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「もう一度、あの呪文見せなさいよ」
眞虎の要求に文輝は巻物を取り出した。
「『昼寝の足音 竜は喉にある』かあ。確かにこの文の中に場所となりそうなのは、『竜』だけよね」
「だからこんな格好をして、ここを探し回っている」
文輝が答えた。
「趣味でやってる人もいるみたいだけどね」
眞虎の言葉に英里の顔が赤くなった。が、それ以上の突っ込みは時間の無駄とばかりにスルーとなる。
「まず、順番に考えましょうか。『昼寝の足音』よね。なんだろう、これ?」
「目覚めの時計が鳴ることとか?」
話が変わって、ここぞとばかりに英里は身を乗り出した。
「それだと目覚めの足音とかになっちゃうわよ。寝ながら歩くわけないし、つまり、これ、何かの比喩かなあ」
眞虎はそう言うと、スマホに何か打ち込んで検索しているようだ。
「うーん、本とか、ブログとかぐらいかなあ? やっぱりわかんないや」
「ウホン。インターネットの検索ぐらいなら、とうの昔に我輩もやっておるわ」
文輝が偉そうに発言した。眞虎は舌打ちした。
「ま、昔とは言っても去年のことだけどな」
「ふん、口ほどにもない」
眞虎はスマホをポケットに収めた。
「てことは、自分で考え付かなきゃいけないってこと。昼寝の足音、昼寝……」
「昼寝かあ」
英里も考えながら、辺りを見回した。白いバルコニーの床と天井。それに区切られて、芝の緑と空の青。
(いい天気だよな。こんなことさえなきゃ、眞虎ちゃんとデートってのもありかも……)
そう思って、横で考え込んでいる眞虎を見つめた。
(美人だよな……。可愛いけど、喧嘩っぱやいのが欠点かあ。でもさっきのは、テレみたいだったし。
案外、いい子なのかもなあ。そんな子がゴールデンウィークに寮に一人で居るということは、男っ気なしってことか!?)
視線に気がついたのか、不意に眞虎が顔を上げた。英里の目を眞虎の大きな瞳が見つめる。
「なにか、あたしに付いてる? どっか、変?」
「ち、違う。なんでもない、あー、絶対に変なことなんか、考えてないから!」
慌てた英里の弁解に、眞虎はため息をついた。
「何考えていてもいいけど、今は集中して欲しいわよ。昼寝の足音なんだから」
「ごめん。……あれ、そういえば、先輩は?」
眞虎の指差すところ、中庭の竜の傍でなにかごそごそやっているようだ。
「解読のほうは任すからってあっちにいっちゃったわよ」
「ちゃは。……でもまあいいかあ。先輩は物知りだけど、あまり役に立ったことないし」
「時にはめちゃくちゃな発想が役に立つこともあるみたいだけどね。実証はされてないそうだけど。
だけど今はそんなのにでも助けて欲しい気分だわ」
「ってことは、さっぱりわからないってことか」
眞虎はこっくりと頷いた。
「というわけじゃないんだけど、英里くん、教えてよ。どこでそんな女装を覚えたの?
お化粧なんか上手だし、我流でやってるなんてちょっと信じられないんだけど」
「ああ、これか?」
英里は笑って、自分の顔を指先で触った。肌色のファンデーションが少しだけ付いた。
「本格的な女装は先輩に強制されてだよ。
制服を手に入れてきたのも先輩。扱っているお店に注文したとか言ってたけどね」
「なによ。じゃあ、それマイ制服なんだ。あっきれたあ」
でも眞虎の顔は笑っている。
「あー、泥棒でもして手に入れたって思ってたんだ。ヒドイな」
「じゃあ、下着は? お店で買ったら変な目で見られるでしょう?」
眞虎の全うな疑問に、英里は笑顔で返した。
「それが近頃はいい手があるんだよね。なんだと思う?」
「ちょっと待って……へうれかっ!」
眞虎がいきなり叫んだ言葉に、英里は驚いた。
「何それ?」
「知らない? わかったって意味で昔、アルキメデスが叫んだって言葉。わかったときに叫んでるのよ」
眞虎は笑顔で話す。
「じゃあ、答えを同時に言うかい、せーの」
「通販!」
一致した答えに二人は大笑いした。
「そうか。うん。あたしも通販でちょくちょく買ってるもん。あれなら誰にも気がつかれないで買えるわね」
「ということ。化粧品とかもこっそりと通販で手に入れてるよ」
「でも、でもよ。その化粧の先生は誰なの?」
「うーん、姉さんかな、それとも母さんかなあ」
英里の返事に眞虎は驚いた。その表情を見て、英里はまた笑う。
「小さい時からさ、姉さんが化粧をするのがなにか不思議でね。よく覗き込んでいたら、
やってみる、なんて感じで、僕に化粧をつけたっていうのが始まりかな。
そのうち、母さんまで面白がって化粧をさせたりしててね。
自分でもやってるうちに、すっかり自分のものにしてしまったってところ」
「ふうん。そうかあ。面白そうな感じのお姉さんとお母さんね」
「まあね。眞虎ちゃんの家族はどんな感じなの?」
突然舞い降りた沈黙に、英里は驚いた。眞虎が急に黙り込んだのだ。
「眞虎――ちゃん?」
「ごめん。あたしには――家族いないから。もうこの話題、おしまいね。ちょっとトイレ、行ってくる」
そう言うと眞虎は立ち上がった。ツインテールの髪が揺れる。
呆然と英里が見送る中、眞虎は立ち去った。
そこへ文輝がタイミング悪く、顔を出した。
「あれ? 眞虎は? 一緒にしゃべってたんじゃないの?」
「知るかよ! トレイだってさっ!」
なぜ、自分の答えが荒っぽくなったのか、英里にもよくわからなかった。
戻ってきた眞虎は問題に集中してる。それが英里には、軽く拒否されているようにも感じられたのだけど。
「あー、わかんないわ。一体なんのことなんだろう」
両手を頭の後ろに組んで、眞虎がうめいた。
(さっきは悪かった。ごめん)
そう言いたいのだけれど、それだけのことが言えない。眞虎から「言うな、触れるな、目をつぶれ」オーラが出ているような感じが英里にはあって、
どうにも口にする事ができないのだ。
「おっ嬢さんー」
能天気な声がした。顔を上げると、そこには缶ジュースを片手にした文輝。
「歌にもあるじゃん。探し物を止めると見つかるかもって。ちょっとは休まんしぇ」
ジュースを眞虎に渡す。冷たい感触に、少女の顔には笑顔。
「わ。有難う。気が利くわね。お礼に僕にしてあげる」
「これはまた、有難きこと。光栄に存じませう」
気取って大げさなお辞儀をすると、文輝もベランダに腰を下ろした。
「あ、あのー、先輩。僕の分は?」
「自分のことは自分で賄う。当然じゃありませんこと?」
「ひでえ。男女差別だ。訴えてやる」
二人のやり取りに、眞虎の顔に笑みが浮かんだ。
「そうそう。お嬢さんは笑っているのが一番ですとも。是非、私どもには笑顔の報酬をくださいませ」
「スマイルゼロ円なんてのもあったしね。笑っていたいけどなあ。この問題、全然歯が立たないわよ」
「ま、ま。ちょっとはこのいい天気を味わいましょうぞ」
そう言われて、英里も遠くに目をやった。青空、そして山の緑。どこかで鳴いている鳥の声。
「あー、本当だ。なんで、こんないい日に、先輩なんかと一緒にいるんだろ」
「あら、あたしじゃ不満?」
文輝の声に、英里は眞虎を見つめた。
「僕は――」
「あー、ほんと。山が綺麗。お出かけしたほうがよかったかも」
英里の声をさえぎるように、眞虎が大きく叫んだ。あらぬ方向を向いて。
「山が笑ってますもんね。いい季節だこと」
文輝の言葉がよく理解できなかった。
(なんで、なんで聞いてくれないんだ?)英里は軽いショックを受けていた。
(眞虎が自分を拒否してる? いや、勘違いかも? とにかく、場をつくろっておかないと)
「え、山が笑ってる?」
英里はよく意味がわからずに声を上げた。
「山に顔も口もないけど、どういうこと?」
英里の質問に、文輝は笑った。
「あー、英里はこういうの、苦手なんだ。そうだな。眞虎君、彼に日本語の説明をしてあげてくれたまえ。
素人にもわかるように、懇切丁寧にね」
いきなり振られた眞虎は驚いた目をした。
「あ、あの、ね。英里くん。山笑うってのは季語なのよ。とっても面白くてすぐに覚えちゃったんだけど。
山が笑う季節っていつのことだと思う? ほら、木々が芽吹いて、日に日に緑が濃くなって、どんどん山が山らしくなっていくの」
「あ、今頃かあ。春のことだ」
「そう。夏だと山滴る。秋は山装う。冬は山眠るなのよ。山のところを緑に置き換えたら、イメージがもっとよくできるかな。
山笑うなんて表現、日本語のいいところだと思うけど」
「うん。有難う。ためになったよ。季語か。俳句なんか僕には関係ないって思ってたんだけどな」
英里は頭をかいた。
「うーん。それは甘いわね。普段使っている言葉の中にだって、季語だとか歌舞伎用語なんかが溶け込んでいたりするから、
知らないよりは知ってたほうが絶対にお得だわ」
「うん。わかった。勉強するよ。それと――」
英里はすこしだけ、間をおいた。
「さっきは悪かった。もう触れないから、安心して」
文輝には聞こえないように小さな声でささやいた。眞虎は一瞬、目を見開いたけど、小さく頷いた。
その様子に、英里は安堵の声を上げた。
「季語かあ。他にはどんなのがあるんだろ」
「春山淡冶にして笑うが如くってやつでありんすな」
文輝が口を入れてきた。
「これが山笑うのもとになっているという――」
「待ってよっ!」
眞虎が大きな声を上げた。スマホに何か打ち込んでいる。その様子を二人は見つめた。
そして、何かが画面に表示されると、眞虎は大きく叫んだ。
「へうれかっ!!」
「なんだ、なんだ、それ?」
「何がわかったんですか、眞虎ちゃん!?」
二人は眞虎に向かって、叫んだ。