幕間 日和
病室は、いつも静かだった。
消毒液の匂い。
一定のリズムで鳴る心電モニター。
窓の外では、連邦の街が何事もなかったように動いている。
久遠日和は、ベッドの上で膝を抱えていた。
今日は調子がいい。
少なくとも、呼吸は苦しくない。
「……またニュース、見ちゃった」
枕元の端末を、そっと伏せる。
画面には、
《市街地における能力災害発生。人的被害なし》
という短い見出し。
“人的被害なし”。
その言葉を、日和は何度も見てきた。
誰も死んでいない。
誰も怪我をしていない。
でも、
それが本当かどうかは、
分からない。
「……お兄ちゃん」
小さく名前を呼ぶ。
返事はない。
ここにいないのだから、当たり前だ。
兄は、能力者だ。
それも、前線に出るタイプの。
何度も説明された。
国のため。
社会のため。
必要な仕事。
日和は、それを否定したことはない。
兄がそうしているから、
自分はここにいられるのだと、
どこかで分かっているから。
点滴のチューブを、そっと指でなぞる。
自分の身体は、
能力に“耐えられない”。
医師はそう言った。
遺伝子レベルで、
能力への拒否反応が起きているらしい。
能力者になれない代わりに、
普通の生活も送れない。
皮肉だな、と思う。
兄は削られ続け、
自分は最初から、足りない。
「……それでもさ」
日和は、誰にともなく呟いた。
「お兄ちゃんは、
帰ってくるでしょ」
理由はない。
根拠もない。
ただ、
そう信じていないと、
怖かった。
端末が、震える。
着信。
表示された名前に、日和の顔が明るくなった。
「……あ」
通話を開く。
『日和?』
聞き慣れた声。
少し疲れているけれど、
間違いなく兄の声だった。
「お兄ちゃん。
今日、ニュース出てたよ」
『……ああ』
「大丈夫だった?」
『うん。
いつも通り』
いつも通り、という言葉に、
日和は少しだけ笑った。
「そっか。
じゃあ、よかった」
それ以上、聞かない。
戦場のことも、
怪我のことも。
聞いてしまったら、
何かが壊れそうだから。
「ねえ」
『ん?』
「……無理、してない?」
一瞬だけ、間が空いた。
ほんの一瞬。
『してないよ』
即答だった。
日和は、
その答えを信じることにした。
「そっか。
じゃあ、早く帰ってきてね」
『ああ』
通話が切れる。
静かな病室に、
またモニターの音だけが残った。
日和は、天井を見上げる。
兄が帰ってくる。
それが当たり前だと、
思っていたい。
それが、
この世界で唯一、
日和が選べる“希望”だった。




