第10話 護衛騎士アーク
王宮生活二日目。
静養中の第二王女の部屋では、朝から小さな不満が湧いていた。
発生源は、もちろん師匠だ。
ベッドの上に転がされたセレネ人形が、ものすごく嫌そうな声を出す。
「…菓子がまずい」
「まずくはないよ」
クロエは素直に訂正した。
王宮の菓子は、きちんと甘い。香りもいい。見た目も整っている。
侍女たちも誇らしげに出してくる。
「まずいわけじゃない…が」
セレネは、まるで人生の重大事を語るかのように、重々しく続ける。
「お前の菓子より劣る」
クロエは手元の焼き菓子、王宮のクッキーらしきものをかじった。
硬い。
噛むたびに、歯が仕事をする。
甘いというより、砂糖が直球で殴ってくる。
(これ、普通の小麦粉だなぁ…)
クロエの頭が勝手に分析モードに入る。
薄力粉みたいにきめ細かくない。グルテンが強くて、食感がサクッじゃなくガリッに寄ってる。
砂糖も多い、油脂の扱いが荒い、温度管理も甘い。
セレネが、さらに追撃してきた。
「クッキーは硬いし、砂糖使いすぎじゃ」
「…口の中が疲れる」
「口の中が疲れるって何…」
クロエは半笑いで返しつつ、でも同意してしまう。
王宮菓子は豪華で、上等で、満腹感がある。
しかし、クロエの感覚では繊細さがない。
セレネが、急に声のトーンを変えた。
「ところで、クロエ」
嫌な予感がする。
「お前の自作クッキー、余ってないか」
来た。
クロエは目を泳がせながら、リュックを見た。
王宮に来る時、念のために詰めたものがある。薬草。ポーション。応急キット。
簡易蒸留器具…そして、非常食。
リュックの小さな内ポケットを探ると、指先に布袋の感触が当たった。
「…あった」
クロエが取り出すと、セレネの人形がぴくりと反応する。
クロエは袋を開け、香りを確かめる。
蜂蜜の甘い匂い。
ほのかなバター。
小麦の香りが柔らかい。
「非常食として作ってたやつ」
クロエは、少しだけ誇らしく言った。
「自作薄力粉と蜂蜜で仕上げたクッキー」
前世の感覚なら駄菓子屋レベル。
研究室で徹夜してる時に、つまむ用のやつ。
形も不揃いで、見た目も素朴で、豪華さなんてない。
でも、ここなら。
革命レベルだ。
「よこせ」
「言い方!」
クロエが突っ込む間もなく、セレネは続ける。
「よこせ、あーんしてくれ」
最後だけ急に可愛げを装うのが腹立つ。
クロエはため息をつきながら、クッキーを一枚取り人形の口元に当てた。
「はいはい」
「…ん」
人形の口が動くわけじゃない。
でも、噛んだ気配がする。
食べたという魔力の揺れが、ほんの少しだけ空気に出る。
そのままクッキーが消える。
「うまい」
クロエが思わず笑う。
「でしょ」
「王宮の菓子職人を呼べ。教育じゃ、革命じゃ」
「やめて。静養中の病弱王女だから」
セレネが不満げに唸る。
「病弱のくせに、クッキーは作れるんじゃろ?」
「そこは矛盾しないように頑張るんだよ!」
クロエは自分のクッキーを一枚かじった。
サクッ、という軽い音。
王宮の硬い甘さに疲れた舌に、蜂蜜の丸い甘さが広がる。
脂と粉のバランス。余計な甘さがない。香りが残る。
クロエはふと思った。
(これ…王都のアトリエで売ったら、普通に売れるな)
いや、売れるどころじゃない。
噂になる。
話題になる。
街の声が自然に集まる。
非常勤王女の副業としては、完璧すぎる。
セレネ人形が、満足げに言った。
「な? 王都に出たら、まず菓子屋を探せ。良い菓子屋を弟子にする」
「弟子にしないで。私は錬金術師」
「菓子も錬金術じゃ」
師匠は真顔で言い切った。
クロエはクッキーをもう一口かじりながら、窓の外を見た。
革命レベルのクッキーを武器に、錬金術師として、非常勤王女として。
この世界でちゃんと生きていく。
王宮生活三日目。
朝の光が高窓から差し込み、白いカーテンが淡く揺れていた。
侍女が最低限の身支度を整え、薬草茶を置いて下がる。
廊下の足音は控えめで、近衛の気配だけが一定の距離を保っている。
クロエは机に向かいながら、リュックの上に座らせたセレネ人形を見た。
「今日、誰か来るって言ってたっけ」
「知らん、菓子は?」
「そこかよ」
そんなやり取りをしていると、扉の外で近衛が低く告げた。
「第二王女殿下。騎士団より、ご挨拶の者が参りました」
来た。
クロエの胸がきゅっとなる。
王都で暮らすなら護衛は必須。理屈では分かっている。
けれど、実際にお側が付くという現実は、森の生活とあまりにも違う。
「通して」
自分でも驚くほど、声が王女っぽく出た。
静養中の設定だから控えめに、でも弱すぎない。
ここ数日で叩き込まれた作法が、勝手に体を動かす。
扉が開く。
入ってきたのは、年の頃二十くらいの青年だった。
清潔感がある。
姿勢がよく、目がまっすぐで、無駄な圧がない。
頼れるお兄ちゃん、という表現がぴったりな落ち着き方。
薄い金髪が、騎士の鎧の縁に差す光を受けて柔らかく輝いていた。
鎧は磨かれていて、手入れの痕がそのまま人柄を語っている。
青年は一歩進み、クロエの前で膝をついた。
音がしない。
膝をつく動作が、訓練の積み重ねそのものだ。
「第二王女殿下」
声は低すぎず、高すぎず。よく通る。
「アーク=フォン=シャルニー」
「シャルニー伯爵家次男にございます」
名乗りが終わると同時に、視線を上げすぎない。
王女を見上げないが、侮らない。距離感が上手い。
「クロエ殿下の安全を守るべく、今後お側にお使えいたします」
「…身分上は、冒険者として振る舞うよう申し付けられております」
クロエは、内心でほっとした。
(よかった、最初から目立たない前提だ)
だが同時に、胸の奥がざわつく。
伯爵家次男。
護衛にしては家格が高い。
ただの護衛ではなく、政治の駒としても扱える人材を置く。
その意図が透ける。
クロエは、表情に出さないようにして頷いた。
「よろしく、アーク」
言い方が砕けそうになって、慌てて整える。
「よろしくお願いします。今後、頼りにします」
アークは微笑みだけを返した。
「光栄に存じます。殿下」
ベッドの上のセレネ人形が、ぼそっと小さく言った。
「…顔が良いのう」
クロエは咄嗟に咳払いをした。
「し、師匠!」
アークが一瞬だけ瞬きをする。
何か聞こえた気がしたが、聞かなかったことにした顔。
さすが貴族。さすが護衛。
見なかったことにする技術が高い。
クロエは話を戻すように言った。
「王都では…どの程度、私の行動は制限されますか」
アークは即答しない。
一拍置いてから、丁寧に言葉を選んだ。
「殿下のご意向を最優先に」
「ただし、危険がある場では止める権限を頂いております」
「殿下が非常勤であろうと、命に替えられるものはございませんので」
その言葉は硬い。
でも、誠実だった。
クロエは小さく頷いた。
「分かりました」
そして、ほんの少しだけ声を落とす。
「…私、王都の暮らしに慣れてなくて。迷惑をかけるかも」
アークは目を細め、穏やかに言った。
「迷惑とは思いません。殿下がここにおられること自体が、私の任務です」
クロエの胸が、少しだけ軽くなる。
セレネ人形が、またぼそっと言った。
「よし、まずは菓子屋の探索を命じる」
クロエは即座に心の中で叫ぶ。
(師匠、黙って!)
王宮生活三日目。
クロエの新しい日常に、
護る人が一人、加わった。
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