10 成果を確認しました
俺がかき氷器回し機となってから程なくして、一人の女の子が店の前からちょっと離れたところに座り込んでいた。
といっても、俺の守備範囲外の子である。ものすごく幼いのだ。それならむしろ、彼女の様子を見ているお母さんのほうが、年齢的にはまだ近い。だが、俺は誰彼見境なしに興味を抱くほど、惚れっぽくもないのである。
と、そんなことはどうでもいい。
その女の子は顔が赤くなっているし、かなり汗もかいている。疲れている様子を見るに、熱中症になったのかもしれない。
そしてお母さんも、どこか休めるところを、と探しているようだ。けれど、この辺は屋台が多く出ているし、通常営業している店もあんまり多くないから、すぐには見つからないだろう。なにより、どこにいこうが、この暑さは変わらない。
黙ってみていることもできず、俺は彼女のところに行く。
「あの、もしよろしければ、休憩していきませんか? 裏に横になるくらいのスペースはありますから」
「あ、すみません、でも……」
「もちろんお代はいりませんし、お急ぎでしたらお引止めもしません。いかがでしょうか?」
「申し訳ありませんが、お願いします。行こう、ユウコ?」
……ん? ユウコ?
あのアホ勇者意外にそんな名前を付けている者がいるとは。この世界にはあんまりいないと思っていたんだが、勘違いだったのだろうか。
裏手に案内すると、リリアがこちらに気が付いた。
今は彼女が使っている場所なのだから、文句を言われるだろうか。言われても仕方がないだろう。この店は俺一人のものではないのだ。彼女たちと一緒にやっているものなのだから。
一言、彼女たちに話してから行動すべきだった。
「リリア、ごめん。具合悪い方がいらっしゃったから――」
リリアは驚いたように俺を眺めていたが、俺が言うよりも早く動き始めて、さっさと人が寝られるだけの空間を用意する。
「このようなところで申し訳ありませんが、どうかおくつろぎください」
優雅に頭を下げる彼女。
お母さんは申し訳なさそうにしつつも、ユウコちゃん(おそらく2歳くらい)を寝かせる。
その間に俺は飲み物を取ってきて、差し出す。といっても、これは売り物ではない。
「お飲物はいかがですか? もし喉が渇いているようなら、すぐよくなるように作られたものです」
「すみません、いただきます。ユウコ、ほら」
ユウコちゃんは、ごくごくと喉を鳴らしながら飲んでいく。なんとも美味しそうに飲んでいることから、脱水症状になっていたのかもしれない。
俺が差し出したのは、経口補水液だ。1リットルの水に砂糖40グラムと塩3グラムを混ぜたものである。これはとてもまずいので、果汁などで多少、味を調えている。
しかしどう頑張ったところで、普通の人が飲むとしょっぱくてまずい。これを美味しく感じるということから、やはり熱中症になっていたのかもしれない。
リリアが俺の代わりに屋台のほうに行ってくれたので、俺は付近の気温を下げ過ぎず、適度な涼しさを保ったまま、裏手で少しだけ休憩。そんな俺を見る目がちょっとだけ優しかったのは、気のせいだろうか。
それから暫くして、ユウコちゃんも元気になったらしい。
「本当に、ありがとうございました」
「お大事にどうぞ」
そうして、彼女たちともお別れになろうとしたところに、ユウコ(14歳のほう)が飛び込んできた。
「ティールさん、そろそろシロップがなくなりそうなんだけど」
「ああ、わかった。取りに行くよ」
割り込んできたユウコに告げるなり、改めて親子を見ると――
「もしかして、勇者様ですか!?」
「あ、そうだよ」
驚くお母さん、けろりと言ってのけるユウコ。
いやいや、そうだよ、じゃないから。さようでございますくらい言えよ。お前は勇者である前に、かき氷屋の店員なんだから。
しかし、丁寧すぎるのもよくはないか。じゃあもっと可愛い感じにすべきか。
とはいえ、どうにも感激しているようだったので、二人が会話している間、俺は空気と化す。ひたすら無言で、視界に映らないようにするのだ。
どうやら、勇者が魔王を討伐することを願って、あるいはその後にめでたいことから、ユウコという名前が流行ったらしい。だからこのくらいの幼い子供には珍しいことではないそうだ。
感激した女性が、かき氷片手に立ち去るのを眺めながら、俺は思わず呟く。
「それにしても、ユウコがあんなに慕われているとはなあ」
「ふっふーん。どう? これが勇者の人望だよ」
「最後に聖剣を刺しただけの癖に」
反撃とばかりに俺は言うが、ユウコは聞いてすらいない。
ユウコのくせになまいきだ!
くそ、俺の知っているユウコはこんなんじゃない。自慢げになにか言ったかと思えば、突っ込まれてつい目を逸らしちゃうお馬鹿な子なんだ。
どうすればいい、考えろ、考えるんだ。彼女のこの虚勢を打ち砕くすべはないのか。
……そうだ。彼女は聖剣が使えたことを妙に誇っている。つまり、俺も聖剣が使えればいいんだ。
「なあユウコ。実はな、俺も聖剣が使えるんだよ」
「え、嘘でしょ?」
「見るがいい。この魔剣は殺してでもうばいとりたくなるらしく、数多の持主が殺害されたという」
魔剣とか言ってしまったが、ユウコは気付いていないだろう。セーフだ。
俺は魔力を練って、一つの形を創り上げていく。
願うは氷の魔剣。
「括目せよ……これがアイスソードだ」
ねんがんのアイスソードをてにいれたぞ!
ユウコは物欲しげな顔で見ている。
これだ、俺が見たかったのはこの顔だ!
「か、かっこいい……!」
「そうだろう、そうだろう!」
俺はすっかりいい気分になってきた。
ユウコも氷の剣を矯めつ眇めつ、楽しそうだ。
「……ねえあなたたち。いい加減、遊んでないで手伝ってくれないかしら」
大きなため息を吐きながら、リリアが言い放った。
俺たちはアイスソードを放ったらかしにしたまま、すごすごと屋台に戻ることにした。
◇
すっかり日も落ちると人通りは少なくなっていた。近代化が進んでいないこともあって、わざわざ夜間に出歩くものは多くないのだろう。
俺は街灯の明かりをぼんやりと眺めていた。どうやら魔石など、この世界固有のエネルギー源を使っているらしく、光を見た印象は異なる。そんなところで異世界に来たんだなあ、と実感する辺り、あまりにも突飛なものは受け入れられていなかった、ということなのかもしれない。それとも、いまだに夢を見ているつもりなのかもしれない。
だって、そうだろう?
すぐ近くにはこんなにも素敵な女の子たちがいて、こんなにも楽しい時間を過ごしているのだから。疑いたくもなるものだ。
と、俺の首筋に氷の塊が押し当てられた。業務用のではなく、溶けたアイスソードだ。こんなにも小さくなるなんて。時が経つというのは、残酷なことだ。
「なに考えてたの?」
ヴェーラが悪戯っぽい笑みを浮かべながら、尋ねてくる。
「君たちと会えてよかったな、と思ってさ」
「……ふうん。そういうこと、リリアに言ってあげればいいのに」
「リリアだけじゃないさ。こうしてヴェーラといられることを、嬉しく思っているよ」
こんな言葉がすらすら出てくるなんて、俺は夜に酔っているのだろうか。
でも、俺の本心に一番近い言葉なのは、間違いないだろう。
「ねえ、ティール。祭りの終わりには少し早いけれど、もうお客さんも来ないだろうから、片付けを始めてもいいかしら?」
リリアが俺にそう言った。
俺は思わず、彼女を見たまま呆けてしまった。
「……なに?」
「いや、リリアが俺の名前を呼んだの、初めてだなって思って」
「あなたが私の名前を呼ぶのだから、私があなたの名前を呼んでもいいでしょう?」
やはり可愛げのない答えが返ってきた。
俺たちの姿を見ながら、ヴェーラはなんだか満足そうにしている。
「ティールさん、かき氷器もしまっちゃうね?」
「ああ、頼むよ。……よし、帰ろうか」
そうして片付けを終えると、俺たちはさも当然のように、リリアの家に向かって歩き出す。
そして彼女もそのことに文句は言わない。嬉しいとか楽しいとか、そういうことは言わない彼女だが、やはり勇者パーティで旅をしていたこともあって、こういうのが好きなのかもしれない。
そういえば、剣士や僧侶とは会っていないんだろうか?
特に彼女たちから話を聞いたこともないので、俺にはわからない。とはいえ、なにかあれば言ってくるだろう。
リリアの家に辿り着くと、道具を片づけるよりも先に、ユウコはソファに飛び込んだ。
「うーん。働いた後の休息って別格」
「ユウコ、片付けくらい最後までやってくれよ」
「えー」
ユウコは両足をぱたぱたと動かし、ソファの上でごろごろしている。
そんな彼女のところにヴェーラは行って、
「ユウコちゃん。あたしたちだけだと大変なんだ。ユウコちゃんに手伝ってほしいんだけど、だめかな?」
「仕方ないなあ。あたしはできる大人だから、手伝ってあげる」
いつものように得意げになると、ユウコは荷物の片づけを始める。なにができる大人だ、昨日まで無職だったじゃないか。しかもお前、未成年だろ。
それにしてもヴェーラはユウコを使うのがうまいな。困っているところをユウコだけが助けられるという特別感を与え、お願いするという形に持ち込むことで、彼女が動いたのだ。……面倒くさいな、そこまでするくらいなら自分でやるわ。
一方で、キッチンからはトントン、と包丁を扱う音が聞こえてくる。
リリアが夕食を作ってくれているのだ。いつもは暇なユウコが作っていたのだが、今日は彼女も働いたということで、リリアが代わってくれたのだろう。
かき氷器の状態を確認したり、明日使うシロップの瓶をまとめたり、準備が終わると、いよいよお金の勘定に当たる。
じゃらじゃらと音を立てて、箱から取り出される硬貨。
思わず、ごくりと喉が鳴る。
「ほんとうに一日でこんなに稼いじゃったんだね」
ヴェーラが感嘆する。ユウコはこの大金を前に、あわあわしていた。
俺は一つ一つ、数えていく。硬貨を手にするたびに、その重みを実感するのだ。
かき氷屋ならば、前世でもできたことだ。本気でやろうと思ったならば、外国にでも行って売りさばけば同じように儲けることはできただろう。しかし、やらなかった。できなかった、といったほうがいいか。
こうしてなにもかもを失ってからのスタートだから、本気で始めることができたのだ。そう考えると、なんとも運命的である。
台所から漂ってくる香りに癒されながら、俺は今日の成果を数えるのだ。そうしていると、リリアがこちらを見ずに言う。
「だいたい、30万ゴールドくらいになるはずよ」
「あれ、数えたの?」
「まさか。使った器の数を軽く数えたの」
なるほど、理にかなっている。値段が安いみぞれ味もあるため、ピッタリにはならないだろうが、一つの目安にはなる。
やがて、ユウコが叫ぶ。
「30万、ありました!」
彼女は手放しで喜んでいる。しかし、このうちいくら残るだろうか。
まず、かき氷器代が10万。そして残りを全部使っても、仕入れた代金には及ばない。かなり多めに仕入れたのだから。
とはいえ、明日以降はもっと売れると踏んでいるし、掛け金を払ってしまえば、残りは利益となるはずだ。
そう考えていると、リリアがやってきた。
「机の上、片づけてくれるかしら?」
「あ、運ぶの手伝うよ」
俺とユウコが金を仕舞う中、ヴェーラはリリアと一緒に料理をテーブルに運んでくる。
そうして、四人の小さな晩餐会が始まった。
「有り合わせで作ったから、美味しくないかもしれないけど」
「いや、とてもうまいよ。特にこのほうれん草のスープとか、絶品だ」
「……それ、ルッコラよ」
リリアが呆れたように言う。
くそ、そんな西洋かぶれのものなんて普段使わないしわからないっての。
居たたまれないので、パンを思い切り齧る。カリカリしたパンだが、スープに浸したことで柔らかくなっており、中まで味が染み込んでいる。悪くない。
「このルッコラのスープ、美味しいね!」
「そう? ありがとう」
ユウコが元気よく言う。俺へのあてつけか、くそ。
一方でヴェーラは、
「でもリリアの料理食べたの、久しぶりだなー」
「私は毎日食べているけれど」
「それはそうだよ。初めてリリアが夕食当番当たったときを思い出すなあ。あれは食事じゃなくて、薬だったよ」
「もう、いつの話よ」
懐かしそうに話をする彼女たち。会話から察するに、リリアはハーブなど薬草ばかり使ったのだろうか。そんなところも彼女らしい。
そこに俺は入っていくことはできない。そればかりはどうしようもないのだ。彼女たちだけの思い出話、いわば聖域なのだから。
だから、これからの思い出を作っていきたいとも思うのである。これからもがんばろうと思うのである。
彼女たちは笑い合う。
こうして俺たちの一日目は、大成功に終わった。




