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人竜戦争と千年騎士  作者: むるふ
第2章
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囚われの少女と千年騎士Ⅱ


 ひとしきり話し終えたあと、目を覚ましたばかりの頃とは打って変わって、穏やかと言ってもいい雰囲気となっていた。しばらくはその雰囲気に浸っていたが、いつまでもこうしてる訳にはいかないだろう。


 残してきた三人が心配だ。そろそろ、核心に迫る質問をしなければならない。


 リガレフの『趣味』とは何のことなのか。なぜ自分の『血』に興味があると言ったのか。


「…そういえば、ここでは一体どんな実験が行われているのか、君にはわかるかい?」


 努めて、何気無い会話のように軽い口調で問うと、声の主は先ほどまでとは違い、少しだけ強張った声で答えた。


「きっと、知らない方が良いと思います…ここは、人を人とは思わない、そんなところですから…」


 ルベルトは騎士だ。今回とは違い、例え自らの問題が無くとも、そんな悲しそうな声を聞いて、引き下がれるような性格ではない。


「良ければ、聞かせてほしい。君は、そんな人を人として扱わない場所に閉じ込められているんだろう? 僕は、君を放ってはおけないよ。人は誰しもが皆、幸せになる権利がある。そんな悲しそうな声を出している君は、誰よりも、君自身の幸せを望むべきだ。その手助けになるなら、僕はなんだってする」


「…っ… そう、ですか…」


 ガシャリ、とルベルトが閉じ込められていた部屋の鉄格子の方から音がした。


「それでは…その檻から出て、私を見て下さい。きっとあなたは…後悔するでしょう…」


 言われて鉄格子を見れば、無骨な南京錠は解錠されている。


 ルベルトは緊張から、ゴクリ、と喉を鳴らす。


 言った言葉には、嘘偽りない本心が込められていた。しかし、途端に声の主が何を考えているのかわからなくなる。


 声の主は、南京錠を触れずに開けた。それはつまり、望めばいつでも牢から出られるということに他ならない。その意味するところは…自分の意思でこの場所に留まっている、ということだ。


 ルベルトは物音を極力たてないように鉄格子を開ける。


「こっちです」


 ルベルトが閉じ込められていた部屋の隣から、幼い声がした。


「ここかな…?」


 ルベルトが声のした部屋の鉄格子に手をかけると、暗がりの奥から少女が歩いてくる。


 そこには、レナーテよりもまだ小さく、幼さを残した少女がいた。


「どうですか…?後悔したでしょう?」


 短く揃えられていた少女の髪は青く。丸く大きな瞳もまた、青い。


 しかしその体の一部は人のものとは異なり、首筋や手足には鱗があり、顎までをも埋め尽くそうとしている。指先の爪は鋭く尖り、人の風体とは一線を画していた。


「これが、実験の正体です。産まれくる人が、マナの祝福を受けられるようにするでもなく、まして自然にあるマナを増やすわけでもない…。祝福された竜の血を人に与え、半人半竜にすることで、竜のようにマナを使える人を作り出すんです」


 まるで人が、竜になろうとしているかのようだ。


「人の言葉がわかるから、言うことを聞きさえすれば兵器としては一流です。本物までとはいかずとも、体も丈夫で、取り込めるマナの量も多くなり、質も良くなります」


 しかしルベルトは、そんな姿を見ても怯むことはなかった。


「おそらくリガレフは、竜の力に耐えきれずに壊れかかっている私や、他の実験体を制御するために、ルベルト様の血を触媒にしようとしているのだと思います」


 ルベルトは自分がここに閉じ込められた理由を探すことも忘れ、少女の悲しそうな蒼く澄んだ瞳に、釘付けになっていた。


「綺麗、だ…」


「…!!」


 ルベルトが思わず口にした言葉に、少女は戦慄と言っても過言ではないほどの衝撃を受けていた。


 レナーテの燃えるように深く紅いルビーのような瞳とはまた違う。澄み切った空を映す水辺のように美しい、サファイアのような輝き。


「私が、こわくないのですか…!?だって、私はもう人でもないっ、まして竜でもない!何にもなれない『何か』なんですよ…!?」


 あまりにも意外な言葉に、信じきれずに自らを蔑む少女は、どこからどう見ても人だ。見た目がではない。レナーテと同じで、心の有り様が、人そのものだとルベルトは感じた。


「人は全て、その心のあり方が人と決めると僕は思うよ。逆に思うんだ…人が人である条件とは何だろう?見た目が人らしいこと?それとも、人らしい性格であること?君をこんなにも悲しい顔にさせた、リガレフは本当に、僕達と同じ『人』なの?」


 少女は、ルベルトが本気で言っていることを肌で感じていた。ルベルトは自分の瞳を真っ直ぐに見て問いかけてくる。表情は穏やかで、優しい。


「人はその考え次第では悪魔にもなる。悪魔だって、人と仲良くしたいと思えば、人になれる。竜だって、人になれる。君だって、どこからどう見ても人じゃないか」


「…っ…!!!」


 いつの間にか目元に溜まっていた涙が、溢れた。雫が少女の瞳からこぼれ、頬を伝う。


 ガラス越しや鏡で見る自分を醜いと思っていた。人ではない。まして竜でもないこんな自分に、温かい言葉をかけてくれる人なんて、いないと思っていた。むしろ、そんな希望すら思い浮かばないほどに、絶望していた。


 度重なる『実験』の果て。自分をこのような姿にした研究員にすら嫌悪の視線を向けられ、人の姿を失い、忌まわしいこの施設から出ることもなく、ただ死んでいくだけだと思っていた。


 気がつけば、少女は無意識に自らの牢にかけられた南京錠を外していた。


 ルベルトは、躊躇うことなく少女に近寄り、抱きしめる。こわがることなんてない、そんな想いを込めているかのように、優しく。まるで人の少女にそうするかのように。


「うっ…えぐっ…わたしは…まだ、人でいて、いいのですか…?」


 とめどなく流れる涙は、まるで砂漠に降り注いだ恵みの雨のように。ルベルトの優しさが、凍てついていた少女の心を、嬉しさや喜びで溶かし、満たした。


「当たり前じゃないか。君は幸せになる権利がある。僕は騎士。悲しんでいる少女を救い出す権利がある。そして一人の男として、女性を護る義務がある。枯れてしまった花も、その根が残っている限り、また美しく、大輪の花を咲かせることができる」


「こんな、ことって…あって良いのでしょうか…? 私はまだ、人であることを諦めなくても、良いのでしょうか…」


「もちろんだよ」


 少女はしばらくの間、そのまま泣きじゃくった。


 やがて、嗚咽が静まった少女の綺麗な髪を、ルベルトは優しく撫でる。


「…君から当たり前の幸せを奪ったリガレフを、僕は許せない。いつかきっと、あの男を裁く。でもまずは、君が救われなければいけない。僕と共に行こう。君は幸せになれる。その手伝いをさせて欲しい」


 腕の中から少女を解放し、改めてその手を少女に差し伸べるルベルト。


「…あ…」


 名残り惜しそうに、離れたルベルトを見つめる少女。


「さあ、行こう」


 しかし、少女は首を力なく横に振り、ルベルトの手を取ることはなかった。


「…わたしは…ここから出るわけには、行きません」


「どうして…!?」


 ルベルトの問いに、少女は口を堅く閉ざし、答えてはくれなかった。


 本当は手を取りたかっただろう。ルベルトが手を差し伸べたとき、その手を取ろうと、少女は微かに腕を上げた。それを、反対の手で抑え、衝動を必死に堪えたのだ。


 何が少女をそうさせたのかはわからない。


 確かに少女は救いを求めていたはずだ。一緒に旅をすることを魅力的だと言ったあの言葉は、人以外の何者でもないと言われて流した涙には、一欠片の嘘もなかった。


 ルベルトがもう一度少女に近づこうとした、その時だった。


 ルベルトぉぉぉぉっ!!!


 自分を呼ぶ声が、聞こえる。


「…レナーテ!?」


 それは紛れもない、レナーテの声。


 邪魔だ、邪魔だ邪魔だ邪魔だっ!!お前達に用なんてないっ!!ルベルトをっ、あたしのルベルトをどこにやった!!


 声は遠い。まだ近くまでは来ていないであろうレナーテの咆哮が空気を震わせ、建物の壁や床を通じて聞こえてくる。


「…あなたを、助けにきたお仲間なのですね。私のことは構わず、行って下さい」


「そんなわけにはいかない!僕は君を…!」


「…ルベルト様、私は、私の意思でここに残ります。あなたのおかげで、私は生きる希望を持てました。いつかきっと、またどこかで、お会いしましょう」


「ちょっとまっ、うわっ…!」


 少女はルベルトを突き飛ばす。ルベルトが勢いで廊下に倒れ込んだその隙に、鉄格子の扉を閉め、開けたときと同様に手を触れずに南京錠をガチャリ、と施錠した。


 ルベルトはすぐに立ち上がり、鉄格子にしがみつく。


「なんでなんだ!? 君はここにいるべきじゃない!! 僕と一緒に…!!」


 なんなのよあんた達!!あたしは、ルベルトをっ…きゃあっ!! …ルベルト!ルベルトぉぉぉっ!!


 抵抗しているのか、暴れているような振動が、建物を通じて微かに感じられた。


 ルベルトの耳に届くレナーテの声が、一刻を争うことを物語っている。


「……くっ!!」


 しかし、ルベルトには選ぶことなどできない。


「ルベルト様、私は大丈夫です。いつかきっと、ここを出て、幸せになります。だから今は、お仲間の元へ行って下さい。それとも私に、ルベルト様にお仲間を見捨てさせ、不幸にさせた業を背負えと言うのですか?」


 少女の言葉は本心でないことなどすぐにわかった。ルベルトに決断させる為に、わざとそんな言い方をしているのだ。


 その瞳には、決意の光。


 どんな言葉を持ってしても、動かせない不退転の意思。


「…わかった。それじゃあ、最後に君の名を聞いても?」


 説得を諦めたルベルトが見た少女の顔は、笑顔だった。


「私のことは、セリス、と呼んでください、ルベルト様」


「セリスか…いい名前だ。それじゃあセリス、絶対にまた会おう…!」


 後ろ髪を引かれる思いで薄暗い廊下を走り出したルベルトの後姿を見て、半人半竜の少女は願う。


(もし、私の人として最後の願いを聞いてくださるのなら、神様、ルベルト様をどうか、お守り下さい…)


 笑顔を浮かべ続けるセリスの頬に、また一つ、涙が伝った。



2018.03.05 誤字修正

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