5 友達に会いました
勢い込んで出てきたが、俺たちは一階に着くなり足を止めた。
リリアと談笑している女性が一人。まだ女の子と言ってもいい年だ。
明るい茶髪のショートカットに、自由闊達な笑顔。膝上までのスカートから覗く足はすらりと真っ直ぐに伸びており、程よく引き締まって健康的である。運動していなければ、到底維持できない肉体美がそこにはある。
……素晴らしいな。
俺は思わず、内心で感嘆してしまう。
やや日に焼けて小麦色になってきた肌は、明るい彼女の笑顔によく似合っていて、真夏のひまわり畑を連想させる。過度に飾らず、簡単なシャツだけを纏っているのもポイントが高い。
子供っぽい感じでもなく、かといって達観した大人のようでもない。無邪気でありながら、純粋そのものでもない。その時々で移り変わるような、気まぐれな雰囲気があった。
「あれ、リリア。誰そのイケメンさん? 彼氏?」
「冗談はあなたの存在だけにして」
「ふーん。でもでも、お揃いのローブじゃない? あれリリアのだよね、お気に入りとか言ってなかった?」
「……サイズが合わなくなったのよ」
リリアが苦し紛れの発言をした。
おいおい、どこが成長したっていうんだよ。それは気のせいだ、ぺったんこだろうに。
背だって俺のほうが高い。
女の子は悪戯っぽい笑みを浮かべながら、リリアを矯めつ眇めつ眺める。
「そっかー、リリアもそういうことに興味があったんだね」
にっこりいう少女の首筋に、杖が突きつけられていた。
リリアの目は笑っていない。今にも爆発しそうだ。
なるほど、案外冷静なようで、感情的なのかもしれない。頑張って平静を装っているリリアが、堪えきれなくなって、赤ら顔でぷるぷる震えている姿を思えば、なんだかかわいく見えてくる。
一方で少女はそんなリリアを気にした様子もなく、こちらに近づいてくる。
「それで彼氏さん? あー。たしかにリリアが好きそう。なんだか頼りなさそうなところとか」
好き勝手言ってくれるな、初対面なのに。
俺だって、お前に言いたいことならたくさんあるぞ。俺だってこう見えて――
女の子はずいと、顔を近づけてくる。
きめ細かな肌から漂うほんのりと甘い香り。
そして、覗く胸元。
……もうちょっと、もうちょっと! あと一歩前! もう一歩! もしくは屈んで!
俺は集中力を高めていく。チャンスはたった一瞬だ。彼女が動いた瞬間、どこかに隙が生まれる。彼女の視線を余所に誘導し、俺はその隙にさり気なく、こっそりと、バレないように肌色の秘境を垣間見るのだ!
さあ、くるがいい。
俺が覚悟を決めたときだった。
少女が動く。ひらり、と服が動く。
――来るか!
そんな俺の期待を打ち砕くように、放たれる掌底。早い。
正確に顎目がけて放たれた掌を躱すべく、俺は体を僅かに傾け、首をひねる。
しまった。距離を取るのはこの上ない悪手だ。彼女の胸元からの距離が遠くなればなるほど、角度は大きくなってしまう。つまり――覗き込めない!
俺はこの世界に転生して、力を過信しすぎていたのかもしれない。自惚れるあまり、自分がなんでもできるように錯覚していたのかもしれない。
だが、世の中には上手くいかないこともある。
俺はもはや油断しない。全身全霊をかけてこの戦いに挑む――。
少女がくるりと背を向ける。
燃えよ情熱、舞い上がれスカート!
そんな俺の願いが届いたかのように、ふわりと裾が揺れ動いた。
いや、違う。彼女が自らそうしたのだ。
放たれる後ろ回し蹴り。並の人間が食らえば、命さえも刈り取られる威力があるだろう。
安全な回避方法と言えば、引いて躱すことだ。しかし、それでいいのか?
否。そうではない。これは絶好のチャンスなのだ。千載一遇の好機なのだ
俺はあえて踏み込む。少女の驚く顔が見えた。だが、まだだ。
そこから一気に腰を落とす。間に合わなければ、頭部を蹴り飛ばされることになるだろう。しかし躊躇はなかった。
そのあまりの速さに、彼女は俺の姿を見失ったようだ。そうだ、そうでなければならない。これから俺の行動は知られてはならないのだ。
俺の頭上を、しなやかな鞭のように、足が通過していく。
――見切った。
少女は一旦下がるも、もう遅い。俺はばっちり見てしまったのだ。
薄桃色の幻想郷を!
「……驚いた。リリアが惚れるのも、無理ないかも」
俺も驚いたぜ。もうちょっと元気いっぱい、明るめの黄色のパンツなんかだと思ってた。こんな可愛らしい一面があるなんて!
「見事だったよ」
「そう? ありがと」
実に絶景だった。
風に舞い上がるスカートも悪くないが、こうして偶然(半分以上意図的に)見えたパンツも同じように悪くないのである。
……そういえば、なんで俺、いきなり蹴りつけられたんだろう?
いや、そんなことよりも、俺は「蹴りを回避するために、やむを得ず屈んでしまった」のでなければならないのだ。確認を急がねばならない。
彼女は気付いていないはず。俺は完全に視界から逃れたのだから!
「ヴェーラ、あなたパンツを覗かれてたけれど」
……外野は見ていた。
おいいいいい! なにばらしてるんだよ!
「リリア、そんな人聞きの悪いことを……なあ、ユウコ」
「え? なにかあった?」
気付いてすらいなかった。いや、そこは不幸中の幸いというべきか。
証人は少ないほうがいい。
つまり、リリアを黙らせれば、俺の勝ちである。
彼女を見た瞬間、冷たい視線が向けられた。
……よし、ヴェーラの反応に期待しよう。ほら、あれだ。よく女の子たちも言うだろ? これ見せパンだからって。
それに普段からこんなことしていれば、パンツだってあちこちで見られているはずだ。
そんな俺の思いとは裏腹に、ヴェーラは俯きながらほんのりと顔を赤らめ、スカートを押さえていた。
おお、やはり恥ずかしがる女の子は可愛いな! ……じゃなくて。どうすんだよこの反応。これ間違いなく、「普段スカートなんかはかないけど頑張ってお洒落して、つい普段通りの動きをしてしまってパンツを見せちゃった女の子」の反応だ。
これなら俺も知ってるぞ。漫画やアニメでよく見たからな。
助けを求めてもう一度リリアを見た。ため息を吐かれた。だめだった。
「あ、あのさ。ヴェーラは武術とかやってたんだ?」
「ティールさん、ヴェーラさんは一緒に旅してたんだよ?」
ユウコの呑気な声が、場を和ませる。いいぞ。
「ああ、魔王討伐の。道場は行かなくていいのか?」
「暇なときに来てくれればいいよーって言ってくれるからね」
ヴェーラも落ち着いてきたようだ。俺のほうを見て話をしてくれる。
そしてユウコが元気いっぱいに言った。
「なんだ、じゃあヴェーラさんも働いてないんだね!」
「当面の生活費はあるからね。リリアみたいにお店を買ったわけじゃないし」
どうやら、ユウコのお金がないのは、単に冒険の中で稼がなかったからのようだ。
なのにどうしてこんな勝ち誇ったような顔をしているんだろう。
そんなに気にしてたんだろうか、勇者が無職になったことを。
「ねえ、そろそろお客さん来るから、話をするなら上に行ってくれないかしら?」
リリアに言われたので、俺たちはすごすごと上に戻ることにした。
◇
「どうぞ、召し上がれ」
俺はヴェーラに、早速かき氷を出していた。ユウコと店を開くことを話しているうちに、試食してもらうことになったのだ。レシピや製法なんかは開店前に漏らすべきものではないのかもしれないが、そんなもの、美少女の笑顔の前では些細なことである。
なにより、俺は竜になってもおもてなしの心を忘れていないのだ。材料、すべてリリアの家にあるものだけど。
そんなわけで、彼女は初めてのお客さんということになるだろう。
少し誤算だったのは、砂糖が思った以上に高いということ。といっても許容範囲内だから、計画が頓挫するほどではない。
「へえ。綺麗だね」
ヴェーラがガラスの器に入ったかき氷を見て、呟いた。
それからスプーンをサクサクと差して、すくって一口。
「あ、美味しい。これ、砂糖だけ?」
「いや、シロップには蜂蜜と、レモンを使ったよ」
とりあえず有り合わせ(リリアの台所から失敬した)で作った、みぞれである。ただの砂糖水をぶっかけたスイでもいいのだが、どうせ痛むのはリリアの懐だから、試してみたのだ。蜂蜜もちょっと高いのである。
そこまで凝ったものではないが、ヴェーラには好評らしい。
そしてユウコは、余った氷をがりがりと削り出して、そこにたっぷりシロップをかけている。もっと大事に使えよ、誰の金で作ってると思ってるんだ。もちろん俺のでもないけど。
「んー、美味しい! 甘くて蕩けちゃうー」
だらしない顔を浮かべながら、ユウコが全身で美味しさを表現する。ご満悦らしい。
ほんのり赤らんでいる、ふっくらした彼女の頬は美味しそうだ。そんなことを考えていると、
「たしかに珍しいけど……お値段も高くなっちゃうんじゃないの? 涼しいのも食べたときだけだから、余裕がない街の人は買うかなあ?」
ヴェーラがもっともなことを言う。
かき氷は安くて手軽な食べ物でなければならないのだ。
学園祭なんかでもそうだろう、400円、500円にもなればほとんど売れないのだ。もちろん、それはかき氷単品の値段としてである。可愛いメイド喫茶とか、そういうサービス料が含まれるようなものは別物だ。
そちらのほうも、俺は色々考えてはいるし、今も進行中である。
「だよなあ。とりあえずはそうだな……400ゴールド以内で収めようと思ってるんだが」
「400!? 嘘でしょ? 氷の値段を考えれば、1000はないと儲けは出ないはず……」
「え、ちょっと待って。そんなに高いの?」
「それはそうだよ。わざわざ万年雪を取ってきてるんだよ? 馬車を買ったり運ぶ人を雇ったりするお金がかかるでしょ」
どこかで氷を作っているわけではなく、山から取ってきているらしい。たしかにそれなら、安くもできないだろう。気温の低い地域から遠くなればなるほど、移動距離も長くなる。高級料理店くらいしか使わないそうだ。
そういえば俺――アイスドラゴンが住んでた場所は、魔法で氷漬けになっていただけらしく、俺がいなくなった今、元通り溶け始めているそうだ。
となれば、王都から遠くに行かねばならないだろう。
「うーん……そう考えると、魔術師に作らせたほうが安そうだけどなあ」
「まさか! 魔術師に作らせるなんて、大商人や貴族くらいだよ。大抵、護衛などでお抱えの魔術師がいるからね。でも、商売になるほどの量は作れないよ」
俺が思っている以上に、この世界の魔術師は便利なわけでもないようだ。
そもそも魔法で直接生み出した氷は不純物が混じっているため食用には使えず、冷やす用途くらいにしか使えないらしい。したがって水を丁寧に冷やすのには労力がかかるようだ。いろいろと、面倒なんだろう。
「あれ? でもリリアとか、かなり魔法使ってたような」
「彼女は特別だよ。なんと言っても、彼女のおかげで魔王を倒せたくらいだから」
「なるほど」
俺はユウコを見る。彼女のおかげ、と言われない辺り、やはりほんとうに聖剣を刺しただけなのだろう。
しかし、俺はそんな彼女が輝ける場所を与えることができるはず。そう、かき氷屋の従業員という場所を!
黙って笑顔で働いていれば可愛いし、素直だから売り上げを持ち逃げすることもない。適材適所というやつだ。彼女には剣よりエプロンをつけているほうが合っていた、ということである。
しかし、これだけでは売り上げには不十分なのである。
可愛い女の子が一人。もちろん、看板娘も悪くない。しかし、それだけでは不十分なのである。
やはり、女の子がたくさんいるに越したことはないのだ。アイドルユニットだって、一人じゃ寂しい感じがするし、口パクだってばれてしまう。補い合っている姿に、女の子たちがじゃれ合っている姿に、魅力を感じない者なんていないだろう。
だから俺は頭を下げる。
「ヴェーラ、頼む。手伝ってくれないか?」
「え、でも料理とかできないよ?」
「二人だけじゃ手が回らないんだ。だから、ちょっとしたことでもいい。頼む!」
俺はヴェーラの前にさっと移動するなり、勢いよく土下座をする。
ユウコのことは言えないが、これで美少女店員が増えるのなら! 夢の甘々店主ライフに近づくのなら! もはやプライドなどあってないに等しい。
「うーん。そんなに頼まれると、断れないなあ。よし、お姉ちゃんに任せなさい!」
ヴェーラは快く承諾してくれた。彼女は勇者パーティで一番年上だから、面倒見がよかったのかもしれない。
俺は思わず顔を上げる。そこには、ヴェーラの美しいおみ足がある。見事な曲線を描いており、ほれぼれしてしまう。
足首から膝へと見上げていくにつれ、官能の色が強くなってくる。そして――。
もうちょっと、もうちょっとだけ足を開いてくれれば、見えるのに!
いま一度、俺をあの桃源郷に誘ってくれ!
「それじゃあ、ティール。これからよろしくね」
ヴェーラが微笑む。
そんな彼女を眺めているうちに、俺は充足感を覚えていた。なにより、その笑顔から目が離せなかった。
「ああ、よろしく」
またいずれ、パンツを見る機会もあるだろう。今じゃなくていい。彼女との時間はまだ続くのだから。
こうして、俺の野望は着実に成就する道へと傾き始めたのである。
かき氷屋の店員さんは、二人目も笑顔が素敵な少女であった。