第33話 兄妹
端末室は、
夜になると音が減る。
人の声が消え、
残るのは機械の低い駆動音だけだ。
二階堂 征史は、
椅子に腰を下ろしたまま、
画面を見ていなかった。
ログは整っている。
整いすぎている。
だからこそ、
今は見ない。
背後で、
キーボードが一度だけ鳴った。
短い入力。
確認のための操作。
「……兄さん」
静かな声。
征史は振り返らない。
「聞き取り、終わった?」
「ああ」
「名前、出たでしょ」
一拍。
「出た」
それだけで、
会話は次に進む。
皐は、
兄の隣に座った。
画面を覗かない。
数字も追わない。
もう必要ないと、
分かっている。
「……私は、データを改ざんした」
唐突だった。
言い訳の前置きもない。
征史は、
否定もしない。
「でも」
皐は続ける。
「それは、
今回の内容が公にならないことを」
一拍。
「鷹宮さんが望むと思ったから」
声は平坦だ。
正義でも、
反抗でもない。
ただの判断。
征史は、
ゆっくり息を吐いた。
「裏切るつもりは?」
「最初からない」
即答。
「私は、
“どこに落とすか”を選んだだけ」
「現場か、
研究か、
処理か」
「今回は、
どれも違うと思った」
征史は、
指先を組む。
「……危ない読みだ」
「分かってる」
「でも、
鷹宮さんは」
皐は、
少しだけ言葉を切る。
「全部を
明るみに出したい人じゃない」
「使えるかどうかを
先に決める人」
「だから、
中途半端な真実は
一番嫌う」
征史は、
何も言わない。
否定できない。
「だから、
整えた」
「“分からない”まま
止まる形にした」
沈黙。
機械音だけが、
二人の間を流れる。
「……なんで」
皐が言う。
「兄さん、
あんな危ない立ち回りしたの」
問いは、
まっすぐだった。
征史は、
すぐには答えない。
どこまで言うかを、
測る時間。
「……昔のお前と重なってな」
ぽつりと落とす。
皐の指が、
一瞬止まる。
「……は?」
「前線に立ってる姿が」
征史は、
画面を見たまま続ける。
「壊れそうなのに、
壊れてないふりしてるところが」
皐は、
ゆっくり兄を見る。
「私、
前線なんて立ってないけど」
「立ってた」
即答だった。
「ベッドの上で」
皐の喉が、
小さく鳴る。
「息が苦しいって言いながら、
大丈夫だって言って」
「検査の数字、
全部覚えて」
「医者より先に、
自分の限界を把握してた」
皐は、
視線を逸らす。
その仕草が、
昔と同じだった。
「……もう違う」
「分かってる」
「今は、
ちゃんと回復してる」
「分かってる」
否定も、
訂正もない。
だからこそ、
話が続く。
「今回のやつ」
征史が言う。
「前に出て、
引き受けて」
「壊れない顔で
立ってた」
「止まらないだけで、
壊れてないわけじゃない」
皐は、
黙る。
「……それで」
静かに言う。
「兄さんは、
線を越えた」
「越えてない」
「越えてる」
即断。
「越えてないなら、
鷹宮は
名前を出さない」
征史は、
言い返せなかった。
「私が整えたから、
今は止まってる」
「でも、
次は分からない」
皐は、
兄を見る。
「ねえ」
「私、
守ろうとして
改ざんしたわけじゃない」
「ただ、
“そうなる”と思っただけ」
「それだけ」
征史は、
小さく笑いそうになって、
やめた。
「……厄介だな」
「昔からでしょ」
皐は、
ほんの少しだけ口元を緩める。
弱かった頃の笑いじゃない。
「次、
同じことしたら」
皐が言う。
「私は、
もう少し深く整える」
「疑われない程度に」
征史は、
初めて皐を見る。
「それが一番、
危ねえ」
「分かってる」
「分かってて、
言ってる」
沈黙。
約束はしない。
誓いもしない。
それが、
今の二人にできる
一番安全な距離だ。
端末室の灯りが、
静かに二人を照らす。
外では、
基地がいつも通りに動いている。
名前が試され、
沈黙が選ばれ、
人が削られる速度で。
それでも。
守れる距離は、
まだ残っていた。
それだけで、
今夜は十分だった。




