6 ご挨拶しました
俺とユウコ、ヴェーラは王都を歩いていた。
左を見れば楽しげな赤毛の少女、右を見れば明るい茶髪の少女。両手に花、というやつである。
照りつける日差しは強いが、俺たちの周りは涼しい。魔法によって、付近の気温が下がっているのだ。
「ティール、そんなに魔法使ってて魔力は大丈夫なの?」
「全然なんともないから、心配いらないぞ」
「うーん、なんかもう常識が通用しないなあ」
ヴェーラは呆れたように笑う。
しかし俺は冷やす範囲を限定している。能力をほとんど発揮していないのである。
竜化すれば、この街を氷漬けにすることだってできるだろう。しかし、そんな無駄なことをする必要はない。
なにより――
「ティールさん、ひんやりしてて気持ちいいー」
ユウコが俺の片腕を抱いて、幸せそうにそんなことを言うのだ。柔らかな感触が伝わってきて、俺も幸せである。これこそが、魔法の神髄なのであった。
ヴェーラもそこまではしないが、やはり距離は近い。どきどきしてしまうほどに近い!
そんなわけで両手に花、なのである。やっぱ店長ってすごい。
つい頬が緩んでしまうが、今の俺は前世とは違う。そう、見た目が全然違うのである。
前世ならば『うわ、にやついてる。気持ち悪っ!』といわれるところでも、今生では『あの人の笑顔、とっても素敵!』と顔を赤らめながらいわれるくらいに違うのだ。
一度もそんな言葉、言われたことないけどな!
道行く人の視線を集めてしまうのは少々困り者だが、背に腹は代えられない。
この至福の時間に勝るものがあるというのなら、ぜひ教えていただきたいものである。
そうして幸せを堪能していた俺だが、やがて目的地に到着してしまった。残念だ。
しかしそもそも、この暑い中、目的がなければ外に連れ出すこともできないだろうから、至極当然のことだ。
「着いたよ。さ、どうぞ」
ヴェーラが示す先には、大きな商会があった。貴族の屋敷と言われたら、信じてしまいそうな大きさである。なんとヴェーラの親族が経営しているそうだ。
勇者パーティといっても、それぞれの家庭がある。そして魔王が退治された今となっては、彼女たちもただの女の子にすぎない、ということだ。だからこそ、無職となったユウコとの出会いもあったのだが。
ヴェーラを先頭に、俺たちは入っていく。用事があるのだから、いつまでも突っ立っているわけにもいかないのだ。
そうして中に入ると――
「お嬢! お早いお帰りですね!」
「お帰りなさいませ、お嬢! ユウコさん、いつもお世話になっております!」
お嬢! お嬢!
立派な洋服に身を包んだ男たちが、ヴェーラを見ながら口々にそんなコールをする。彼らを見ながら、ヴェーラは軽く手を振っていた。慣れたものである。
それにしても、俺に向けられる視線は一体何だろう。完全な敵意とも違うし、妬みや嫉妬といったものでもない。例えるなら、動物園のパンダを見る目に近いだろう。といっても俺は竜だし、そもそも人の姿なんだけどな。
「お父さんいる?」
「はい、いつもの執務室におられます」
「うん、ありがとう」
仕事をしている者たちの中を横切っていくのは、なんだか気が引ける。
しかし、そうも言っていられないのだ。俺はこれからヴェーラの父に会わねばならないのだから。
ああ、緊張してきた。女の子のお父さんに会うのなんて、これが初めてだよ。
いや、幼稚園ぐらいのとき、隣に住んでた女の子のお父さんと話をしたことはあるか。でもあれはノーカウント。だって、女の子とは話したことがなかったのだから。なんか避けられてたんだよな。
そんな悲しい記憶を思い出しているうちに、執務室の前に辿り着いた。
俺は深呼吸する。落ち着け、落ち着け。初めての印象が大事なんだ。そう思えば思うほど心臓はばくばくと音を立てる。
あ、やばい。これ絶対落ち着けないパターンだ。水でも飲んで、落ち着いてから戻ってくるか――
「お父さん、入るよー」
ヴェーラは俺の緊張などよそに、さっさとドアを開けてしまった。
落ち着いた執務室の向こうには、これまた落ち着いた男性が一人。ヴェーラと同じ茶髪で、どことなく似たところがある。
「ヴェーラとユウコちゃんか。……そちらは?」
「お客さんだよ。……あ、御主人様かな?」
ヴェーラパパの表情が厳しくなる。
娘をよからぬことに巻き込ませはしない、とその目が語っている。たしかにそりゃそうだ、今の説明を聞いて、納得できるはずがない。
「ティール、と申します」
「それで、ティールくん。我が娘に御主人様と呼ばせるとは……いったいどういうことだね?」
彼は立ち上がり、俺のほうに近づいてくる。
凄い威圧感だ。一歩踏み出すたびに、あたかも空気を叩きつけられているかのような衝撃を覚える。
これが社会人の頂点――社長の力か!
俺はぐっと拳を握る。まだだ。たしかに俺は今、無職だ。しかし、これからは違う。
たしかに規模は随分と違うかもしれない。彼らの大きさを前にすれば、踏み潰されてしまうようなちっぽけなものかもしれない。だが、しかし――。
俺も彼らと同じく、人を束ねる立場になるのだ。そう――個人事業主に!
だから一歩も引かない。そしてここで、しかと宣言せねばならないのだ。
俺は意を決し、口を開いた。
「今の俺にはなんの力もありません。ですが、どうしても俺には彼女の力が必要なんです。必ず、必ず成功させてみせます。ですから、どうか――」
「そうか。話は分かった」
――彼女を俺の店にください。
そう言わんとしたのを遮って、ヴェーラの父が頷いた。
うまくいったのか……?
その答えは、迫りくる拳だった。
咄嗟に俺は回避するも、立て続けに繰り出される。
早い。この親にしてこの子あり、ということのようだ。
「娘はやらん!」
気合のこもった蹴りが放たれる。俺は咄嗟に一歩下がって回避。
「そこをどうか、お願いします!」
「やらんといったらやらん!」
部屋の外へと追い出さんとばかりに迫ってくる。しかし、俺は抵抗することができない。ここで気絶させることは容易いが、それでは交渉は決裂してしまう。なにより、ヴェーラの好感度がグーンと下がってしまう! それはまずい!
――くそ。
なにか案はないのか?
「お父さん、やめて!」
「いくらお前の頼みでも、それはできん!」
「もう……お父さんなんて、だいっきらい!」
ヴェーラの言葉に、俺へと近づいてくる足は驚くほど速やかに動きを止めた。
世の父親たちは、娘には逆らえないのかもしれない――。
俺はそんなことを考えながら、ヴェーラの見事な蹴りが彼女の父の腹にヒットする様を眺めることしかできなかった。
◇
「いやー、先ほどはすまなかったね、ティールくん」
ヴェーラの父が、いい笑顔を見せながら言った。そんな明るいところは、娘にも受け継がれているようだ。あれからしばらく悶絶していたが、鍛えているらしく、今ではぴんぴんしている。どうやら武術に関しては、家族一人一人が一家言あるようだ。
「いえ。こちらこそ、誤解を招くような発言をしてしまい、申し訳ありませんでした」
先ほど、少し落ち着いたところで、これまでの経緯を話したのだ。すると、商売人ということでいくつかアドバイスもくれたし、俺の考えにも肯定的な態度だった。
すっかり蚊帳の外だったユウコは、今も暇そうに、談話室内にある調度品を眺めたり、異国の品々を手に取ったりしている。じっとしていられないのだろうか。
と、そうしてもいられないので、俺は早速本来の目的を果たすべく話し始める。
「果実と砂糖を買いたいのです。大量に、できるだけ安く仕入れたいということで、小売店ではなくこちらに窺うことにいたしました」
直接買えば安くなるのではないか。そんな期待があってのことだ。なにより、俺たちの資金は9万9740ゴールドしかないのだから。
「ふむ、どれほど必要かね?」
「そうですね……」
俺は量を計算する。しかし、気付いてしまった。そう、目標とする額には、10万でも足りないだろうことを。
とりあえず、初日の分はなんとかなる。売れればその金で材料は買える。だが、それからシロップを作っているのでは、完成したときには祭りが終わってしまっている。祭りは三日間続くと言われているのだが、途中で店じまいをせねばならないのは、あまりにもったいない。
みぞれなどにすれば、なんとか続けられなくもないが……。俺は苦渋の決断をする。
「……9万9610ゴールドで買えるだけ、お願いします」
「その数字には、なにか理由でも?」
「所持金が、それだけしかないのです」
ヴェーラの父は、しょぼくれる俺を見て豪快に笑った。
「そうか、そうか……そこまで店のことを考えてしていながら、金のほうは詰めが甘いな。商売人には向かんよ、君は」
「存じております。ですが、これからは平和の道を探っていかなければなりません。剣を持っていた手は、鍬やお玉を握らねばならないのです。その一歩として――ユウコさんが自立できる手伝いとしても、立ち止まるわけにはいきません」
言い切った俺を見て、彼は頬を緩める。それから、ヴェーラを見た。
なにか思うところがあったのだろうか。一方でヴェーラはユウコと一緒に遊んでいた。
「よし、わかった。必要な分だけ、君の言う分だけ渡そう」
「ですがお金が」
「掛け金にしておこうじゃないか」
彼はそう言った。
すなわち、この取引が一回限りのものではないということ。これからも、ずっと続いていくことを願っている。信じている。
「ありがとうございます!」
俺は頭を下げる。この恩に報いねばならない。必ず、成功させてみせる。
そうして話が一通り終わると、いよいよ俺たちは材料を持って、リリアの家に帰ることにした。彼女の家は広いから、十分なスペースがある。
彼らが行う取引の規模からすると大した量ではなかったらしく、俺たちはその場で持ち帰ることができるとのことだ。丁度、仕入れたばかりのものがあったとか。
準備をしている男たちを眺めていると、ヴェーラの父が、俺を見ながら呟いた。
「それにしても……ヴェーラが認めたとはなあ」
「なにか事情でもあるんですか?」
彼女よりも強い男しか認めない! とか。家族皆が、彼のように武術のたしなみがあるなら、あり得ないことではない。たしかそんな漫画があったはずだ。
「いや。ヴェーラは私が言うのもなんだが、よくできた子だ。人のいいところを認められる寛容さもある。……ただ、あの子は強くなり過ぎた。魔王討伐の旅から帰ってきて、話を聞かされて驚いたよ。魔王の骨を折ってきたと、笑いながら言うのだから。人々の恐怖の象徴を、練習相手のように言うのだから」
全然、俺の予測は当たっていなかった。
たしかに、見事な蹴りだったな。あのすらりとした足だからこそ、あんなに魅力的なんだろう。立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花とはよく言うが、まさにその言葉が似合う。
立てば美しいふくらはぎ、座れば悩ましい太もも、蹴りを放てば桃色パンツ。ああ、素晴らしきかな。
「たまには、あの子の相手をしてやってくれないか。どうにも帰ってきてから運動不足のようでね」
「はい。よろしくお願いします」
父上のお墨付きである。これで俺は堂々と、ヴェーラと一緒にいることができるわけだ。そうなれば、いろいろなイベントも起きるかもしれない!
俺はそんな内心の喜びを押し殺しながら、努めて爽やかな笑顔を浮かべる。
にやついてもかっこいいんだから、イケメンってやっぱりイケメンだよな。
そうしていると準備が整ったので、
「ティールさん、手伝ってー!」
と、ユウコが俺を呼ぶ。彼女はここに何度も来ているから、顔見知りもたくさんいるらしく、楽しげにしていた。それなのに当てがなかった、というのは、彼女が単純に忘れていただけのことである。もしくは、業務内容をあまり理解していなかったのか。
俺は彼女のところに行って、大量の荷物が乗った押し車を動かし始める。竜の力をもってすれば、どれほど重かろうが、楽々動かせるのだ。
「それじゃあ、行ってきます!」
ヴェーラの一声。俺たちは歩き始めた。
日は昇りはじめて、気温は上がってきている。俺たちはやはり、三人並んで歩いていた。
「ねえ、さっきお父さんとなにを話してたの?」
ヴェーラが尋ねる。
けれど、俺はなんとなくそのまま伝える気にもなれなかった。
「上手くいくといいなって」
実際、彼が言われたことでもある。そうして、しかと掛け金を返さねばならないのだ。……あれ、結局リリアに金を借りる必要なかったんじゃないか? ああいや、雑費がほかにもかかるか。やはり、彼女に頭は上がらないようだ。
「上手くいくといいね!」
「そうだね、きっとうまくいくよ」
ユウコが笑い、ヴェーラが微笑む。
真夏の日差しより、ずっと眩しいものがあった。