少年と地下迷宮 そのろく
アベリアは人口約三百人のフルゥスターリ王国の首都、王都リオートの衛星村である。
農民の朝は早い。
夜明け前には起床し、朝食代わりに白湯を摂り仕事へと出かける。
アベリアは主要な街道からは離れた牧歌的で普遍的な村の一つであり、麦を中心とした農業と、羊、山羊、豚などの畜産で成り立つ。
王家直轄領であるこの村は、他村に比べれば裕福な方に分類されていた。
鉄は貴重なので、農民が使う農具の鍬や鎌は木材製が主なのだが、アベリアの住人の多くは刃先の一部に鉄を利用できる程だ。
このような鉄を使われた農具は、開拓村以外だとなかなか見掛けられない。
だが、三年も続く不作がアベリアに有った鉄を使われた鍬や鎌を消し去り、効率は落ちるが自作可能な木材製の物に取ってかわられていた。
フルゥスターリ王国は三圃式農業で、秋を迎えたこの時期は、どの村も春畑で実った大麦や小麦を刈り取り、冬畑に再び麦を生産する。
しかしこの日、アベリアは異常事態に襲われ、緊急集会が開かれる事となり、放牧以外の作業は中止された。
もっとも放牧は昼も夜も放草地に放し飼いされている牛や馬などの家畜を放置しているだけだが。
王都に異常を報せに走る使者、近隣の村へと使いに駆け出す者以外の男衆は、三人から四人に別れて村周辺の探索に出る。
足手まといになりそうな程に幼い、そして年老いた者らは、いざというときにすぐさま逃げ出せるようにと荷物をまとめだす。
緊急時以外に村人がかってに村から離れる事は、禁止されているのだが、現状がそれなので叱責覚悟で推し進めていた。
農作業を休み、村を棄てる準備をする。
農民らにこれほどまでの決断をさせた異常事態とは、村全体の冬畑を耕すなどの土弄りで鍬などが土に入らなくなったのだ。
常日頃、大人の男であれば問題なく耕せる畑が、見た目だけは普段通りのまま、まるで土が岩にでも変化してしまったかのように一切の農作業を受け付けない。
この事態に、村長、長老、大地母神神殿長らは近場に地下迷宮が出現したと可能性が大きいと村人達と話し合い判断した。
どれぐらい近くにあるのか、生息する魔物の種類によって取るべき行動が変わるので、最悪の状況を想定して村を遺棄する準備を進めながら手分けして村の近場でダンジョンを探す事に。
それと同時に近隣の村々と協力体制を整える為に交渉人を兼ねた使いを、王都リオートにも報せに早馬を走らせたのだった。
アベリアやその周辺より届けられた急報は迅速に王宮へのぼる。
これがただの陳情ならば権威を示す演出やらで数日は待たされるのだが、いくつかの例外事項には当然対応も早い。
国家の基幹産業たる農・林業に大打撃となる地下迷宮関連は最優先事項だ。
畑を耕す事が出来なくなる故の収穫激減、魔物にいつ襲われるかとの恐怖から労働意欲の減退、および逃亡による領民の流出による衰退などの悪影響は家の土台を食い荒らす白蟻よりも質が悪い。
早く地下迷宮という白蟻を退治せねば国が潰れかねず。
王族の冠婚葬祭よりも優先させられ、これより上位に位置する項目は戦争や内乱発生だけである。
すぐさま調査隊が編成され派遣されるのと共に、国王エペーボス・エアルの耳に届けられ騎士に出動準備の下知が下された。 王都周辺での軍事行動には王の許可が必要だ。
これは貴族や有力者による武力を用いた反乱を防止する為である。
王都を防衛する近衛兵は僅かに約四百名、常備軍は金食い虫でフルゥスターリ王国の収支ではこの数が限界なのだ。
戦争などで兵力が必要な時は貴族に参集を申し付け、民衆から義勇兵を募り、傭兵ギルドで募兵して数を集める。
フルゥスターリ王国に仕える貴族、その当主たる条件は男性で戦働きが可能、これが最低条件だ。
もっとも一代限りの騎士候ならば、だが。
爵位や領地持ちの貴族は、これに血筋が加わる。
そして、それぞれに相応しい数の私兵を引き連れ王の元へ集う。
例を出せば領地持ち貴族の最下位である騎士候は武具に馬、従者二人、兵士五名を率いて馳せ参じなければならない。
従者以外は軍に組み込まれる為に連れて来た騎士の手から放れる。
勿論、領地の有無、豊かさなどで兵士数は変動されるが。
この数年の不作で免除税目当てで兵役に勤める志願兵は、隣国であるヌイ帝国、五ヵ国同盟の一角ミュール王国、アルンペル自由都市連合、そして開拓中であり魔物からの侵攻がありうる東部から南部に配置され軍人となる教育を受ける。
三年の兵役を終えた志願兵は、選別され、元の生活へ帰される、常備軍や貴族の私兵に勧誘、開拓地への入植を打診されたりと様々だ。
勧誘や打診を断り村に帰された志願兵は、服務待機兵にされ自衛団に所属する義務が発生、領主が徴兵する時に優先されて私兵に取り立てられたりする。
傭兵ギルドはその名の通り、傭兵の育成や仕事の斡旋をする職業組合だ。
保証人が必須であるも門戸は広く、職業の選択が許されていないなか、数少ない例外となっていた。
表向きには国や領主から独立した組織とされているが、実情そんな訳があるはずもなく、ギルド上層部に数名の監査官が派遣され運営に目を光らせている。
義勇兵は触れを出し、民衆から希望者を募るのだ。
国家、領主への忠心などで集う義勇兵の士気は高い反面、練度が低いので後方支援にまわされるのが殆んどだが。
フルゥスターリ王国は建国以来、他国との大規模衝突はなく、せいぜい国内貴族同士が決闘で騎士が戦うぐらいで戦争の経験がない。
フルゥスターリ王国は約百年前の五ヵ国同盟とヌイ帝国間での戦争、その後の冷戦でも中立を守り、戦争当事者両国の間接貿易中間国として発展してきた。
海に面していない内地にある五ヵ国同盟、フルゥスターリ王国などは大量の塩を得るにはヌイ帝国から買い入れるしかない。
百年前の戦争は、塩の売り手としての強さ、その財と広大な領土から生まれた国力を持っての脅迫外交を皮切りとした戦争は、実質的にはヌイ帝国の敗戦で幕をおとしている。
現在の塩取引は帝国からの賠償金という色が強い。
そして両国の戦争後から続く帝国内乱にも関わらなかったフルゥスターリ王国は、国家としての実戦経験不足という目に見えぬ弱点を抱えているのだった。
フルゥスターリ王国よりコンドラート伯爵位を授与されているゴッドフリート・ジノーヴィーは、婚約者である第三王女へ御機嫌伺いの上京途中で息も絶え絶えな農民が目に入る。
日が昇ると同時に働き出す農民が何故街道に、そう疑問に感じたゴッドフリートは、くわっと目を見開き緊急事態かと馬上から制止の声をかけた。
「そこの! 何があった?」
呼び掛けに足をとめて振り返る農民、その真横に馬をつけると騎士板金鎧を身に付けているとは思えない流れるような自然な動作で馬から降りる。
そんなゴッドフリートに驚きの眼差しを飛ばしたアベリア村の使い走り。傷だらけで世辞でも綺麗だとはいえぬ鎧姿だが態々農民相手に馬から降りて兜を脱ぐ騎士に。
フルフェイス型の兜で遮られていたゴッドフリートの顔が露になる。
見事な黄金髪に碧眼の端正で上品な甘い顔立ち、世の乙女が夢想するであろう王子様が現実に現れたのなら、こんな顔をしているだろう。
農民は騎士が兜を脱いだ瞬間、その背後にキラキラと輝く星々の幻覚を見た。
疲れと信じられないものを見て焦点があわない瞳で呆然とする農民に、ゴッドフリートは威圧感を与えないように優しい笑みを浮かべながら問い掛ける。
「コンドラート伯、そのような事は我々にお任せを」
主君が下馬しているのに己らが乗馬したままでいられず、馬の手綱を引いて女従者ヴィルジニーがかわって農民から周辺一帯の異常事態を聞き出す。
代々続くジノーヴィー家の家臣一族出身で側仕えのヴィルジニーは、フルゥスターリでは珍しくもない茶髪に緑瞳の所為で、整った顔をしていながら無個性で他人に覚えて貰えない影の薄い女である。
武門の名門であるジノーヴィー家はフルゥスターリ辺境の未開拓地を切り開く事で領地を増やして来た一門だ。
国境に配置、他の開拓を委せられている国軍や貴族一門よりも(魔物相手の)実戦経験が豊富であり精強と知られている。
ゴッドフリートの父親で先代当主は、これらの争いにて命を落としており、爵位継承が認められる二十歳までは先々代当主であった祖父が当主代理として一門をまとめていた。
四年前に継承条件、年齢以外にも騎士位を求められるので騎士となりコンドラート伯爵爵位継承を認められる。
その時に祝いとして王家主催で開催された武芸大会にてゴッドフリートは馬上槍試合などで優勝を飾り勇名を轟かせた。
これにより王から当時八歳になったばかりの第三王女降嫁を褒美とされたのだ。
もっともこれはジノーヴィー家の領地が広がり、公爵位に相応しい功績があったからである。
その他多数いる貴族からの不満をおさえるのにちょうど良い名目を得られただけで、ゴッドフリートへの王女輿入れは決定事項であり大会優勝との因果関係はなかった。
これ以外にも複雑怪奇な裏の事情があったが、ゴッドフリート自身は一族の働きが認められたと無邪気に喜び、降嫁の名誉にますます王家への忠誠心を大きくする。
本来ならば三年前に結婚する予定だったのだが不作の為に延期となり、それが続いていた。
ゴッドフリート一行は主君であるコンドラート伯に護衛の騎士が二人、従騎士(騎士見習い)四人、私兵八人、従者六人で合計二十一名の大所帯だ。
身に付けている武具の質や全員が軍馬に乗れる事を考慮すれば、コンドラート伯爵家が裕福な一門だと理解できるだろう。
馬一頭が消費する穀物類は人間の十倍にのぼる。
馬の状態、毛並み、肉付き、蹄鉄などを見ても良く手入れされ健康体そのものだ。
私兵達の装備も皆立派な物で、ジノーヴィー家の家紋が左胸部に刻まれている。
ゴッドフリートは、王国最南東部に位置するコンドラート領から王都への道中も行軍訓練と位置付け、彼自身、従者、護衛の私兵も騎乗し戦時の完全武装だった。
不作続きのフルゥスターリ王国だが、国内すべての地域がそうだという訳ではなく、豊作ではないがコンドラート領は十分な量の農作物を収穫できており他領への輸出で力を増している。
「おお、陛下や王族の方々が御住まいにあらせられる王都のこれほど近くで地下迷宮が……。
このコンドラート伯ゴッドフリート・ジノーヴィー、王家への忠誠からも、民を守る貴族としても見過ごせぬ!」
話を聞き出した、王都へ報せに向かう途中の村人を従者の馬へ共に乗せ、地下迷宮攻略の許可を願い出る願書を託し二人を送り出す。
軍事行動に王家の許可が必要な王都近郊とはいえ緊急事態、賊に襲われたり地下迷宮が出現して魔物の驚異が差し迫っている時などならば王国法でも軍の運用は許されている。
だが地下迷宮攻略は必ず王からの許可が必要であり、これを破れば王族だろうとも死罪は逃れられない。
地下迷宮がもたらす財と危険性を天秤にかけた難しい王国側の判断である。
「皆のもの、このコンドラート伯ゴッドフリート・ジノーヴィーに続け!」
マントを靡かせながら、ゴッドフリートは配下の返事も待たずに馬を走らせ先を急ぐ。
「ダンジョンよ、待っておれ! 我が忠義の剣で砕いてみせようぞ!」
「ふはははっ!」と馬を飛ばすゴッドフリートに従者や護衛が叫ぶ。
「コンドラート伯!」
「方角が違います! そっちだと戻ってしまいますよ!?」
「あの似合わない笑い方と思い込みの激しさがなければ良い方なのに!」
「不敬だぞ! てか戻って来てください!」
「声が届いておらん! ティル! 追いかけろ!」
右往左往する護衛をまとめる古強者騎士が、任期中の志願兵にも関わらずゴッドフリートが引き抜いて来た青年に命じる。
外見はおとぎ話に出てくる王子様であり、武芸百般で、礼儀作法、詩、社交ダンスと何でもござれなゴッドフリートは、馬術もずば抜けた腕前であり追い付くのは並大抵の事ではない。
騎士と違い私兵は硬化革鎧を装備しているので重量的に有利である事、ティルの馬術もゴッドフリートに勝るとも劣らない逸材であり、良馬を主君に次いでまわされている。
譜代でもない新参の若輩者が当主の直参扱いなど、他の配下から嫉妬を買う材料だ。
だが、ティルはゴッドフリートに自分に匹敵する武芸の持ち主と紹介され、今のような暴走時に発揮された馬術などで大歓迎された。
ゴッドフリートの暴走で配下がどれだけ迷惑をこうむっているかがわかり易い反応である。
「はいっ!」
ティルは颯爽と馬を駆り、先行するゴッドフリートとの距離をみるみると縮める。
背後から響く馬蹄の音に一瞬だけ顔を振り向け、ティルの姿を認めたゴッドフリートは
「おお、見事な手綱捌きだティルよ!
されど、このコンドラート伯ゴッドフリート・ジノーヴィーの名にかけて馬の扱いで負ける訳にはいかぬ!」
ゴッドフリートはそう叫び、「負けられぬぞ、ブラニングっ!」と愛馬の名を呼ぶ。
百八十ある主人とその身を守るスーツアーマーを始めとした武具、馬用の鎧と凄まじい重量を背負いながらも、黒い毛並みのブラニングはゴッドフリートに応え加速するとティルを突き放す。
全力疾走中の馬上である為に口を開けないティルは、ブラニングが疲れて足が鈍るまでゴッドフリートの高笑いを必死に追いかけ続ける。
そんな紆余曲折があり、ゴッドフリート一行がアベリアにたどり着いたのは太陽が頭上高く昇った頃だ。
ティルがいなかったのならば、下手すれば日が暮れるまで馬を駆けさせていたコンドラート伯ゴッドフリート・ジノーヴィーだった。