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「季語よ。季語。あれって季語なのよ」
眞虎は輝く瞳で得意げに話した。
「季語?」
「いや、季語の説明は不要だと思いますけど」
英理に向かって、眞虎は顔をしかめた。
「あたしだって、季語の説明なんかするつもりはないわよ。じゃなくて、あの、昼寝ってのは季語だって言いたいの!」
英理は呆然とした顔。
「ま、まさか……。昼寝なんて年中できますよ」
「それはそうなんだけど、あくまで俳句の世界の話よ。つまり、異常気象の現代よりはちょいと古めの日本ね。
夕立の後、暑かった部屋に風が吹いて、疲れた体を横にしていると、ついウトウト……
っていったら、季節感が出てくるでしょう?」
「うむ。吾輩にも想像できるぞ。そこにあるのがガタピシいいそうな扇風機とスイカの食べかすならなお、よろしい」
「夏だ! そうかあ。昼寝って夏の季語なんだ。
すごい。眞虎ちゃん、やった。できた!」
両手を握り合って、英理と眞虎が喜び合う。
「足音はどうなの?」
「えっとね。たぶん、季節のことなんだと思う。ほら、春の足音とかっていうじゃない。
つまり、昼寝の足音ってのは、要するに夏ってことだと思う」
「やったあ! じゃあ、あの前半は夏って言い換えればいいんだ!」
しかし、歓喜の踊りはゆっくりと醒めていった。そして、文輝が追い打ちをかけた。
「後半はどげんとですか?」
「『竜は喉にある』かあ。こっちもまた全然わかんないわね」
「まさかとは思いますが、喉も季語とか?」
英理の提案に、眞虎はスマホに聞いてみた。
「だめ。季語じゃない。そんなに安直じゃあなさそうね」
「やはり! 吾輩が主張するとおり、あの龍の喉首を掻っ切らねばならぬのだ! そうだ、今がその時!」
文輝は叫ぶと、スコップを片手に中庭へと突っ走った。そして竜と格闘を開始する。
「ちょっと、ちょっと止めなさいよ! 誰かに見られたら、それこそ変態よ!」
突然、「おおうっ!」と叫び声を上げた文輝。
よく見れば、スコップの柄が折れ曲がっている。竜の方は無傷のようだ。
「よかった。竜が壊れたら、どう言い訳しようかしらって思ってたわ」
眞虎がほっとした声をあげた。
「たぶん、あの竜は今まで何度もあんな攻撃を耐えてきたはずですから。
簡単には壊れないでしょう。でも、捕まらないで済んだのはよかったです」
戦い敗れた文輝はとぼとぼと帰ってきた。折れたスコップを片手にして。
「先輩、それじゃあせっかく見つけた夏が、何の意味もないじゃないですか」
「うーん、そういわれてみれば、それもそうじゃ。うん。ワシとしたことが、なんという早とちり」
「早とちりも何もあったもんじゃないわ。もう一度、じっくりと考えましょうよ」
「えっと、前半は夏として、『夏 竜は喉にある』となるんですよね」
「でもこれ、あってるのかなあ。なんだか自信なくなってきちゃった」
眞虎の勝気な瞳が陰っていた。その手を英理がそっと掴む。
「大丈夫ですよ。正しいです。何の証拠もないけど、僕はそう信じてますから」
英理の励ましに、眞虎はうんと頷いた。
「よく考えれば、夏であろうとなかろうと、龍の喉はそれこそとことん調べたのじゃ。
あそこには何もない。それはワシが保障するのじゃ」
「だったら、スコップ壊す前に思い出してくださいよね。もう」
ぼやく英理。眞虎も気が付いた。
「そうか。もし、竜の喉に何かあるのなら、『龍の喉』だよね。でも言葉は『竜は喉』だもん。おかしいよ」
「うーん」
三人は考え込んだ。が、答えは思いつかない。
「ね。もう一度、あの竜、よく調べてみない?」
眞虎が提案した。
「え? もう何度も調べているんですけど」
「あたしは全然見てないわよ。それにあの竜が何かヒントであることは間違いなさそうだし。見てみましょう」
そう言うと眞虎は中庭へと歩き出した。女装の男二人、その後についていく。
眞虎は龍の前でしげしげと見つめていた。
「ふうん。よく見ると、凛々しいっていうか繊細っていうか、あんまりたくましい竜って感じじゃないのね」
眞虎にそう言われて、英理もよく龍を眺めてみた。
「うん。何となく、女性的って感じがしますね。あれ? 竜って男女があるんでしたっけ?」
「さあ、気にしたことないけど。生物ならあるんじゃないの」
間近でよく見てみれば、竜のあちこちには白っぽいひっかき傷があった。
「これ、文輝がやった傷かなあ?」
「ワシか、ワシの勝利の証か?」
「あ、先輩。竜のひげ、壊れてますけど、直せますか? なんちゃって」
英理の冗談に文輝は英理を追い掛け回す。
「冗談ですってばあ。本気にしないで下さいよ」
「吾輩をお、コケにする、やつはあ、はあ、はあ、ゆるさんぞ、へえ、へえ」
「息切れてますよ。もうちょっと体力つけた方がいいです」
「う、うるさい。はあ、はあ」
へろっている文輝をおいて、英理は龍のところへ戻った。眞虎はさっきからじっと龍を見つめている。
「眞虎ちゃん、何かわかった?」
「この竜ってさあ、どこか見つめてるような気がしない?」
眞虎は龍の顔を見つめながら、そう言った。
(竜の目?)そう思いながら、英理も竜の顔を見た。
別にガラス玉が入っているわけでもない。石に刻まれた、ただの模様に過ぎない。
だが、そう言われてみれば、何となくどこかを見ているような気がしてくるから不思議だ。
二人は龍の背後に回ると、竜の視点で眺めてみた。
「あそこだよね。一階のあの角あたり……」
「うん。そう思う。だけど、単なる偶然ってことも」
「確かにだなあ」
いきなり、文輝が背後から声をかけた。
「きゃっ!」
「わあ、もう、先輩。脅かさないで下さいよ」
「この女子寮、だいたい東西南北の線に従っている。中庭が南を向いている」
「そうね。だからこっち向きの窓はカーテンしてないと夏はきついって聞いたわ」
「この寮は改築される以前は校舎そのものだったからな。そういう作りなのだろう」
文輝はスカートの奥から取り出したノートに、さらさらとコの字の漫画絵。
「いったい、そのスカートの中ってどうなってるの? 何でも入っているように見えるけど」
「この世には知らない方がよいこともあるのじゃ」
眞虎の疑問は無視して、文輝は続ける。
「ところがだ、この竜の軸線は東西南北とはまったく関係がない。ずれている」
文輝はコの字に斜め線を引いた。
「別に23.4度というわけでもない。わけがわからない角度である」
「23.4度? なんです、それ?」
「地球の地軸の傾きよ。夏至とか冬至の太陽の位置ってこと」
英理に眞虎が説明した。が、英理には響かないようだった。
「すみません。僕、科学はどうも……」
「しっかり勉強しないと、変態オカマにしかなれないわよ」
「はい、反省します……」
「ということは、やっぱりあの角の部屋が怪しいってこと?」
「まあな。探検候補の一つではあった。が、簡単には入れない」
文輝の説明に眞虎はうなずいた。
「やっぱり、秘密の部屋に入るのには、謎の鍵とか呪文とかが必要ってこと?」
「いや、違う。男子として女子寮に侵入するのはさすがに心構えが必要なだけだ」
「あ、あのねー」
眞虎の目がつりあがった。
「だったらさっさと言いなさいよ! あたし、女子なんだから全然平気じゃないの!
変なことに時間を使ったような気がするわ。あー、もう、もったいない。時間の浪費よ!」
言い捨てると、眞虎は女子寮の中へと入っていった。
慌てて、二人はその後を追いかける。玄関から廊下、そしてあの角の部屋の前へとやってくる。
「み、見つかったら大変だよ。眞虎ちゃん。ここ、男子禁制だろ?」
眞虎はしげしげと英理を見つめた。そしてにこっと笑う。
「建前はね」
「た・て・ま・え・は?」変なリズムで、文輝は質問を発した。
「実は男子、見かけることはあるの。で、みんながどう答えてるかというと、親戚とか、家族とかって言うの。
実家から荷物持ってきてくれたとか、親戚の不幸でお迎えに来てくれたとかってね。ほんとかどうか、別にして」
あっという顔をした二人に、眞虎の笑い顔。
「それに変態とはいえ、一応女生徒の姿かたちなんだから、
どうどうとしてればいいんじゃない? 確かにばれない方が楽でいいけどさ」
そう言いながら、眞虎は部屋の扉のノブをつかんだ。押しても引いても扉は動かない。
「鍵かかってるみたい。あったりまえか」
「鍵ってどこにあるんですか?」
「たぶん、学校の事務室じゃないかなあ。でも、なんて理由にしよう。
ミステリークラブの活動の一環ですなんて、とても言えないし」
そう言っている二人を押しのけて、文輝が扉の前に座り込んだ。
またもやスカートの下から何か取り出す。そして、扉のカギ穴にそれを突っ込んだ。
「先輩! 合鍵ですか?」
「いや、ただの針金。テレビでこうやって開けてるのを見たから」
「そんなんで開くわけないじゃないの! だったら、誰でも泥棒ができるわよっ!
もう、脳ミソ腐ってんじゃない? きっとウジ湧いてるわよ。帰ったら、医者でとことんCTかけてもらいなさ――え?」
眞虎がわめき散らしている間に、扉の鍵はカチリと音を立てた。
そして文輝がノブを回すと、扉は簡単に開いた。
その様子を見つめている眞虎に文輝はぼそりとつぶやいた。
「帰って、医者いってくる」
二人のとりなしで、文輝もなんとかその場にとどまった。
扉の奥は薄暗く、なにか、ごちゃごちゃと雑多に物が置いてあるようだ。
「物置、ですか?」
「そんな感じよね。それにしても長年締め切ってあったみたい。空気が澱んでる」
眞虎はハンカチで顔を押さえている。
「ワシの頭とどっちが澱んでると言いたいのじゃ?」
「や、やーね。そんなこと思ってないって」
三人は部屋の中を忍び足で歩き回る。
床の上にも、物の上にも分厚い埃の山。書架のようなものの棚にも雑多に物が置かれ、埃の布団をかぶっている。長い間、眠りについていたようだ。
「ここ、昔の図書室とか資料室みたいなところだったんですかね」
「ほんと、長い間、誰も触ってないって感じよね」
「ぐわふ。腐海じゃあ、ここは学園の腐海じゃあ」文輝がせき込みながらも叫んだ。
英理は窓のところにたどり着くと、カーテンを動かして窓を開け放った。
外の強い光が差し込むと、その中を埃がキラキラと舞い踊る。
「ほら、やっぱり、あの竜。ここを見てる」
眞虎の指し示す方向、竜の顔がこっちを見つめていた。
「あたしが思うには、ここには何かのヒントがあるはずなのよ。それを見つけなきゃ」
「で、でもこのガラクタを全部、引っ掻き回すわけにもいかないですよ。いったい何を見つけようと?」
「今までの言葉から行けば、夏、竜、喉。この三つに関係することよね」
「これとか?」
文輝がごそごそと引っ張り出してきた紙袋。そこには、『周幽斎 夏龍』の文字が大きく書かれていた。
月日が経って、黄ばんでいる紙袋。それを慎重に開けて、中身を取り出す。
数枚の紙。そこには和服の女性が描かれている。
「日本画ですか?」
「浮世絵よ」
眞虎がフマホの検索結果を見ながら、つぶやいた。
「江戸後期の浮世絵作家だって。作品数はとても少ないそうよ。美人画、うん、美人画の作家みたい」
「じゃあ、じゃあ、これが本物ならすっごいお宝ってことですか!」
小躍りしそうな英理を冷ややかに見つめる二人。
「本物ならね」
踊りの儀式はぴたりと止んだ。
「本物じゃないんですか?」
「本物じゃないわよ。だってこの紙、和紙じゃないもの。江戸時代に今と同じ紙があるわけないもん」
眞虎の言葉に文輝もうなずく。
「そうじゃ。ワシもそう思う。もし、本物というのなら、こんな無造作に置いてあるわけがないのじゃ。
たぶん、これは教材用か、誰かが模作か、レプリカじゃな。大山鳴動してなんとやら、じゃ」
がっくりと肩を落とす英理。その肩を眞虎がポンとたたいた。
「でもさ。これで答えが見つかったわけじゃない。長年の問題解決、おめでとう」
「あ、あ、そうか。そうなんですよね。眞虎ちゃんのおかげです。これですっきり解決しましたよ」
「うん……」
窓を閉めに行く英理のそばに、眞虎がくる。
「英理くん、あ、あのさ……」
「何? 眞虎ちゃん」
「もう……ううん、何でもない。何でもないよ。すっきりしてよかったね」
そう言うと、眞虎は部屋を出て行った。英理には何となく、ツインテールの揺れが小さく見えた。