4 試作してみました
かき氷器の製作を依頼した翌日、俺たちは別の作業に取り掛かっていた。
ひとまずは、リリアの家にあった有り合わせの金属などを使って簡易かき氷器を作ったので、そちらで進めていくことになる。強度や切る厚さなどはいまいちだが、試験的に行っていくだけなら問題はない。
祭りまではまだ一週間弱ある。しかし、これはぎりぎりの日数なのだ。余裕は全くない。というのも、果実から発酵でシロップを作るためには早いものでも一週間近くかかってしまうからだ。
しかも俺たちはまだ材料の仕入れ先に関しては、当てがなかった。レシピはなんとか考慮しているところなのだが。もっとも、適当な店で買って作っても問題はないし、果実を使わないシロップでもいい。
そんなわけで俺とユウコ、そしてリリアは、二つのかき氷を前にしていた。
どちらにもシロップはかかっていない。しかし、見た目ははっきりと異なっている。
片方はやや粗い氷が重なっており、もう片方は鰹節のように、へらべったい氷からできている。
「力の入れ具合を変えたんじゃないの?」
リリアがそう疑ってきた。たしかに俺の力をもってすれば、素手で割ることだってできただろう。しかしそうする意味はないし、なにより同じかき氷器を使ったのだ。加えて、俺が作ったものではない。
「じゃあ、試してみるか? どちらもそこのかき氷器を使って、ユウコが作ったものだ」
「いやよ、そのような面倒なこと、私がする必要はないわ」
聞いておきながら、この態度だ。可愛げがない。かといって彼女までユウコのようでも困るんだけれど。
たとえ彼女がどんな態度だろうが、俺は強く出ることができない。なにしろ彼女には10万ゴールドを借りているのだから。
……いつか儲かったら、札束でその綺麗な頬をぺしぺし叩いてやる。
あれ、というか札束あるのか? 硬貨しか見てないからわからないな。まあどっちでもいいや。
「ともかく、さあ食ってくれ」
「毒なんか入れてないでしょうね」
「俺は紳士だからそんなことはしないさ。女の子には優しいんだよ」
「優しい? 嫌らしいの間違いでしょう」
「リリアも黙っていれば美人さんなんだけどなあ」
睨まれたので、俺は口をつぐんだ。これ以上余計なことを言ってはいけない。
じっと眺めていると、まずリリアがスプーンで粗い氷をすくう。そして艶やかな唇に近づいていく。
こういうところは、実に絵になる。もう少し優しければなあ、なんて思わなくもない。
「……確かに柔らかいけど、普通の氷ね」
「そうだろう。なんの工夫もしていないほうだからな」
「ふうん。その口ぶりだと、もう一つは違うってことね」
「食べてみてからのお楽しみということで」
リリアの闘争心に火がついたのか、もう一つのほうへとスプーンを伸ばしていく。そちらは俺の自信作である。
すっと、スプーンが入る。
リリアの表情が変わる。もう気付いたようだ。
これは先ほどの粗い氷とは違う。薄く柔らかくなっているのだ。
彼女がこちらに一瞥をくれる。もう侮っていたときの顔ではない。強敵と認めたものへと向ける、最大の賛辞だ。いや、彼女がそう思っているかどうかはわからないが。
そして、透明な塊が、彼女の口の中へと消えていく。
驚きに目を見開くリリア。舌触りは先ほどとはくらぶべくもないだろう。
俺はどうだ、とばかりに笑みを突きつける。
「これが、ほんとうに氷を削ったものだっていうの?」
「もちろん。お気に召したかな?」
「……普通の氷じゃないでしょう? ほんのりと甘いもの」
「御名答。氷には砂糖水を使っている」
俺が言うと、ユウコがスプーンを思い切り氷の山に突き刺して、がばっと口に放り込んだ。女の子らしさ、どこにいった。
「たしかに味はシロップで付けるが、主役はシロップじゃない。この氷さ。氷がまずいんじゃ、いくらシロップが美味しくてもどうしようもない。女の子だって、元が良ければ無駄に化粧することもないだろう? それと同じで――」
「それで、あなたの言う工夫をお披露目してくれる?」
俺は勿体つけていたのだが、リリアが眉を顰めてそれを遮ったので、さっさと言うことにする。
もっとも、俺が考え付いたわけでもないし、どこかで聞いた話の受け売りなんだから、そこまですることもない。
「凝固点降下と不完全相分離さ」
「ぎょーこてんこーかとふかんぜんそーぶんりさ?」
ユウコが頭を押さえながら、復唱した。どこで切れているのかもわかっていないようだ。
それにしても、急いで食うから痛くなるんだ。いやしんぼうめ。
ちなみにこの現象にはアイスクリーム頭痛という正式な名称がある。これは神経が冷たさと痛みを勘違いしてしまうことや、冷えた体を温めるため血流が増加してしまうことが原因であるとされている。
「まず、物質は小さな粒子――原子からできている。そして原子は集まって分子となり、分子が更に集まることで高分子となる……というのが俺たちの世界での常識。この世界でもどうかはわからないけど、だいたい同じなんだろう。
それで、凍るというのは水分子が結晶構造を取るということ。そこで例えば水になにかを混ぜたとする。そうなると、混ぜた不純物が水分子がくっつくのを邪魔して、なかなか凍らなくなるわけだ。これが凝固点降下」
「ぎょーこてんこーか」
ユウコはぽかんと口を開け、小首を傾げていたが、ぱくぱくと口を動かして復唱する。
勇者に憧れる青少年がこのアホ面を見れば、さぞ失望することだろう。
「ようするに、水になにかを混ぜると凍りにくくなるってこと」
「なるほどー。すごいね!」
ユウコが納得したようなので、俺は説明を続ける。リリアも彼女の相手をせずに、続きを待っているわけだし。
「そして、砂糖と水を混ぜたとする。このとき、砂糖分子は氷の中に入らないため、水分子だけが氷の結晶を作っていく。つまり、純粋な水からできた氷の結晶と、濃くなった砂糖水に分かれるんだ。これが不完全相分離」
「ふかんぜんそーぶんり」
ユウコは復唱する。それでわかった気になれるのだろう。俺はもう彼女に言及しないことにした。
「凍った飲み物を溶かしてみると、初めはすごく濃いのに、だんだん薄くなっていくだろう?」
「そうなんだ? ずっと濃ければいいのにねー」
そもそも凍った飲み物自体ないらしく、ユウコはぴんと来ないようだった。
けれど、リリアは納得したように頷いた。
「たしかに、海水の上に浮かぶ流氷はしょっぱくないわね」
「そういうこと。理解が早くて助かるよ。……それで続きだけど、そうなると砂糖水が残った部分があるため、スポンジのようになる。こうなると、通常の氷よりも柔らかくなる。ほかにもいろいろあるみたいだけれど、多分こんなところだ」
と説明したのだが、ユウコはスプーンを咥えたまま、眉を曲げていた。伝わらなかったのかもしれない。
「ようするに、砂糖を入れると柔くなるってことだ」
「そうなんだ、すごいね!」
納得して喜ぶユウコと対照的に、リリアは呆れたように俺を見てくる。
「それでいいの?」
「まあ、俺たちがすべきことは真実を追求することではなく、美味しいかき氷を作ることだからな。さ、次はシロップを作ろうぜ。飲み物も用意しないといけない」
「うん、頑張ろうー!」
ユウコが元気よく手を上げる。それに続くものはいない。
リリアはすっと立ち上がる。
「どこか行くのか?」
「私はあなたたちと違って、店番があるの。それじゃあ、またね」
リリアは小馬鹿にしたように、微笑んだ。
くそう。これが労働者の余裕か! いや、時間的に拘束されてるんだから切迫か? まあ、どっちでもいいか。
そうして俺はユウコと二人きりになる。
これはもしかして、チャンスなのではないか。今こそ、俺は行動すべきときなのではないか。
そうだ。彼女に仕事を任せてしまえば、俺は今日一日、家でごろごろ過ごすことができる! 昨日は一日、休みなしで働いたのだ。そう考えれば、これは正当な権利だろう! 誰が、俺を止められよう!
いやしかし、外に出るというのもアリか。汗だくになった美少女が街にはいるのだから! そのうち、なんかを切っ掛けに親しくなれるかもしれない。
具体性に欠けるのはもちろん、俺にそんな経験がないからである。
「ねえねえ、ティールさん。シロップかけたら甘くておいしいよね? じゃあたくさんかけたらもっと甘くておいしいかな? そのほうが売れたりしない?」
……とても任せられなかった。
「しない。第一、氷が溶けてしまうだろ。それに甘すぎて美味しくない。なによりシロップを増やした分、その分、値上げをするか、利益を減らすかしなければならない。シロップだってタダじゃないんだ」
「そっかあ。難しいね」
にこにこしているこの少女の扱いのほうが、よほど難しいのではないだろうか。
「第一、シロップをそのまま飲めばよくないか。そこまでするなら」
「あ、ほんとだ。ティールさん頭いいね!」
「それでいいのか……」
はしゃいでいるユウコを見ながら、俺は今後の行動を考えるのだった。
結局、彼女には任せられないのだから、俺がやるしかない。
それから、まずはシロップに使う材料の調達に赴くことにした。飲み物は最悪なくてもいいが、こちらがなければ商売にならないのだ。
俺もユウコも当てはない。ならば足を使って探すしかないのだ。
できるだけ安く質のいいものを。
そうして俺たちは歩き出した。
参考文献
好村滋行(2003)「かき氷騒動 : 甘くない砂糖水の話」『物性研究』80(2), 349-366, 2003-05-20, 物性研究刊行会