番外編03:とある薬師の恋心について
謁見の間でバトルした翌日の話
恋とはフワフワとした綿菓子みたいに素敵なものなのだとゲロ甘思考全開な幼馴染みは言う。
幸運にもこれまでそんな能天気で砂を吐きそうなものを抱いた事のない俺には恐らく一生無縁な感情なのだろう。
「って、ちょっと待ったー!?」
「なんだよイリア」
「いやだっておかしいよね!?おかしいよね!!私たち結婚する事になったじゃん!」
「お前達色ボケどもが無計画に勢いのまま宣言しやがったお陰でな」
あのとんだ茶番を思い出し盛大に顔をしかめる。
そう、魔王を討伐した勇者一行の凱旋パレードが催された昨日。
俺は紆余曲折あり男の姿となったこの幼馴染みと半強制的に婚約させられていたのだった。
「いちいち酷い!っていうかさっきのモノローグなに!?恋したことないってどういうこと――」
「うるさい」
喚くイリアの男になって俺よりデカくなった図体にドカッと思わず足が出た。
「痛い!」
「だからうるさい。近所迷惑だろ」
「………」
ごめん…と、騒いだ自覚はあるのか次第にしょぼくれだすイリアに大型犬でも手懐けている気分になる。
「えへへ…」
思わず頭を撫でれば野郎のふやけた笑顔と言う凄まじいものを真正面から食らってしまった。
「男の姿で笑うな気持ち悪い」
「理不尽すぎる!」
精神的ダメージからそのヘラヘラ気持ち悪い面を潰してやりたい衝動を何とか抑え、デコピンに止めた俺はむしろ賞賛されて然るべきじゃないかと思う。
「この十二年間お前のどこに恋する要素があったか思い返してみろ」
「うっ」
気を取り直して話題を戻す。
「少なくとも綿菓子みたいな甘い感情を抱けるエピソードはなかったな」
俺とイリアの十二年間は綿菓子みたいなフワフワ甘いものじゃなかった。
特に初っ端なんて悲惨としか言いようがない有り様だ。
「初心者だってのに初日から毎日道場長の娘に稽古ふっかけられた俺の身にもなってみろ」
ラングレン道場の門下生はだいたい十二歳になってから入門してくるパターンが多い。
そんな中、九歳で入門してきた俺の存在がイリアは余程嬉しかったらしい。
当時7歳だが既にそれなりの力をつけていた“イリア先輩”から直々に扱かれる毎日はまさに地獄の日々だった。
「あの頃ほど両親が薬師でよかったと思ったことねーよ」
「うううっ…」
心当たりが有りすぎるだろうイリアが低く唸る。
実際には「実地で薬学を教えられるから助かる」と疲労困憊、満身創痍で帰宅した息子を輝かんばかりの笑顔で出迎える両親に辟易していた事の方が多かったのだが、それは言わぬが花だろう。
そんなこんなで十二年間過ごしてきた。
何でもかんでも首を突っ込むイリアといて騒動に巻き込まれない訳がなかったが、色々と有り得ない状況に晒され続けた結果、最終的に魔王討伐なんて国どころか世界規模の話が出てきても説教かます程度で済ませるくらいには神経が図太く育ったのは言うまでもない。
「そう言えばルインが道場に通い出すきっかけって結局何だったの?」
「お前もしつこいな」
「だってずっと気になってたんだもん」
野郎の姿で「だもん」なんて使うな気持ち悪い。
…思わず再びそう言いかけたが、二度目は流石に何とか留めた。
イリアだって望んでこの状況のままで居るわけではないのだ。
順序とか状況とか色々間違ってるだろという思いは今も強くあるわけだが――まあこんな有り得ない展開も俺達らしいと言えばらしいか、と俺は腹を決める事にした。
「お前が猛烈にアホだったからだよ」
「へっ?」
それは十二年前、土砂降り雨の日の事だった。
その日は気紛れに配達帰りにいつもと違うルートを通っていて、道場を見やったのもほんの偶然だった。
風邪を引いたらどうするんだ――最初に思ったのはそんな当たり前の内容で。
道場の庭で稽古を続ける一対の大人と子供は悪天候にも拘わらず胴着以外何も纏っていなかった。
『どうする?もう降参しちまうか?』
『まだまだ…っ!』
いつの間にか呆然と立ち竦んでいた俺の目の前で、体格差からして敵うはずもない大人に幾度も、諦める事など知らないと言わんばかりに食ってかかるアホな子供。
「あそこまでがむしゃらでバカでアホで真っ直ぐな奴がこの世には居るのか、って思った」
道場の存在は知っていた。
けれど何だかんだで当時から薬師を志していた俺は城下町の他の奴らほど興味もなかった。
その筈、だったのだ。
あの無駄に諦めの悪い瞳を目にするまでは――。
「…ねえそれってさ、もしかして一目惚れだったりする?」
「アホか」
イリアの期待の入り混じった瞳が鬱陶しくて一刀両断する。
「あの時のお前、ズタボロだし泥まみれだしで性別なんて分かったもんじゃなかったんだぞ」
「ぐぬぬ…」
「だから、あんなもんは恋とかときめきにはカウントするつもりはない。…と言うか、そもそも見当違いなんだよ」
「?」
何故ならあの時俺が抱いた感情は、恋なんて淡いものではなく――もっと強烈な憧憬だったのだ。
「生まれてこのかたフワフワしたゲロ甘な感情なんて抱いた事もないし、今後抱く事も多分ない」
それは俺が元々そういう人間だからなのか、相手がイリアだったからなのかは分からない。
けれど俺の人生設計には当たり前にイリアがいるし、イリアがいない人生なんて想像するだけ無駄だと思っている。
「だってそれこそ有り得ないだろ」
「………」
「イリア?」
突然黙り込んだイリアに訝しむ。
暫く眺めていたが「う…」とか「あ…」とか言葉にならない声しか上がらない。
頬どころか耳も首もとも真っ赤な様子にああ照れているのかと思う。
何度もしつこいかもしれないが野郎の姿でやられると精神的なダメージがデカい。
「おいイリア。何時までも突っ立ってないでそろそろ行くぞ。あの魔導師にさっさとその魔術解かせて元の身体に戻してもらうんだろ」
「……」
ああこりゃ使い物にならねーなと思いながら、目前にあるやたら広大なお貴族様の屋敷へイリアを引きずりながら進む。
――その先で変態魔導師がイリア仕様の執事服と俺仕様のメイド服を用意して待ち構えていたなんて、その時の俺達が知る由もなく。
それから数日間、罵声と悲鳴が入り乱れたカオスな日々が繰り広げられるのはまた別の話である。
本人にそのつもりはないけど第三者からすればただのゲロ甘バカップルと言うオチでした。
この後、イリアの身体を女に戻す条件だなんだと言いくるめられてサリエさん宅に住み込みで男女逆転使用人ごっこをやらされる羽目になり、ルインの対サリエ好感度が急降下します。ヘンタイダー。