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「始まりの図鑑」

アルナラが初めて毒草を口にしたのは、四つの頃だったと、祖母は言っていた。


庭の隅に生えていた草を、止める間もなく口に入れ——

次の瞬間、祖母は息を呑んだ。

普通ならすぐに吐き出すはずのそれを、アルは平然と飲み込んでいた。

青ざめて駆け寄った祖母に、きょとんとした顔を向ける。


「にがい」


そう言って、何事もなかったかのように次の草へ手を伸ばした。


それから下町の家の庭は、アルの遊び場になっていく。


薬草の葉を一枚ずつ千切っては食べ比べ、根を掘り起こしては土の色を比べる。

雨上がりに濡れた苔の上に寝転び、泥まみれで空を見上げるその姿は、近所の人から見れば「少し変わった子」そのものだった。


けれど、アルにとって植物は沈黙の友人だった。

触れるたびに何かを返してくる。

言葉ではなく、指先に伝わる微かな感触として。


祖母の薬草棚に並んだ小瓶を眺めながら、いつも同じことを考える。

この世界には、まだ誰も見たことのない植物が生えているはずだ、と。



祖母が逝って、はじめて部屋の片付けをした日のこと。

棚の奥から一冊の図鑑が出てきた。


他の本に挟まれ、背表紙も見えないほど押し込まれていたそれを引き抜いた時、アルの指先に不思議な重みが伝わる。

使い込まれた革の表紙は、驚くほど柔らかく手に馴染んだ。


埃を払うと、飾り気のない表紙に細い文字で題名が刻まれている。見覚えのない言語。

けれど、どこかで見たような気がして、目が離せなかった。


一瞬だけためらい、アルは表紙を開く。


最初のページには、古い筆跡で植物のスケッチが描かれていた。

細い線で丁寧に写し取られた葉の形、余白に書き添えられた採取地と日付。

ページをめくるたびに、知らない草の名前が続いていく。


紙をめくる音だけが、静かな部屋に小さく響いた。


そしてふいに、余白が現れる。


走り書きの地名、途中で止まった文章、「未確認」と記された草の名前。

書きかけのまま途切れたページが、いくつも続いている。


図鑑の最後のページには、こう記されていた。


『すべての毒を中和する薬草。

その在処を、ついに突き止められなかった』


ページを閉じようとした指が、そこで止まる。


祖母がたどり着けなかった薬草が、どこかにある。

その在処が、この大陸のどこかに。


そう思ったとき、胸の奥で何かがわずかに動いた。

理屈ではない。

ただ、手の中の本をもう一度握り直していた。


祖母の形見を完成させたい。

その願いはもちろん本物だ。

けれどそれ以上に、自分の目で見たかった。

この手で触れてみたかった。


あの日から、どれくらい経っただろう。


気づけば荷物は玄関に積み上がっていて、出発の朝がきていた。


アルは図鑑を閉じ、旅支度の一番上にそっと置く。


——それが、すべての始まりだった。


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