囚われの少女と千年騎士
ルベルトが目を覚ましたのは、じめじめとした薄暗い部屋の中だった。
痛む体を懸命に叱咤し、固い床からゆっくりと起き上がる。
「ここは、一体どこだ…?」
ルベルトがいる部屋は、人が三人ほど寝そべられるだけの小さな部屋だった。目の前には鉄格子があり、その先に見える廊下のような通路から洩れる蝋燭の火で、ぼんやりと部屋の中が見える。
(これは、もしかして…)
部屋には些末な便器がひとつあるだけで、他には何もない。
今までの人生で、入ったことは勿論、実際に見たこともないが、物語や、聞いた話に出てきた特徴と一致する。どうやら、犯罪者を隔離する牢に入れられたらしい。
よろよろと体を引きずりながら鉄格子の前まで這うように近づき、鉄格子を掴んで通路の様子を伺う。
…人の姿はない。
(何が起きたんだ…?僕は一体、なぜこんなところに連れてこられた…?)
鉄格子の通路側には無骨な南京錠がかけられ、鍵がなければ出ることは不可能だ。
…騎士たるもの、常に冷静沈着に。
不安から動揺しそうになっている心を叱咤し、ルベルトは努めて自分にそう言い聞かせて気持ちを落ち着ける。
(少し、状況を整理しよう…)
まずはセバスティアンについて考えてみる。ルベルトを王の間まで連れ出したあの兵士が嘘をついていなければ、命令を下せる立場であるセバスティアンは、城内でも格が高い人物と推測できる。
リガレフと名乗ったあの皇太子が、セバスティアンの名を口にしなかったことから、リガレフとセバスティアンは、今回の拉致については関係があるとは断言できない。むしろ、セバスティアンの紳士的な対応と、リガレフの傲慢な態度との差があり過ぎるため、関係性はかなり薄く感じた。
(何れにしても、真相は本人に直接聞いてみないことにはわからないか…エリー達は、あの後無事だったのだろうか…)
連れ去られたのが自分だけとは限らない。ただ、会話の中でリガレフは、レナーテを汚らわしい竜と罵り、リィナが人生を犠牲にした千年を無駄だと言った。
(…許せない。僕だけならばともかく、レナーテやリィナの存在を全て否定するようなあの言葉だけは)
しかしその言葉は、対外的には一般人であるエリーを含めた三人が、リガレフの言う『趣味』には関係ないことを匂わせている。
(どうか、三人は無事でありますように)
…そこまで考えて、ルベルトはふと時間が気になった。常に肌身離さず持ち歩いている、懐中時計を取りあげられていなかったことにほっとしつつ、胸元のポケットから取り出す。
(十時か…)
ルベルトは、そっと自分の頬を手で触った。
(痛っ…)
そっと触れただけで頬に痛みが走り、ルベルトは思わず顔をしかめる。
痛みを堪え、更に全身をくまなく触る。腫れ具合から考えると、ルベルトが王の間で意識を失ってから、まだ数時間といったところだろう。城に入ったのは昼を過ぎてまだ夕方になっていない頃だったため、どうやらまだ日は回ってないらしい。
「大気に舞う水よ、我の内なる力となって、癒しを与えたまえ…」
ルベルトは自分の内側に意識を集中させ、術文を唱えることで、周囲にある空気に含まれる水分を体内に受け入れるイメージを作る。物と物のマナを移動させる護法の術式を参考に編み出した法術で、水の持つ癒しの力を体に取り込み、自然治癒力を活性化させる効果がある。
ルベルトには法術を使う上で、ある属性に偏った得意不得意はない。しかしながら、日常相手にしていたレナーテが火属性だっただけに、相反する水属性の法術で、特に戦闘を長引かせるような類の法術のほとんどは体得していた。なかには、自ら編み出したものもある。
先天的な才能や、住む場所によって自然に存在するマナ量が違うこともあり、法術師の大多数は属性ごとに得手不得手が存在するが、ルベルトが水属性に偏っているのは、あくまでも戦う上で必要だったからに過ぎない。
そのまま意識を集中し続け、数分後には腫れも随分と収まった頃。
「誰か、いるのですか…?」
控えめに、幼い声が聞こえた。
鉄格子の外に目を向けるが、人がいる様子はない。もしかすると、自分以外に囚われている人がいるのかもしれない。
「…僕はルベルト。君は?」
「………………」
ルベルトの問いに、答えは返ってこなかった。
もしかすると、警戒されているのかもしれない。
「ここがどこなのか、何故ここに閉じ込められたのかもわからず、今はとりあえず、傷を癒している最中だよ」
こんな時は、遠回しに敵対する意思がないことを伝えた方が良いだろうと、ルベルトは自らが手負いであることを含んでそう口にした。
「…そうでしたか。…水が、空気が、喜んでいるのがわかります。あなたの傷を癒したいと、水のマナがとても嬉しそうに、集まってきています」
ひとまずコミュニケーションのきっかけを作ることには成功したが、全く予想外の内容が返ってきた。
「マナが…嬉しそう?」
マナは自然に存在するもの。そこに意思などはないはずだ。
ルベルトは怪訝に思う。
「…凄いです。マナのことを知覚していないのに、そんなにも綺麗な術を使えるのですか? あなたは、マナに愛されているのですね」
ルベルトの問いに、少しだけ弾んだような声が返ってくるが、いまいち声の主が言ってることがわからない。マナに愛されるとは、どういうことなのだろう。
どう返答すればいいのかわからず、ルベルトが口を噤み、しばらく無言の時が流れたが、幼いながらも落ち着きのある声がまた、ぽつりと呟く。
「…竜は、生まれたときからマナに愛されています。それは、紡がれ続けてきた血が、祝福されているから。そして人もまた、太古から続くその血が祝福されています」
「祝福…?」
「はい…ただしそれは、暮らしてきた場所に揺蕩うマナが、祝福された血に連なる新たな生命の誕生を喜び、授けるもの。ですが最近では、マナを扱える人が少なくなってきていると聞きました。それはきっと、人の欲が際限なく増え続けたからだと、私は考えています」
生きるもの全ては産まれる時にマナを取り込み、生まれた場所に存在するマナ量の偏りによって、先天的な得手不得手ができる、ということなのだろうか。
「自然に存在するマナが少なくなってきた現代には、自ずと産まれた時に取り込むマナが少なくなる。だから、マナの扱いを感覚で理解できない人が増えている。そういうことかな?」
「はい。…加えて、産まれる時に取り込むマナの量は、血によって異なります。ただそれも、今はまだマナを体に取り込むコツを得るのが遅くなる、という程度で、逆に血が濃いからといって、法術師として、絶対的な強さを得られるというわけではありません」
ルベルトは、レナーテやリィナが、血によって個人の優劣が決まるわけではない、という話をしていたことを思い出す。しかし同時に、声の主の話は、グライスナー家を縛りつけてまで、ヴィリバルト=ヴァイゼンボルンの血を残してきたことにの正当性を、証明するかのような側面もあると思った。
「今も王族では血を残すための婚約などはされていますが、それ以外の民の殆どは自由結婚です。祝福された人の血は、代を重ねるごとに薄くなり、それに伴って産まれる時に取り込むマナも少なくなります。更に自然に存在するマナが少なくなっていることも影響して、もしかすると数百年後には、法術を使える人は、ほんの一部になっているかもしれません」
「…祝福された血というのは、どういうことかな?」
「私にもまだ、明確な答えはわかりません。ですがここは、ある意味ではそのことについて研究する、いわば実験施設なのです」
「実験施設だって…?」
マナは自然が豊かであればあるほど、多くなると言われている。このような陰鬱とした場所で行う実験とは、自然界にあるマナを増やすことでは決してないだろう。
「リガレフは先天的にマナの扱いに優れた人を、人為的に増やそうとしている…?」
趣味と称したそれの行く先は、どんなものだろう?
「再度起こるであろう竜との戦いに向けて、準備を進めている、のか…?」
ルベルトの直感的には信じられないが、その推測が正しければ、見方によっては人族を守ろうとする奇代の英雄になる可能性もある。
(ルベルト様は、本当に清らかなお心の持ち主なのですね…)
ルベルトは思考に耽るあまり、声の主の小さなその呟きは聞こえなかった。
「………ふぅ」
ルベルトは一息つく。痛みは引いたものの、気だるさが抜けない体で考えるには、少々大きすぎる話だ。
「…そういえば、ルベルト様は何があってここに閉じ込められたのでしょう? 傷を癒やすほどの法術師であれば、研究の為に連れてこられるのも納得ができますが、それはあくまでも任意同行が前提です。痛めつけられて連れてこられるなんて、どうしてですか…?」
もしかすると、自分が皇太子に逆らった挙句、暴れ回ったなどと思われているのかと思い、ルベルトは慌てて否定した。
「違う違う。僕は決して、犯罪の末にこんなところにきたのではないよ。さっきも言ったけど、僕自身なぜここに連れてこられたのか、検討もつかないんだ」
ルベルトは簡単に、王の間で起きたことを声の主に伝えた。
「リガレフ…あの男がまた、こんなことをしたのですね…!」
その声に宿っていたのは、明らかな憎しみ。
丁寧な言葉遣いで、初めて話したルベルトのことも様付けで呼ぶような人物に、このような評価をされているのであれば、彼を悪人だと思ったルベルトの直感は正しいのかもしれない。
「初めは、セバスティアンという人に、隠し通路を使って城内に案内されたところから始まるんだけどね。彼は何者だったのだろう?少なくとも、今回の拉致との関係は、あまりなさそうだったけど」
「…セバスティアン…そう、でしたか……」
声の主の顔は見えないが、声色からは落ち込んでいるように感じた。
「セバスティアンさんのことを、知っているのかい?」
ルベルトの問いには、言葉は返ってこない。なにか、言いたくない理由でもあるのだろう。
「まあいいか。せっかくだから、なにか楽しい話にしよう。そうだな…僕は、生まれた町から一週間をかけて、この王都にやってきたんだ。事情があって、町から出たことのなかった僕にとって、凄く新鮮で、楽しい経験だった」
ルベルトは語る。悪びれずに皆を振り回したリィナ。レナーテが起こす突飛な行動。水と薪を集めて、エリーが調理した料理を皆で食べたときの感動。
初めての野宿。夜の見張り番。途中立ち寄った村での出来事。賑やかな王都。笑顔で溢れかえる街の人々。
大変だったし疲れたけれど、とても楽しかった。
ルベルトの話に、段々と興味が湧いてきたのか、話していくうちに声の主も、相槌を強くし、先を急かすような問いかけをする。
「いいなぁ、ものすごく楽しそうです!」
「君も、一緒に来ればいいよ。僕たちはある目的があって旅をしているんだけど、その目的が叶うまでには相当時間がかかるだろうから、きっと、色々なものを見て、色々な経験ができるよ」
「それは魅力的な提案です…!」
ルベルトの脳裏には、この牢から出て、自由に街を回り、旅をする少女の姿が浮かんでいた。言葉遣いは大人びているが、ルベルトの話を聞き、楽しそうに上げた声からは、少女の姿しか想像できないほどに、無邪気だったからだ。
…………………。




