旅の苦労と珍道中
「着いたぁーっ!」
堅牢に造られた大きな門の前で、両腕を目一杯に伸ばしながら、レナーテはキラキラと瞳を輝かせた。
ルベルトとエリーが生まれ育った町を出発してから一週間、四人は王都の入り口に立っていた。
今にも城下町に向かって駆け出しそうなレナーテの後ろ姿を横目に、ルベルトとエリーは、町の中心に位置するベルセラント城を見上げ、感慨深くここまでの道中を思い出していた。
四人が町を発ってから王都にたどり着くまでの道のりは、順調、とは程遠いものだった。
危惧していた魔獣との遭遇こそなかったものの、自由奔放で直情的なレナーテと、寡黙でマイペースなリィナに振り回され続けたルベルトとエリーの疲労は、無事に到着できた安心感も相まってピークを迎えていた。
思えばここまでの一週間、大小様々な事件が起きたものだ。
寝るのはベッドが良い、食事が少ない、お風呂に入りたい、馬車が狭い等々、細かいことを言い始めれば切りがないのだが、珍道中の出だしに相応しい、例えばこんな事件があった。
…………………
それは、屋敷を出発して僅か一時間経った時の事。
意気揚々と出発した一行は、馬の手綱をエリーが握り、馬車の前をルベルト、レナーテとリィナは馬車の後方を左右に分かれて歩いていたのだが。
「疲れた」
歩いていたリィナが、そう言ったきり突然動かなくなった。
レナーテが大きな声で「リィナが固まった!」と叫ぶと、慌ててエリーが馬を止め、ルベルトがリィナに駆け寄る。
「リィナ、もう歩けないのかい?」
「疲れた」
「ええっと、日が落ちるまでにはまだ時間があるし、足が痛むのでなければ、もう少し頑張って欲しいのだけど」
「疲れた」
「リィナ、僕たちは…」
「疲れた」
ダメだ。全く話にならない。
馬に引かせているのは小さめの馬車だが、有事の際には人ひとりが寝そべられるだけのスペースは確保されている。つまり、物理的にはリィナを馬車に乗せることは可能である。
では、なぜルベルトは頑張って歩いて欲しいと言ったのか。もちろん、ただ単に意地悪をしようとして言ったわけではない。
ルベルト達が王都まで通っていくのは、基本的には整備された街道だ。街道の多くは、見晴らしの良い丘や平坦な草原にあるが、中には、今ルベルト達が歩いているような、左右が林に囲まれていて、見晴らしが悪い道もある。
この辺りは数時間前にダイアウルフの群れと遭遇した森に近い。特に魔獣への警戒を怠るわけにはいかないのだ。
「リィナ、さっきから何言ってんのよ。出発して直ぐにルベルトが言ってたでしょう。魔獣や盗賊はなにもあたし達だけを狙うわけじゃないのよ、馬車に積んである食料やお金だって盗られる可能性もあるんだから!」
ルベルトは出発直後、旅をする上でのルールを幾つか提案していた。
その内のひとつが、全員で馬車に乗るのではなく、馬を上手に扱うことができるエリー以外のメンバーは、なるべく馬車を囲むようにして歩いていこう。というものだった。
主な目的は、馬車の荷を軽くすることにある。これは馬の疲労を蓄積させないようにする為だが、もう一つの目的として、魔獣や盗賊に襲撃された時の対処を、迅速に行えるようにすることが挙げられる。
これについては、ひとりだけ歩くことのないエリーは申し訳なさそうな顔をしながらも、実利を取って賛成。リィナは相変わらずの沈黙で無効票。馬車に乗る、ということについて、ある種の憧れのようなものを感じていたレナーテは「それじゃあ、あたしが馬車に乗れないじゃない!」と言い出してこの案に難色を示した。
なるべく馬を疲れさせないということに関しては「この馬だって、ずっと全員を乗せていたら疲れちゃうわよね」と、一人くらいなら問題ないだろうと考えているのか、一定の理解はあるようだ。
しかし、魔獣や盗賊の警戒となれば、やはりエリー以外は馬車に乗っていない方が良いことは確かで、そうなるとレナーテはずっと馬車に乗ることができない。
普段は何かと文句を言うものの、根は素直で聞き分けの良いレナーテが、この件について渋っている理由は、竜である彼女にとって、この近辺に出てくる魔獣や人間の盗賊などは取るに足りない存在だからである。言い換えれば、警戒するに値しないのだ。
要するに、一瞬で片付けられる相手の為に、自分が馬車に乗れなくなることが許せない。
それでも、必要なことだとルベルトは説いた。自分達には絶対強者であるレナーテとリィナがついているとしても、全ての積荷を守りきれる保証がない。一瞬の隙をついて、一部を奪われるかもしれない。取り返そうとして、もしレナーテが竜化、又はリィナが法術を使っても、馬車ごと壊してしまう可能性だってある。
ルベルトの説得に、人の文化に疎く、理で詰められると弱いレナーテは口を噤む。
そしてルベルトがダメ押しの一手。今馬車に積んであるお金がどのくらいかをそっとレナーテに耳打ちする。
「………ひっ!!!??」
兎の生け捕りは、良くても銅貨三枚。ルベルトから聞いた額は、お金という文化に触れて間もないレナーテには恐ろしいほどの額だ。
レナーテには難しくて計算はできないが、それは余りにも途方もない金額に聞こえた。ともすれば、一生食べていける気さえする。
「レナーテ、馬車を守ってくれるよね?」
驚きのあまり固まっているレナーテに、ルベルトが爽やかな笑顔で優しく問いかける。レナーテは真剣な面持ちで、壊れかけのブリキ人形のようにぎこちなく頷いた。
(ルベルト様…お黒いですぅ)
馬車を操るエリーは、ふたりの会話を聞きながらそんなことを思っていた。
最後にルベルトが、見晴らしの悪い場所でなければ時折馬車に乗っても構わない、ということ告げると、レナーテは安心したように顔を綻ばせ、ルベルトの出した案を快諾したのだった。
そんな経緯で、誰よりも馬車の警護に真剣なレナーテは、リィナの無気力無責任さに苛立ちを隠せないのだ。
「だって、疲れたもの」
「…あんたねぇ」
レナーテが注意しても、リィナの発言内容は全く変わらない。
リィナは決してわがままを言っているわけではない。法術師として生まれ育ったリィナは、元来体力が少ないのだ。まして今日は、町から神殿までの道のりを、往復で二時間かけて歩いた後だ。彼女にとってそれは、相当な運動量だった。
「それではリィナ様、ここからしばらくは一本道ですから、わたしが代わりに歩きます。この子の手綱を握っていただけますか?」
見かねたエリーがそう提案すると、本当に限界が近かったのだろう。リィナはのろのろと移動し、エリーの座っていた場所に腰を据え、言われた通りに手綱を握った。
やめた方がいいと思うわよ、とレナーテの静かな忠告に不安を覚えたルベルトが、止めようと足を踏み出そうとした瞬間。
スパアン!と小気味いい音が鳴り響いたと思えば、馬が「ヒヒィィィン!」と悲鳴を上げて、先程までとはうってかわって全速力で駆け出した。
走り始めに、リィナの首が大きくガクンと後ろへ折れたが、急な展開に呆気にとられるルベルトにはそれを気にする余裕などない。その隣のレナーテはやっぱりねと呆れ顔、更に隣には放心状態のエリー。
ガタガタと馬車の車輪が取れそうなほどのけたたましい音も、数秒をかけて遠くなり、やがて馬車と共に彼方へ消えていった。
「あ…」
「だから言ったのよ。あの女、昔から動物の扱いが全然ダメだったもの」
「それを早く言ってくださいよ! ど、どどど、どうするんですか!?」
再起動したエリーは、慌てふためいて半泣きになっていた。
「とりあえず追おう! 話はそれからだっ!」
残された三人も全速力で駆けに駆け、結局ルベルト達が馬車に追いついたのは、それから三十分が経った頃の事だった。
ルベルト達が追いついた地点で、体力に限界がきたのだろう。極限まで鞭を入れられた馬の脚はガクガクと笑っていた。
必死に走って息も絶え絶えのエリーが馬に駆け寄り、無理して立ち上がろうとしているのを止めさせ、その場に休ませた。
肝心のリィナはといえば、ルベルト達の苦労などどこ吹く風で、馬車の中ですやすやと眠っていた。
結局、日が落ちるかなり前に馬が使えなくなり、ルベルト達は行動不能となってしまった。仕方がなく、馬の体力が回復するであろう翌朝まで休むことになった。
とまあ、このような事件があったのだ。
それからというもの、リィナが手綱を持つことは固く禁じられ、見通しの悪い街道で彼女が疲れたと言えば、休憩をとることが通例となったのだった。




