千年巫女とベルセラント王
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その後も、時に一緒に、時に単独行動しながらも、昼食を済ませメインストリートの出口まで来た一行は、眼前に広がるベルセラント城を見上げ、その大きさに改めて感嘆していた。
本来ならば見るだけで帰ろうとしたのだが、王様に会ってみたいというレナーテの意見を尊重し、無理を承知で、門番に謁見を申し込んだところ、案の定断られることとなった。
「なによ!王様がそんなに偉いっての!?たかが人間じゃないの!」
謁見交渉を重ね、断られるごとに発した相次ぐ不穏な発言の最後に、門番に向かって王に雑言を吐いたレナーテ。今までは子供の戯言と流してきた門番も、これ以上はと思ったのか、レナーテ向かって「おい!」と言い、手を伸ばそうとしたまさにその時。
「私は千年巫女。この度、千年に渡る眠りから覚め、遥々ここへ出向いた。本当に駄目なのであれば無理強いはしない。だけど、できれば王に会わせて」
門番に捕まれば、王を侮辱した罪に問われそうなところを寸前で回避させたのは、意外にもリィナの言葉だった。
(ひそひそ…リィナ様が、まともに喋ってますよ…!?)
(ひそひそ…僕も驚いている…)
ここに来るまでの一週間あまりで、マイペース過ぎる千年巫女を、嫌というほど目の当たりにしてきた二人は、そんなことをまず感じてしまうのだった。
千年巫女、という言葉に驚くほど反応した門番は「そこで少し待っていろ!」と城内へ駆け出すと、数分もしない内にまた戻ってきた。相当急いだのか、肩で息をしている。
「この門を抜けて、真っ直ぐに行けば城の入り口があるが、入らずに右へ曲がれ。そこであるお方が待っている」
それ以上は、言う気がないのか、そもそも何も知らないのかは定かではない。これ以上の詮索を拒むように「早く行け」と急かし、四人を敷地内へ招き入れると、門番は何事もなかったかのように見張りを再開した。
(なんだろう…一般人には、まるでおとぎ話みたいに扱われて相手にしてもらえないけど、果たして王族だからといって、千年巫女という肩書きはこんなにも重要なものなのだろうか?)
正直に言えば、リィナが門番に謁見を願い出た時、ルベルトは、聞き入れられることはまず無いと思っていた。
ルベルトが千年騎士として戦ってきた十数年間、千年巫女の存在に一番近い町の人々でさえ、一部の関係者を除けば、その存在は軽視されていた。
実際に千年巫女が眠っていた神殿に程遠いこの王都で、更には門番を務めているような、上位の兵士でもない人物が慌てふためくほど、千年巫女が崇められているはずはないように思える。
ルベルトがちらりとエリーを見ると、彼女もそのことについて、どうやら疑問に感じているようだ。
リィナの表情はいつも通りで特に何も感じている様子はない。唯一千年の歴史を直接見てきたと言えるレナーテも、人里に出たことはなかったせいで、人の心の変化については知る術もなかっただろう。
この時ルベルトの脳裏には、ひとつだけ気がかりなことが浮かんでいた。
しかし、事態が唐突過ぎる。気のせいだろうと思い直し、漠然とした不安を抱えながら、門番の言ったとおり歩くと、城の離れにある小屋の前で、ひとりの男が立っているのが見えた。
小屋はお世辞にも綺麗とは言えない外見だが、立っている男は、体格がよく背筋をピンと伸ばした、気品のある出で立ちだった。年齢は五十歳くらいだろうか。
「千年巫女様、その御一行様方。お待ちしておりました。私は、セバスティアン=ローウェンと申します。故あってこの場での自己紹介は名前だけに留めさせていただきたく存じます。無礼を承知で、何も聞かず、私に着いてきていただきたい」
セバスティアンと名乗った初老の男は、深々と頭を下げたあと、ややしわがれた低い声でそう話した。
(…なにか引っかかります。騙そうとしているような感じはないけど、一体これは何なのでしょう)
セバスティアンの堂々した発言、言外に感じられる誠実そうな雰囲気に、初めは訝し気な表情を見せていたルベルトも、少しだけ話を聞いても良いと考え始めているのが、エリーには感じられた。
誰がどういった目的のために仕掛けるかは別にして、何者かがリィナを罠に嵌めようとしている可能性は考えておいたほうがいいだろう。心当たりもなければ理由も思いつかないが、少なくとも自分は、まず人を疑い、客観的に真偽を確かめるべきだ。エリーは、そう考えていた。
エリーは改めて、目線を悟られないように気をつけながらセバスティアンを観察するが、見た目や仕草からは、騙そうなどという気配は微塵も感じられない。
「エリー、どうかしたのかい?」
「あ、いえ。なんでもありません…」
しかし、今回はどうやら時間切れのようだ。エリーが長考している間に、リィナはセバスティアンに言われるがまま歩きだしてしまい、それに釣られたようにレナーテも歩み始めようとしていた。
小さなため息を吐きながらも、心配そうに見つめるルベルトの顔を見てしまうと、エリーはどうしても笑顔になって、否定的な言葉は言えなくなってしまう。
「さあ、ルベルト様、わたし達も行きましょう」
エリーは笑顔のまま、自分の中で渦巻く嫌な予感を押し殺した。
…………………
セバスティアンに先導されて入った小屋は、なんの変哲もない兵士の休憩所のようだった。セバスティアンは徐に、身の丈よりも大きな本棚をずらし始め、「どうぞ」と手の平を返し示した先…本棚があった場所の下には、地下に続く階段があった。
置いてあった松明に火をつけてまた歩き始めたセバスティアンについて歩くこと数分。迷路のような地下通路の先には、上り階段があり、どうやらここから城内へ入っていくつもりのようだ。
「ここで少々お待ちください。上の部屋に人の気配がないかどうかを確かめた後、あるお方に面会する手はずを整えてきます」
階段の先の石畳を押しのけて、城内へ上がったセバスティアンは、そう言い残して去っていった。
数十秒後、セバスティアンではなく、知らない兵士が顔を見せる。
「ヴァイゼンボルン殿、申し訳ありませんが、あなただけ先に出ていただいてもよろしいですか?」
「ええ、構わないのですが…セバスティアンさんは?」
「少々問題が起こりまして。直ぐに戻ってくるとは思いますが、あなただけを先にお連れしろ、とのご命令です」
「…そうですか」
セバスティアンとは一体何者だろう。兵士に命令できるということは、それなりの立場にいる人物ではあるようだ。疑問は尽きないが、兵士に連れられて城内へ入ろうとするルベルト。
エリーは頭の中で、カンカンと警報が鳴っている気がした。
「ルベルト様!」
行かせてはいけない、と直感的に思ったエリーは、ルベルトを止めようと声を上げたが、ルベルトは兵士に急かされるように歩かされて「気をつけるから!」と言うのが精一杯だった。
「エリー、さっきのセバなんとかって人間は嘘はついていないように見えたけど、今の人間は、なんか嫌な感じがしたわ。一体何をする気なの?」
「わたしにも全くわかりません…。ただ、レナーテさんがそう思うのでしたら、大事をとってルベルト様を一人にしないほうが良いと思います。わたし、連れ戻してきます…!」
そう言って城内に飛び出そうとしたエリーだったが、寸前のところで地下通路の出口にセバスティアンが現れ、踏みとどまることになってしまった。
「お待たせしました。皆さん、少々走りますので、私に着いてきて下さい」
セバスティアンは、何かを警戒するように地下通路の出口に背を向けたままそう言うと、気配で全員が出口から城内へと入ったのを察し、振り返ることなく走り始めた。
可及的速やかな移動が必要なのだろう。地下通路に入る前の紳士的な対応とは違い、焦りがあるように見える。
数十秒走った後、ある扉の前に立ったセバスティアンは、失礼します、と一声だけかけて扉を開けると、三人を招き入れるように手を差し出し、直ぐに扉を閉めた。
「はぁ、はぁ、はぁ…セバスティアン様、これは一体、どういうことか…説明して、いただけますね…?」
「… … っ …」
息も切れ切れに説明を求めるエリーの横では、体力の無いリィナが床に膝をついて、必死に呼吸している。
「で、あんたは一体なんなのよ?わざわざあたし達からルベルトだけを引き離した理由ってなに?ルベルトは今どこにいるの?」
この程度は運動したうちにも入らないのか、少しも呼吸を乱していないレナーテは、不機嫌な態度を隠そうともしない。走り出す前のエリーとの会話で、セバスティアンの行動を不審に思い、問い詰めた。
「ルベルト…? 皆様ご一緒ではなかったのです… …はっ!!」
言われて初めて、ルベルトがいないことに気がついたようなセバスティアンの表情に、エリーは戦慄を覚えた。
「何を言っているんですか!!先ほどあなたの遣いだという兵が、ルベルト様を一人で連れ出したのですよ!?」
「…そんな馬鹿な!一体どこから情報が漏れたというのだ!!まさか、側近の中にも裏切り者が…!?」
事のほか狼狽えるセバスティアンを見れば、誰でもわかることだ。
…ルベルトが、何者かの手によって拐われた!!
「あんたねぇ…情報がどうとか、裏切り者とか、今はそんなことどうでもいいのよ…ル、ベ、ル、ト、は、ど、こ、に、い、る、の、か、って聞いてるのよ!!!!」
レナーテは、その視線だけで焼き殺されそうなほどの殺気を振りまき、もう一度セバスティアンに状況説明を求めた。
激情に、怒りに我を忘れそうなのを寸前で抑えているのが、戦いに身を投じたことのないエリーにもわかる。余りにも強烈な殺気に、ひっ、と身体の奥から自然と息が上がり、身がすくんだ。
「竜の少女よ、それを含めて儂から話そう…。セバス、ここまでの道案内、大義であった」
「陛下…滅相もございません。承知致しました」
部屋の奥から、老いた男性がゆっくりと姿を現すと、セバスティアンは跪き、頭を下げた。
「…お、王様!!?」
その人物を見て、エリーが感嘆の声を上げる。
しかし、王だのなんだのということは、今のレナーテには全く関係のないことだ。
「誰でもいいから、早くルベルトの居場所を教えなさい!!あたし、あんまり気が長いほうじゃないのよ、この城ごと纏めて吹き飛ばすわよ…!!」
「…コハク…」
今すぐにでも竜化して、本当に城ごと破壊し尽くしそうなレナーテを見て、リィナは呟く。
「ルベルト殿は、おそらく、王の間にいるだろう。命は保証する。あやつが、武勇誉れ高きヴィリバルト=ヴァイゼンボルンの末裔を殺めるだけの覚悟はない。おそらく、殺してしまっては目的も達成できないであろうからな…セバス、今すぐに王の間へ行き、ルベルト殿の安否を確認してまいれ」
「承知!」
命令を聞いて、セバスティアンは即座に扉を出て走り去っていった。




