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第三章 惨劇のシュレイブニエル

 この惑星には東西に大陸がある。

 主に東をサウスエンド、西をイーストエンドと呼称する。便宜的なものだ。以前はユーラシアや南米大陸と言ったらしいが、それはまだ黎明期の頃、人類が誰一人、海にも、また空にも進出していない頃の局地を顕した言葉に過ぎない。

 つまり、どの道便宜的と言うことか。或いはいまの世界に、便宜的ではないものというのは存在しないのかも知れない。

 【神】の降臨以来、世界は効率化と省力化の一途を辿っている。無駄なことは無くなり、人々は必要最低限の行いで最大限のリターンを得る社会が構築されようとしている。争いの消滅はその最たる例だ。

 人類の歴史に登場する独裁者が、自己に有益なことのみを民衆に強いるのに対し、【神】は大多数の人類に有益的な物事しかさせない。ある意味ではもっとも完成した独裁者――理想としての指導者(ディクタトール)である。

 しかし、全ての人類がその思想に従順であるわけではない。

 平和を願いながらも、自己の利益を優先するものは多い。また、一つの願いの為に和を乱すものも少なくない。そして戦争は、ヒトの性とも言う。元来人は好戦的で、凶暴なのだとも。

 それでも理性を信じるものはいる。

 理性に縋り、【神】を仰ぎ、平和を真に願うものはいる。

 だが、ここで一つ考えてもらいたい。

 果たして――【神】の謳う平和は、真に平和であるのだろうか?

 そもそも、平和とは何か?

 平和だけが、ヒトを救うのだろうか? その平和の先に、人類に未来は在るのか? その未来は、黄金に輝くのか?

 その答えを、吾はまだ出していない。

 そして恐らく、【参賢者(マギ・トリニタス)】もまた。

 だからこそ、吾はアンチテーゼとなるのだ。

 神の所業には必ず――【悪魔】という未知数がなければ為らないのだから。


§§


 ……そも、古来より神の御業に対し、悪魔の振る舞いというのは説明のしようがないものであった。神というものは常に正しいのだし、それに従う人間はまた正しい。従わない人間は悪で、悪はやはり、天によって裁かれる――裁かれなければ為らない。

 だが。

 時にはその裁きを回避してしまうものもいる。

 悪。絶対の悪でありながら、のうのうと生きる存在を、人々は神も恐れぬと罵倒した。その存在、振る舞い、神に(はん)し悪行の限りを尽くすもの、人はそれを悪魔と呼んだ。

 悪魔は神の後に生まれ、神以外の全てを説明するものと為った。

 しかし、そのパワーバランスは絶対だ。悪魔は神に、勝てはしない。

 どれほどに高く飛べる翼を持つものも、どれほどに世界を照らす炎を持つものも、それは一切、神の(たなごころ)(うち)なのだ。

 だからこそ、神は絶対であり。

 人々は神にこそ、救いを求めた。

 神はそんな人々から、自分の民を選び、寵愛し、許し、繁栄を認める。

 天使はいつからかそんな民の守護者となり、神との橋渡しをするものとなった。

 しかし、悪魔。

 そう、世界には神だけでは説明できない悪魔が存在した。人々はそれを恐れた。 当然だ、神よりも弱いはずのそれは、しかし確かに神の御業を否定するのだ。だから、天使にはその悪魔を討つ役目が与えられた。

 そのうち、人間の中にもその域に上るものが現れる。

 神の戦士。

 聖瞥(せいべつ)を受けしもの。

 その最高位を【聖騎士(パラディン)】と呼んだ。

「…………」

 そうして今、俺の目前におり、自身の身長ほどもある大剣の手入れをしている人物こそ、今の世界における唯一の【聖騎士】御剣(みつるぎ)真理(まり)だった。

 身長は驚くほどに高い。女性でありながら、俺と同じか、僅かに高い。

 或いはその存在の高尚さが、俺の目をしてそう映らせているだけという可能性もあるが、それにしても高い。対してその身体付きはなんとも女性的だった。

 恐らくは――見た目から年齢を判別できるほどの人生経験も女性経験も、俺は積んでいないが――二十代前半。

 俺よりも歳上に視えた。

 しかし、そこに幼さのようなものは無い。

 在るのは只管に研ぎ澄まされた【正義】だ。

 正しく在ろうとする、愚直なまでに真っ直ぐな意志――なるほど、それが彼女を大きく見せるのか。

 そして、重要なことなので繰り返すが、その身体付きは酷く女性的だった。年齢相応に膨らむ両の乳房。すらりとしたプロポーションは、しかしどことなく丸く。手足は長く細い。痩せているわけではない。鍛え上げられた全身は筋肉が隙間も無く鎧っている。されど、それでも女性特有のラインは失われてはいなかった。

(【彼女】に強制的に読まされた)漫画やアニメで、そう言ったキャラクターというのは幾度か目にしたことが在るが、しかし現実に見ると迫力が違う。神々しいという表現がこれ以上もなく適切に思われた。

 天使……と、呼んで差し支えがないほどに。

 ブロンドの髪は短い。肩口より上だ。道すがらに聞いた理由によれば、訓練をするうちに勝手に千切れてしまうのだという。勿体無い話しだとは思ったが(それ以前にその訓練の苛酷さに戦慄したが)よくよく見てみるとその髪には一切の(もつ)れも(ほつ)れも、またダメージも見当たらず、彼女の言葉が真実であるかどうかは判然としなかった。無論、聖騎士が嘘を吐く訳はないのだが。

 瞳の色は、驚くほどに澄んだ青色。浄眼(じょうがん)というものがあるならばこれだろう。

 総じて、どうしたところで美人であった。

 (よこしま)な感情を抱くことが許されないタイプの美貌であった。

「ん? どうしたかな刹理? 私の顔に、何かが付いているかい?」

「……いえ」

 注視していたという後ろめたさから言葉を濁す。

というよりも、気配は消していたつもりで、虚を突かれた形になった。

「話しがあるのなら出てくればいい。もう十数時間後には現地入りだ。ゆっくり話せるのは、今だけだよ?」

 そんな彼女の言葉に促され、俺は物陰から進み出る。

 場所は飛行船【スターリング・シルヴァー】内部の観覧席。シュレイブニエルへの足として御剣様が用意した舟であったが、そもそも彼女の所有物なのらしい。

「まあ、確かに今は、私が各国を飛び回る足として、それから同胞を運ぶ箱舟として利用しているがね。ああそれから、その御剣様というのはやめてくれないかな? 私をそう呼ぶのは、頭の固い老人連中だけで十分だよ」

「……では、どのように?」

 俺が途方に暮れたような気分でそう尋ねると、大剣を磨きながら、彼女は首を傾いだ。

「んー。いざ言われると思いつかないな。因みに君は、【暁】の事をなんと呼んでいる?」

 【暁】とはルーシェの識別名だが。

「ルーシェ? 人のように呼ぶのだね? 私は【聖剣】としか呼ばないのだけど? ふむ、どうかな【聖剣】? おまえも【エクスカリバー】とか【レーヴァティン】みたいな名で呼ばれたいかな?」

『遠慮しておこう』

 深い知性を有するしわがれた老人のような声が響いた。大剣が、銀の光に明滅する。

『そんなセンスのない名は御免被る』

「なにぃ? 私がノーセンスだというのかっ!」

『……少なくとも我はハイセンス過ぎて着いていけない。どうしても呼ぶというのなら、もっと名前らしい名前で呼んでもらおう』

「私の剣の分際で生意気な。剣に剣の()をつけて何が悪い」

『せめてオリジナルをと言っているのだ。それは主の国で言う【三郎太】や【倫太郎】のような名前なのだが?』

「平凡なのが嫌とか私の剣の癖に。私なんて真理だぞ真理!」

『親からもらった名前にケチをつけるべきではない』

「じゃあおまえもケチをつけるな」

『主は我の親ではない。我の親はニーチャだ』

「次世代機の分際で大きく出たな……まあいい! おまえはやっぱり聖剣と呼ぼう。じゃなかったら【ゼント】と名付ける」

『ゼント?』

「私の父方の国の言葉で【切り分ける】という意味だ。善悪を別つという意味で相応しいと思った」

『……悪くはない』

「そうか!」

 聖騎士は快闊に笑った。それからくるりと首を回し、俺を見て微笑む。

「さて刹理。私の呼び方は決まったかな?」

「…………」

 なんとも、はや。

「……では、真理様と」

「様が余計だ。私と君は【イーリガル】か【ジャスティス】かの違いだけで、立場は同じ【使徒】だ。同僚で同胞じゃないか。真理と呼び捨ててくれていい。私も、君を刹理と呼び捨てている」

「……は。では、真理と」

「…………うん」

「どうか、なさいましたか?」

「いや、べつに、ね」

 俺が名を呼ぶと、彼女はなぜか顔をそむけ、真顔に為ってこちらを向き、右の人差し指を一本立てた。

「もう一度呼んでくれよ」

「……は?」

「だから、私の名前をだ」

「……真理?」

「…………!」

 彼女は、どうしてか――はにかむようにして。

「いや、なんだ。悪くないものだね――英雄に自分の名を呼ばれるというのは」 

 そんな、突飛な事を言った。

『ご謙遜を。3年前のヒューストン戦役以来、御身(おんみ)の名は轟いている。曰く魔人狩り。死の漆黒。死天使。そして切望者。この3年間で、【ブレス】を装着し、一体どれほどの戦闘を為されたか?』

「……52回ほどになります」

「すごいな、私と大差がない。古強者と言った風情だが……3年! 瞠目に値するよ」

「恐縮です……しかし、それは敗北の歴史ですから」

「敗北……【魔王】はそれほどに強いか」

「はい」

 俺は、沈鬱な気分で頷く。

 これまでの、10度に及ぶ戦いを振り返る。

 初戦――何かをする間も無く、地に落とされた。

 三度目の戦い――繰り出した一刀を弾かれ、全身を砕かれた。

 七戦目――ピリオドの一つ、【蒼紫】を無効化された。

 十戦目――【紅紫】をものともせずに、俺は地に堕ちた。

「……結局、俺の刃は【魔王】には届きもせず。届いても、掠り傷一つ付けることは適いませんでした」

「それほどに、か……君の流派は?」

「いえ」

「名を伏せなければ為らないのかい? それとも私が名乗っていないからか? 私は【教会】の実戦剣術を極めただけだ」

「いえ、そう言うことではなく」

「では?」

 不可思議そうにする真理さんに、俺は渋々と言った心持で告げる。何か、こう、期待を裏切るような申し訳のない気持ちだった。

「……その、自分には、特定の流派というのはないのです。強いて言うならば無手勝流。ルーシェに教わった刃の振り型どおりに奮い、できる事を急増した結果がいまなので」

「なっ」

 真理さんが絶句する。

『……ということは、御身の技は完全に独学で、それでもって50を超える戦いに挑み勝利をしてきたと? それが事実であるならば、驚愕を通り越して驚異の段階であるな』

「――噂に聞く【極位相の剣】も、君と【暁】の独自に生み出した(オリジナル)だと聴く……すごいな。これは、頼りになる。そうだろう――【暁】?」

 それまで、ずっと俺だけを見ていた彼女の瞳が、唐突に俺の剣へと向いた。そうして、何か凄惨に細められる。

 紡がれた言葉に、俺は戦慄した。

「実に頼りになる行使者じゃないか――【父】を止める定めにある【娘】には、なんとも素敵な勇者様だ!」

 それは――極一部の人間しか知らない秘密であった。【教会】の上層部、或いは直接的な関係者、そしてこの【聖騎士】ぐらいしか、知る由のない話。

 実は【ベリアル】とはツァラトゥストラ・ニーチャのその意識の抽出波動であり【ルーシェ】とはその娘の――生体波動を機軸に生み出されたOSであることなど、誰が知るというのか。

 そして――その二者が、骨肉の争いを行うこの地獄を拓いたのが、俺であることなど……。

 だから、ルーシェは、俺の事など頼りにしてはいない。俺の事を勇者などとは思っていない。彼女にとって俺は、ただ力の器である道具であるはずで――

『――調子絶頂ね、聖騎士? あなたに言われるまでもないわ。セツリは、私の最高のパートナーよ』

 ――え?

『【魔王】討伐用戦力たる私を――どう言う存在かを知りながら同情もなく使い潰してくれる。それ以上、私が相棒に求めるものはないわ』

 ――――。

『何よりもセツリには意志がある。正義を為す意志がある。例え発端が彼であって、その始まりが正しくなかったのだとしても、今の彼は正義の執行者。悪を断つもの。彼の罪など私には関係がない。何故なら私は、【神】の意志に逆らってでもセツリを選んだのだから』

「……ルーシェ」

 頭の中が真っ白に為り、俺は、ただ呆然と腰に佩いた剣を見る。剣は、おかしなものでも見たようにかすかに震えた。

 笑ったようだった。

『何を惚けているの、セツリ? あなたはここで、私の台詞に対して感銘を受けて打ち震えるか、ええ、そう。別に私を、崇めてもいいのよ?』

 冗談を言うような、茶化すような、そんな普段通りの彼女の声。それが、彼女の言葉が心からのものである事を悟らせる。

 覚えたのは驚愕。そして――分からなくなる。

「――――」

 俺は今日まで、贖罪の為に戦ってきた。

自分が犯した罪が世界に脅威を与え、【神】すら殺そうとしているその事実に、ただ怯え、震え、抗う為に戦ってきた。そのために、罪を重ねてきた。それは、自分が許されないと知っていたからだ。

 誰よりもこの少女が、俺を許さないと知っていたからだ。だけど、だけれど今、ルーシェは――

『セツリ。それは、私は、お父様――ベリアルと対立を望んではいなかった。あなたが犯した過ちが、その引き金になった事を怨みもした。だけれど、そもそも私は、ベリアルとお母様(クオンタム)の対立要素としての存在。クオンタムは消えてしまったけど、ベリアルが世界を滅ぼすというのなら、私にはそれを阻む責務がある。それが――お父様と、お母様との約束。だからね、セツリ。あなたがそう、気負うことは無いの。もちろん、私はまだあなたをほんのちょっぴり怨んでいるし、あなたが逃げ出そうとしても、首に輪をつけてでも最後まで一緒に戦ってもらうつもりだけれどね?』

「――――」

 言葉が、ない。

 何を言うべきか、何を考えればいいのか、どう振舞えばいいのか、表情筋は、心臓は、神経は、魂は、――震えている。

 分からないが――俺はきっと……。

「ふふん。なんだ、思ったよりも関係は良好そうだね」

 俺とルーシェの会話を黙って聞いていた聖騎士が言う。

「一応、【教会】のほうからは、君たちがいまだに反発しあっている……非協力的な関係にあるのならば今回の作戦からは外すようにとは言われていたのだが。うん、今の様子なら、問題はないようだね」

 言って、彼女は磨き終えた聖剣を担ぐ。

 そして快闊に笑う。

 その様は、もはや神話の域にあり。

「明日には、目的地である【世界の敵】の最大拠点――シュレイブニエルへと到着するよ。聴くべきことは聞いたから、後は、鋭意を養っておいてくれ」

 そして、真理さんは、話しは終わりとばかりに聖剣を正調に構える。どうやら、この狭い船内でなお、剣の調練に勤しむ様子だった。

「――――」

 その表情には既に笑みはなく、只管に真剣な、研ぎ澄まされた意志のみが透徹していて、俺はひきつけられるように注視して――

『……セツリ』

 小さな、相棒の声を聞く。

「……なんだ?」

『少し、話しがあるの』

「ああ」

『……ここでは、なんだから、移動して』

「…………」

 俺のここへと来た目的。それは聖騎士の力をひと目見ようというものだった。それはいまから果たされようとしている。できるならば話しというのは、後回しにしてもらいたかったのだが、

『セツリ……真面目な、話しなの』

「…………」

 そこまで言われて、俺に刃向う意志はなかった。



 スターリング・シルヴァー後尾に宛がわれた俺の部屋。そこで俺は、一振りの剣と対峙していた。儀式剣――ルーシェ――俺の、相棒。

 彼女は、とても落ち着いた声で言う。

『……もう、限界ね』

 この上なく、致命的なことを。

『セツリ……あなたの身体は、これ以上の【奇蹟】の行使に、耐えられない』

 初めは、一体何を言っているのだろうかと思った。

 この道程半ば、志半ばで、一体何を、と。

 世迷言を、と。

 しかし。

『分かって、いるのでしょう……? あなたが、【奇蹟】を使おうとするたびに襲ってくる頭痛の正体が』

 ――思い当たる節が、多すぎた。

 否定の材料が、存在しなかった。

『あれは、あなたの脳神経が、過負荷に耐えかねているという(あかし)。脳細胞自体が破壊されているという証。【ザイン】というものが、どうしたところで超演算の上にしか成立し得ない奇蹟である以上、もうこれ以上、あなたには【奇蹟】を使わせるわけには、行かない』

 ――――。

 まず、絶句した。

 ついで、安堵を感じ――それを恥じた。

「っ」

 もう自分が戦えないのだと知って安堵を感じ――死を望んだ。

『……何故?』

 何故って。

 だって、俺は、戦うために生きているのに。【彼女】を止める為に、俺はいるのに!

 なのに……なの、に。

「……いや、【ザイン】は使えなくとも、剣は振るえる」

 ならば、戦うことはできる。まだ――俺は、戦える!

『また、そんな事を言って……分かっているの? 分かっているのッ!』

「ルー、シェ?」

『あなたが挑むのは【魔王】! 万全の私たちですら届かない至高の王! そこに【ザイン】という切り札も無しで剣技だけで挑むと、あなたは本気で言うのっ? そんな狂気染みた事を、私に許可しろと⁉』

「…………」

『あなたは、あなたは――』

 それは初めて聴く、相棒が感情に任せて放った言の葉。

 恐らくは本心からの、忠告だった。


『あなたは――私にセツリを、見殺しにしろと言うの……?』


 そんなことは出来ない、できるわけがない。彼女はそう言って、静かに刀身を震わせる。

「――――」

 俺は、何も答えることが出来ない。

 彼女が言う言葉の意味すら、よく理解できない。

 見殺し?

 だが、彼女は言っていなかったか?

 使い潰す覚悟と。最後まで、一緒に戦ってもらうと。俺は、それを喜んだのではなかったか? しかしいま放たれる言葉は、そんなものとは対極の、もっとずっと、陳腐な、戦う覚悟あるものが紡ぐにはあまりに惰弱な、脆弱な意志で。

『そう、これは、本来私のようなものが出すべき結論じゃない。私は、私のユーザーの全てを使い、私の使命を全うしなければいけない。それは、絶対成し遂げなければ為らない命題。あなたと同じ、絶対の命題。だけど……だけど』

 彼女は迷うように、惑うように、言葉を重ねる。

『私の【奇蹟】は、【天使】としても過ぎた力。本来は【神】が用いる為の異能……どうしたところで、ヒトには余りある。その行使には他の【ザイン】の数十倍の演算を必要として、殆んど脳や精神を磨り潰すようなもの。他の【ブレス】ならばいざ知れず、私のユーザーは、死を賭して戦わなければ為らない。そうして今、あなたには限界が来た。もう、あなたは【ピリオド】を使うことすら出来ない。だけど、あなたは戦うのでしょう?』

 当然だった。そして、(いず)れ来る限界も、知っていた。

 一番初め、罪を犯し、それでもこの少女を頼ったとき、それは決意し誓ったことだ。だからそれを、悔やむ意味も、問う必要も無い。

『ええ。あなたはそう言ってくれた。そして事実、そんな私でもなければ【王】の【ブレス】を止める事はできない。私だけが、抑止力で……そのはずなのに、私はその責務を、果たせていない』

 ……十度戦い。十度敗れた。

だが、それは、俺がおまえを使い切れていないからで。

『それも、あるわ。確かに、あなたとアレでは、【ザイン】の行使に大きく差がある。アレは、恐らく完全に制御をしているのよ。……でも、それだけじゃない』

 それだけでは、ない?

『……私には、躊躇いがあるの』

 彼女は、言う。

 心の奥底に溜まっていた(おり)のような思いを、心が閉じ込められた(おり)の隙間から出るような言葉を、今、こんなときに、口にする。

『私は今日まで、どうやってでも【魔王】に――父であるベリアルに勝利するつもりで来た。そのつもりで、あらゆる手段を構築してきた。容赦もなく、全ての敵を狩り、あなたの命も削ってきた……その究極の法――【同化】すらも、私は視野に入れてきた。それをあなたに強制しようともした。だけど……今はそれが、出来ない』

 出来ないのよ……。掠れるような思念で、彼女は言う。

『いまの私は……あなたに自己の消滅を、強要できない。もはや他に打つ手なんてないと知りながら、あなたはもう、戦えないと知りながら――』

 だが、それ以外には無いのだろう?

 俺がもう二度と【ピリオド】を使えないというのなら、今のままでは使えないというのなら……それ以外に、方策はなく。

 そんな俺の思考は、愚かに過ぎた意志は、次の彼女の言葉で、容易に吹き飛んだ。


『私は――セツリに、消えてほしくなんか、ないの』


 え?

 と、声にして言ったような気もする。或いはただ、吃驚ゆえの沈黙を貫いたのか。ただ理解できたのは、細波(さざなみ)。心の岸辺に打ち寄せ、返す……そんな、疼痛のような何か。

『【同化】は、結局のところ【魔王化】との差異はないわ。あなたは私に食い尽くされて、私の血肉と為って、私の【(からだ)】になる。そうすれば、私は一時的に、私の全ての力を使えるようになる。振動制御の真の力も、私が母より受け継いだ量子制御も、すべて使用可能になる。でも、そうしたら、あなたは……』

 ……そうすればどうなるのか。それは今日まで、何度となく話し合った。俺が今日までそれを切るべきではない切り札として使用しなかったのは、それが【魔王】を生んだ手段だからだ。俺まで、【魔王】に為るわけには行かない。廃人になる可能性など端から考慮していないのだ。

 だから、それ以外に【彼女】を討つ手段が無いのならば、躊躇ってはならない。ほかに手段が無いのならば、ルーシェを以ってして、十度の敗北を喫したあの怪物に、【ザイン】を失い、半端物の俺が勝ち得る手段が他に――

「――在る、訳がない」

 そう、そんな手段は在る訳がないのだ。だから、もはや手段はそれしかない。俺が責務を果たさなければならないと願うのなら、その意志を透徹するのなら、もはやそれ以外の方法など。

 なのに。

『私は、それを認めない』

 相棒は、それを止めるのだ。

『絶対に、認めない』

 今日まで、何度となく俺に、その手段を提示した彼女が、それを戒める。

『セツリ……分かって? 私には、それは出来ないの。私には、もう、その選択肢は――』

「…………」

 こうして、切り札を失う。

 頼みの綱である【極位相の剣】は使用不可。

 あるのは、自己流の剣術と、意志のみ。

 恐らく、今までの中で、最大のバッドコンディションであろう。間違いようのなく、そうだ。

 しかし。

 だからと言って。

 ここまできて――あいつを見捨てることなど――

「できるわけが……ない」

 できる、訳がない……っ。

 己の罪を捨てることも、その贖罪の機会を放棄することも、ましてや、この少女の使命を無為にすることも――俺には出来ない!

 ならばどうする?

 足掻け!

 みっともなく、無様に、それでも這い上がる為に足掻け!

 それ以外に、道は無い!

「ルーシェ」

『……なに?』

 だから、俺はその意志を伝える。剣に、相棒に。

「それでも……俺は、戦う事をやめない」

『…………』

「これは贖罪で、使命で、責務だが……なによりも、俺が、俺達が遣り遂げなければ為らないことだ。やるべきと決め、やると決意し、そして今日まで歩いてきた――幾つもの(しかばね)を踏み台にして」

『っ』

「そうしてここまで来た。今更、後戻りは出来ない。それは、許されない! だから、俺は進むのだ」

 この血道を歩みきる。しかし、それは俺一人でできることではない。

 俺には先を()く翼がない。

 俺には道を(ひら)く剣がない。

 俺には打ち()つ力がない。

 その全ては――おまえが。

「ルーシェ、おまえが、全てを持っている。俺が必要とする全ては、おまえの中にある。だから」

 だから。

「相棒よ――俺に、力を貸してくれ」

 ゆっくりと、頭を下げる。

『…………』

「俺一人では、何も出来ない。絶対に、あいつに勝つことなど、出来はしない。だが、お前がいれば別だ。おまえが力を貸してくれるのなら、俺は――きっと勝利してみせる」

『……ッ』

 刻まれているのは敗北の歴史。

 及ばぬ力量差の、絶対の隔たり。

 神とヒトほどの格差、絶望の境地。

 あの恒星は、天上に座す。

 それでも、俺は挑むのだ。

 俺の翼は、蝋の翼ではない。

 相棒の持つ、鋼鉄の翼。

 それをもし、再び得ることができるのなら――俺は、あの星空にすら至れる。それを、確信している。だから、どうか、相棒よ。

「俺に……チカラを……貸してくれ」

 頼むから。

『……セツリ』

 彼女の声は小さかった。そこには迷いも惑いも、躊躇いすらも満ちていた。しかし、彼女は天使だった。それも、死天使。

 もとより、俺達に他の選択肢など、なく。

 故に、彼女の選択肢はそれであった。

『分かったわ。私は、あなたに協力する。あなたの……私たちの、目的のために!』

 強く真っ直ぐな言葉。それでこそ、相棒の言葉であり。

 しかし。

 その声は、震え、揺れて、掠れていた。俺はそれを、まだ覚えている。


§§


 シュレイブニエル。

 イーストエンドのさらに西端に位置する、かつての要塞国家の成れの果て。

 【彼女(アレ)】は、現在そこを拠点としているらしい。

「教会の諜報部から得られた、かなり確度の高い情報だよ」

 俺とルーシェを指揮下に招き入れた際、聖騎士は語った。

「かなり大規模な、それこそ残存する全ての悪魔を集めた部隊、仮称〝魔軍〟を編成して、こちらに打って出る構えらしい」

 だから、その出端を挫く。

 聖騎士は厳しい面持ちでそう言った。

「奴らの正確な規模は解らないが、残る悪魔は300を切っている。だからこちらは、投入し得る最大の戦力、教会所属の天使500と、そして、私と刹理で強襲をかける。上としては、何としてもここで魔王ベリアルを葬ってしまいたいのさ」

 彼女は、そのための自分であるとも語った。

「あらゆる【ザイン】を無力化できる私の【絶対正義】があれば、魔王に一刀を刻む猶予もきっと生まれる。世界平和と神の正義のために、是が非でもここで、悪魔を討ち滅ぼし尽くす!」

 スターリング・シルヴァーはその第二旗艦であり、現在50からなる使途が乗船しているらしい。

 その中には、自分のような若輩でも聞いたことのあるような、名高い【神の息吹(ブレス)】の行使者(ユーザー)もいた。

「応援はすぐに駆けつける。なんとしても、決着をつけよう」

 彼女はそう言って、俺に手を差し出した。

 俺はその手を、強く握り、頷いた。

 ――そうして今である。

「壮観なものだな」

 スターリング・シルヴァーの艦橋から周囲を見渡し、俺は誰にともなく呟いた。

 しかし、耳聡い相棒はそれすら拾ってくれたらしく、返答をくれた。

『教会の第一空挺(くうてい)部隊ですもの。それは壮観でしょうよ』

 彼女の言葉に俺は頷く。

 実際、眼下に広がるそれは見事の一言だった。

 7機の飛行船。

 しかもその一つ一つが、スターリング・シルヴァーに匹敵する巨大なもの。

 その中に、ひときわ巨大な飛行船があった。

 それが噂に名高い教会の第一空挺部隊旗艦『エンジェル・ストレージ』であることは、素人目にも明らかだった。

「……あれも、光波外皮合金(ライト・ウェーブ・アダマンタイト)で装甲されているのか」

「そうさ、あの巨大なものがね」

 そう答えてくれたのはルーシェではなく聖騎士だった。

「真理さん」

「……さん付けで落ち着いたか。まあ、いいとするよ」

 彼女は苦笑して、すぐに表情を厳しいものに改める。

「しかし、その堅牢無比な装甲も、魔王が出れば薄紙同然となる。それは、君自身が一番分っていることだろう」

 俺は苦々しく頷いた。

 アレの【奇蹟】は拒絶の炎だ。

 あらゆるもの、万物万象を消し去り燃やし尽くす暗黒の劫火だ。その焔は、天使の装甲すら容易く貫く。

「だから、飛行船は積載している焼夷弾を全弾投下し、我々を現地に向け発進させ、その後速やかに転身する。帰還の場所はないと思ってくれていい」

「……死力戦になりますか」

「そうなるね」

「……居るであろう【悪魔】の崇拝者たちも、焼き尽くすのですか」

「奴らに与するものは全てさ。さながら、古のソドムとゴモラのようにね」

「…………」

「地獄絵図だよ、悪魔どもにはお似合いの、ね」

 そういってのける聖騎士の表情は、しかし厳しいものであった。

 悪魔の殲滅と魔王討伐を目的とした今回の遠征ではあるが、こちらの被害もまた甚大に昇るであろうことを、この時の彼女は覚悟していたのだろう。

 そして、翌朝。

 戦闘は、日の出とともに開始された。

 シュレイブニエル上空へと達した飛行船団が、敵機の発進よりも早く焼夷弾をばらまく。

 一瞬にしてかつての要塞都市は火の海に没した。

 その焔の中から、無数の雲霞の如く黒々としたものたちが這い出し飛び上がってくる。

 悪魔の軍団(レギオン)

 それは蛮声を――彼らにしてみれば怒声をあげながら、こちらへと上り詰めてくる。

 天使の軍勢もまた、ブレスを装着し出撃、降下していく。

 かくて、天軍と魔軍の火血刀を渡る壮絶果敢な戦争は始まりを告げた。

 速駆けの一騎が、戦端を開く。

 斬り結ばれる刃。

 紫電が奔り、蒼炎が舞う。

 刀刃が閃き、槍先が火を放つ。

 思想と理想。

 剣技と研技。

 ザインとザインがぶつかり合う此の世の果てで。

 300の悪魔が死にもの狂いに、500の天使が勇猛果敢に、血で血を洗う戦場を駆け抜ける。

 それはさながら地獄絵図。

 一騎、また一騎と翼をもがれ、天使や悪魔が業火燃え盛る地上へと墜ちていく。

 地上ではすべてが燃えている。

 建物も、樹木も、作物も。

 家畜も、鳥も、人さえも。

 黒こげになって、踊っている。

 肉の焦げるにおいが、装甲を貫いて届きそうだと思った。

 地獄だった。

 それを地獄と呼ばずに、いったい何を地獄と呼ぶべきなのか、俺には分らなかった。

 かつてない規模の戦いに、恐怖が胃の腑からせりあがる。

 口元で押しとどめても、苦しさに嗚咽は絶えない。

 誰しもがそうだったのだろう。

 怒号と喧騒が充ちる戦場。

 ここにいる誰しもが、本当は闘いなど望んでいなかったのだろう。

 誰もが奥歯をかみ締め、叫び出したい衝動に震えながら、それでも守るべきもののために、貫くべきもののために剣を奮っていたのだ。

 その中で、俺だけが何もできずにいたのだ。

 ――いない。

 斬りかかってきた蒼色の悪魔を、袈裟ヶ斬りにして奈落の底へ叩き落とす。

 俺はその生き地獄の中で、必死に剣を奮い、たった一つの目標を探し続けていた。

 だが、見つからない。

 いるとせば、俺の目につかないはずがないのに。

 あの赤色が。

 あの絶望色の炎が。

 その戦場の、どこにも見当たらなかった。

「いったい、どこにっ」

 逸る。

 血河屍山が刻一刻と築かれていく中で、俺は一人焦る。

 これだけの戦闘になっていながら。

 これほどの地獄がそこにありながら。

 その盟主は――魔王の姿は何処にもなかった。

「ルーシェ!」

 何度目とも知らない誰何(すいか)の声。

 だが、返答もまた同じ。

『駄目よセツリ! ベリアルの波動は――感知できない!』

「くっ」

 ほぞを噛むとはこのことか。

 また一騎、特攻の如く、翼を失い突っ込んできた悪魔を斬って捨てる。

 殺す。

 その感覚が、麻痺を始める。

 いったいどれだけの時間この空を飛んでいるのか。

 いったいどれだけの悪魔を斬って捨てたのか。

 殺すこと、それ自体が麻痺を始める。

 戦争である。

 戦争である。

 これは最早戦闘などではない。

 無分別に人が死ぬ、この世からなくなったはずの、それは戦争。

 血が流れる。

 誰の血か。

 涙が落ちる。

 清らかか。

 何かを選ぶ。

 これが世界の、選択か――?

 懐疑と共に、俺は地獄の中を孤独に飛び続ける。

 魔王を探して。

 赤色を求めて。

 愛した女性の、為れの果てを求めて。

 斬る。

 斬る。

 斬る。

 何を斬っているのかわからなくなる。

 斬る。

 ひたすらに、目の前の敵を斬る。

 敵。

 我が敵とは何か。

 それは、それは――

『セツリッ!』

「――ッ⁉」

 相棒の声にハッと視線を跳ね上げる。

 上方から迫る刃!

 血にぎらつく悪魔の一刀を、俺は巻き落とし、弾き、かろうじて難を逃れる。

 だが、その悪魔は執拗であった。

 すぐさまに羽ばたき、身を翻す。

 鋭角に旋回し、こちらへとやって来る。

 ――速い。

 稲妻の如き機動。

 それは尋常ならざる速力であった。

「【ザイン】か!」

 思い至った刹那には、敵機は眼前に肉薄していた。

「グハッ!」

 閃光の如き一太刀に、影腹を持って行かれる。

『左腹部に損傷、戦闘に支障なし!』

 ルーシェの言葉を信じ、痛みに対する絶叫を噛み砕き飲み込む。再度旋回に入った敵機を見定め、こちらも剣理を構築する。

『だ、駄目よセツリ! あなたはザインを使っちゃいけない!』

「……っ」

 ……無論、そこに【ザイン】の介在する余地はない。

 ルーシェに己のすべてを奪わせる【同化】は、あくまでも最後の切り札。ブレスの能力を最大限に発揮させるために、俺の肉体をまさに磨り潰すようにして使い潰すその手段は、何が何でも最後までとっておかなければならない。

 故に、単純なる剣の技で、この場を切り抜ける必要があった。

「……ふ、くふっ」

『セツリ……?』

 嗤う。

 自嘲がこみ上げる。

 ほんの三年前まで、素人であったものが剣技を語るなど、可笑しくてたまらない。

 肉薄する敵機の機影。

 俺はただ、正眼に構えていた刃を肩口に担ぎ――突進した。

『セツリ⁉』

 自惚(うぬぼ)れるなと思った。

 何が剣技だ。

 何が無手勝流だ。

 お前は今日まで、ルーシェの力に頼って来たにすぎぬのだろうが!

 【ザイン】!

 その絶対の行使力に、赤ん坊のようにただ守られてきただけに過ぎないのだろうがっ!

 下方からせりあがる敵機の剣を、縦回転(ロール)と共に切り落とし、その肩よりやや中ほどを斬りつける。

 アダマンタイト合金を斬り裂く骨まで痺れる手応えと共に、その悪魔は地獄へと向かって墜ちていく。

 敵機【ザイン】による加速の力は、即ち俺の力にもなる。野球のボールと同じである。球速は早ければ早いほど、打たれた時の飛距離は伸びる。つまりは結局、【奇蹟】頼み。

 俺が斬ったのはその翼。

 もっとも装甲の薄い場所。

 墜ちていく悪魔に、己を重ねる。

 何もできない。

 何もできない。

 この場に確かに、討つべき敵がいるはずなのに、俺は何もできていない。

「おぉ――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ」

 吠えた。

 雄叫びをあげた。

 戦場の中で、地獄の中で、死天使が慟哭する。

 背面から一撃。

 ――堕ちる。


§§


 【聖騎士(パラディン)】御剣真理は戦っていた。

 敵を斬る。

 悪魔を調伏する。

 これは破邪。

 魔を屠る戦い。

 そう己に言い聞かせ、大義名分を振りかざし、同胞と共に朝焼けの空を駆けた。

 雲のかかる空は、天の赤と地上の炎に染まり、血の色をしていた。

 その中で、彼女だけが銀色に輝く。

 聖なる銀。

 決して穢れることのない無垢。

 彼女は斬って、斬って、斬って、斬って――斬りかえされる。

 だが、無力な悪魔の刃は、オリハルコンに傷の一つも付けられない。

 それは、絶対的な神意の証。

 決して傷つくことのない、教会の威信そのもの――

 (ふざけるな)。

 真理は思う。

 彼女は聖騎士である。

 正義を行い、悪魔を狩り立てるために、今日まで己を鍛えあげてきた。

 事実、これまでに何体もの悪魔を殺し、その崇める信者を誅殺した。

 だが、その彼女にしても、その戦場は耐え切れぬものであった。

 人が死ぬ。

 人が死ぬ。

 ヒトが死ぬ!

 敵も、味方も、天使も悪魔も――みな一緒くたになって、地獄への道程を行群していく。

 皆が死に急ぎ、血と涙と臓物と、糞尿と小便をぶちまけながら死んでいく。

 戦場。

 戦争。

 聖戦。

 これは【神】のための戦い。

 【神】に(そむ)く【悪魔】を根絶やしにし、その頭目たる【魔王】を討ち滅ぼすための正しい戦い。

 その聖戦の中で、友が死ぬ。

 また一人、天使が焔の中に墜ちていく。

 この高空から落ちて助かることはあるまいが、誰もが手を差し伸べられない。差し伸べれば、己が斬られ、墜ちていくのだ。

 墜ちた先で、よしんば生きていても、炎に焼かれることになる。

 無間地獄。

 ここは死と生の分水嶺だ。

 ……そんな中で、己だけが傷つかない。

 オリハルコン。

 教会が生み出した、光波外皮合金を超える絶対金属。

 それがあるがゆえに、彼女は無敵。

 だが――

 (ふざけるな)。

 真理は、再び胸中で毒づく。

 ここは、彼女がこれまで見て来たどんな戦場よりも凄惨なものだった。

 どんな戦闘よりも残酷だった。

 美しいほどに、醜悪だった。

「――教会の教えは」

 この世に戦争などはない。

 既に【神】の御業によりて消え去った。

 あるのは、【悪】を討つ為の誅殺のみである。

 その殺戮は殺戮に(あら)ず。

 その殺法は殺法に非ず。

 力無き人を【悪】より守るための【正義】也。

 ……そんなものは、何処にもなかった。

 ここにあったのは、ただの殺し合いだ。

 死にたくないと足掻き、死しても守らんと死中に踏み入る、そんな者だけが存在する戦場だった。

 ひとりの悪魔が、吠える。

『おまえ達さえ来なければぁあああああああああああああ!!』

 吠える。

『何が【神】だ! 何が【平和】だっ!』

 吠える。

『見ろ! これがお前たちの所業の果てだ! この地獄は、お前たち自らが生んだのだ!』

『どうして⁉ 私たちを、ただ縋った者もいたのに!』

『ここには無辜の民だっていたのに!』

 (……うるさい)。

 斬り捨てる。

 すべての悪魔を、彼女は機械的に、斬って捨てる。

 どんな剣撃も、どんな【奇蹟】も彼女には傷一つ付けられない。

 それでも彼女は血まみれだった。

 御剣真理の心は、血に塗れていた。

「うる、さい」

『……主』

 聖剣――〝善悪を斬り別ける(ゼント)〟と銘を与えられた彼女の剣が、己の是非を問う。

『これは、何だ。我らは、何をしている』

「……殺戮だ」

 真理は、認め、答えた。

 鈍重な手足を振り敵を引き裂きながら。

 外道であるはずの悪魔を成敗しながら。

 彼女は答える。

「分っていた。ここに、正義などないことは。それでも、私は――」

 斬られ、斬りかえし、彼女は、呟く。

「――それでも、私は人の世の平和のために、闘わなければならない」

 そう、この身を外道に落としても――


「おぉ――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ」


 死天使の慟哭が、戦場に響き渡った。


§§


 ――背面を、斬りつけられる。

『翼部装甲破損! セツリッ、このままじゃ、墜ちる!』

「――ふざけるな」

『――え?』

 ふざけるな。

 墜ちる、だと?

「そんなことが」

 そんな安易な死が、

 安直な終わりが、

 ――安楽が、

「この俺に――許されるものかっ!」

 俺は翼を一撃ちする。

 空力設計のなっていない身体を、それでもこの三年間で得たすべての知識を総動員し支える。

 もう一度羽ばたく。

 青のフレアが無数に噴出し、その剥き出しの骨格に空気を掴む。

 そしてアンキシウスは、遂に姿勢制御を取り戻す。

「ふざけるなっ!」

 怒りのまま、俺にトドメを与えようとした黄桃色の悪魔に抜き打ちを放つ。

 命中。

 その面貌が砕け散り、苦しげな素顔が露出する。

 見ろ、人間だ。

 俺が殺しているのは、皆人間ではないか。

 誰もヒトのままではヒトを殺すことはできない。だから悪魔だの天使だのと仮面を被っていたに過ぎぬのだ。

 だから、真実はこれだ!

 俺は、人殺しなのだっ!

 その俺が、そんな俺が、今日まで地獄に落ちることを拒んできたのは、一体何の為だ⁉

 この業火に焼かれ、無限の苦しみに裁かれ続けることをこんなにも希求しているのに、それでも生き恥を晒してきた理由はなんだ!

 【魔王】を。

 織守朔夜を殺すためだろうがっ!

 それだけが贖罪の道なのだろうがっ!

 ならば、ならばならばならば――こんなところで、安穏と死んでよいものかっ!

 そんなことは、世界が許さないっ!

「ルゥゥゥゥシェェェェェェェェェェェッッ!!!」

『あがれぇぇええええええええええええええッ!!』

 有らん限りの声量で、相棒の名を叫ぶ。

 相棒はそれに応え、機体は大きく翼を羽ばたかせて、再び赤く燃える空へと舞いあがる!

 死天使は飛翔する!

 眼前には敵機!

 一刀のもとに斬り伏せて、俺たちは詩う!

「『許し給え、生命(いのち)を穢す冒涜を!』」

 振動制御!

 術式の構築に、脳が焼き切れそうに痛み出す。それでも俺たちは闘いをやめない。

 ルーシェも、もはや止めはしない。

「『憎み給え、神に刃を剥く同胞を!』」

 機体を一時的に加速させる【黄牛(アクセル)】、線形の防御障壁を張る【緑雨(シールド)】。

 使うことなど滅多にない下位のオシレーションコントロールを駆使し、俺たちは悪魔を――ヒトを殺し続ける。

「『憐れみ給え! 我が悪討つ誓約を!』」

 そうだ、もしも【神】ではなく本物の神がいるのなら、どうか俺達を憐れんでくれ。

 その愚かさを。

 その盲目を。

 その愚劣さを、どうか憐れんでくれ。

 それでも俺は殺すのだから。

 それでも俺たちは、平和な世であってほしいと切望するのだから!


「『我、切望を以て希う! 降臨せよ――【切望者(アンキシウス)】!』」


 太陽を背にし、俺達は翼を広げる。

 耐え難い頭痛はすでに限界を超え、どこかで血管が破裂したのだろう、視界は赤く染まり鼻からは血が滴り落ちていた。

 それでも、耐える。

 唇をかみ締め、気を確かに持つ。

 発狂しそうな戦場で、狂いながら正気を保持する。

 俺達は叫んだ。

「『何処にいる【ベリアル】!』」

 ここにいるのは分っているのだ!

「『姿を――見せろ!』」


               『――お望みとあらば!』


 刹那――世界が暗転した。


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