旅の苦労と珍道中Ⅱ
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他にも、町を出発して三日目の夜、こんな事件があった。
夜間は馬車の積荷を守るため、最低一人が起きて見張りをすることになる。順番は基本的に輪番制となるが、朝食の準備がある(唯一まともな食事を作ることができる)エリーだけは明け方に固定された。
就寝は夜十時頃、起床は日が昇る朝六時頃と決め、エリーが起きて荷物番及び朝食準備を始める朝四時までの六時間を、ルベルト、レナーテ、リィナの三人で二時間ずつ担当することとなる。
事件が起こったこの日、夜間の荷物番はルベルト、リィナ、レナーテと続く順番だった。
レナーテの体内時計は正確であり、この日も自分が担当する二時丁度に目覚めた。ぼーっとする頭で起き上がり、寝ぼけ眼で馬車を見ると、月明かりに照らされた馬車の中に、荷物を荒らそうとしている人影が見えたのだ。
(あいつ、盗賊ね…!)
背の高さからして、多分人間の男。レナーテの前はリィナだから、ルベルトはもう寝ているはず。
一瞬にして目が覚め、そして焦燥感に駆られた。
レナーテが神殿前で千年騎士と戦っていた頃、神殿に入ろうとする盗賊と対峙したことが何度もある。
レナーテは盗賊が神殿に近づこうとする気配を察知すると、決まって普通の人間でも感じ取れるほどのマナを放出する。大抵の盗賊は森の奥から発せられる恐ろしい気配に尻込みし、神殿に近付くことすらせずに逃げ帰っていた。
中には鈍感なのか、はたまた腕に覚えがあるのかはわからないが、レナーテの放つマナに臆さず神殿に近づく者もいた。そういった連中は、歴代の千年騎士が駆けつけ、侵入を未然に防いでいた。
まあ、人間の叡智の結晶たる神殿に、盗賊風情が実際に潜り込めたかどうかは怪しい話ではある。
ともかく千年もの間、万が一を考え千年騎士と同様に神殿を守ってきたレナーテは、人間の気配に敏感にならざるを得なかった。それ故に、外が明るくても暗くても関係なく、警戒していれば眠っていても自然と起きることができるようにまでなった。
しかし今はどうだ。警戒していたのにも関わらず、馬車には盗賊がおり、もう既に積荷に手を出している。
(あたしとしたことが…どうして気づけなかったんだろう…?)
レナーテは、自分の油断が招いた事態だと歯噛みした。
少なくともこの時点で、相手は自分が気づけないほど、気配を隠すことに長けた手練だと判断できる。馬車を守るために竜化して炎を吐くわけにもいかず、馬車との間に少しだが距離がある今、追い払うためにわざとマナを放出して、結果的に積荷を持ち逃げさせるわけにもいかない。
(そおっと近づいて、捕まえるしかないわよね)
と、ここまで考えて行動を起こしたのは良かったが、レナーテは焦っていたからか、寝ぼけていたのか、何れにせよ正常な判断力を欠いていた。そういう意味では、ルベルトやエリー、リィナと共にいることで、油断していたのは間違いない。
スムーズに流れていたと思われた思考だったが、彼女は一番初めにすべき重要なことを失念していた。
今夜レナーテの担当は二時から四時の間。今日の順番だと、見張りが始まる時はリィナが起きていて、終わる時にはエリーを起こすことになる。
先程あったとおり、レナーテは時間丁度に目を覚ますため、起こされるということがない。今回はそれが仇となった。
レナーテは、ルベルトが寝ている姿、或いは自分の前に見張りをしていたはずのリィナを見ていないのだ。
気配を殺して、慎重に馬車への移動を開始したその頃、リィナはというと、実はレナーテが起きたすぐ横で眠っていた。それは、レナーテが眠りについた時からなんら変わっていない。
レナーテはこの時まで知る由もなかったが、マイペースのリィナは、ルベルトが起こそうとしても起きないことがほとんどだ。レナーテがリィナを起こす際は、文字通り叩き起こしたり、容赦のない起こし方をする為に起きるが、心優しいルベルトは、大声を出して他の人を起こすようなことはせず、せいぜい小声で呼びかけながら揺するくらいが精一杯だ。
…もうお解りだろう。
今回、ルベルトの見張り時間が終わり、彼はリィナを起こしにきた。しかし、いくら起こしても全く起きない。五分ほど粘ったが、馬車の見張りをあまり長い間放置するわけにもいかず、起こすのを諦めてリィナの分を肩代わりし、ルベルトの荷物番は二回戦目に突入していた。
眠さの限界に達していたルベルトは、気を紛らわすために、馬車の積荷を整理することにした。
それはというのも、見通しの良い街道を通っている最中は、レナーテとリィナは気分次第で馬車に乗り込む。その間、お腹が空いただの暇だのと言って好き勝手に積荷を物色し、きっちり整理されていた積荷がぐちゃぐちゃになり一日が終わるからだ。
凄惨な状態になった積み荷のことを気にはしていたものの、睡眠欲に抗えずそのままにしておいたルベルトが朝起きた時には、積荷はまた整理整頓されている。それが二日続いた。(一日目は馬が動かなくなって暇を持て余したリィナがひとりで荒らしていた)
これはエリーがやってくれているのだと直ぐに確信した。
エリーは地図を見ながら馬車を操り、朝だけではなく三食全ての食事の準備をひとりで行い、自分だけ体力を使っていないからと食事の片付けや水汲みなども率先してやってくれている。
あまつさえ、荒らされた積荷を見て文句一つ言わず、夜な夜な整理もしているのだ。
本来ならそれに甘えてこの日も眠りに就こうかとも思ったのだが、リィナが起きず、荷物番を交代することができなかった。そして一時間余りが経過し、いよいよ本格的に襲ってきた睡魔に抗うため、眠気を紛らわすついでに、エリーの負担を減らそうとルベルトが積荷を整理していたのだった。
レナーテが盗賊の気配に気が付かなかったのは当然だ。馬車に居たのは、積荷を荒らしている盗賊ではなく、積荷を整理しているルベルトだったのだから。
「ふあぁ……いけない、眠たくなってきた、今、何時だろう…?」
積荷の整理がもう少しで終わりそうな頃、背後から迫る魔の手に気づかないルベルトは、あくびをしながらも未だに手を止めないでいた。
(本当なら、もう終わっててもいいんだろうけど、さすがに眠すぎて捗らないなぁ)
質の良い仕事や十分な戦闘を行うには、睡眠は改めて重要だと肌で感じていたその時。
「………っ!?」
ルベルトは背後から身がすくみ上がるほど恐ろしい殺気を感じた。
(まずい…。もうかなり近い。この気配は、人?いや、魔獣?)
こんなに近く接近されるまで気が付かなかったことに焦るルベルト。人か魔獣かわからないのは無理もない。背後から自分に襲いかかろうとしているのは、人化した竜なのだから。
いずれにしても、このままでは良くない。ルベルトは覚悟を決めると、瞬時に馬車を飛び降りた。
「待ちなさい!」
しかし、その行動まで読み切られていたのか、信じられない速度で詰め寄ってきたのは、小さな少女だった。
「なんだ、レナ…」
警戒を解き、名前を呼ぼうとしたところで、ルベルトの首は小さな手によって締め付けられ、気がつけば体は宙に浮いていた。
レナーテは盗賊の首を絞め上げながら、そのまま持ち上げ、そして地面に叩きつけようとしたのだ。
なんとか声を出そうとするものの、相当な力で首を締められているルベルトは、呼吸することもままならない。体が浮かび上がり、凄まじい速度で天地が反転する中、首を絞め上げられたまま逆さまになったルベルトと、締め上げて地面に叩きつけようとしているレナーテの視線が交差した。
「ルベル…!」
レナーテが、今自分が地面に叩きつけようとしているのはルベルトだと気がつき、知覚した時既に遅し。ドスン!という音と共に、自分の手に確かな手応えが返ってくる。
「グハァッ!」
(ああ、肺から強制的に空気が出ると、本当にこんな声が出るんだな…)
想定を超える事態に、正常な思考を失ったルベルトは、そんなことを思いながら意識を断った。
「ルベルト!ごっ、ごめん!大丈夫!?」
ぐったりしたまま動かなくなったルベルトを見て、レナーテは混乱した。
(こういう時はどうすればいいんだっけ!?ほっぺを叩いて意識を確認?いや、意識は失ってる、っていうかあたしが失わせた!ど、どどどどうすれば…!?)
「レナーテさん、どうしたんですか!?今もの凄い音がしました…け、ど…?」
鈍い衝撃音に慌てて飛び起きたエリーが馬車まで駆けつけると、意識を失って横たわるルベルトと、涙目でおろおろと狼狽えているレナーテがいた。
「ルベルト様ぁ!?」
エリーはすかさず耳をルベルトの口元に寄せ、呼吸があることを確認。続いて外傷を確認すると、ルベルトの首筋に月明かりでも見えるほどの痣を見つけた。
「レナーテさん、ルベルト様は一体どうされたのですか?」
ルベルトの首の痣は明らかに手形だ。人の形に近い魔獣は存在するが、この辺りで出たという話は聞いたことがない。エリーはレナーテに発見した状況を尋ねる。もちろん、レナーテがやったとは露ほども思っていない。
「ええっと…あの…怒らない?」
冷や汗をだらだらと流しながら上目遣いでそう言ったレナーテを見て、エリーはなんとなくだが状況を察した。少なくとも、レナーテが何かをやらかしたことだけはわかる。
「…状況によりますが、なるべく怒らないように善処しましょう。それで、何があったのですか?」
訝しげに目を細めながら、ジトっとレナーテを威圧するエリー。
「…あたしが起きたら、馬車の積荷をごそごそと荒らしているような男の人影が見えたの。見張りの順番は、あたしの前がリィナだから、人影はてっきり盗賊かと思って、捕まえようと首を掴んで地面に叩きつけたら……」
「盗賊ではなく、ルベルト様だった?」
コクリ。
尻すぼみに小さくなっていくレナーテの説明を聞いたエリーは、満面の笑みを浮かべた。
「今すぐ、リィナ様を連れてここまで来て下さい」
(ひえぇ…)
レナーテが人間に対してこれほどまでの恐怖を覚えたのは初めてのことだった。満面の笑顔は、時と場合によっては激怒している表情よりも怖いことを知った。
「言われたらすぐ行動する!!」
「は、はいぃ!!」
走ってリィナのところに駆けつけたレナーテは、慌ててリィナを起こすが、一向に起きる気配がない。大声を出したり、顔の近くで炎を出したりして、数分かけてやっと起床させ、そのまま力任せにリィナの腕を引っ張って馬車の近くまで戻ってくる。
すると、丁度ルベルトの意識が回復したようで、エリーは安心して微笑みながら、寝そべるルベルトの頭を撫でていた。
それを見たレナーテも、ルベルトが目を覚ましたことに一安心してはいたが、原因が自分なだけに声をかけることは躊躇われ、黙って見ていることしかできなかった。
「あれ…僕は…」
「ルベルト様、お加減如何ですか?呼吸はしっかりとできますか?」
おぼろげな意識の中、エリーの質問の意図は分からないながらも深呼吸をしたルベルトは、大丈夫、と言って立ち上がろうとする。が、エリーはそっとルベルトの両肩を抑えてそれを制した。
「ルベルト様は今、非常識な方法で地面に叩きつけられて気絶していましたので、脳震盪を起こしている可能性があります。しばらくはそのままで安静にしていて下さい」
「脳震盪…?ああ、そうか、さっき僕はレナーテに…」
ルベルトの呟きにギクリとしたレナーテは、自分も頭を下げながら、リィナの頭に手を添えて一緒に頭を下げさせようとする。
「ルベルト、ごめんなさい!あたしの不注意であなたに痛い思いをさせてしまったわ。本当にごめんなさい!」
「コハク、何をするの。痛い」
「いいから、あんたも謝りなさいよ!」
リィナを無理やり謝らせようとするレナーテだったが、そのやり取りすらも蛇足と思えてならないエリーは、ルベルトへの微笑みを真顔に変え、レナーテとリィナへゆっくりと顔を向ける。
「ふたりともそこに正座!!」
途端に大きな雷が落ちた。
「はいぃ!」「………?」
ルベルトを傷つけてしまったことに心底申し訳なく感じていたレナーテは、素直にエリーの指示に従い正座。リィナもまた、寝ぼけていて状況をよくわかっていないながらも、とりあえずは言うことに従って正座した。
「あなた達はルベルト様をなんだと思ってるんですか!元はといえば、リィナ様が見張りをせずに寝ていたのが原因なんですよ!レナーテさんも不注意過ぎます!もっと… … …大体あなた達はいつも… … …だからわたしは常日頃から… … …本当にわかってますか!?」
エリーによるありがたい考証(お説教)が始まり数分が経過。尚も止まらぬ勢いに、段々と頭が冴えてきたルベルトは立ち上がり、苦笑を浮かべながらエリーの肩に優しく手を置いた。
「エリー。リィナは慣れない旅で疲れているのだろうし、レナーテは一生懸命だっただけだ。僕なら大丈夫だから、あまり責めないであげてくれないか」
「…ルベルト様が、そう言われるのでしたら」
状況を理解したルベルトは、そう言ってエリーを嗜めた。ルベルトに言われると弱いエリーは、納得できてなさそうな表情ではあったが、素直に受け入れた。
「エリー、わざわざ嫌われ役を買って出てくれてありがとう。この旅もまだ三日だけど、きみが居てくれなかったら苦労は今の比ではなかっただろう。きみの負担を減らすために積荷の整理をしていたのだけど、却って睡眠時間を削らせてしまう結果になってしまったね。すまない」
「いいえ、わたしこそルベルト様と一緒に旅が出来て本望です。お気になさらないで下さい。それはそうと、やっぱりルベルト様は積荷の整理をして下さっていたのですね…相変わらず、なんてお優しい…それに比べて…」
ギロリ。
「う…本当にごめんってば!あたしだってルベルトにこんなことしたかったわけじゃないのよ!」
「…眠たい」
反省しているレナーテはともかく、全く反省の色が見えないリィナは問題があるが、まだ夜は深い。とりあえずこの話はこれで終わりとして、時間通りレナーテが見張りをすることで解散となった。
後日協議した結果、次の日からリィナを起こすのは遠慮のないレナーテの仕事となり、それ以降はリィナも寝坊することなくしっかりと見張りを行ったのだった。
…………………
思い起こされる苦労の日々に、思いを馳せること数分。二人を現実に引き戻したのはやはり現実でしかなかった。
「ねえねえ、もう町に入っていいの?いいよね!」
お預けをなんとか我慢している犬のようなレナーテの言葉に、エリーはため息を隠せなかった。
「レナーテさん、町を見て回るのも大切ですが、まずは拠点を構えるのが先決です。この町に滞在する期間が未定ですので、部屋を借りるか、宿屋を使うか悩むところですが…今日のところは宿屋に行きましょう」
宿屋を知らないレナーテがキョトンとするが、これも最早お決まりのパターンでルベルトが説明すると、レナーテは瞳を輝かせた。
「もしかして、今日はその辺で寝るんじゃなくて、ベッドで寝れるの!?やったぁ!!」
「お風呂、入れる?」
ほら穴暮らしが長かったせいで、城下町に来たというのに何故か野宿が前提のレナーテは、ベッドで眠れるとは思っていなかったらしい。リィナも心なしか嬉しそうだ。
「それじゃあまずは宿屋を探そう。もう日が落ちてきているから、本格的な町の散策は明日からにしようか」
やることはたくさんあるが、ルベルトとエリーにしてみれば、まずはゆっくりと休みたいというのが本音だった。
大層ご機嫌なレナーテを先頭に、一行は城下町の門を潜り、宿屋へと向かった。
…ちなみに、お風呂と人数分のベッドがある部屋に四人で宿泊する料金は一人あたり銀貨三枚。それを聞いたレナーテは、愕然としてしばらく動かなくなった。




