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† そして目覚めに少年は幻影を刻む。

 



「お早う。『プレイバック症候群』史上初の生還者くん」


 目が覚めた僕の前にいたのは、彼女では無く白衣を着た女性だった。

「何にもわからない、って顔ね」

 そりゃそうか。白衣の女性は掛けていた眼鏡を中指で押し上げ直しつつ、そう零した。

 僕がいるのは真っ白な部屋。ただしあの彼女の部屋とは違う。管が凄い在って、床を張って壁を突き抜けている。

 僕がいるのもベッドじゃなくて、カプセルだ。救護用の、もしくは凍眠用のカプセル。何だろう。この状況。

 どうして僕はここに寝ているのかな?

「……おーい、おーい?」

「あ、は、はいっ?」

「私がわかる?」

「え? あ、はい……あの、」

「わかってるわよ」

 白衣の女性はそう言ってポケットから煙草を出すと、手慣れた仕草で火を点けた。

 ふと視線を逸らすと先に在る壁には『禁煙』の赤文字。

「……」

 何も言わずに戻したけれど気にして無い様子。……いや、良いけどさ。

 女性が煙草を吸っているため、僕たちの間に会話は途切れた。女性は煙を吸うだけで喋らないし、僕から声を掛けるのは、何となく気が引けたから。

 ようやくして。「ねぇ、」

 女性が話し掛けて来た。煙草はいつの間にか取り出した携帯灰皿に吸い込まれる。

「はい」

「……」

 吸い殻が吸い込まれて携帯灰皿を再び仕舞うまでの数秒が痛くゆっくりに感じた。

「……? あの、」

 声を掛けて置いて何も言い出さない彼女にやや焦れて、僕から口を開く。ところが。


「……少女はいた?」


「!」

 僕は言葉の成り掛けを飲み込んだ。

「……知って、るんですか……?」

 これは至極まともな科白に思えた。問い掛けにしては正常な、そんな。

 だが女性は笑った。耳の下、首に掛かるくらいの美しい銀髪はどこのエリア出身だろうか。

 でも僕は愉快そうに細められた理知的な蒼い瞳のそばで、揺れる髪が金に光ったのに気付く。

 プラチナブロンド……。

 理解しても自覚が遅れている状況にしては、僕はひどく落ち着いてると自身で考えた。

「────知ってるのはね、」

 その一挙手一投足で翻る髪と白衣を目で追いながら、僕は女性の説明へ静かに耳を立てた。

「彼女が生前酷い目に遭って、悲惨なまま人生を終えた事実だけよ」

「……」

「ああ、それと、」

 女性は続ける。手には再び新しい一本。もしかして結構スモーカーだろうか。火を点け深く吸い込んでから、まるで深呼吸みたいに吐き出すと。やっと話が再開された。

「彼女が自らも知らぬ間にウイルスそのものになって感染者の元に夢の幻として現れていた」

 て、ことだけね。女性は笑った。笑いつつポケットから今度は煙草ではなく灰皿でもなく、紙切れを摘み出す。僕の前、膝の上に置いた。

 それは彼女が写った画質の悪い画像プリントだった。

 僕は手に取りまじまじと見詰める。部屋は変わりない。変哲は無い。彼女も僕の記憶のまま。

 ただ。


「……」

 向かい合う相手だけが僕じゃない。


「彼女と向き合ってるのは他の被験体よ」

 感慨も見せず、女性は語る。

 吹き出された煙は早々霧散し、立ち上ぼる煙はゆるりと上へ行きある一定の長さで切れていた。

「あなたの前の、感染者。……もうこの世にはいないわ」

 遺体も跡形も無く焼却したしね。手は煙草を持つ指を軸に魔法を掛けるかのようにくるくる回り、唇から放たれる解説は呪文を唱えているみたいだ。

 少なくとも彼女がウイルスであることより現実味に欠けている、風に僕は思う。

 そう言う女性から紡がれるのは、決して魔法の呪文じゃないけれど。

「『プレイバック症候群』。発症理由はとても非科学的……に、思えてそうでも無い」

「……」

「古来魔法や祈祷、呪術なんてものは一種の才能を用いた技術でありまたプラシーボ効果……つまり思い込むことで脳を活性化、常人でも想像力を最大限活かすことで発揮する人体のメカニズムを利用した技法でもある。……ゆえに」

「……」


「悪魔の実験が行われた訳よね。この科学最盛期に」


 ばさっと。女性はどこか口上めいた話を演説のようにすると、何だか分厚い紙の束を僕に投げて寄越す。あの彼女の画像プリントを見せたときみたいに。

 僕は目線を落とす。放られた先の着地点はまたもや僕の膝の上。そこに留め具の御蔭で散らばらずに済んだ紙束が置いて在る。僕は凝視した。

 彼女の、胸から上を写した写真が載っていた。写真は正面を向いて、証明書に貼るものに似ている。

 だがその写真が付いた紙が、あまり良いことを記していないと言うことに僕は感付いていた。

「今回は悪魔の実験が引き金だった。能力者を造る実験。その最中彼女は死んだの。よく在る、でも莫迦げた話よ。愚かなね。その時代の国家が破綻したとき、その研究も終了。後に代わった主導者から主要人物だった博士は『危険人物』また実験を『人非道的』と判断され死刑になった……と、資料には在るわ。彼女が死んだ、三年後ね」

 皮肉で滑稽なその物語は、この女性の作り話ではないことが資料でわかる。

 ただし、資料も作り物だったらどうにも出来ないけど。

 けれど嘘では無いだろう。なぜなら僕にそんな嘘を付いても一つも得しないからだ。

 僕は女性に耳を欹てる傍ら、手にした資料へ目を通した。

 彼女の項目には彼女の生まれから日々の生活、受けさせられた実験の結果が、死ぬ直前まで記載されていた。

 枚数にして僅か二、三枚。あとの分厚い部分は別のデータだった。僕は資料を膝の上に置く。

 たった数枚。それが彼女が生きていた証しだった。

「奇しくもその博士は実験に成功していたのよね……。実体は無くしたけど意思を残したんだもの。最早超越した能力者でしょ。最高の成功例だったのにね」

 女性を捉えると、表情に変化は無かった。ただ声だけが多分に毒を含んで皮肉を吐く。

 もしかしてこの人は……。


「あなたも……科学者ですか?」

「一応ね」

 不意打ちな発言にも関わらず返しに淀みは無かった。


「国が在って名前が在ったあの時代、それでも人間は人間を同じ生き物だと思わなかった。動物ですら生き残る手段を得る以外他の種を襲わないって言うのに。同じ種を尊重することさえしなかった」

 そして現在、人間は国を失い名を失い家畜のようにエリアと呼ばれる囲いの中でコードで呼ばれながら生きている。情けない話。

「今回はオカルティックだけど非現実では無いのよ。実際に能力開発は実用化されてる。そんな中で幽霊が否定されるなんてある意味矛盾してるもの。……で、」

「はい」

「彼女は“どうしてる”?」

 平然と科学者たる女性は持論を述べ、僕にそう質問した。


「……」

 僕は逡巡した。


 目前の女性は、科学者だと言う。彼女に非道な実験を施した人間と同じ。

「───」

 でも、と否定する。僕は考えた。この人は違うと思う。


 今は悦に入った輝きをする瞳が、さっき瞬いたときは嫌悪を孕んだように見えたから。

 あの言い方には遠回しな非難が在ったと思う。

 なので。


「はい」

 素直に報告することにする。


「彼女は今、


 僕の中にいます」




 白い部屋。実験室の一部を模した夢の世界。

 彼女は言った。


「私は、今やいろんな人に感染してるわ。何回も何回も分裂して蔓延して幾度も幾度も遷って来た。私は一人で、けど群衆なの」

 私は今も他の人と対話してる。彼女はそう告白した。

「どうやって繋がってるの、その、」

 たくさんの、きみと。

 僕が問うと彼女は少し笑って説いてくれた。

「無意識下はね、みんな繋がってるの。人間は確かに表面は[個]で在るけれど、ずっとずっと奥の意識から離れた命と記憶の根本的な部分は平面なのよ。みんな繋がってるの。……昔博士が言ったときは私もわからなかったけど」

 今なら理解出来ると、彼女は苦笑した。

「じゃあ、その無意識下を伝って?」

「ええ、そうよ。脳の使われていない大体部に、無意識は存在するの」

 太古の心理学みたいな哲学みたいな、はたまた神話や空想上の話みたいに思う。けれども彼女と言う存在を前にして、その愚考は愚かだろうか。

「じゃあ、どうにかその無意識下を使ってきみを一つには出来ないの?」

 僕の質問に彼女は首を傾げ俯くと、一瞬だけ黙考し答えた。

「出来ると思うわ」

 でもね。接続詞が用意される。

「回収は出来ないの。なぜならすでにすべて『私』で、一つの存在だから」

 要するに、全員を納得させても実質的には皆それぞれの無意識下にとどまると言うことか。

「……ややこしいなぁ」

「そうね」

 ぼやく僕に彼女が同意。何と閑かなことか。

 現状はそんなに呑気ではないかもしれない。

「ええと、つまり、きみと言うサーバに僕や他の感染者がアクセスしてる……みたいな感じ」

「ああ……それがわかり易いかも」

 成程ね。そう考えればすんなりと内容が把握出来る。

「じゃあ、え、と、……どうなるんだろう、結局」

 不出来な頭をフル回転したがさっぱりわからない。僕が正直に尋ねると、彼女はくすくす笑って回答してくれた。

「簡単よ


 私はあなたの内で、他の誰かの中で、


 息を潜めるだけだから─────」




「……それでいなくなったの? や、違うわね。出て来なくなったの?」

「えーと、他はわかりませんけど、僕にはたまに出て来るんじゃないかな? 夢の中に」


 僕は彼女に“僕の中にいれば良い”と提案した。

 そして彼女はそれを受け入れた。だけども、だからって彼女が他の人のところから手を引くかと言うとそう容易くは無いらしい。

 どうしてかと言えば、彼女はウイルスとして体内に根付き、無意識下に寄生した思念体だからだ。

 無意識下はあらゆる人間が並列下で繋がっている。そこに棲まう彼女はたとえるならば無意識下そのもの。

 彼女は僕の中にいながら他人の中にいる。


「その話って下手すると私の中にもいるってことかしら?」

「と、思いますけど」

「ぞっとしないわねぇ。自分の中に他人がいるなんて」

「でも案外、そんなモノかもしれませんよ?」


 人間は繋がっている。

 かつて一人だった少女は今や大多数の中に《居場所》を持ち、その中に存在している。だからどこかでひょっこり、夢にでも現れるかもしれない。


 真っ白な部屋に微笑んで、彼女は。


 だけど僕は知っている。それは彼女の願いで、けれど真意ではないこと。


 本当の願いは、大多数の無意識下に存在することではなく、


 いつか意識外の不安に怯え見た悪夢に、やさしく励ましてくれた少年の中。


 少女が本当に居着きたかった場所はそこだったのではないだろうか。




 彼は後悔してるだろうか。


 少女を己の恐怖に屈したがゆえにそう言った別次元のモノにしてしまったこと。


 知ったとしたなら。


 しかしそれを誰も知ることは無い。訊くことはおろか、調べることも。




 今は不特定な複数の無意識下に巣食う彼女にさえも、窺い知ることは二度と。







   【Fin.】

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