第29話:出発準備
朝は、思ったよりも静かだった。
隠れ家の窓から差し込む光が、
床の木目をゆっくりとなぞっていく。
昨夜までの緊張が、
嘘だったかのような空気。
だが、
消えたわけではない。
ただ、
音を潜めているだけだ。
「……朝って来るもんなんだな」
二階堂が、ソファに沈み込みながら言った。
「来なかったら困る」
霧島が即答する。
「その割に、
誰も嬉しそうじゃないけど」
「嬉しがる朝じゃない」
朝霧香織は、キッチンでカップを並べながら答えた。
その声音は、
いつも通りだ。
だからこそ、
その裏にある判断の重さが分かる。
葛城は壁際で装備を確認している。
一つ一つ、確かめるように。
「第七に、
帰還命令が出てる」
香織が言った。
短く、
それだけ。
「……基地か」
二階堂が、軽く肩をすくめる。
「まあ、そうなるよな」
「当然だ」
葛城が答える。
「ログ提出、
事情聴取、
編成全員だ」
その言葉を聞いて、
澪は静かに背筋を正した。
「……確認しても
よろしいでしょうか」
声は落ち着いている。
「私は、
同行しませんね」
「しない」
葛城は、即答した。
言い訳も、
補足もない。
「公式記録上、
君は存在しない」
「……完全破壊扱い、ですね」
「そうだ」
澪は、
一拍だけ目を伏せた。
理解は、
できている。
だが、
感情が追いついているかどうかは別だ。
「つまり」
澪は言葉を選ぶ。
「私は、
ここに残る」
「そうなる」
二階堂が、
少しだけ柔らかい声で言った。
「お留守番ってやつ」
「表現が軽い」
「でも事実だろ」
霧島は口を挟まない。
それが、答えだった。
香織が、
澪の前に立つ。
「制限はかける」
「外出は禁止。
通信も最低限」
「それでもいい?」
澪は、
少し考えてから答えた。
「……はい」
「理由は?」
「今、
外に出る方が危険だからです」
理屈としては、
正しい。
だからこそ、
香織は一度だけ息を吐いた。
「澪」
「はい」
「……複雑な気持ちだろうね」
一拍。
「状況は、
全然違うけどさ」
香織は、視線を窓の方へ向ける。
「それでも、
私も“戻らなかった”側だよ」
澪は、
その言葉をすぐには理解しなかった。
「……」
「だから」
香織は、そこで言葉を切る。
「今は、
考えすぎなくていい」
「ここにいる理由を、
無理に意味づけしなくていい」
澪は、
しばらく黙ってから頷いた。
「……承知しました」
久遠は、
少し離れた場所でそのやり取りを見ていた。
声をかけるべきか。
かけるとしたら、何を。
判断がつかない。
「久遠」
葛城が呼ぶ。
「第七は、
十五分後に出る」
「……はい」
澪は、
ゆっくりと久遠を見る。
言葉はない。
だが、
視線だけで何かを伝えようとしている。
久遠は、
一瞬迷ってから口を開いた。
「……ここは、
安全だ」
それだけ。
澪は、
小さく頷いた。
「はい」
それで、十分だった。
「じゃ」
二階堂が玄関に向かいながら言う。
「俺たちは
“何もなかった顔”で戻る」
「得意分野だな」
霧島が淡々と返す。
「顔はな」
「中身は?」
「知らん」
扉が開き、
朝の空気が流れ込む。
第七特別部隊は、
基地へ向かう。
澪は、
隠れ家に残る。
公式には、
存在しないまま。
だが。
確かに、
ここにいる。
それだけが、
静かに残された事実だった。




