復讐の意味と魔獣との邂逅
…………………。
「ところで、何か様子がおかしいと思わない? この道はいつも通っていたけど、なんていうか、こんなに落ち着かないのは初めてだよ」
町から神殿へ向かう道中、何度も通っているはずの慣れ親しんだ道を歩くルベルトは、感じる違和感の正体がわからず、首をかしげていた。
「そりゃそうよ、今日はリィナがいるもの。昨日はまだ目覚めてなかったから全然だったけど、今はやっぱりマナが滲み出てる。こんな、くっさいマナを垂れ流してたら、魔獣も寄ってきて当然よ」
くさいマナ。とはどういうことなのだろうか。意味が違うとは思いながらも、ルベルトはつい鼻をすんすんといわせ、周辺の匂いを確認してしまう。それを見たリィナは、むすっとしてルベルトを睨んだ。
「ルベルト。あなたはデリカシーに欠けている。私はくさくない。昨日はちゃんとお風呂にも入った」
「…はっ!? 申し訳ない! 女性に対して大変失礼なことをしてしまった!」
殺気にも似た視線を感じ、咄嗟にリィナから距離をとって平身低頭するルベルトに、クスクスと笑いながらレナーテが補足する。
「まあ、人間にはわからないかもね。リィナが千年間蓄えたマナは、自然的なものとは少し違うのよ。あたしも詳しくはわからないけど、そうね…不吉というか、良くない感じがするのよね」
竜であるレナーテには、マナの存在が、色の違いで見えたり、匂いで感じたりすることが出来るらしい。
例えば、火のマナが多い場所は赤、水は青、風は緑、土は茶色と、どれも極薄い色ではあるが、モヤのようなものが見えるとのこと。
匂いに関しては、四大属性それぞれの説明が難しいようだが、人間でも季節の変わり目に感じるような微かな匂いが、レナーテには感じられるのだそうだ。
「基本的に人間はマナを取り込んで法術として使うでしょ? だから、なにもしていない時は、モヤは見えなくて、当然匂いもしないんだけど、リィナは違う。常に黒っぽい紫色のモヤが見えるし、匂いはなんというか、四つのマナと違って爽やかな感じじゃなくて、そうね…どぶくさい?匂いがするのよ」
「どぶ…」
「リィナ、例えだから! 僕は全然そんな匂いしないよ! むしろ女性らしくて素敵な匂いしか感じないよ!?」
どぶくさいなどと言われては、さすがのリィナも女性として落ち込まずにはいられないようで、表情の変化こそほとんど無いか、その雰囲気は明らかに落胆していた。ルベルトは咄嗟にフォローするものの、慌てていたせいか、自分で言っておいて、このフォローはどうなんだろう、と思ってしまうような言葉しか、かけることができなかった。
「だから、あんたの蓄えたマナってなんなのか気になってたのよ。自然界にあるマナじゃないことは間違いないと思うんだけど。そもそも、自然界にある四つ以外のマナって、どんなものがあるのか、その種類も数も見当がつかないのよね」
レナーテの言葉に、黙って俯くリィナ。その答えを持っていないのか、知っているのかは定かではないが、少なくとも口を開く気はないようだ。
「ま、良いんだけど。どんな力であれ、強力なことには間違いないわ。きっと、リィナが本気を出せば、あたしも十秒と持たないでしょうね」
「十秒!? きみが!?」
ルベルトはレナーテの強さを、ほんの一部ではあるが知っている。最後の戦いでは一矢こそ報いたが、それでもまだ、全力には程遠かっただろう。そのレナーテがたったの十秒も持たないと言う。
「そうよ。癪だけど。本当に癪だけど、この子はそれだけの強さを持ってる。如何に竜とはいえ、一対一で勝負が成立するような個体は、そうそういないでしょうね」
それほどまでに、と絶句するルベルトは、リィナの凄さを改めて実感すると同時に、その力量差をしっかりと分析できるレナーテにもまた、自分では到底及ばないことを知った。
「ルベルト。あまり落ち込まなくて良い。あなたにはあなたの秀でているところがある。それはきっと、私やコハクにはない力」
「そう、なんだろうか。僕にも、ふたりに誇れるような力があるのだろうか…」
「ルベルト、あんたは騎士でしょ? あんたのは、あたし達みたいな、壊すための力とは根本的に違うのよ。ルベルトのは守るための力よ。リィナも言ったけど、それは、あたしやリィナにはない力のはずだから」
自らの力を、壊すための力と言うレナーテの表情は、自分を蔑んでいるように見えた。そして、レナーテの言葉に反論しないリィナもまた、同じ思いを持っているに違いなかった。
「リィナ、レナーテ、もしかしたらきみ達の言うことは正しいのかもしれない。だけど、力そのものに善悪なんてないと僕は思う。例えばレナーテの力だって、千年もの間、僕ら千年騎士を鍛えるために使ってくれた。それは、壊すための力なんかじゃない。僕らを鍛え、ある意味では守ってくれた力だ」
ルベルトの優しい気持ちに触れ、嬉しさの余り、レナーテの涙腺は一瞬にして崩壊した。
「ぐすっ…うぅ…るべるとぉ…ありがとね…」
ひし、とルベルトに抱きつきながら、レナーテは涙やら鼻水やらを、ごしごしとルベルトの服で拭う。
自分よりもずっと長く生きてきたはずなのに、その仕草はまるで歳の離れた妹のようで、ルベルトは温かな気持ちになって、僕は思ったことを言っただけだよ、とレナーテの頭を撫でた。
「力は使い方次第。そして、私の力は竜を滅ぼすためにある。それは良いこと?」
「それこそ使い方次第じゃないかな。千年前の人は、それが良いことだと思ったから、リィナを千年の眠りに就かせた。リィナは確かに竜を滅ぼすために千年を越えたけど、力の使い方は自分で判断すべきだと思う」
「そう。だから、まずは情報収集と言ったのね。滅ぼすべき竜がどこにいるのかではなく、本当に竜を滅ぼすべきかどうかを、私が判断するために」
「そうだよ。どんな理由があっても、結局は命を奪うことになるんだ。それ自体は決して悪いわけじゃない。身を守るためにそうしなくてはいけない時もあるだろうからね。だけど、そこにはリィナの意志がなければいけない。じゃないと、それはただの殺戮だよ」
終わらない復讐の連鎖の一部になるだけ、とルベルトは続けてそう言った。
リィナの脳裏には、千年前、自分の住んでいた集落で、燃え盛る炎のなか荒れ狂う、二頭の竜の姿が思い浮かんでいた。自分の見たあの場面こそ、殺戮と呼ぶに相応しい光景だった。
ルベルトは暗に伝えているのだ。何も考えずに竜を滅ぼすことは、立場を逆にしただけで、あの日の竜と何ら変わりないことを行うことだと。
「ルベルト、あなたはとても立派。きっと、私よりもずっと前から、自分の力やその使い方について考え続けて来たのね」
リィナの心からの賛辞に、いつの間にか泣き止んでいたレナーテが、何故か得意満面で、それはそうよ、と相づちを打った。
「ルベルトは本当に小さい時から、ゲルトラウトと一緒にあたしのところにきてたもの。初めて見たのは確か、五歳くらいの時だったかしらね。今までたくさんの千年騎士を見てきたけど、あんなに小さい頃から戦いを見ていたのは、ルベルトだけ」
リィナは、ゲルトラウトって誰のこと、と目線でルベルトに問いかけると、僕の父さんだよ。八年も前に病気で亡くなってしまったけどね。とルベルトが小声で答えた。
「それに、千年騎士になったのもたった十歳の頃よ? 恐怖を押し殺して勇敢に立ち向かってくるルベルトったら、もう可愛くて可愛くてしょうがなかったわ!」
ルベルトはその言葉を気恥ずかしく思いながらも、他界した自分の父親のことや、初めて紅い竜と対峙した頃の自分のことを、鮮明に覚えていてくれているレナーテに対して、感謝の気持ちでいっぱいになった。
「そう。それは、私も見てみたかった」
何故かレナーテの言葉に同意するリィナに、ルベルトはひきつった笑みをを浮かべながらも、幼い頃の自分の話を聞いたせいか、ひとつ疑問が湧いた。
「ところでリィナ。女性にこんなことを聞くのも失礼かもしれないけど、歳はいくつくらいになるのかな? 僕と余り変わらないように見えるけれど」
少し言いにくそうに、リィナは目を伏せると、小さな声で囁くように言った。
「千、とんで、十九歳」
千からとんだのは、おそらく眠りに就いていた時間分なのだろうが、彼女が言い淀んだのは、その『千』というのを気にしていたかららしい。
リィナの場合はかなり特殊ではあるが、いつの時代も、歳を重ねた女性が他人に年齢を教えるのは、嫌なものであるらしい。
「まあ、眠っていた時間はノーカウントだよね。つまり、十九歳なわけか。やっぱり、僕よりもほんの少しだけ年上だったんだね」
「私、ルベルトよりも、お姉ちゃん?」
首を傾げながら尋ねてくるリィナを微笑ましく思いながらも、ルベルトはそうだよ。と言葉を返した。
兄弟がいなかったのか、弟が欲しかったのかは定かではないが、相変わらず無表情ではあるものの、リィナは嬉しそうに見えた。
そんな中、急にレナーテが立ち止まり、森の方を見ながら警戒を露にした。
「っと、ルベルト、どうやら話は後にした方が良さそうね。ワンちゃんがいっぱい出てきたわ」
その言葉に、和やかなムードは一瞬にして消え去った。
「ワンちゃん、って、ダイアウルフじゃないか!」
レナーテがワンちゃんと称した、狼の姿をした魔獣、ダイアウルフが、十頭はいようかという群れで三人の前に姿を表したのは、レナーテが喋り終えた直後のことだった。
ダイアウルフは、個体としてはさほどの強さはないが、それでも魔獣であり、法術の使えない一般人では到底相手にならない。
まして今は群れとの遭遇であり、多少法術が使える程度で戦いを挑めば、間違いなく命を落としてしまうだろう。
一般の狼と比べると一回り大きい、そのダイアウルフの一頭が、牙を剥き出しにして涎を垂らしながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
「ふたりとも、下がって。ここは僕が」
ふたりを守るように一歩前に出るルベルトではあったが、その手や体には何も装備していない。
「ルベルト、今はあたしがやるわ。せっかくだから守ってもらいたい気持ちもあるけど、武器も防具も無いんじゃ、ルベルトが危ないもの」
見かねたレナーテはそう声をかけるが、生粋の騎士であるルベルトは、女性の背中に守られるわけにはいかないと言って、下がろうとはしない。
「そんなカッコいいこと言ってもダメよ。まあ、そんなところがあたしは大好きなんだけど…。こほん。とにかく今は引いて。一対一ならまだしも、この状況で戦うのはただの無謀よ。ルベルトが倒れれば、余計に危険が増えるだけだわ」
「…わかった。レナーテ、わがままを言ってごめん」
筋の通った正論に、さすがのルベルトも了承せざるを得なかった。自ら命を投げ出して誰かを守るのは、まさに騎士の本懐ではあるが、それは最後の手段であるべきだ。全員が生き残れる方法があるのならば、誇りを犠牲にしてでも生き残るべきだと思った。
自分が死ぬことで、少なくとも悲しんでくれる人がいるのならば、尚更。
レナーテは、そんなルベルトの心情を理解した上で、にっこりと笑いかけると、ダイアウルフ達の方に向き直った。
ゆっくりと目を閉じ、大きく息を吸う。
一呼吸おいた後、カッ、と目を見開いて、鋭く睨み付けると、一気に息を吐き出す!
「……はあっ!!」
ドンッ!!
気合いと共に放たれた赤い波動が放射状に広がり、一瞬のうちにダイアウルフ達を飲み込んでいく。
背後にいたルベルトですら、余りの衝撃に驚き、顔を背けた。衝撃と共に凪いだ風が止まった頃に恐る恐る顔を上げると、そこにいた全てのダイアウルフ達が、地面に倒れて伏していた。
「レナーテ、今のは…?」
「ん? 今のは、火のマナを少しだけ取り込んで、一瞬で放ったのよ。こういうのも、衝撃波って言うのかしらね?」
事も無げに言うレナーテに、ルベルトは呆気にとられるばかりだった。
「竜化もしてないし、威力自体はそんなにないわ。この子達は気絶してるだけ。目を覚まされても面倒だから、今のうちに先を急ぎましょ」
「わかった。リィナも、先を急ごう」
ルベルトの言葉に、リィナがコクリ、と頷くと、三人は急ぎ足でその場から離れていった。
2018.06.02 誤字修正




