† それは、悪い夢。
僕は決まって夢を見る。きみの横に眠ると、同じ夢を。
「……大丈夫?」
「……。うん……」
覗き込んで、上半身を起こしたきみが僕を見ていた。手のひらで目の端を拭う。やはり、濡れている。
きみの夢を見たあと僕は必ず泣いていた。なぜかは知らない。憶えてないから。
僕が目覚めを迎えると、内容は溶けたように消える。白濁した果てにまるで砂糖菓子のように。
それでも。ただきみの夢だ、とだけ考える。
「……ごめん」
目が覚めてしばし、僕の涙は止まらない。止める術さえわからず、ただ体の済むまま諾々と涙を流す。
情けない。そう思う。
「良いのよ、気にしないで」
彼女はいつも笑ってそう告げる。僕のこんな情けない一面をゆるして受け入れてくれる。
僕は何で泣いているんだろう……?
「────こちら被験体『B-0ur0bor03』に反応有り。ただちにモニター室に集合されたし、繰り返す、被験体『B-0ur0bor03』に─────」
「……いつも、何で泣いてるんだろう。何を悲しんでいるんだろう。わからないんだ。僕は、僕は、」
「良いのよ。気にしないで。気にしては駄目。それは悪夢なんだから」
「悪夢?」
「そうよ。気にしては駄目なの」
彼女は、ふんわり笑った。
「……」
そうか、悪夢か。そうだよな。
気にしなくて良いんだ。気にしなくて。
記憶出来ない夢なんて、そもそもが出来損ないの悪い夢なんだ。気にしなくて良い。彼女の言う通り。気にしなくて─────
……あれ?
「────繰り返す、被験体『B-0ur0bor03』に反応有り。ただちにモニター室に集合されたし、繰り返す、被験体『B-0ur0bor03』に─────」
「どうしたの?」
微笑う、彼女。違和感。
「……」
前も、こんな会話しなかった?
気のせい?
「────繰り返す、被験体『B-0ur0bor03』に反応有り────何をやっている! 救護班急いで被験体『B-0ur0bor03』の部屋へ! メインチーム! 早くモニタールームへ! 反応が─────」
「ねぇ、」
「なぁに?」
「前もこんな話をしなかった?」
「気のせいよ」
「本当に?」
「ええ」
力強く、彼女は頷いた。
彼女が言う。ならばそうなのだろう。
そうか。気のせいか。
「……」
見詰めれば、やさしく笑んで返す彼女。────そこには一点の曇りも無い。
……そうだよな。気のせいだ。きっと、何度も同じ夢を見てるから、同じような会話を前にしたんだ。既視感、てヤツだろう。
しかし僕ってヤツは何て臆病なんだろう。こんなに素敵な……素敵な、……あれ?
目には笑う彼女。
「……」
彼女の、名前は?
「────被験体『B-0ur0bor03』の状況は?」
「わからない。だが一際強い反応が出ている」
「もう危ないかもしれないわね……救護班?」
「……こちら救護班」
「被験体『B-0ur0bor03』の状態は?」
「心肺の活動が著しく低下しています。心拍数、かなり減少」
「マズいわね」
「ああ」
「また、連れて逝かれる?」
「ね、ねぇ……」
「なぁに?」
「き、きみの名前、なんだけど、」
「────そんなことどうだって良いじゃない」
「え、」
「私たちが寄り添うことに比べたら離れることに比べたら、そんなことは些細な事象よ。────そうでしょう?」
迷いの無い笑顔で彼女は言った。
相次ぐ戦争と止まらなかった環境破壊、莫大規模な自然災害で、西暦が破綻してしばらく経ったころ。人々の間で奇妙な流行り病が蔓延した。
感染経路も不明なそれは、『プレイバック症候群』と呼ばれた。
「ねぇ、」
僕は、さっきからこれしか、話を切り出すのに使っていない気がする。
けれど名前がわからない今、僕にはこの呼び掛け方しか残っていないのだ。
「寝ましょうか」
「え、」
返事の仕方もこればかりだ。だが今回これは正しい利用法だと思う。だって。
「寝る……って?」
何で急に?
「何で、」
「寝れば嫌なことは忘れるもの」
「けど、」
「大丈夫
もう悪夢は見ないわ」
「『プレイバック症候群』───一説だと自然発症ではなく人為的発症とされている」
「生物兵器────通称『B兵器』ってヤツか」
「正確にはB兵器として製造されたウイルスが何かの原因で外に洩れ、進化を辿った結果が『プレイバック症候群』と言われている」
「そう。罹った者は皆夢を見る。繰り返し繰り返し何らかの夢。ずっとレム睡眠とノンレム睡眠を交互にして。目が覚めないまま、いずれ衰弱し死に至る」
「最初はただ麻薬的な効能を期待しただけだったんだろうにな。ご愁傷様」
「誰に言ってるの?」
「造ったヤツ。最盛期の半分も、人類は減っちまってるって言うのに」
「原因も不明。治療も不明。感染経路も特定不明。……打つ手なしかぁ」
「……そうでも無いわよ」
「本当? 悪夢は見ないの」
「ええ、
もう、二度と。だから
お休みなさい」
彼女は、今までで一番の笑顔を向けた。
「……どう言うことだ?」
「生存中の被験者の脳から電気信号幾つかを読み取ってデータ化、またあらゆる方向から脳の解析を掛けて内部を映像化してみたの」
「内部って……」
「『プレイバック症候群』の夢の中よ」
「ゆっくり、目を閉じて……」
彼女の手が、僕の瞼を壊れ物に触れるように撫でる。視覚が失われる。
「ゆっくり……リラックスして……力を抜いて……そう」
彼女の声と共に体から力が抜ける。段々意識が遠のく。
「そう……怖がらないで……そのまま……
手放して」
言われるがまま、僕は意識を手放した。
「映像化って……そりゃあプライバシー侵害になるぞ」
「訴えられません?」
「私たちは特権が認められてるのよ? それくらいどうとでもなるわよ。で、これなんだけど……モニターに出すわね」
「被験体『B-0ur0bor03』は診ていなくて良いんですか?」
「大丈夫。救護班が頑張ってくれるわよ」
「……ご愁傷様……」
「何か言った?」
「何も」
「ふー……まぁ良いわ。とにかくこれ、見てちょうだい。三つとも同じに見えるでしょう?」
「ええ……あれ? でも、」
「気付いた? そう、
すべて違う被験体なの」
手放した先、僕の体はふわふわ浮いているような……ゆらゆら揺られているような不思議な感覚だった。
僕はどこへいくんだろう?
僕はどこに向かってるんだろう?
まったくわからない。
不安になる不安になる不安になる─────そんな中、僕は思い出していた。
彼女のことを。
「……何だこりゃあ……」
「同じ部屋、同じ調度品、同じベッド、そして」
「────同じ少女」
昔少女がいた。彼女は孤児だった。親は無く兄弟も無かった。だけれど少女は決して苦労はしなかった。清潔な建物の中、厳重な監視を敷かれていたけれど。
彼女は『兎』だった。いろんな実験を観るための、モルモットだった。
だから、一等清潔を保たれる場所で、彼女は栄養価を考えられた食事を与えられ生活していられたのだ。
奇しくも未だ西暦で年が、数えられている最中。
紛争戦争勃発環境破壊激化自然災害猛攻の真っ只中。
世界の狂った中であった。
「……この子ね、実は資料に残ってたの」
「え?」
「随分昔よ。国が[国]として機能していたころの、ね」
少女には友がいた。少年だった。やさしい少年。少女が無意識に抱える不安を夢に見て目を覚ますと、決まって先に起きていた彼が宥めてくれるのだ。
「それはただの悪い夢だから」、と。
少年が隣りに寝てくれて少年の手が少女の髪を撫でてくれて、少女は少年の体温を感じ常に安堵した。
少女は少年が大好きだった。寄り添って眠れば悪い夢なんて見ないと思った。
だが現実は残酷だった。
ある日通常通りに少女は実験室に呼ばれた。その扉を前にすると少女は日頃受ける実験とそれに伴う痛みを思い出して身が竦むのだけれど、後ろに銃を構えた兵士が立っているからそこにずっと立ち尽くしている訳にもいかない。勇気を振り絞り後ろの兵士に小突かれる前に、少女は扉をノックし返答のあとノブを回した。
開けると、いつもの光景が今日は違っていた。少年が立っていたのだ。
少女は一瞬喜色に顔を染めるけど、少年のただならぬ雰囲気に口を噤んだ。
やがて少女は地獄を見る。
それは裏切りと粗末に扱われた存在の、果てに観る悪夢だった。
「資料には『エコー実験』の実験結果が記されてるわ」
「『エコー実験』って……」
「いわゆる“『異能者』を開発する”ための『人体改造』ね。最初に開発しようと持ち上がったのが話さなくても念じるだけで会話出来る『テレパシスト』だったことから、“反響”つまり『エコー』と名が付いた。開発は結構急いでたみたいでね。片方を拷問して片方にその苦痛が伝わるか、みたいなこともしていたみたい」
「ひでぇことしやがる……」
「問題は彼女を実験に使うときに使用した方法。ここを見て」
「! これって……」
「ええ
このウィルスこそ『プレイバック症候群』の[始祖]と言うことね」
少女は見ていた。
少年を見ていた。
博士が言った。博士の名を少女は知らない。博士が意味の無いことだと言うから。ゆえに少女は知らない。
博士の名も、この建物の名も働く人たちも同じような少年少女たちも兵士も。
少年の名も。
少女自身の、名前さえも。
だが、些細なことだった。細やかで、ちっぽけな。
そんな、事実は。
少女は少年を見据えた。なぜだろう。博士が言った。
「どちらがこのウィルスを体内に宿すのか、選びなさい」と。
少女は少年を見た。博士は知っていたのだ。少女と少年が仲睦まじいことを。カメラで観察していたから。
そのための、団体生活だった。
ウィルスは致死レベルには遠く及ばないと。説明を受けた。
だから死ぬ一歩手前の痛みと苦しみを味わうのだとも。説明された。
博士は変わらずに続けていた。
説明されても、少年と少女は理解出来なかった。どちらがと問われても、動けなかった。
死にはしない。だが死ぬ程の苦痛が在る。わからなかった。痛い思いは何度も、少女も少年もしたけれど、わからなかった。
死んだことは無かったし、傷も痛みも実験が終われば治療で消えた。だからわからなかった。
わからないから────少女はどっちだって良かった。
少年が泣き崩れて叫び出し、喚くままに少女にその役目を押し付けるまでは。
「ウィルスに冒される少女の苦痛に、当時仲が良かったとされる少年が精神感応───エムパスを起こすかが焦点だった」
「でも目論見は外れたんですよね」
「ええ。データ上では致死に至らないとされたウィルスは結果細い体の少女を死に至らしめ、少年は何の反応も示さなかった」
「下らねぇ……」
「その後少女の遺体を埋めたのが、ここ」
「ここって……」
「そう。最初に『プレイバック症候群』の発症が認められた場所のすぐ上の山よ。……多分ここら一帯は地震災害に見舞われたり土砂崩れに曝されたりしたから……遺体も流されたのかも」
「つまり麓近くまで押しやられた?」
「そして感染が始まった。ほら、気象情報と発症時期がぴったり」
「……まるでホラーだな」
少女は笑った。おかしかった。
何がだろう。滑稽だったのは。
少女は確かに少年が好きだった。そのせいかもしれない。
少女が『少年』を捜すのは。
少女はいろんな少年に寄り添って来た。
そのたびに今度こそはと────思って落胆。
どの少年も『少年』ではなかった。誰も少女の捜し人にはなれなかった。
だけど、と少女は思う。
少女はどうしたいのだろう。どうなりたいのだろう。判断出来なかった。
少女は博士に兵士に施設の人間に、……それと少年に、殺された。
けれどならどうしたいのだろう。復讐、だろうか。
違う気がする。だったら何だろうか。
やさしくされたい? 昔みたいに。
悪い夢に目を覚ます自分を慰めてほしい? ……まさか。
今や少女自身が悪夢だと言うのに。
空白のひととき、少女は思う。
“私は何がしたいんだろう……”
そう少女が考えたとき、誰かが少女の手を掴んだ。
「……で、どうなるんだよ」
「え?」
「え、じゃなくて。どうするんだ? そんなホラーみたいな話、どうやって対処するんだよ。まさかお祈りでもするってか?」
「エクソシストを呼ぶとかですか? それは無理なんじゃ……」
「そうねぇ……」
「何だよ。何も考えてないのかよ」
「だってわかんないもの。そんな言うならあんたが罹ってよ」
「阿呆抜かせ。俺はとっくに少年期を終えてんだ。無理無理無理」
「そこなのよねー。発症者はみんな少年だから。……生存者も未だ無いし」
「心は少年、とか言ってましたよね?」
「心はな」
「馬鹿馬鹿しい。そんなの何の役にも、」
「────こちら救護班! 被験体『B-0ur0bor03』が─────」
「……どうして……?」
目を覚ました僕に、彼女が驚いた顔をした。僕はきょとんと首を傾げる。
「……。何が?」
「だってあなたは……!」
彼女は泣きそうな顔になった。僕は困る。
「ちょ、ど、どうしたのっ? 僕何か気に障ることした?」
焦って吃りながら僕は何とかかんとか彼女に問い掛ける。彼女は頻りに首を振り「違うの違うの」と繰り言を口にする。
僕は悩む。こんな彼女は初めてだ。
「違うの……どうして?」
「だから、何が?」
「どうして起きたの?」
恐る恐るそれだけ言って、彼女は唇を噛んだ。あと少ししたら泣いてしまいそうだ。
僕は眉を下げたのを自分で感じ精一杯脳みそをフル回転した。彼女を泣かせたくなくて。
けれどもお粗末な僕の脳細胞は、結局気の利いた言葉一つ出て来なくて────ありのままを彼女に伝えるしかなかった。
「うーんと、……きみを思い出したからかなぁ?」
「え……」
「ふっとね、夢にきみが浮かんだ」
だから、目が覚めたんだ。
そう告げる。照れ隠しに頬が上がった。
「……」
でも告げた言葉は、彼女を結果的に泣かせてしまったのだけれど。
「被験体『B-0ur0bor03』が、持ち堪えた?」
「脈拍、心拍数共に正常値に上がりました!」
「初めてのケースね」
「どう言うことだ? こんなことって……」
「案外、目を覚ますかもよ?」
「え」
「本来ならここまで来た発症者は衰弱死していた。けど被験体『B-0ur0bor03』はその危機を脱した。────最初の克服者になるかもしれない」
「私はウイルスなの……私は死んで、そのときに感染させられたウィルスが私の中で変化して……何代か経てあなたに感染した」
「……」
「私、死にたくなかった。生きることがどうとか死ぬことがどうとか、あのころの私はわからなかったけど……少なくとも死にたくは無かったの! でも、私は死んじゃった……そうだから、こうしてウイルスになった……ウイルスそのものに……」
「……」
「私は、私は、……どうしたら良いんだろう……。私、恨んでないの。恨んだ訳じゃないの。“恨む”ってことを、まだ理解してないのかもしれない。いろんな人を媒体にしていろいろ学んだけど……やっぱり私恨んでない、恨めない。私を利用した博士も、私を見殺しにした人たちも、……私を裏切った人も。……私、どうしたら、」
「いれば?」
「え?」
「だったらここにいれば良いじゃない? えと、僕の中?」
僕は平然と言い放つ。彼女の目が丸くなった。
笑う以外の彼女をこんなに見たのは初めてだから何だか新鮮な気分だ。
「───……」
僕の最後の記憶は、
彼女の涙を湛えながらそれでも、
精一杯に笑んだ表情だった。




