第35話 日常/移動
朝は、
いつも通りに来た。
基地の空は、
曇っているでもなく、
晴れているでもない。
整備棟のシャッターが上がり、
点呼の声が流れ、
誰かがコーヒーをこぼす。
何も起きていない朝だ。
久遠悠真は、
車両の横で待っていた。
装備は軽い。
前線用ではない。
それだけで、
今日は戦闘ではないと分かる。
「移動だけだ」
葛城が言う。
言い切り。
余計な説明はない。
「補給と人員整理。
それと——」
一拍。
「少し、
顔を出す」
どこへ、とは言わない。
だが、
全員が分かっている。
澪のいる場所だ。
二階堂が、
後部座席に荷物を放り込む。
「ま、
たまにはこういうのもいいだろ」
軽い声。
いつも通りだ。
霧島は返事をしない。
その代わり、
車両の扉を閉める。
音が、
乾いている。
久遠は、
最後に乗り込んだ。
座席に腰を下ろした瞬間、
身体が少しだけ沈む。
それだけで、
今日は“引き受ける日じゃない”と分かる。
エンジンがかかる。
基地を出る。
ゲートが開き、
閉じる。
それで、
外だ。
車内は静かだった。
誰も喋らないわけじゃない。
ただ、
話す理由がない。
窓の外に、
街が流れる。
復旧途中の建物。
封鎖された区画。
人の戻らない道。
だが、
今日はそこに止まらない。
通り過ぎるだけだ。
「なあ」
二階堂が、
前を向いたまま言う。
「今日ってさ」
一拍。
「何も起きないよな」
葛城は、
即答しなかった。
少し間を置いてから、
短く返す。
「起きない日を、
選んでる」
それだけ。
二階堂は、
それ以上突っ込まない。
久遠は、
窓に映る自分の顔を見る。
変わっていない。
目の下の影も、
呼吸の癖も。
昨日までと同じだ。
だから、
安心する。
今日は、
何も起きない。
車は、
市街地を抜け、
郊外へ出る。
舗装の荒れた道。
通信の届きにくいエリア。
それでも、
危険はない。
ここは、
“そういう場所”じゃない。
「到着まで、
あと二十分」
霧島が言う。
淡々と。
「了解」
葛城が返す。
そのやり取りだけで、
十分だった。
久遠は、
背もたれに頭を預ける。
目を閉じる。
何も見えない。
何も来ない。
代償も、
感情も。
空っぽだ。
それが、
少しだけありがたい。
車両は、
緩やかに速度を落とす。
道の先に、
目立たない建物が見えてきた。
隠れ家。
正式な名称はない。
地図にも載らない。
だが、
確かに存在する場所。
葛城が言う。
「着いたら、
今日は休め」
「点検と確認だけだ」
「それ以上は、
しない」
誰も異論を出さない。
それが、
今日の目的だからだ。
車が止まる。
エンジンが切れる。
扉が開き、
外の空気が流れ込む。
久遠は、
地面に足をつける。
普通の感触。
戦場じゃない。
ここは、
日常の延長線だ。
誰も言葉にしないが、
全員が同じことを思っている。
——今日は、
ただ来ただけだ。
それでいい。




