血を流しているっ…!!!
「許せないっ!!」
建物にいる人間が拭き損ねたのか、急に現れた、ルベルトへ続く手がかり。血は既に乾いており、時間は経っているが、ルベルトは間違いなく、この階段を降りた先にいる!
階段を駆け下りようとしたレナーテだったが、背後に複数の気配を感じて振り返った。
扉を破壊した時の音や、レナーテの咆哮によって侵入者に気づいたのだろう。階段前に立つレナーテから見て、左から一人、右から人間が一人と、何かが一体、こちらへ向かって来ている。
「何者だ!この研究所には部外者は立入禁止、だ、ぞ…?」
「なによ!邪魔するなら、覚悟しなさい!」
左にいた研究員風の男が、レナーテを見て威勢よくかかってこようとして、止まった。
「竜…本物の竜じゃないか…!!」
反対側にいた男がそう言うと、その背後に隠れていた何かに、ボソボソと話しかけていた。
「…………………」
身長こそ人間のサイズだが、全体的に青い体は、竜のような鱗。顔も、人間というよりは竜に近く、腕は人間のサイズながらも竜そのもので、爪は鋭く尖っている。
「あんた、人間…なの?」
その瞳は、なにも語らなかった。
僅かだが、マナを纏っている。薄らとした青色。水属性のマナだ。
(こいつ、心がないんだわ。どうして人間が、竜になろうとしているの…?)
見た目は人間とは到底考えられないが、竜であるレナーテには、それが竜でないことがわかった。しかし、考えている暇はない。気づけば、同じような何かが、奥から更に二体出てきていた。
(何かは知らないけど、こいつらはルベルトを拐ったやつらだ…遠慮はしない!)
レナーテは脚に力を入れると、一瞬で最初に出てきた一体に近づき、その胴体を蹴り飛ばした。
竜化していないとはいえ、元来竜であるレナーテの身体能力は、人間を遥かに凌ぐ。胴体であれば、死ぬほどの威力はないにしろ、並の人間はすぐに意識を失うほどの強烈な一撃だ。
防御することもなく、まともに喰らったその一体は壁に激突する。しかし、何もなかったかのように立ち上がると、無表情のままレナーテに近寄ってくる。
「いいぞ、本物の竜を相手に、互角とは言えないまでも戦えている…!俺達の研究は成功しているぞ!!」
何が嬉しいのか、一人の男が狂ったように歓喜している。意味はわからないが、レナーテはその姿を不快に感じた。
三体に増えたその何か達は、ゆっくりとレナーテに近づいてきては、蹴られ、殴られ、壁や床に叩きつけられるが、ダメージを受けている素振りもなく立ち上がる。
…有効打を与えられていないのは目に見えた。
早くルベルトの元に向かいたいレナーテの苛立ちは募る。
「邪魔だ、邪魔だ邪魔だ邪魔だっ!!お前達に用なんてないっ!!ルベルトをっ、あたしのルベルトをどこにやった!!」
怒りと、焦る気持ちが先行し、段々と攻撃が単調になっていったせいか、三体は徐々にレナーテとの距離を詰めていく。
(このままじゃ、埒があかない。本当は、人間でいたかったけど…ルベルトの為に…今だけは…!!)
レナーテは、大きく息を吸い込み、マナをかき集める。
形振り構ってはいられない。竜化して、こいつらを一掃する!!
(…えっ?)
…しかし、あと一歩で竜へと戻ろうかというところで、集めていたマナが一瞬のうちに霧散してしまった。
(どうして…?そんな、ルベルトを助けられない…!?)
三体は戸惑うレナーテを取り囲み、やがてその服を掴み、倒れ込むようにして押し倒した。
「なんなのよあんた達!!あたしは、ルベルトをっ…きゃあっ!! …ルベルト!ルベルトぉぉぉっ!!」
もがくレナーテに何をするでもなく、三体は無言、無表情のままレナーテの服を掴み、揺すったりのしかかったりするだけだ。
「やはり、ただの人間ではこれが限界か…法術師のような、良い素体でなければ、あの方を満足させるような兵器には成り得ないのか。しかし、どうして竜に戻らなかった…?」
研究員風の男は、ボソボソと何かを呟いているが、もがくレナーテは、それを悠長に聞いている暇などない。
「ああっ、もう、邪魔だって…言ってるでしょ!!!」
レナーテは、のしかかっていた三体を、纏めて蹴り上げ、浮いた瞬間にすぐさま転がり、状況を脱した。
このままではジリ貧だ。どういうわけかはわからないが、今のレナーテはマナを取り込むことができない。もがいている間に、竜化しないまでもマナを体内に取り込んで、神殿近くの森でやったように衝撃波を放とうとしたが、できない。
人間と同じように法術を使おうとしても、おそらく無駄だろう。僅かにでも体内にマナを入れようとすると、どうやら霧散してしまうようだ。
(まさか、こんなことがあるなんて、ね)
これでは、身体能力こそ違えど、ただの人間ではないか。
人間のようになってしまうこと自体は、レナーテにとってさしたる問題ではない。問題なのは、タイミングが最悪なことだ。
ルベルトを安全に連れ戻すため、邪魔となりそうな三体を排除しようとしたことも裏目に出た。攻撃を繰り返すうち、階段までの道が、三体に防がれる形となってしまっている。
(どうする…?今のあたしじゃ、このままルベルトを見つけても、助け出すことなんてできない。このまま逃げて、リィナやエリーに助けを求める…?)
そう考えて、レナーテはすぐに自らの考えを否定した。
(リィナは、竜であるあたしを助けることなんてない。エリーだって、こんなところに来て、無事に帰れると思えない、第一…)
「ルベルトを置いて、帰れるわけ、ないっ!!」
レナーテは、ゆっくりと向かってくる三体に向かって、駆け出した。
「おい、NO.5を連れてこい。この竜を生け捕りにするぞ」
「わかった。十五分で戻る!」
いつの間にか合流していたらしい、人間の片方が走り去る姿が見えたが、気にしている余裕などない。
そこからのレナーテは、さながら、踊っているかのようだった。
迫る三体に掴まれないように躱しながら、拳を、蹴りを叩き込んでいく。
背後から近づかれても、まるで見えているかのように、気配や音を頼りに避け、跳び、舞った。
「これが、本当の竜…なんて、完成度なんだ」
舌を巻く人間の声も、極限状態のレナーテには聞こえない。
しかし、いかに竜とはいえ、こんな動きを長く続けられるわけがなかった。
次第にレナーテの息が荒くなっていく。
(こいつら…なんなのよ…!!)
動きに精細さが欠けていく。
腕が、脚が、上がらなくなっていく。
終わりの見えない戦い。圧倒的な耐久力の差。
竜である自分と相対していたルベルトは、こんな気持ちだったのだろうか。
…いや、数に不利があるとはいえ、こんなものではなかっただろう。手加減は十分にしていたが、気を抜けば、軽々と命を落とすような攻撃ばかりだった。それほどまでに歴然とした力の差が、人間と竜の間には存在していたのだ。
(やっぱり、ルベルトは、すごい、なぁ…)
ここに来るまで、走り続けていたことも、原因の一つだろう。レナーテの体力は、既に限界を超えていた。
(るべるとぉ…)
諦めるしか、ないのだろうか。
憔悴しきったレナーテは、ゆっくりと、瞳を伏せた。
「レナァァァァァテェェェェェェェッ!!!!」
「…んっ…!!?」
霞んでいた視界が、一気に開けた。
「ルベ、ルト…?」
暗がりの向こうから、望んでやまなかった、眩いマナが近づいてくる。
「ルベルトーーーーッ!!」
力が、湧いてくる…っ!!
「マナよ、紅蓮の竜よ、降り注ぐ全ての刃より、我らを守る盾を授けたまえ…『炎竜の盾』!!」
それは、長く戦ってきたレナーテも、初めて聞く詠唱だった。
ルベルトは、身の丈を超える程の、マナで生成された大きな深紅の盾を構え、一直線にレナーテの元へと駆けてくる。
「レナーテ!今行く!」
猛然と突き進むルベルトの直線上に、レナーテを苦しめた三体の姿があるが、ルベルトは気にも留めずに、その盾でなぎ払う。
ただそれだけで、ドォン!という音を立て、三体は吹き飛んだ。
「なんだって…!? 失敗作とはいえ、ドラゴニュートを、一撃だなんて…!?」
レナーテが見たところ、三体の属性は水。ルベルトが持っている炎属性の盾は相性が悪いにも関わらず、圧倒的なマナ量の差が、それを全く感じさせない。
驚愕する研究員風の男や、いとも簡単に吹き飛んだ三体に目もくれず、ルベルトはレナーテと、ついに合流した。
「ルベルトぉ!!心配したんだから!!」
「心配かけてごめん、レナーテ。こんなところまで、僕を助けに来てくれてありがとう。嬉しいよ」
抱き合って感動の再会に浸るのも束の間、レナーテは、嫌な気配を察知し、抱きついていたルベルトから離れると、廊下の奥を注視した。
「レナーテ? もしかして、さっきの奴らが、また…?」
しかし、先ほどルベルトが吹き飛ばした三体は、相当なダメージを負ったのか、起き上がってくる気配はない。
「間に合ったか! …そこの法術師と竜よ、見るがいい。我々の英知の結晶!心血を注いで作り上げた、真のドラゴニュートの力を!!」
廊下の闇から現れたのは、半人半竜の、蒼を纏った少女。
先程までの三体と違い、ところどころ竜のようになっているものの、顔は、人だった。
「あれは…!?」
暗がりで顔はよく見えないが、近寄ってくるシルエットに、ルベルトの背筋は凍りついた。
(まさか…セリスなのか…!?)
目を凝らそうとしたルベルトが気がついたときには、少女の姿は見えなくなっていた。
「…どこに「ルベルト、上っ!!」…っ!!」
ゴオォォッ! と、マナ同士が相殺する音が鳴り響く。
寸前で『炎竜の盾』での防御に成功したルベルトだったが、凄まじいマナの力に、声を出すこともできない。相性が悪いせいもあり、油断してマナの調整を誤れば、『炎竜の盾』を貫通されそうだった。
「何をしている、NO.5!さっさとその法術師を殺して、竜を捕まえろ!!」
「くっ…あんなゴミみたいな人間、初めてだわ…あたしがまともに戦えれば、一瞬で黙らせるのに!」
レナーテは悔しそうに、研究員風の男を睨んだ。レナーテは、正気を取り戻しているものの、体力が回復したわけではない。ルベルトと合流できたことで、気力がみなぎっているだけで、その実、体はフラフラしている。
(ダメだ、長引かせてもこちらが不利になるだけだ。何とかして、この場から逃げないと…!)
せめて、戦っている相手の顔を、見ることができれば…。もしこの少女がセリスなら、レナーテと合流できた今、説得することができるかもしれない。
ルベルトはイチかバチか、前触れなく『炎竜の盾』を消し、体を横に仰け反らせた。
ドゴオォォン、と轟音が響き、『炎竜の盾』の抑えが無くなったその勢いで、少女が床に拳を叩きつけた、その刹那。
「セリス、では、ない…?」
まるでスローモーションに思えるような、極限の集中力の中、ルベルトは半人半竜の少女の顔を見た。
似ている。でも、違う…!
ルベルトは、賭けに負けたことを悟った。
「うにゅっ…!」
次の瞬間に来るであろう追撃からレナーテを守るために、彼女を抱きとめ、半人半竜の少女に背を向けた。
数秒。しかし、追撃は来ない。
「レナーテ、逃げるよ!!」
「うわっ、あわわわ!」
追撃が来ないと見るや、すかさずルベルトはレナーテを持ち上げ、走り出した。
「なにをやっている、NO.5! そいつらを早く追うんだ! クソッ、この役立たずが!」
背後から聞こえる男の怒号が遠くなっていく中、ルベルトは、確かに聞いた。
セリスを助けてあげて、と。




