真夏の文豪少女
どうやらこの学校には「七不思議」なるものがあるらしい。
いわゆるアレだ。大抵七つ目の怪奇話が「七不思議の話を全部知ると呪われる」とかの類のやつ。あとは「八つ目の話がある」とか。バカヤロウそれじゃあ九つ十とキリがねぇだろうがアホポンタン、と思ったのはオレだけではないって信じてる。
とにかく、噂話が大好きな女子を差し置いてクラス一情報収集に精を出す良太が言うんだから信憑性はまずまず高いと踏んでいいだろう。四時間目の体育が終わり、制服に着替え直し教室へと戻る途中。昼休みに突入する時間帯なので急ぐ必要のない中、ゆっくりとした足取りでオレと良太はクラスに戻る。
休み時間は良太の独壇場だ。五十分間無駄口の叩けなかった口が大活躍する。その舌の働きっぷりは言ってる本人より聞いてるこっちが疲労を感じるという謎を生むほどだ。普段はなんてことのない二階の教室までの距離が長い。授業終了後即始まったマシンガントークに、階段の手前で嫌気が差した。あー、早く落ち着いてメシ食いてぇ。良太の口なんか白米で塞がれてしまえ。
しかしさすがというか、人間は学習する生き物である。長い付き合いの中で、オレは対処法を身に付けた。
隣で夢中になって良太がツバを飛ばし話す内容に、ふんふんと絶妙なタイミングでそれらしい相槌を打つ。かつ、必要な情報を取捨選択する。どうだ。
もっとも、しゃべれればそれで十分な良太は聴衆の反応を気にはしない。
「夏貴知ってる? 特別版番長皿屋敷。なんかね、放課後……ってゆーか、もはや夜? 下校時刻をとっくにすぎた家庭科室からサ、不気味な声が聞こえんのよ。いーちまーい、にーまい……って。
ここまで来ると、きゅーまい、一枚足りない~~~ってなると思うデショ? 残念、違うんだなー。まだ続くんよ。それも大分。八十枚近くいってからやーっとお決まりのセリフが聞こえるの。つーかむしろ一枚多い~~~って聞こえる日もあるらしいよ? 真相はいまだ不明。ど? ちょっとは涼しくなった?
あ、そうそう。話は変わるけど二丁目の泉サンち、子猫が六匹生まれたらしーよ。今度見にいかね? それからさっきの体育の時、四組の鈴木がさー……」
うんぬんかんぬん以下省略。聞きたいことは聞いたし、後は右から左に流すのみ。
分かったのは、だから「特別版」番長皿屋敷なのかということ。オリジナルな部分があるってわけか。
それにしても八十超え……。家庭科室ってそんなに皿あったけか? いらんところに思考を向けたが、オレがこの怪談に興味をもったのはその時ぽっきりだった。
それから数日後。
Prrrrr……
夜の八時ちょっとすぎ。電話が鳴った。一階にいた母さんがまず取り次ぎ、ついで二階の自室にいるオレに引導を渡す。ちょうどマンガを読んでくつろいでただけに、何とも間の悪い。
「夏貴ー、秋元君からよー」階段下からの呼び声がプライベートルーム、ドア越しに僅かに届く。
「秋元ぉ?」自分でも分かるくらい、あからさまに嫌そうな声が上がる。どうやら連絡網ではないらしい。矢上が名字のオレに業務連絡をくれるのは百瀬だ。
階段を下りながら何の用だと思考を巡らす。
クラスで断トツのトラブルメーカーで出しゃばりでお調子者の秋元のことだ。時間帯もさることながら、どうせロクな用件じゃない。受話器を受け取る前から気が沈んだ。「もしもし」
「やがみぃぃぃぃ、実はなぁぁぁ……」
ほら見ろ。やっぱりロクなもんじゃなかった。イヤな予感は、いつだって当たるんだ。
+++三十分後。+++
オレは今、自分の通う学校の校門前にいる。すでに完全消灯したデカい建物は、見慣れたはずなのにそれなりに不気味だ。
「今すぐ校門に集合な!」と会話の最後に秋元が言い終え、電話の回線を一方的に切断された。態度の悪さがそれなりに不満だったが、友のよしみで急いで来てやる。が、肝心の張本人が見えない。
初秋の肌寒い風に吹かれること約五分。仲間に出会えた嬉しさいっぱい満面の笑みで秋元は手を振り走り寄ってきた。
「心の友よ~~」と近所迷惑を考えないで叫ぶアホに黙れとまずは鳩尾に一発。そんでもって呼び出したのにもかかわらず遅刻した罰として頭部に一発。計二発をこいつはいっそ清々しいくらいの受け身で食らった。痛みのあまり路上にうずくまる。「ちょっと吐きそうカモ……」吐いたらもう一発な。
今回秋元の急な収集の理由は一つ。教室に忘れた英語のプリントの奪還。
実際、これがなきゃ明日の授業の予習は始まらない。
何を隠そうこの学年の英語の教科担任の厳しさは折り紙つきだ。この科目だけは課題の提出率も試験の平均点もピカイチ。しかしその素晴らしい歴史の裏にはオレら生徒の聞くも涙語るも涙の連携プレーがあり、壮絶な死闘の末零した血と汗と涙の結晶がある(要するに宿題写しあったり、サ)だから喜ばしい結果も素直には笑って受け止められない。
多少話しが逸れたが、要するに宿題を学校に置き去りにした秋元はプリント奪取の必要性に夜(=電話をかける少し前)気付いた。
で、取りに向かおうと思ったがそれを妨げる不穏な影が最近はびこり始めているのを彼は思い出した。
そう、巷じゃ有名のあの特別版番長皿屋敷だ。
取りに行かなければ明日大目玉を食らうのは明白だ。しかし、夜の学校に忍びこんだら忍びこんだで、臆病な彼には別の恐怖が待ち構えている。何というダブルバインド。
そこで小心者の秋元はオレにヘルプを要請した。
「ついて来てくれ!」明瞭かつ簡潔に、そしてかなり必死の形相で。顔を見たわけではないが、電話でのほとんど泣きそうな……つーか完全な涙声でそれがよく分かった。受話器の向こうの秋元の泣き顔は想像したら割と面白かったので、まあ今回はこれでチャラにしてやろう。
「つーかこの年でお化け怖いとか」
自分でも嫌な笑みを浮かべてる自覚はある。でもニヤニヤは止まらない。十代も半分過ぎて非現実的なものにビビるとか……。ちなみにオレは幽霊とか妖怪とか信じていない。いたらいいなーと軽く期待する程度で、ホラー映画も平気なタチだ。
うるせー黙っとけだなんて自分の立場をわきまえていないようだから、ちょっとした冗談で帰ると言い捨てれば「お代官様ぁぁぁお許しをぉぉぉ」オレこいつの茶番の相手するためにここまでわざわざチャリ飛ばして来たんだっけ? ああ違う違う、そうじゃない。目的は敵地突入無事生還だ。
「一応聞いとくがどうやって夜の校舎に侵入すんだ? まさか方法が無いなんてないよな?」
そう。電話を受けた時から疑問だった。どうやって目的地に乗り込むのか、と。周りを取り囲む塀は確かに低いが、放課後誰もいない学校なんて厳重にセコムに守られてるじゃないか。
しかし予想に反して秋元は胸を張り、堂々と作戦を発表する。
どうやら一階の男子トイレの窓はサビのせいか鍵のたてつけが悪く、どこまでも伸びるトルコアイスにも負けないしぶとさで施錠を許さない。らしい。外部に漏れたら非常によろしくない内部情勢だ。大丈夫かセキュリティ。
校門を突破した後は校内へと通じる狭き門をかいくぐり、ミッションクリアを目指す。単純でシンプルだし、アホの秋元にしてみればいいんでないの。
「そうと決まれば行くぞ」
夜中の閉めきられた学校に無断で入るなんてもちろん初めてだ。内心ちょっとワクワクしながら、オレらは閉まった校門をよじ登った。
+++十分後。+++
無事最初の課題をクリアしたオレ達。しかし新たな難題が立ちはだかっていた。主に秋元に。
問題の男子トイレは一階校舎、廊下の突き当たりにある。トイレから出て、自分の教室のある二階へ行くためには無論階段を使うしか術はない。そこで次なる試練が発生した。
少し離れた階段へ向かうには、どうしても家庭科室前を通らなきゃいけないのだ。あの、幽霊が出ると、最近騒がれている。
トイレから目的場所まで、三つの特別教室が廊下に並んでいる。こちら側から見てその最奥が、例の心霊スポットだ。
お化けが怖くて俺を呼んだ秋元。その恐怖は今がピークだ。怖じ気づき中々トイレから出ようとしない。大して長くはこの距離を一体いつ歩けるのか……。迷惑かけんじゃねぇよとこれ見よがしに大きな溜め息をつく。そんなのお構いなしに秋元は、見事足止めを食らったオレの後ろでがくがくぶるぶる……。
「ちょっとお前、何持ってんの」
後ろの秋元は、胸の前に両手で何かを握っている。電気をつけるわけにもいかず、暗い中判別は難しい。が、よく見るとそれは……。
「すすき?」
「おう、いざって言うとき武器があった方がいいだろ」
果たしてそれは武器に入るのか。どう見てもここに来る途中道端から引っこ抜いてきた感が否めないぞ。
「幽霊に物理的攻撃なんて効くのか?」
イライラしたせいもあり、ちょっとした脅しで聞いてみる。
「大丈夫だ問題無い。塩でちゃんとお清めしてきたから」
「ちなみに何の塩だ?」
秋元は自信満々に言い切った。
「伯方●塩」
ダメだこいつ早く何とかしないと。
呆れを通りこしてコイツには遠く及ばないと悟るオレ。ある種畏怖に近い感情を相変わらずの秋元のアホさに抱いたその時。
あのセリフがトイレまで運ばれてきた。
「いーちまーい、にーまい……」
若干低いが間違いなく女の声だ。夜の廊下にやけに響く。おどろおどろしく、喉の奥から絞り出したといった風情だ。怨みと悲しみがない交ぜになったその声色は、重たく腹の底までズンと来るような。有り得ないとは分かっているが、本当に夫に騙されたお菊の恨み辛み満々の声だと錯覚してしまう。
「ひ、ひぃぃぃ~~~」
情けない悲鳴を上げて、ガクガクだった膝がついに折れぶっ倒れたのは言うまでもなく秋元。泡を吹くアホは無視して真相解明のため現場へ乗りこむことに決めた。元々ホラー系は得意だ。加えて今は、好奇心が恐怖心より勝っている。
足音を立てないで、多少の緊張と共にゆっくり慎重に廊下を歩く。夜目が効かないが、しょせん廊下。真ん中を通れば障害物は無い。
いよいよ家庭科室の前へやってきて、深呼吸。信じていなかった噂が、まさか本当だったとは。驚きは計り知れない。引き戸の向こう、真っ暗な空間に居座るのは本当に化け物なのか。ドアにかける手が震える。
その間にもお菊さんもどきが数えた皿の枚数は「にじゅーなーなまーい」……だから多くないか。
覚悟を決めて、いざ!
「たーのもーー!」
引き戸をがらりと思いっきり開け、声の主にも届くよう大きく叫ぶ。迷わず入り口付近の蛍光灯のスイッチを、叩くようにオンにする。パッと教室内が明るくなる。少し目がくらんだが、そんなもの一瞬だ。不躾な来訪者に驚き、家庭科室中心のテーブルからこちらを振り向いたその姿は、まさしくあの、お菊さんだった――――。
+++十五分後。+++
「あっははははははっ」
響くのはお菊さんの恐ろしい呻き声……ではなく、女子生徒の快活な笑い声。明かりのついた家庭科室、銀の天板に覆われた調理台に設置された椅子に座るのは同級生、柿沢羽月だった。彼女が使っているのと左右のを合わせ計三台の調理台には、おびただしい数の紙が積み上げられている。
「私がお菊さん? 冗談きついって~~。ひー、お腹痛いぃ~~」
目に涙をうっすら浮かべ、お腹を抱え足をバタバタさせながらとにかく笑う柿沢。そんな笑われると、自分の勘違いを恥ずかしがるよりつられて笑いたくなってしまう。柿沢と隣り合う左テーブルの椅子に座り、どういうことか説明を聞く。
ここまでの経緯の概略は以下だ。
まず、結果を言えばこの学校の七不思議の一つ(今更だが他は知らない)特別版番長皿屋敷の正体は彼女、柿沢羽月だった。キーポイントは柿沢の所属する部活だ。
何部かというと、文芸部。
この部活は不定期に部員による作品集を発行している。柿沢が夜な夜な数えていたのは皿ではなく、日々の活動によって生まれた原稿だったのだ。
で、文芸部は印刷室を占領し生原稿を五十部程度刷り、それを手作業で製本している。当然といっても許されるくらい、その作業は気が遠くなる程細かい。一冊や二冊ならまだしも、八十ページ以上の本を五十冊。生まれた落丁により余った原稿を見過ごすわけにはいかない。一から全部数え直して再出発だ。どこに過不足があるか確かめるための数え歌が、いつしかお菊さんに成り替わったのだ。なんとも人騒がせな。
「家庭科室、ってのも拍車をかけた要因だな。皿のイメージが増す。文化部って部室無かったっけ?」
「吹奏楽以外無いよー。だから机の大きい、ここを借りてる」
なるほど、オレ達を取り囲む紙の山は教室サイズの机に収まりそうもない。
「電気もつけないで、作業できるのか?」
「のーぷろぶれむっ。私夜目も効くし。それにちょっと前まで、サッカー部がグランドでサッカーやってて明かりが入ってきたしね。まぁ熱中してると真っ暗になっても気づかないんだけど」
オレは夜になると灯るオレンジ色の光を思い出した。ちょうど窓の向こうにスポットライトが立ち、柿沢の言うとおりうまく明かりは差しこんできそうだ。
最後の質問をする。
「柿沢もやっぱり、トイレから忍び込んだのか?」
「トイレ? 何のこと?」
具合が悪いからごまかしてる風でもない。本当に分かってなさそうだ。じゃぁどうやって人気のない校舎に入れる? 尋ねれば、不思議そうな顔をされた。
「先生が残ってるじゃん」
……え? オレの表情から、理解できてないと判断したのだろう。柿沢は詳しく解説を続ける。
「ふつーに先生は九時十時まで残ってるよ? だから一言声かければここのカギ借りて使うこともできるし。昇降口が閉まれば、職員玄関から出ればいいしね。放課後からずっと、私はここにいるよ」
なんと。てっきり無人だと思っていたので意外だった。しかし思い返せば、校門から職員室は死角だし、そう思いこむのも無理はないだろうと一人納得する。オレは即刻下校する主義だし。
「つーかさ、一人でやるからそんな目に遭うんだよ。他の部員も巻き込めばいいじゃん」
「ああ、だって」
柿沢は爆弾を投下した。
「部員、私しかいないし」
……間。
「部員は私しかいない」イコール部員は柿沢一人。
「え? だって文化部って最低でも三人、継続に必要なんじゃ……」
そうだ。校則の載った生徒手帳にも同じ旨の端書きがあった気がする。もし柿沢の言う通り、部員が一人きりなら部活は成り立たない。
「うん。だから架空の人物を想像して部員数間に合わせてるの」
大変なんだよー、と柿沢は小さく笑みを漏らして続ける。
「顧問の小川先生騙くらかしてさ。それっぽい名前使って登録してるの。この作品集もそう。三人いるように見せかけて私が全部作ってるんだ。部長の柿沢羽月名義で一人。これはいかにも文芸部らしい、地味で文学少女な作風にしてるの。PNは一葉。樋口一葉から。で、宮城島美玖名義で二人目。正反対の女子高生っ☆ を目指してるけど難しいねー。PNは㎡、イニシャルから。最後は女子ばっかじゃつまらないから唯一の男子として貴野夏男。初恋の人の名前を拝借しました。PNが思いつかなかったから毎回作者の都合で原稿落としてもらってる」
「それで誤魔化せるなんてすげぇな」
「あー、小川先生って、よく学校休むでしょ? なかなか監督の目が追いつかないからだと思うよ。こっちとしてはありがたいけど」
しかし、なぁ。
「そーゆー怪談話があるってのは耳にしてたけど、私が張本人だったなんて。『灯台もと暗し』ってやつ?」
「まっさかお菊さんの正体が柿沢だったとはなー。オレも拍子抜け。ホラーでも何でもないよ。ただのギャグだよ」
しみじみ、が似合う口調でポツリと漏らす。すると柿沢は、至極愉快そうに口角を上げ、文学少女らしく明言した。
「よく言うでしょ。
『幽霊の正体見たり枯れ尾花』
って」
すっかり忘れ去られた秋元が目を覚ましたのはオレと柿沢が並んで帰った後。
彼の証言により、更にお菊さんの話は真実味を増していったのは言うまでもない。
冗談で済まされないくらい製本のやり直しはキツイです……。
という経験談を取り入れてみました。
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作品集作りで失敗しかしない文芸部での今後の活動の参考にさせてもらいます。