15 ミノタウロスに会いました
店舗を構えるといっても、これまでと同じメニューではつまらない。そんな俺の考えから、今日は会議が開かれていた。といっても、普段と変わらずリリアの家に集まっているだけなのだが。
「高級メニューが出したい。貴族のような気分を一時味わえるようなものだ」
「貴族がどんな暮らししているか、ティール知ってるの?」
と、ヴェーラ。
もちろん、俺は適当なイメージを浮かべているだけだ。なんか髪の毛をくるくる巻いてたり、異常に腰を締め付けて貧血になってたり、頭にはシラミが湧いていたり……おっと、そうじゃない。
「なんとなく。いやしかし、そういうことじゃないんだ。……たとえば、その日、亭主に浮気された婦人がいたとする。彼女はやけになって、街を歩いていた」
「いきなり唐突だね」
「そんな彼女は、街の冷気に惹かれて、一軒の店に足を踏み入れる。そこは氷菓を売る店だった。彼女はやけになっているから、どうにでもなれ、と高いメニューを注文した。出てきたのは、宝石と見間違えるほどの美しい氷。そして彼女は一口」
俺はここで一旦間をおく。こういうのは、いかに場を盛り上がらせるかが大事なのだ。
ユウコが欠伸をした。聞いてねえ。まあいいや。
「蕩けるような甘みが、全身に染みわたっていく。彼女の火照った体は、どうしてますます昂っていく。ああ、涼しいはずなのに、体の熱が引かない。手が止まらない。まるで天使に愛撫されているかのように、夢見心地で彼女はスプーンを動かす。もう、亭主のことなど忘れていた。このとき彼女は世界でただ一人、自分だけの幸せの中にあったのだ。それはまさしく貴族のよう。そうして彼女は恍惚とした表情で、こういうのだ。御馳走様、おいしかったわ、と」
彼女たちはなにも言わずに、俺のほうを眺めていた。
どうやら、演説が上手くいきすぎてしまったらしい。感動しているようだ。
「ティールさん。聞いてもいい?」
ユウコが小首を傾げた。
「なんだね、ユウコ」
「甘いのが美味しいのは、貴族も平民も一緒だと思うよ?」
「いや、貴族とか言うのはたとえであって、感覚が違うとか言うわけじゃなくて」
「ごめんティール、どこが貴族なのかよくわかんなかった」
ヴェーラが呆れたように言うと、リリアがあとに続けた。
「なにも考えていなかったのでしょう。女性の嫌らしい姿ばかり考えているから、そうなるのよ。呆れた男ね」
俺が言い返せずにぐぬぬと唸っていると、サクヤがぽんと手を叩いた。
「私はティールさんのおっしゃりたいことがわかりましたよ。貴族はたくさんの妻を持っているものですから、そのようにもてなしたいということですよね。美しい女性に最高の気分を味わわせたいということでしょう?」
「そ、そういうこと。ただ味わうだけじゃなくて、雰囲気も楽しめるというか。そういうところは女性のほうが多いだろう? だから上品な口どけと甘みを売りにする。市井の者たちが口にするようなものじゃなくて、優雅な気分になれるような高級品を出したいんだ」
「今適当に考えたでしょう、その言葉」
リリアはますます呆れてしまった。もうリディに至っては聞きもせず、枝毛をいじっている。
うーん、なんだか最近、俺の扱いだんだん悪くなってない? 俺これでも店長(予定)なんだよ?
「そっかー、ティールさんすごいなー。上品な甘み? よくわかんないけど美味しそうだね。でもあたしは大人のビターな感じはあんまり好きじゃないなあ」
ユウコはいつも通り、ぽややんとした顔でのほほんとした感想をくれる。
ああ、ユウコ。君はいつも俺の癒しだ。抱き枕にしたいくらい可愛いな。
「じゃあさー、ミノタウロスのミルクはどう? いまだに流通してないし、まろやかな口触りは神さえ唸らせるっていうじゃん?」
それまで会話に入ってこなかったリディが言う。おや、意外と食い物に興味があったのか?
「なるほど。そんなものがあるのか」
「これならさ、高くても買う人いると思うよ。好事家なら1万ゴールドくらい払ってくれるんじゃない? そしたらさー、お金たくさん入るし、あんまり働かなくていーよね」
……結局、そればかりだなあ。
しかし、リディが働きたくなくなる気持ちもわからないではない。彼女の労働に見合う対価は支払われてこなかったのだから。
だが今度は違う。彼女は店員として働き、相応の給料を得るのだ。
その中で、変わることだってあるだろう。
「それじゃあ行きましょう。ね、ユウコちゃん、美味しいミルクのみたいでしょう?」
「うん。頑張ろうー!」
サクヤはユウコの扱いが上手いなあ。
あれで変なところがなければ、本当に良妻賢母って感じなのに。俺にもあれくらい優しくしてくれないかなあ。
◇
話がまとまると、俺たちは王都を出て、少し離れたところの林までやってきた。
「ティール、方角はこちらではないわ」
「いや、さすがに俺もそれくらいはわかるぞ。そうじゃなくてだな、歩いて行ったんじゃ、かなり時間がかかってしまうだろ? しかし、俺は数分もありゃ行ける」
「なにかマジックアイテムでも持ってんの?」
リディがそんな期待をするが、あいにくと俺は金になりそうなものなんざ持っていない。俺にあるのは、この体だけだ。
「君らが俺に乗っていくんだよ」
「なにそれ気持ち悪い」
即答された。いくら俺でも傷つくぞ。
まあいいや、とりあえずリリアは納得したようだったから。
俺は早速、上着を脱ぐ。リリアから貰った下衣を脱ぐ。
「ふ、ふくー! ティールさん服!」
ユウコが顔を赤くして叫ぶ。出会ったときもこんなこと言ってたなあ、懐かしい。
その間に俺はすっぽんぽんになると、えいや、と竜形態に変身。
ティールブルーの見事な鱗を持つ、竜の姿になる。
リディは驚いたように、俺を眺めていた。彼女にはほとんど話していなかったな。
「えー、まじ、なにこれ。ティールなの?」
「そうだけど」
「うわ、人語話した。急に威厳なくなったなー。陳腐」
「こんなにかっこいいのに」
「じゃあさ、鱗一枚ちょうだい。高く売れそう」
「嫌だ。俺の体が金持ちのおっさんに売られるのなんて嫌だ。断固として断る」
俺はふん、と鼻を鳴らす。俺にだって相手を選ぶ権利があるのだ。美少女が家宝にして毎日磨いてくれるっていうなら、考えるけど。
「それで、これからどうするのよ。まさか、そのまま飛んでいくなんて言うんじゃないでしょうね。見つかったら大事よ?」
リリアが投げ捨てられていた俺の服をつまみあげながら言う。
それやめて、地味に傷つく。汚くないから、ばっちくないから。うわあ、小学校のときのこと思い出しちゃうじゃねえか。
「うわー、ティール菌ついた、きったねー」「バーリア」「ティール菌はバリアなんか効かねえから、めっちゃきたねえから」
ああ、そんなこともあったなあ。なんで小学生って、ああいうのが好きなんだろう。
ああ、しかし今は違う。たぶんティール菌があっても、貴重な生態系のサンプルとして、重要文化財に匹敵する価値があるはずだ。いや、そんなん嬉しくないけど。
「ティールさん、こっちのほうが素敵です。なんだか可愛い感じですね」
サクヤが楽しげに俺の鱗をペタペタと触る。
なんだか気に入られたようだ。もしかすると、ユウコがすでに俺の上に乗ってはしゃいでいるからかもしれない。
とはいえ、素直に嬉しいぜ。
ヴェーラも俺の尻尾を持ち上げたりしながら、
「ティールつやつやだねー。羨ましいくらい。でも、光ったらすぐにわかっちゃうよ? 地面潜ってみる?」
「いや、普通に光魔法で姿を消していくよ。俺たちのところだけ屈折させれば、外からはわからないから」
「ティ、ティティティティールさん! そのすごい魔法! 魔法教えてください! ばれないんですよね? 気付かれないんですよね?」
ものすごい剣幕でサクヤが迫ってきた。こいつ、覗きに悪用する気だ。
リリアが呆れかえって、
「そういうことなら、それを使いながら着替えればよかったじゃない。あなた露出狂なの?」
「……忘れてた」
そこまで気が回らなかったのだ。嘘じゃない。
しょんぼりと頭を下げている俺に、リリアたちも乗る。
しかし、いつまでもへこたれてはいられない。そうだ、俺たちはこれから、新メニューを開発しに行くのだから。
魔法で姿を隠しつつ、俺は羽ばたき舞い上がる。
全力で空を駆けると、目的地はあっと言う間に近づいてきた。
◇
「あー、面白かったー」
ユウコは到着するなり、大きく伸びをして言う。
「ねー、ティール。これでさあ、運送屋やればもうかるんじゃない?」
「ええ、いやだよ面倒くさい」
俺はいそいそと衣服を着ながら返す。
そもそも、汚い荷物やおっさんとかは乗せたくない。俺にだってプライドがあるのだ。
可愛い女の子が乗るのは大歓迎だが、男なんか乗せたくない。
リディはまだ不満そうだが、リリアが行先を示すと、いよいよ歩き始めた。さすがに竜のまま突っ込んでいくことはできなかったから、少し離れたところに降りたのである。
ミノタウロスは魔物の仲間だ。だから人間に対して好印象なんか、到底抱いてはいない。しかし、魔王がいなくなって和解の道を進んでいるのだから、上手くいけば、ミルクもゲットできるかもしれない。
強奪するのは容易いが、それではいけない。今後、取引相手として付き合っていかねばならないのだから。
やがて、俺たちは一つの村に辿り着いた。大きな鉞を持った見張りの男が二人。頭には巨大な牛の角が生えており、全身は茶色い。腰みののほかには、ちょっとした装飾品くらいなので、肉体がよくわかる。
身長は三メートル近く、かなり大きい。筋肉もすさまじいことから、やけに威圧感がある。
しかし、俺が戸惑うのは、女の子の涙を前にしたときくらいのものだ。
「初めまして。ティールと申します。御相談がありまして、参りました。通していただけませんか?」
ぎろり、と牛の目が俺を見下ろす。
「ふん、幼子ばかりではないか。相手にもならん。通りたくば、俺たちを組み伏せていくがいい」
ミノタウロスの男はふんっと鼻を鳴らすと、ポーズをとる。筋肉がますますもりもりっと膨れ上がった。
自慢の肉体を見せつけているところ悪いが、俺は彼の肩に手を置いた。
そしてぐっと力を込めていく。
「これでいいか?」
「まだまだだ! この程度!」
男は相当やせ我慢しているらしい。俺は彼が参ったと言うまで、力を込めていく。男の足元が、ずぶずぶと沈んでいく。
うーん、どうすりゃいいんだこれ。
しかし、結局参ったという言葉は聞けなかった。彼はすでに頭まで埋まって、声など発せない状態になったのだから。
「なあ……通っていいか?」
「先ほどの奴は鍛え方が足りなかったのだ! 俺を倒してからにするがいい!」
もう一人の男が筋肉を見せつけてきた。
……もしかしなくても、こいつらばかなのか?
俺がそんな男を眺めていると、ヴェーラが軽々と投げ飛ばして、中に入っていく。
「ほら、行こうよ?」
彼女もなかなかに、豪胆な性格をしていた。
そうして俺たちは、ミノタウロスの村に入っていくのだった。




