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19 異世界でかき氷屋さんを始めました!

 俺はサクヤに呼び出されて、個室で二人きりになっていた。

 にこにこと笑顔のサクヤ。この銀髪美少女は、女の子が大好きであるが、今は俺と二人きりである。


 つまりこのシチュエーションは、あれだ。

「前から好きでした。付き合って下さい!」というやつではなく、「えっとね……ティールくん、○○くんと仲いいでしょ? だから、その……」と、期待させておきながら見事に裏切るというパターンのほうだ。


 俺には見えているぞ、その未来が。ここで淡い期待を抱けば、見事に打ち砕かれることを。


 だから俺はいたって冷静に平静に安静に、ただただ彼女を眺めるのだ。


 彼女は言いにくそうにもじもじしている。恥じらう乙女の姿は、庇護欲をそそる。

 そしてちょっぴり上目遣いで、俺のほうを見るのだ。


 これは……いつもとは違うぞ。この表情は、間違いなく俺に対して戸惑いを抱いているはずだ。

 となれば……いよいよ、いよいよ秋冬すっとばして、俺にも春が来たということだろうか!?

 いやしかし、ここでは確定診断はもたらされない。うっかり見つめ合った挙句、「俺も君のことが好きだったんだよ」なんて先に漏らした場合、「は……? なにいってんの? きもいんですけど」という回答が来る可能性だってあるのだから。


 だから彼女から先に言ってもらわねばならないのだ。

 さあ、サクヤ。言うがいい、その言葉を。


「あの、ティールさん」

「は、ひゃい!」

「えっとですね……急にこんなこと言われて戸惑うかもしれないんですが」

「ななななんでしょう!」


 サクヤは小さく頭を下げる。

 いよいよか、来るのか?


「今日一日、私に付き合ってもらえませんか?」


 おおおおおおお!

 ちょっと違うけど、ちょっと前段階だけど!

 いやー、もう雪解けだ! アイスドラゴン、溶けちまうよ!


「はい、よろこんで!」



    ◇



 カンカン、と小気味のいい音を立てて、氷の飛沫が舞う。


「……まさか、サクヤにこんな趣味があったとはなあ」


 俺はぼんやりと、目の前で行われている光景を眺める。

 氷の塊が、サクヤが振るう刀によってどんどん整形されていくところだった。


「ほかの誰にも、言ったことはないんですよ。……ティールさんが氷を作れると聞いたときから、作ってみたかったんです」


 サクヤは木彫りが趣味だったらしい。氷彫刻は初めてだそうだが、なかなか慣れた手つきである。


 ……はあ。せっかく、女の子とお近づきになれたと思ったのに。

 俺はあくまで冷凍室作成機として呼ばれたのである。ああ、やはり調子に乗るべきじゃなかった。はあ、なにがアイスドラゴンだよ。所詮ただの水色のトカゲじゃねえか。やはり平和な世の中で一番重要なのは強さじゃなくて、いかに女の子に好印象を抱かれるか、だ。


 ほら、よくいるだろう? 大したイケメンでもないくせに、やたらと女の子にもてる奴。ああいうのは、そもそも女の子のことがよくわかってるんだ。だから、気に入る言葉がぽんぽんと口をついて出てくる。


 結局はそこなんだよ。見た目だけイケメンになったって、中身が伴わなきゃなんも意味がない。ああ、そうさ。


 見た目だけドラゴンになったって、所詮張りぼてだ。

 ああ、もう置物として過ごそう。


 俺は竜形態になって、ちょこんと棚の上に乗っかった。最近は、小型化と同時に竜化することで、衣服を脱がずに竜化する術を身に付けていた。


 そのままサクヤを眺めていると、彼女が真剣そのものであることに気が付く。

 ああ、こんな表情も見せるんだなあ。


 熱心に刀を振り続けている彼女は、俺のほうを見ずに言う。


「ティールさん。折角二人きりなんですから、もう少し楽しそうにしたらどうですか?」

「いやだって、俺は製氷機なんだし」

「せっかくお誘いしたのに、私とじゃ、嫌ですか?」


 ……え?

 それってまさか。脈ありという奴か?


 いやいやいやいや、先ほど、それで後悔したばかりじゃないか。もう騙されないぞ。

 そういえば、サクヤはこれまで何度も思わせぶりなことを言ってきた。だから今回もその延長であるに違いない。からかっているのである!


 いやでも……ちょっとしおらしい感じのサクヤ、可愛いなあ。ああもう可愛いなあ。

 こんな女の子になら、騙されるのもいいかもしれない。儚い春の夢に溺れるのも、悪くないかもしれない。


「君と一緒にいられて、俺はとても嬉しいよ」

「そうですか。よかったです」


 サクヤはちょっとだけ、頬を緩めた。

 それからふと思い立ったように、手を止めて俺のところへとやってくる。


 彼女の顔が、近づいてくる。

 白い肌はどこまでも滑らかで、大きな瞳は好奇心に輝いている。


「ティールさん、やっぱりこっちのほうが可愛いですね」

「そ、そそそそうかな?」

「はい。なんだか小動物的で、可愛らしいです」


 サクヤは俺の背中を撫でる。

 はあ、こりゃあいい心地だ。ああ幸せだ。アイスドラゴン最高。やっぱり見た目がよくないとね。このつるつるの鱗なんか、光り物なんかより余程立派だ。


「そういえば、ティールさんはドラゴンのとき、雄なんですか? 雌なんですか?」


 はて、どうなのだろう。

 人化したときは確認したが、そうでないときはなんも見てないな。

 動物には性転換ができるものもいるし、ドラゴンがそうではないと言いきれない。となれば、両方になれる可能性もある。


 いや、そもそも性別自体あるのか? 爬虫類なら有性生殖も行うが、逆に単為生殖も行えるものもある。ドラゴンが優れた能力を持つなら、単為生殖でも生き残っていけるし、そのほうが効率もいい。となれば、ほとんどが雌である可能性もある。


 もし雌だった場合、卵を産むのか?

 こう、踏ん張ったらぽこんと飛び出てくるものなのか? いやいや、そんなはずは……。


「たしかめてみましょうか?」

「え?」


 サクヤはくるりと俺をひっくり返す。仰向けになった俺の腹の上を、少女の手が滑る。

 こ、これは? いったい?


 まじまじと見られると恥ずかしい。いやしかし、女の子が俺を眺める、そんなシチュエーション、これから先にあるのか? この機会を逃すと、一生ないんじゃないか?


「……なんだかなさそうですね。隠れてるんでしょうか?」


 サクヤの手が俺の腹を押したり撫でたり、ひっかいたり……。


「あっそこだめ」

「お尻の穴はあるんですね。生き物なら当然でしょうけれど」

「もうやめにしない?」

「もうちょっとだけですから。ね?」


 可愛らしく微笑まれると、俺はもうなにも言えなくなる。世の中で最強の武器は剣でも筆でもない。女の子の笑顔である。


 それからしばらく、サクヤの笑顔は続くのだった。



    ◇



 結局、ドラゴンが雄なのか雌なのか、どうやって繁殖しているのかなど、まったく明らかにならなかった。


 俺はぐったりしたまま、サクヤが仕上げをしているのを眺める。

 先ほどまでは、嬉しいような恥ずかしいようなつらいような体験を反芻していたのだが、今になってようやく冷静さを取り戻しつつあったのだ。


 サクヤが削っていたもの――それは、ユウコの像であった。


 造形には一分の狂いもない。彼女がそれほど、よくユウコの体型を理解しているということだろう。そして、重要なことなのだが――


 この像は、全裸である。裸なのである。すっぽんぽんなのである。


 ちょっぴり恥ずかしげな表情のユウコの像は、愛らしくもあり、芸術的でもある。しかし……。

 これ、本人が見たらどう思うんだろうなあ。


 そんなことを考えながら、俺は思い出の中のユウコと、透明な像を見比べる。


「ティールさん、制服届いたよ!」


 部屋の中に飛び込んできたのは、赤毛の少女だった。

 彼女は目の前にある像を見て、固まっていた。そういえば、サクヤ鍵かけてなかったな。俺もこんなものを作るなんて思ってなかったから、失念してた。


「ユウコちゃん、どうですか!? ユウコちゃんへの愛を込めて作りました! どうですか、この腰回り! すごく魅力的でしょう! どうですかこの表情! ユウコちゃんの愛らしさがよく出ていませんか!」


 ぽかーんとしているユウコに、サクヤは嬉しげに滔々と語り続ける。

 ようやく、ユウコは動き出すと、片手を前に突き出した。そして描かれる魔方陣、放たれる炎。


 そういえば、彼女も魔法は使えるんだったなあ。……ここ、室内だぞ!?


 炎は氷像を直撃。


「ああああああ! ユウコちゃん、お気に召さなかったのですか!?」

「……はぁ」

「愛の炎なんですか!? それとも偶像崇拝はだめなんですか!?」


 俺は飛び散った炎が壁に触れないよう、氷像の一帯を氷で固めた。

 氷の少女は、完成することなく、終わりを迎えたのだった。



    ◇



「あのね……ティールさん、さっきのあれ見たでしょ?」

「まあ、な……」


 俺はユウコと二人きりになっていた。そんな彼女は、顔を赤らめながら、こちらにちらちらと視線を向けてくる。


 やはり、思春期の女の子にあれは、きつすぎたのかもしれない。年長者として、俺がサクヤの暴走を止めるべきだった。


「内緒」


 と、彼女は呟いた。


「内緒?」

「うん。ほかの誰にも言わないで?」

「ああ。誰にも言わない」

「ほんと?」

「俺はユウコの嫌がることはしないよ。神にだって誓えるさ」


 そもそも、神とやらを信じていない俺の宣言に、なんの意味があるのだろうか。

 けれど、ユウコは赤らんだ顔をますます赤らめて、はにかむのだった。


「二人だけの秘密だからね?」


 彼女が、どことなく嬉しげに笑う。そんな笑顔につられて、俺もつい表情が和らいでしまう。

 穏やかで、時間がゆっくり流れているような空間。居心地が良くて、いつまでもとどまっていたくなる場所。


 天上の楽園にだって、そんな場所はないだろう。けれど、俺はそんな幸せを手に入れたのかもしれない。


「ティールさん、ユウコちゃん、できました!」


 と、今度はサクヤが飛び込んできた。手には見事な鳥が羽を広げていた。細部までよく凝った、氷像だ。


 彼女は先ほどユウコと約束したのだ。もうあんな像は作らないと。そして代わりに、店に飾るものを作ることにしたのだ。


「わ、可愛いね」

「気に入ってくださって嬉しいです」


 サクヤはにっこり。初めからこういうの作ればよかったのに。

 それからしばらくして、ユウコもサクヤも一旦退室した。


 俺は一人になると、ぼんやりと宙を眺めた。

 これから、この店でやっていくことになるんだろう。


 もし、上手くいかなかったときはどうなるのだろうか。これまではなにも失うものがなかったから、突っ走ってこれたのかもしれない。しかし、今はどうだろう。


 そう考えると、少しだけ怖くなった。


「ティール、どう? 可愛い?」


 またもやノックもなしに、少女が飛び込んでくる。

 ヴェーラは早速制服を身に付けていた。自由闊達な少女は、今も明るい笑顔とともにある。


「すごく可愛いよ」

「真顔でそう言われると、ちょっと恥ずかしいんだけど」

「俺の自慢の店員さんだからな」


 ヴェーラはそんな俺にからかうような笑みを浮かべる。


「ひどい男ね。皆にもそういうこと言ってるでしょ?」

「そんなことないさ。君たちだけだよ」

「君たち、っていうあたりがもうすでにひどいセリフだよね」

「そうかもしれないな」


 そうして談笑していると、ユウコが入ってきた。彼女もまた、制服に身を包んでいる。


「あー、先を越されちゃった。一番に見せようと思ってたのに」

「ごめんごめん。てっきり、もう見せたのかと思ってた」


 ユウコは頬を膨らませる。そんな仕草はどこか子供っぽくて可愛らしい。


「あのね、ティールさん」

「うん」

「…………お店、頑張ろうね!」


 ユウコはなにかを言い掛けて、それから満面の笑みを浮かべた。


「ああ、頑張ろう」


 俺はそんなことを言いつつ、先ほど感じた不安が払拭されていることに気が付いた。

 大きくなりすぎてしまった、小さな女の子の存在に、俺は笑うしかなかった。


 やがて皆が俺がいる部屋に集まってくる。

 準備ができたとか、氷像を飾る場所の相談だとか、お金をくれだとか、いろいろな話が舞い込んでくる。


「もう、本当に開店するんだなあ」

「そーいえばさあ。名前、どうするの? それっぽい看板掲げないと、どんなお店かわかんないよ」


 リディが俺に尋ねた。


「それに関しては、もう考えてあるんだ」

「ティールのセンスは当てにならないなー」

「まあ、よくある名づけ方だよ」


 俺は紙にすらすらと文字を書いていく。


「なんて書いたの?」


 ヴェーラがそう聞いてきた。というのも、この世界の文字ではないからだ。


「誠実の皿」

『loyal tray .sav』


 悪くないネーミングだと思う。これを考えるのに、ものすごい時間かかったんだから。

 リリアはその文字を眺めながら、


「よくある名づけ方って?」

「君たちの名前の頭文字を取ったんだ。で、上手く作れなかったから頭文字二文字ずつとった。でも上手く作れなかった。頭と末尾の二字で、ようやくできたんだよ」

「あなたにしては珍しく考えたのね」

「ああ。もっと褒めてくれてもいいぞ」

「すごいわ。天才ね」


 リリアは呆れたように言う。褒められたのに褒められた気がしないぞ。

 けれど、ちょっとだけ彼女の口元が嬉しそうだったので、なんとなくよかったなあ、という気になるのだ。


 それから、俺たちは店の入り口に看板を掛けた。


 彼女たちには言っていないが、「.sav」は余りではない。保存のデータを表す拡張子だ。

 この日々が消えてしまわないように。この幸せがこれからも続いていくように。

 

 そんな願いの込められた看板が誇らしげに掲げられていた。



開店準備編、完。

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