現代の常識と人族の王
翌朝。グライスナーの屋敷で朝食を食べながら、四人は今後についての話を始めていた。
「まずは目的地なんだけど、皆は行きたい場所や気になる所はあるかな?」
「はいはーい! あたし、海を見てみたい!」
慣れないナイフとフォークに、思うように食事が進まず嫌気が差していたのか、レナーテがルベルトの言葉にすぐさま反応して、右手を上げながら立ち上がった。
「レナーテさん、はしたないですよ。淑女たるもの、食事中には立ったりせず、お行儀良く食べるものです」
「なによ、まったく。エリーはあたしにだけごにょごにょ…。んしょ、っと。こほん。…気を取り直して、ルベルト!あたし海が良い!海に行こう!ね!」
悪態こそついたものの、根が素直なレナーテは、エリーの忠告にはしっかりと従うようだった。聞き取れないほど小さな一人言を言いながら、椅子に座り直したレナーテは、咳払いの後、元気いっぱい、満面の笑みでもう一度ルベルトに進言する。
「海かぁ…それもいいなぁ。でも、情報を集めるのが先決のような気もするんだよね…。ちなみに、何かを決めようにも、僕は地理には全く詳しくなくて。…リィナはどう思う?」
たはは、と、自らの知識の無さを恥じて頬を人指し指で掻きつつも、サラダを食べていたリィナに意見を求めると、リィナはフォークを口にしながら、ふるふると横に首を振る。
「私も詳しくないからなんとも言えない。でも、竜の居場所を突き止めるためにも、情報が必要なことには同意する。情報を集めるなら、人が多く出入りするような町に行くのが良いと思う。私達は完全に情報不足。真偽はともかく、まずは数が必要」
「それでしたら、やはりベルセラントに行くべきでしょうか。ここからなら、一週間もあれば辿り着けると思いますよ。人も多いですし、情報を集めるなら、特に王都はうってつけだと思います」
ベルセラントとは、ここら一帯の村や町を統治する国王の居城、ベルセラント城の名前をとって、その周辺の地方につけられた地名である。比較的大きな町や村が多い地方で、そのなかでも特に町の規模が大きく、城を囲むようにしてできている城下町が、王都と呼ばれている。
「レナーテはどうだい? 長い旅になるだろうから、いずれは海に近い場所にも行くことがあると思うし、まずはエリーの言うとおりに王都を目指してみようと思うんだけど」
リィナの意見を踏襲し、具体的な目的地を示したエリーの案には、ルベルトも賛成だった。唯一海を熱望したレナーテの同意さえ得られれば、その案で進めようと思い、レナーテに問いかけたところ、彼女は眉間にしわを寄せ、首を捻っていた。
「全然わからないんだけど、さっきから言ってるオートって、なんなの?」
どうやら、そこが既にわかっていないらしい。
「王都ですよ、お、う、と! この町も含めて、大小様々な町や村、集落がありますが、人が住んでいるところがあれば、そこらを統治する王様がいるんです。その王様が住んでるお城を囲むようにしてできている町のことを、王都って呼んでいるんです。王様は、偉いんですよー」
「王様? そいつ、ただの人間じゃないの?」
「王様は人ですが、普通の人とは違います。町や村、集落を束ねると、国というひとつの大きな組織になります。簡単に言うと、その国で一番偉い人のことを王様っていうんです」
竜ではなく、あくまで人としてルベルト達と旅をすると決めているレナーテは、人間らしく生きていくための最低限の知識や文化を吸収することに余念がないようで、エリーの話を聞くその表情は真剣そのものだ。
「国ってなんのためにあるの? 村や集落だけでも、人間はちゃんと生活できてると思うんだけど」
「本当に昔はそうだったのかもしれません。ですが、街道が整備された今は、多くの人が大きな町に移り住んで、小さな村は人が少なくなっています。その村の人が作る物だけでは、とても満足には暮らせません。その点、国の統治下に入っていれば、村や集落で作った作物が、大きな町で売ることができて、大きな町で作られた服や道具を買うことができます。その他にも、国は民を守る義務がありますから、最低限の生活は保証されます」
まあ、売り買いは違う国ともできるのですが、関税などのお話はレナーテさんにはまだわからないでしょうから、その辺はおいおい、と得意気な表情のエリー。
街道の整備、国の統治下、義務、最低限の生活、保証など、わからない単語についても矢継ぎ早に質問し、国という仕組みについての理解を深めていくレナーテだったが、どうしてもわからないことがひとつあった。
「その、売るとか買うってどういうこと? 野菜とか服って、ただ交換するだけじゃないの?」
どうやらレナーテの常識は、物々交換の時代で止まっているようだった。ふたりの会話を聞いていたルベルトは、食事を中断して、ポケットからあるものを取り出した。
「昔は、物と物の交換が行われていたみたいだけど、今はこういうものがあるんだ」
昨日と同じ位置に座っているレナーテに見えるよう、ルベルトは取り出したコインを食卓に置いた。
「これは硬貨って言って、物の価値がこの硬貨何枚分か決められているんだ。どんな物でも大体はこの硬貨と交換されていて、硬貨で物を交換すれば、それは買うって言う、逆に、物を硬貨と交換してもらうことを、売る、って言うんだよ」
「そう…今はこんなものを使って、物を交換するのね。合理的」
千年前には、まだ硬貨というものがなかったのだろう。レナーテほどの積極性はないものの、リィナもまた、今の常識を知るために、エリーやルベルトの話を興味深そうに聞いていた。
「硬貨には、今ルベルト様が出した銅貨の他に、銀貨、金貨もあります。今の相場では、銅貨三十枚が銀貨一枚、銀貨は十枚で金貨一枚と同じ価値だったと思います。色んな呼び方がありますが、全て引っくるめて、お金、って呼ぶことが多いかもしれませんね」
「そっか、お金かぁ…。ねぇ、ルベルトはどのくらいお金を持ってるの? 一番凄いっていう金貨、いっぱい持ってる?」
笑顔で聞いてくるレナーテに、少し言いにくそうにルベルトが口を開く。
「期待してもらって申し訳ないけど、僕はお金をほとんど持っていないよ。実のところ、今出した銅貨を、五枚くらいしか持っていない」
「銅貨五枚って、どんなものが買えるの? 美味しいものがたくさん食べられる?」
「銅貨五枚じゃ、せいぜいここにいる人数分のパンと水を買うのが精一杯かな。今食べているこの朝食も、お店で食べると、銀貨二枚分くらいになるだろうし」
「え…」
カラーン、と音を立てて、レナーテは呆然とした表情で、持っていたナイフとフォークを落としてしまう。
「コハク、食事中にナイフとフォークを落とすなんて、行儀が悪い」
相変わらずのポーカーフェイスで、レナーテを見つめるリィナだが、落とした当の本人はどうやらそれどころではない様子だった。
「…ちなみに、なんだけど。ウサギを一匹、あたしが捕まえてきて売るとしたら、金貨でどのくらい?もしかして、銀貨?」
「まあ、サイズにもよりますけど、生きたままであれば、銅貨三枚くらいでしょうか。死んでいれば、最悪の場合、売ることすらできないでしょう」
「銅貨三枚!? 生きたままで!? だってウサギよ?あんなにおいしくて、お腹がいっぱいになるのに、銅貨がたった三枚なの!?」
「人がつける価値とはそういうもの。洗練された料理にはそれ相応の価値がある。素材を上手に美味しく調理することで、その価値は何倍にも膨れ上がる」
「それで、今食べているこのご飯が、銀貨二枚分の価値があるっていうの? 銀貨一枚は、銅貨三十枚だから、二枚だと六十枚でしょ…ウサギだと……ええっと、いち、にぃ、さん、しぃ…………十九匹分!!?」
ウサギを基準に考えるのが、レナーテらしく思えて、二十匹だよ、と計算間違いを訂正しながらも、ルベルトはつい笑ってしまった。
初めて痛感した、人間が決める物の価値に驚愕の表情を浮かべながら、レナーテは更なる疑問をぶつけていく。
「でも、なんでその王様ってのが必要なの? お金があれば、それで済むんじゃないの?」
「まあ、王様の役割のほんの一部だけど、お金の価値を決めるってこともそのひとつだね。実際には、それ専門の人がいて、出てきた案を承認するだけなんだけど、それでも何かを決めるときには王様の許可がいるんだ」
へぇー、王様って凄いわね!と感嘆しながら、先程落としたナイフとフォークを使用人に拾わせ、新しいナイフとフォークを受け取るレナーテ。
「それじゃあ、その王様って人間は、よっぽど価値のあるものを作れるのね! お金があれば色んな物が買えるってことは、生きていくために欠かせないのよね? 王様が偉いんなら、それはきっと、誰もできないことができるからよね!」
レナーテはどうやら、お金というものが人間にとって重要なものであることを、しっかりと理解したようだった。
彼女の紅い瞳は、まだ見ぬ国王への尊敬の念が溢れ出ているかのように、キラキラと輝いている。
レナーテがそう思ったのには彼女なりの理由があった。人間の王とは違い、竜はその個体の強さをもって優劣を決定する。その理屈であれば、金銭でほぼ全ての物を手に入れることができる人間の、まして王とは、金銭をより多く集め、生み出せる者であるはず、と考えたのだ。
「実は、そうでもないんだよ。王様は、おそらく物を上手に作ることはできないだろう。かといって、自分で働くわけでもないし、当然食料も自分では調達できない。王様は、大切なことを決めたりするのが仕事なんだよ」
「大切なことって、さっきのお金の価値を決めたりすること? でも、物を作ったりしてお金と交換できないなら、どうやって王様は生きているの?」
「食べ物は、国中の町や村、集落から、定期的に納められています。その他にも、衣服や調度品を買ったり、お城の使用人などにお給料を払うために、税金という名前で、お金もまた、定期的に納められています」
段々と、レナーテの瞳から、まだ見ぬ王への尊敬の念が薄れてきているように見える。
「それじゃあ、なろうと思えば、あたしも王様になれる?」
「王とは、遥か昔より世襲制。望んでなれるものではない。何よりも、その血を残すことが優先される」
「つまり、王様ってのは元々が優秀だから、その血を絶やさずに、後世に受け継いでいくのが、一番大切な仕事ってこと?」
レナーテの疑問に答え、返ってきた返答に満足し、それが俗に言う世継ぎというもの、とリィナは頷いた。しかし、レナーテが次に口にした言葉は、先程までの様子が嘘のように冷たかった。
「ばっかじゃないの」
目を座らせ、吐き捨てるよう言ったレナーテに、エリーは両手をわたわたと振って、とんでもない! と叫ぶ。
「レナーテさん、そんなことを言っては駄目です! 王様とは尊ぶべきお方。王様への暴言は、冗談でも許されないことなんですよ?」
「あたしを誰だと思ってんのよ。受け継がれた血によって、優秀かどうかなんて決まるわけない。あたしは千年も、同じ血と戦ってきた。才能は受け継がれることもあるかもしれないけど、それを活かせるかどうかなんて本人次第だわ」
「それについては、私もコハクに同意する。結局本人が何もしなければ何にもなれない。そして、努力は必ず報われるもの。同じくらい努力した者同士が競ったとき、その勝ち負けを決めるのが、才能。才能だけでは、努力には到底及ばない」
「ですがお二人とも、王様とはそういうものなんです。全ての国民には、王様を敬う義務があります。王様の言うことは絶対で、逆らうなんてできません」
「じゃあエリーに聞くけど、もしも、王様とルベルトが同時に死にそうになって、どちらか一人しか助けられない状況で、王様に助けろって命令されたとしたら、あんたは「ルベルト様です!」どっちを…って、最後まで言わせなさいよ!」
「そんなの、考えるまでもありません! 王様なんてルベルト様に比べたらどうでもいいです!」
すっぱりと言い切るエリーに、レナーテもリィナも、冷ややかな視線を送った。
「あんたねぇ…」
「さっきまでと言ってることが違う」
「ではリィナ様ならどうするんですか? ルベルト様が危ないとき、王様の方を助けるんですか?」
「助けない」
「ですよね! そうですよねっ!」
「あの、三人とも、話が脱線しているよ…?」
見事に脱線していく女性陣の会話に苦笑しながら、ルベルトは話を戻そうと声をかけた。
「ああそうね、ええっと、何の話だったかしら?」
「元々は王都の話だったけど、お金の説明になって、最後は王様の話になってしまったね。とにかく、次の目的地は王都にしようと思うんだけど、レナーテはそれでいいかな?」
「うん、その王様ってヤツがなんか気にくわないけど、少なくとも大きな町を見れるのよね? それは楽しみだわ!」
話は方々に飛んでしまったが、最終的にレナーテが了承したことにより、最初の目的地が決定した。
話しているうちに全員が朝食を取り終えていたため、ルベルトは立ち上がると、声高らかに宣言する。
「それじゃあ、ひとまず目的地は王都にしよう! エリー、王都までの道の確認と、旅支度を頼めるかな?」
「はい、ルベルト様。それではわたしは一端失礼させていただきます。全ての準備が整うまで、少々お時間を頂戴します。それと、王都までの街道には魔獣の目撃情報もあるようですので、ルベルト様もご準備の方、くれぐれも入念にお願いしますね」
「ああ、ありがとう。それじゃあ僕は、一端小屋に戻って、武器や防具をとってくるよ」
エリーの準備が終わるのは、少なく見積もっても正午頃になるだろう。そうなると、今からおおよそ三時間程度はかかる計算になるので、ルベルトはその間に、リィナを運ぶ際に小屋に置いてきた装備品を取ってくることにした。
エリーは給仕服の裾をつまみ上げ、上品に一礼すると、食堂を後にした。
使用人に的確な指示を出しながら遠ざかっていくエリーの声に、頼もしさを感じながら、ルベルトは残ったふたりに改めて向き直った。
「レナーテ、リィナ、ふたりはどうする?」
「あたしは当然、ルベルトに着いていくわ!」
「私も着いていく。結局、目覚めたのはこの場所だから、神殿をしっかり見ていない」
「わかった。それじゃあ三人で行こうか」
食べ終えた食器などを片付けに来た使用人たちに、ありがとう、と声をかけながら、ルベルト達は食堂を後にした。
2017.11.01 誤字修正




